2015年2月27日金曜日

フォッフォS村・エピローグ

私が高1の秋から卒業までを過ごした下宿は、今は商売をやめてしまっている。卒業後、ずっと年賀状を交わしているが、2年ほど前から住所が変わっていた。下宿のおばさんが、手書きでもう引退したと書いていた。

S村先輩の学年のマドンナだったS野さんは、地元の大学の医学部に行ったことは在学中から聞いていた。ネットで調べると、進んだ診療科や結婚後の姓も分かった。かつて私は、その診療科に関わる診断薬を作っていた事があったが、はっきり言ってあってもなくてもどうでもいいような製品なので(その証拠に、年間の特許報酬が1万円ちょっと!)、多分、S野さんは製品の名前すら知らないだろう。

最後に、タイトルの「フォッフォ」とは、S村先輩が笑う時の笑い方を擬態化したものだ。

2015年2月26日木曜日

フォッフォS村

20年以上前の、古い記憶を辿って行くと、一人の人物を思い出しました。 

高校時代の2つ上の先輩で同じ種子島の出身の先輩にS村先輩という人がいました。先輩は隣の市の榕城中学出身でした。柔道でいうと、烏帽子らが出た中学です。 弟がいて、私と同い年でした。弟とは種子島時代から顔見知りでしたが、弟は、高校はKの理数科に通っていました。 Kの理数科は寮があるのですが、うちの高校には寮がないので、私は下宿していました。高1の秋から下宿を変わり、そこでS村先輩と知り合いました。 

S村先輩の学年にはS野さんというマドンナ的な人がいました。その人がバレンタインデーにクラスの男子全員にささやかな義理チョコを配ると、男どもはどいつもこいつも鱗粉を撒かれた蝶のように参ってしまうといった体たらくでした(本来、鱗粉を撒くのはオスですが)。 

私が、そのS野さんについて「確か小学生の頃は種子島に住んでいて、私と同じ野間小学校に通っていたはずだ」というスクープ情報をS村先輩に提供すると、「何?」と俄然、盛り上がり、早速翌日、学校で裏をとりに本人に確認したらしく、その結果、「本当だった」と、まんざらでもない様子で満足していた様子でした。同じ下宿には他に奄美大島とか屋久島出身の先輩いましたが、その時ばかりはS村先輩を羨望の眼差して眺めていました。 

その精神的な充足感をそのまま受験にぶつけた結果、S村先輩は、見事、現役で京大工学部に合格しました。 

 S村先輩は、その後、どうしているのでしょうか?卒業以来、お会いしていません。弟とも会っていません。 屋久島出身の先輩とは、私が25歳くらいの時に港で会いました(なんか、かっこいいだろ)。しばらく関西にいた後、地元の役場で働くために、帰るところでした。 

K先輩なら知ってるんじゃないのかな?と思って、質問に質問で返してみました。

2015年2月22日日曜日

フィクション

本当は、常磐線の音は霞ヶ浦(私達がいるハーバー)までは届きません。ただ私の心の中を、何度かスーパーひたちが通り過ぎて行きました。

常磐線

前回から、昔、ブログで書いたことの続編を書くことを心がけてみる。昔のものを読んだ人がいれば近況報告にもなるだろう。
 
私が単身赴任を始めたのは、2006年3月だった。
寒さが和らぎ、あと何回、このような温かい日が来たら桜もほころぶだろうかと思わせる、暖かな日曜の午後だった。常磐線土浦駅からフレッシュひたちに乗り、日立駅まで。その頃の日立駅はまだ古い駅でエスカレーターも(エレベーターも)なく、昭和の香り漂う鄙びた駅だった。その駅が生まれ変わったのが震災後で、何月だったかは忘れたが、私が単身赴任を終える頃には新しくなっていた。

かつては赴任先から戻る私を家族が車で迎えに来た道路を、今は2週間に1度、長男が霞ヶ浦へヨットに通うときに使っている。

 今日も、そのすでに定番となった月に2回ペースで霞ヶ浦に浮かんで過ごす日だった。

今日の霞ヶ浦は、前回(2週間前)ほどではないにせよ寒かった。雨は降らずに持ちこたえてくれた。前回は雨にも降られ散々だった。

時折、遠くのほうで土浦駅を通過する電車の音が聞こえた。

その常磐線も3月14日には品川駅まで延伸するらしい。新幹線に乗るにも、羽田に出るにも便利になることだろう。

それにあわせて、「フレッシュひたち」という特急の名称はなくなると聞く。今年の春も、ひとつの時代の転換点となることだろう。

2015年2月21日土曜日

眼鏡の新調

長男が眼鏡を新しくした。幼稚園の年中からかけ出して、2,3年ごとに作り替えて今度で4つ目だ。

遠視性内斜視の眼鏡なので、通常だとレンズが牛乳瓶の底のように分厚くなるのだが、なるべく薄く作ろうとすると結構な値段になる。今回もフレーム込みで5万円くらい。

遠視性内斜視は、成長して眼球が大きくなると治る場合もあると聞いていた。眼鏡をかけ始めた頃は、うまくいけば今くらいの年頃には治ってかけなくても良くなっているだろうか、という期待もしていた気がする。当時は子供もまだ小さかったし、「いつか治ってほしい。どうか治ってほしい。」という悲痛な願いだったような気もする。

しかし、もうすぐ中学生という、昔で言うと元服を迎えるような年頃になってみると、それほど悲痛な願いでもなくなった。治らなかったら治らないで、生きている限り付き合っていく慢性病のようなものだろうくらいの。治ってくれたら金かからなくていいなといった程度で。本人もそれほど気にしているようでもないし。

そういえば、小学校卒業前の今の時期、近所の氏神様の神社に行って立志式ってやったけど、この辺でもやるのかな。


2015年2月19日木曜日

野村先生

うちの嫁が近所のホテルのプールに通っているのだが、そこで高齢者向けの教室をやっている初老のコーチと一言二言交わすようになったという。

他のコーチに聞いたところ、筑波大学の名誉教授で、元水泳部の監督ということだった。

最後の教え子が、朝イチに出ている宮下純一君なんだそうだ。




2015年2月17日火曜日

「アイテムはポリシーを表す」


「アイテムはポリシーを表す」ということを実感している。車だ。買い替えた車。


以前乗っていた車は、一部にはファニーカーと呼ばれ(これでだいたいわかる人には分かるかも知れない)、乗り換えるつい最近までどこか30代をひきずったままでいたように思う。


現在の車は、お堅いブランドイメージ。買ったのはエントリークラスの新型車だが、他社のハイブリッド、電気、さらには水素(燃料電池)といった新しいタイプの(ガソリンエンジンではない)カテゴリーを競争相手と捉え、それらとの顧客獲得競争を経て、将来的には上のクラスへの買い替えを促す狙いの戦略車だと思う。


率直に言って、価格の割に高級仕様だと思う。また、購入後3年間はメンテナンス費用(エンジンオイル、ブレーキパッド、ウォッシャー液などの消耗品)が無料というのも大きい。これくらいの代償を払ったとしても、乗り換えの時に上のクラスに乗り換えてくれれば元は取れるということだろうか。


買い替えてほぼ1か月。いつも、身が引き締まる思いで乗っている。と同時に、大らかな気持ちで乗るようにしている。歩行者や対向車には道を譲ることが当たり前のようにふるまう。


このように、日本のメーカーの技術革新が、結果的に海外メーカーの車を高いコストパフォーマンスで乗れるようにしてくれたことに心より感謝したい。あるいは、ガソリンエンジンがついにコモディティ化し始めた局面なのかもしれない。常に、どのような分野においても新しい技術は割高だ。



追伸

以前から思っていることだが、プリウスをタクシーに採用するのはやめていただきたい。原則として乗客が乗ることが想定される後部座席の天井が低いというのはどういうことだ。プリウスを採用することが誰に対してメリットがあるのか。顧客ではなく経営側であるならば、顧客軽視ということだろう。

2015年2月14日土曜日

ドラマ版「永遠の0」



松乃は、一時的にヤクザ者に囲われる設定なので、果たして多部さんに演じきれるかというのがあるのですが、その部分はカットでしょうか。

主題歌は圧倒的にこちらのほうが好きです。あくまでも個人的な好みとしてです。もともとサザンは好きではありません。大麻で捕まったギタリスト抜きにしてもです。

また、この原作を「右傾化エンタメ」と呼んだ行間を読めない作家がいましたが、その作家についてはキザなペンネームが鼻について作品はひとつも読んだことがありません。





バレンタインデー

今年は長男6個、次男2個だったらしい。去年までゼロ更新だった次男がもらい始めたことは嬉しい誤算だ(次男の性格からして、ずっともらえないものだと思っていた)。

気の早い話だが、将来、どのような女性を伴侶として連れてくるかに、我々夫婦による教育の最大の成果が現れるのだろう。






2015年2月12日木曜日

震災から4年

震災からもうすぐ4年です。

震災の直後の4月、次男が小学校に入学したので、震災の前後の記憶は次男の幼稚園の卒園と小学校の入学に関連しているものが多い気がします。

この4周年を迎えるにあたっては、別の意味で感慨深いものがあります。それは、次男が小学校入学と同時に始めた通信教育を、あと2か月分を終えると無事に4年の過程を終えるからです。

長男も同様にやっていたので、その期間をあわせるとのべ6年間お世話になりました。毎月送られてくる算数と国語の課題の冊子、そしてその冊子を終えると送ることになっている1枚の添削プリント。そして長男が始めた頃は無かったのですが、長男が2年生か3年生の頃には補助教材としてのドリルも加わりました。驚いたことに月の費用は変わらないままでした(¥5.400/月くらいでしょうか)。そのようなサービスの向上は少子化の中での中学受験の加熱から、生徒の獲得競争が激しいことが伺えます。次男の場合は1年生の時からまる4年ドリルもこなしたことになります。平日の晩はそろばんやスイミングに通っていたので、基本的に週末だけでやるには結構な分量でしたが頑張ってやり遂げました。と同時に、この教材については親の採点や間違った問題の説明がいるのですが、私もやり遂げることが出来ました。

この4年コースの通信教育の教材では、特に国語の読み取りの問題が良かったと思います。オリジナルの文章が多く、内容的にも知識としても興味深く役に立つものが多かったと思います。また、添削プリントには先生に手紙を書く欄があるのですが、うちの子供たちは上からメモ用紙を何枚も貼り足して長い手紙を書いていました。

次男は5年生になると、別の通信教育を始めます(長男と同様に、¥9,000/月くらい)。そちらは算数、国語だけでなく英語、理科、社会も加わりますが(英語以外は)基本的に学校で習うことに準拠しているので、もう親は手を貸さず、自分で採点して解説を読ませるようにしています。

一方、長男のほうは中学に入学するので、これまで5年生と6年生でやってきたその教材の中学生コースを始めることになります(¥15,000/月くらい)。先日、その第1回目が送られてきました。小学生までとは比較にならない分量で長男も面喰っていたようです。長男には「2か月分滞納したら辞めさせるからな。また、成績下がっても塾には行かせないから(自分の力で入れる高校に入りなさい)。」と言ってあります。最近は友達とタブレットでやり取りばかりして、勉強している様子が見られないのが気がかりですが。

おそらく、親が「勉強しろ。読書しろ。」と口で言うよりも、親自らが読書したり勉強(努力)したりしている姿を見せるほうが効果的であり説得力があるのだろうな、とは思いつつも、自分も最近は本読んでいません・・・。

2015年2月7日土曜日

節分を過ぎた頃

中学受験を終えた子達が、窓の外の公園で遊んでいる。長男の身近なところでは、同じ小学校から2人、幼稚園が同じだった子で隣の小学校に通う子が1人、東京の開成中学に合格したらしい。

長男が4月から通う近所の公立の中学校は、おもに2つの小学校から入学してくる。それらを仮に東小と西小とすると(そのままだな・・・)、東小は公務員世帯のご子息が多く、西小は民間人世帯のご子息が多い。よって、それぞれ学校のカラーが違い、互いに他方の価値観を心のどこかでバカにするという、ほどよく緊張感が保たれた関係にある。もっとも、我々もその学校に通っていたわけではないので、あくまでも伝聞できいた限りにおいてはの話であるが。

息子が通っていた西小は、先に述べたように中学から私学に進む子もいる。一方の東小のほうは、公立の中学に進んできた子の中にも、学校と家庭学習だけで後々、東大をはじめとする難関大学に進む子が多いと聞く。

我が家は、西小に通いながらも、スタンスとしては学校と家庭学習だけで 何とか道を切り開いて欲しいと考えている。長男もこれまでは、私学に進む子たちに対してはどこかで自分とは生きる道が違うと考えていたと思うが、中学に進んで、自分と同じやり方でありながらも、もっと出来る子らを目の当たりにした時、どのような刺激を受けるだろうか。それをひそかに楽しみにしているが、案外、猫みたいな性格の長男なのでそのままマイペースで行くのかもしれない。