2026年4月11日土曜日

LinuxDesktop歴1年の私が提案するLinuxデビューからその先のPath

 昨年の今頃はいろいろなDistrosを試して、「これは使える、これは使えない」のスクリーニングに興じていたように思いますが、最近はインストールに失敗したDistorsをChatGPTのサポートを借りてインストールして、(インストールに失敗した時点で汎用OSとしてはNGですが、さらなる粗さがしのために)その後の使用感を確認するようなトラブルシューティングに興じていることに気づきました。

そこで、今回はこれからLinuxを試してみようとする人に対して、1年先輩からのアドバイスとしてどこから入ってどこに進めばいいかを述べたいと思います。

まず、いろいろなDistrosを紹介するアカウントはありますが、それらのアカウントはよく作り込まれたものもそうでないものも表面的にさらっと触って(最悪、仮想環境までで)、同じ温度で勧めててくるので参考になりません。せいぜい、日本語入力出来た、出来ないのレベルまでしか確認していません。

以下は私が試したDistrosの評価概要です。これ以外にも試したものはありますが、それらはオススメすることもなく、また、NGでピックアップしたものは良さそうに見えて騙されやすいと思ったのであえて挙げています。

とりあえず最初はZorin OSかLinux Mintから始めれば問題なく、そのうち、古いグラボとの相性が悪いとかでFeren OSのほうが良い、とか、(トヨタ車のように)あまりにも無難すぎて面白くなくなった、多少の手間がかかるほうがいいというときにDebianやCachyOSを試してみてはいかがでしょうか。CachyOSはArchベースですが、想像以上によく作り込まれていました。



それ以外では、デスクトップ環境にKDE plasmaを選ぶと、どのDistrosでもスリープ後にタスクバーが起動しないことがあるとか、ひどい場合はスクリーンが復旧しない(CalamaroOS)などあります。この点でもFerenOSは(多少古いものの)安定しています。

Windowsでフォーマットしたハードディスクのクリックマウントに関してもZorin OS/Linux Mint/Feren OSは問題なく、DebianやCachyOSでは失敗することが多いです(が、私はもう慣れました)。

TUXEDOは一時期、よく使っていましたが、使わなくなった理由は覚えていません。KDEなのでタスクバーが起きてこないなどの不具合だったかもしれません。ブログは充実しているので今でも読んでいます。

Bodhiは最近、更新が止まっています。同様にリソースの問題からか、メキシコのEscuelas Linux との提携も終わってしまったようです。Windowsに慣れ親しんだ層にとっては動線(Usability)の違いがネックかもしれません。

DESERT OSはMac様の使用感を目指していると思いますが、これも同様にMacに思い入れがない層に対しては訴求力が弱いと思います。

ノートPC等でハードウェア構成がほとんど変化しない場合はMaybe以上であれば特に問題はないと思いますが、デスクトップでしょっちゅうハードウェア構成を変える場合はLinux Mint/Feren OSが無難です。

また、個人的な印象としてUbuntuベースはUbuntuから余計なものを削除しているので軽くなって(Ubuntuより)使用感が良くなる一方で、逆にDebianベースはDebianから必須なものがなくなって何らかの不具合を来している、というのが偏見を含む感想です。

Debian13.4では、i7-4770SのCPUを載せた端末で、省電力制御の関係からかyoutube再生中にフリーズするという不具合がありましたが、別の端末で使うようにして特に原因究明・CAPAには取り組んでいません。

つまり、Daily Driverという生活基盤を任せられるDistrosを確保しつつ、暇なときにいろいろ新しいものを試して(CachyOSのように新たな出会いもあるし)たまにガラクタにあたっていろいろ勉強するというのも、ひとつの楽しみではあります。

また、Windowsの世界では要求仕様を満たさなくなったハードに新たな命を吹き込んで一線で活躍させるというのもLinuxの醍醐味のひとつと言えると思います。








2026年4月10日金曜日

風薫る五月

北関東では桜もピークが過ぎ、昨日・今日の長雨でだいぶ散ったことだろう。風の吹き溜まりに出来た花筏(はないかだ)も、枯れるまでは余韻を楽しむとしても、それほど長くはないだろう。

しかし、ほら、見上げてごらん。そこにはもう、新しい若葉が芽を出して、新緑の季節を迎えようとしているよ。

そんな季節の華やぎを表現してみました。曲がもつ疾走感と、なびく髪や間接照明の光がうまくマッチしているのではないでしょうか。

スマホ万能時代の弊害とも言えると思いますが、この女性は定期的に動画を削除するので、本人が知らない間にそのコピーが西側で保管されているという状況が生まれています。






*CalamaroOS(Genntooベース)でもsimplescreenrecorder使えています(X11)。

音源フル:

2026年4月5日日曜日

道路交通法の改正(自転車に関する厳罰化)

 努力義務としてヘルメットの着用が言われるようになってから何年かわかりませんが、この4月から原則車道、違反切符の発行が始まりました。

実は昨年の夏から、自転車に乗ることをやめています。昨年の夏、帰省した次男が乗ったあとパンクしていることに気づき、それを機に乗らないことにしました。事故にあうリスクを取ってまで乗る必要もないと判断しました。

その記念に、いらなくなったハンドルグリップを使ってキックボードのハンドルを修理しました。うちの子どもたちが使ったもののハンドルのウレタン素材が経年で劣化していたからです。孫が使う日に備えて、など、気の早い話をするとそういう人に限って返ってその機会に恵まれないということも有りそうですが。

余談ですが、数日前の朝刊のコラムに「定年になってやることがないのでサイクリングを始めた」というのがありましたが、ロードレーサーに乗っているセクターは不快ですね。運転の邪魔だし、形から入って格好だけは一人前でアップル信者に共通するものがあると思います。

2026年4月3日金曜日

雨降って

 (最初に言っておくと、下の歌の「すいたえき」が「吹田駅」に聴こえるあなたは立派な関西人です)

人生、50年くらい生きてようやくわかったことは、幸運に思えたこともその先に不運なことが待っていたり、逆に不運だと思っていたこともその先に幸運なことが待っていたりする。

人生というものはそういうものだと極論してしまえば、人生の岐路に立った時に、より困難と思える方を選択するほうが良いのかもしれない。

「幸せは歩いてこない」という歌詞の歌があったが、どうやってもどこかで不運には見舞われるし、だとすれば自ら不運なほうを掴みに行ってもいい。親鸞の弟子が書いた本の中にも、「人生はどうなるかすべて最初から決まっている」という内容があったはずだ。

そんなことを知ってしらずか、多分知らないまま本能のままに、そのような選択を選んだ長男へのエールを込めて防備録として書いておく。本人には言わないが、言う必要もないだろう。

その不運や困難を乗り越えた先に見える景色は、越えた者にしか分からない。

タイトルの下の句は、「花粉去る」。今年はなぜか花粉症がひどくなり、寝ている間に喉が痛くなったり、咳き込んだりしていた。この1,2日の雨で地面に落ちて去ったような回復ぶりである。



2026年4月1日水曜日

時は巡り、また芝生が美しい季節が来る。

 昨日の夜中、サッカー日本代表がアウェイでイングランドに勝ったニュースがありました。明け方に試合があるのは知っていましたが、わざわざ見るほどのサッカーファンではありません。その時間に起きることは苦でなくても。

6月にサッカーワールドカップ(アメリカ・カナダ・メキシコ大会)があります。ちょうど20年前に、ドイツワールドカップがありました。

2006年、単身赴任をはじめてまもなくあった大会で、週末帰宅時のくつろぎの背景として記憶に残っています。北半球の6月で芝生が美しく、サントリーがプライムタイムというビールを販売していて、そのイメージソングを後に水戸でくだをまくとは予想もしなかった山崎まさよしが歌っていて。

大会のレプリカボールを買って、その後、子供と近隣の公園で遊んだことを覚えています。

それから20年が経過し、長男が就職し、単身赴任のようなかたちで地方へ赴きました。今回は、自分自身の体はどこにも動きませんが、気持ちは遠くへと思いを馳せます。

たとえて言うならば、常総道の駅の温泉に入るときに、エントランスのラベンダーの香りに初夏のひたち海浜公園を思いうかべ、室内の炭酸温泉や露天風呂で、スパリゾートハワイアンズや栃木・群馬・箱根の温泉に行った日のことを思い浮かべるような感じです。


たぶん、こうして楽しみにするのも20年ぶりでしょう。

2026年3月29日日曜日

大切なものは売っていない。

 年度末。週が開ければ、その半ばに年度が変わる。

大きな変化として、就職する長男が扶養を外れる。すでに源泉徴収上は外れているが、保険証から外す手続きをする。自分が親の扶養から外れるときは何も意識しなかったが、我が子が外れる瞬間を思うと、これまで過ごしてきた日々が懐かしく思い出される。

(本題を外れる豆知識として、子供のバイト代が扶養の範囲を外れた場合にも、年末調整で扶養から外す必要はあるが、健康保険は継続的な収入の上昇ではなく一過性である場合、扶養から外す必要はない。)

年度が変わるタイミングである一方で、私がLinuxを熱心に使い始めてからおよそ1年が過ぎた。プライベートではほとんどWindowsを使うことなく過ごした。特に支障はなかった。今後もマイナンバーを使うとき以外は必要ないかもしれず、それもスマホで済ますかもしれない。

(京都の寺社仏閣とは違い)築地本願寺は拝観料がいらないので、近くを訪れた際には必ず参るようにしている。「親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年」の記念の御札は今も配布されていて、建造物は日本寺院ではなく古代インド・イスラム仏教様式のコンクリート建築だ。創建から90年が経過し、目下進行中の改修工事の進捗がA5パンフレットで配られている。現時点では2冊目が配布されているようだ。ちなみに使用されている石材はかつて滞在した茨城の稲田石ではなく、岡山県の石材であることを館内の掲示板で知った。

御誕生850年にあたる年(2023年)と立教開宗800年にあたる年(2024年)は異なるので、立教開宗したのは51歳のときという計算になる。なお、大した医療もなかった当時、90歳まで往生したことは以前にも触れたが、厳密には数え年での90歳だったこともそのパンフレットからわかった。

かつては、Youtubeをダウンロードするためのフリーソフトをインストールしようとして、関係ないリンクから関係ないソフトをついでにインストールさせられることもしばしばあった気がするが、Linuxでyt-dlpを使うようになってそのようなこともなくなった。動画の切り出しもffmpegでできて、OSディスクのクローンもddrescueでできるので、Windowsの世界で有料のものは技術的な使用料のために有料になっているのではなく、提供者の金儲けのために有料になっていることもうかがえる。

50歳からなにか新しいことを始めるのは難しい気もするが、私の場合はAIの普及の一環としてLinuxに出会うことができて、それはいろいろな条件が重なったこともあり(ジャンクパーツを容易に入手できるなど)幸運だったと思う。そして、これが何か人生で大切なことを示唆していると思わせるのが、基本的には売られていないということだ。

新聞、テレビ、ラジオなどの情報の入手先を過度な広告やマルウェアから開放された空間から取り入れるのは、同じ場所に居ながらにして世界の見え方が変わるようで心地よく、このLinux Distrosを生活基盤として毎日を送っていく、折り返し地点を過ぎたこれからの人生を歩んでいくとすれば、また新たな境地にたどり着けるような気がしている。

*デスクトップパソコンであれば、WindowsとLinuxを別のSSDに(UEFIで)インストールし、LinuxのEFI boot managerで認識させて、起動時に選ぶようにすれば、同じハードウェアでモードを選ぶ感覚でWindowsとLinuxを切り替えられる。こうすることで、ひとつのディスクを分割してデュアル(マルチ)ブートにする際にインストールに失敗してしまうリスクを減らすこともできることを先日知った。

築地本願寺で配布されている楕円形の御札と、似たような形状で一回り小さく薄い御札が比叡山にもあり、30代からお守り代わりに財布に入れて持っていたが傷んだのでどこかにしまった。ひとつの儀式として、今後は築地本願寺で手に入れた御札をお守り代わりにこれからの毎日を過ごしていこうと思っている。






2026年3月28日土曜日

立松和平の偽り

 立松和平による「日本列島の香り 国立公園紀行」という平成10年3月に発行された本を古本を読んでいて気づいたこと。

「屋久島・生命の曼荼羅(霧島・屋久国立公園)」という項があり、土地の人の会話も出てくる。その中で語尾に「たい」とついているが、これは誤りではないか。

その土地(屋久島)の方言として語尾に「たい」は使わないし、あるとすれば私が知る限り熊本県の方言にはあった。阿蘇の項もあったのでそれと勘違いしているか、もし、語感を新鮮にするために意図的に誤ったとすれば悪質だ。

もし、期待して手にとったその土地の人がいたとすれば奇異に思ったりしただろう。