2016年2月28日日曜日

日々のスパイス

私の祖父は生前、台湾で働いていた。ノンキャリアの公務員として、教育関係の業務に携わっていたという。戦後も、残務処理でしばらく単身赴任で駐在していたそうだ。その頃の資料は私が幼い頃まで残っていたというが、実家を建て替えるときに父が全部、焼いてしまった。祖父は父が小学4年生の時に亡くなったので私は会ったことが無いが、生前の祖父を知る人によると、私は祖父に似ているという。

鴻海精密工業がシャープの買収を検討しているニュースに接する時、私は祖父の生前の業務の、ほんの少しかも知れない成果が、今、大きな力となって時代を動かそうとしているような気がしてならない。

イギリス人作家カズオ・イシグロの祖父は、伊藤忠商事の社員として中国に駐在していたことがあり、その後、豊田自動織機が中国に現地法人を立ち上げる時にそちらに加わったことが彼に関する解説書「境界のない世界」の中に書かれてある。作品「わたしたちが孤児だったころ」は、日中戦争当時の上海を舞台にした作品であるが、解説本の著者によると、その祖父に対する懐古的な憧憬が創作のモティベーションだったのではないかと述べられている。

私が現在、習っている中国語(北京語)は、台湾を含む中華圏の標準語(汎語)のような位置づけなのだそうだ。台湾人にも通じると聞く。コンビニやスーパーのレジで働くアジアの若者達の多くが、大きな夢を抱いて日本を訪れていることだろう。そんな彼らが、今よりもほんの少しだけ日々を楽しく過ごせるように、彼らと日本人との触れあいのツールとして、今、学んでいる中国語を活かせたら、と考えている。既に1件、実施済みで、経過は良好のように感じている。

2016年2月27日土曜日

美しき停滞

「司馬遼太郎が亡くなって20年」というのをどこかで見かけた。阪神大震災から約1年後、当時、大学4年生で、卒業間近だった。薬剤師の国家試験の勉強真っ只中だった。亡くなった当時、特に感慨は無かった。というのも、司馬作品を読むようになったのはそれから約2年後、入院生活の暇つぶしに読み始めたのがきっかけだからだ。

スーパーやコンビニのレジは、ほとんどが外国人が担うようになって久しい。留学生のバイトなのだろうか。日本の私大の4割が定員割れしているというデータもあり、留学生の受け入れに活路を見出そうとする学校もあるのかも知れない。大学経営は大変なのだろうが、一方でいずれ受験生を持つ親の立場としては楽観的でいられる部分もある。

アメリカの大統領選挙を見ていると、冨の配分が偏りすぎていて、低所得者層の不満が限界に来ているようにも思える。かつて正義の押し売りをしていた学級委員長的な偽善すらなくなってしまった感がある。

そういう観点から、氏の指摘する予想と目指す方向性は当たっていると思う。「米国で起こっていることは数年後には日本でも起こる」とも言われるようだが、そうはならないようにしたい。社会を担う一員として。

2016年2月17日水曜日

年の差

朝ドラ「あさが来た」での五代とあさ(広岡浅子)の師妹愛が話題である。史実として明確な資料はなく、状況証拠からの想像(フィクション)の部分も多いという。

そのフィクションに無理がないかを自分なりに検証しようと思い、ひとつの指標として年齢に注目してみた。

すると、五代とあさの年齢差は13歳であった。五代が没するとき(享年49)、あさ36歳。

そのことから、たとえいろいろなエピソードがフィクションだったとしても、無理のない設定だと思った。

多少、自慢が入るが、今現在、(二人きりでも)飯に付き合ってくれる人が3人いる。3人とも30~35歳で私より10歳前後若い。普通に、無理なく、そのような関係を築ける年齢差として10歳くらいは必要なのだと思う。

私も彼女たちに何か役に立てるだろうか。立ちたいとは思っている。

2016年2月14日日曜日

The English Patient

若かりし頃に背伸びして読んだ小説を、もう一度、読み直してみようと思い、図書館で「イギリス人の患者」(新潮社)を手にした。訳は土屋政雄氏だった。

24、5歳の頃だったと思う。映画化された作品も観たが、当時、ペーパーバックを買い、原書で読もうとしたことを覚えている。翻訳を読んでみると、当時の私の読み違いにもいくつか気づいた。

映画では、飛行機での自爆行為に及ぶ夫が妻の不倫にリアルタイムで気づいているような進行だったと思うが、原作(小説)ではその恋は理性的な判断により終えられた後で、しばらくして何らかのきっかけで夫が気づいたという設定だった。当時、原書で読んだ時には気づかなかったが、恋が終わった後、飛行機事故に遭遇するまでの男(イギリス人の患者)の心の葛藤の描写が秀逸だと思った。当時、気づかなかったのは、英語力に問題があったのか、あるいは人生経験が不足していたのか。

砂漠での共同生活という特殊な環境で生じてしまった過ちが悲劇を招いたのか。あるいは単に夫の病的な不寛容さが招いたものだったのか。飛行機での自爆行為で即死した夫に代わり、妻を看取ることになった男(イギリス人の患者)は、実はハンガリー人だった。ハンガリーには、今日でもドイツ車の工場が多く存在するように、すなわち男はドイツ側の人間(スパイ)としてずっとマークされている人物だった。ハンガリー人はアジア人の血を引くとされる。スリランカ人の作者が、そのような背景も考慮に入れていたのかどうか・・・

では、今日はこの曲でお別れです。今日は春一番が吹き荒れ、温かい一日となりましたが、明日はまた冬日に戻り、冷え込むそうです。東京砂漠で風邪など引かぬよう、ご自愛下さい。



余談ですが、ご近所の厩舎の方が前川清の愛馬「コイウタ(恋歌)」を飼育(管理)されておられるそうです。




2016年2月10日水曜日

100人に2~4人

震災から5年、ということが言われるようになった。

iPS細胞ストック構築のプロジェクトも、スタートは震災の直前のようだ。ノーベル賞を受賞するのは、その1年半後だ。

一般からのドナー公募はしていないが、例外的に2つのケースで参加できるようだ。

一つは、
1.日本骨髄バンクにドナー登録し、骨髄等を提供された方の中で、HLA型をホモ接合型で有する方
HLAは父方と母方から一つずつ受け継ぐが、それが同じ型(ホモ)である場合、iPS細胞ストックのドナーとなり得るとのこと。

二つ目は、
2.日本赤十字社の京都・大阪の献血ルームで成分献血をされた方
具体的には下の2箇所の献血ルームで「血小板成分献血」を行なった方でHLAがホモ型であった献血者本人に、「医療用iPS細胞ストック構築に関する研究」への協力について書面で案内するとのこと。ソースはこちら


1)大阪府赤十字血液センター(森之宮)



2)献血ルーム四条(京都府)




またHLAがホモである確率は2-4%とのことだ。年賀状で切手シートが当たる確率もそれくらいではないだろうか。






2016年2月8日月曜日

認知症の音楽療法

今朝のNHKのニュースで認知症の音楽療法の話題が取り上げられていた。
認知症・音楽療法  思い出の曲で よみがえる記憶 - NHK 特集まるごと

妻の母校は全国でもいち早く音楽療法科を設けていたらしいが、妻の在学中は、「あの人たちは演奏家になる訳でもなく、教育者(教員)になる訳でもなく、何を目指すんだろう」というように好奇な目で見られていたそうだ。時代が移り、今や一番稼いでいるのではないか、とのこと。音楽療法士、ミュージックセラピストと呼ばれる。

認知症の人も、直近のことは忘れても古い歌はよく覚えているという。リトミックの逆バージョンみたいな感じなのだろう。


2016年2月7日日曜日

The Remains of the Day

沈んでゆく夕陽が東側の高層ビルに反射し、波長の長い暖かな光が日没までのわずかの間、その辺りにも留まる。「陽の名残り」と呼んでも良さそうな都市特有のこの風景を目にするたびに、私の脳裏にはカズオ・イシグロの「日の名残り」が思い浮かぶ。

この作品を知ったのは大学生の頃だった。20年ほど前の事だ。作品が英国の文学賞を受賞し、映画化された頃だったと思う。当時、映画を観たかどうかは覚えていない。だた、大学卒業を控えた時期に、その土地で過ごした日々の思い出を振り返るとき、題記の原題を呟くとその響きの良さが思い出に何か格調の高いものを添えてくれる気がした。大学の卒業アルバムの研究室のページのどこかにも書いた覚えがある。

現在、氏の作品がドラマ化されて放映中とのことである(TBS金曜ドラマ「私を離さないで」)。氏の作品は、翻訳版はハヤカワ文庫からしか出ていないが、作品によって訳者は異なるようだ。中でも「日の名残り」を訳した土屋政雄氏は評価が高く、今回のドラマ化された作品も土屋氏が翻訳されたようなので機会があれば読んでみたいと思う。作品の土台となる部分に、クローン技術に関する生命科学と生命倫理がある。

iPS細胞の誕生が、人類のエゴイズムをクローンに着手するまでに至らせていないと言えるかもしれない。ES細胞ではクローンに限りなく近づいてしまう。iPS細胞の技術は、すべての個人から幹細胞を作ることも不可能ではないだろうが、こと臓器移植に関しては白血球のHLAが一致していれば良いらしいので、必ずしも自分自身の細胞から作製する必要はないそうだ。よって、約50種類あるHLAのタイプ別のiPS細胞シリーズを作製し、そこから移植細胞(臓器)を作製すればよい。中でも、もっとも頻度の高いHLAサブタイプを有するiPS細胞は、既に出来ているとのことである。

以下、サイトから抜粋。

―イシグロさんが原作「Never Let Me Go」を通して表現したかったことはどんな事ですか?
私は、この物語は普遍的な人間のありようの残酷さに対抗する本質的なラブストーリーだと思っています。我々は、人間として、皆それぞれが死ぬ運命にあり、老いて弱って死んでいくのは人間の定めの一つなのだという事実に向き合わなければなりません。このことに気づいたときに、またこの世界でお互いに共有できる時間がとても短いものであると分かったときに、我々にとって一番大事なものは何でしょうか?この物語が、物質的な財産や出世の道よりも愛や友情そしてこれらを我々が経験したという大切な記憶が本当は価値があるものであると思わせてくれることを願います。別の次元では、この物語が、歴史的に我々がさまざまな形で作り出し続けている残忍で不平等で不当な世界に対する隠喩を提示しているというふうに見ることもできるかもしれません。

昨年夏にNHK教育テレビで放送された氏が講義する「文学白熱教室」と言う番組をたまたま見た。その中でも隠喩(メタファー)という言葉をしばしば使っていた。作品「日の名残り」も、物語で語られるストーリーは何かのメタファーであり、裏には別に本当に伝えたい何かがあったのだという。



2016年2月6日土曜日

Lascia ch'io pianga




オペラ《」リナルド》(HWV7a)より
第22曲、Almirenaのアリア ChA58a(p61), HHA II/4

Lascia ch'io pianga
mia cruda sorte,
e che sospiri la libertà.
Il duolo infranga queste ritorte
de' miei martiri sol per pietà.


買い物から帰ると、妻がこの曲を弾いていた。肘の調子がいいようだ。

去年、長男の卒業式のPTAの出し物でいきものがかりの「エール」を合唱することになり、妻がその伴奏を担当した。去年の今頃は体育館に集まってその練習をしていた。オリジナルから移調してキーを下げて歌ったようだ。

2週間ほど前に妻が首の激痛に襲われてから、しばらく寝たきりのような日々が続いた。今は日常生活に支障が無い程度には回復しているが、寝たきりのときは介護生活を前倒しで経験したような感じだった。

そのとき、「来年、次男の時はもう弾けないかもしれない」と、弱音をこぼしていた。私は、仮にそうなったとしてもそれで仕方ないと思っている。無理だったら、他の人に任せればいい。長男の代の学年に比べると、次男の代の学年にはこれまで十二分に貢献してきた。

昨日まで普通に出来ていたことがいずれ出来なくなる。老いは必ず来る。それが多少、早かったとしても悲しむ必要はないだろう。それが出来ていた頃の輝きは変わらないのだから。

余談。
この人モンセラート・カバリェ(Montserrat Caballé, 本名:Maria de Montserrat Viviana Concepción Caballé i Folc、1933年4月12日 - )は、当時、マリア・カラスと人気を二分した人だそうだ。これだけゆっくり歌えるのは肺活量に自信があるからとのこと。クイーンのボーカルもファンだったという。このレベルの人はその後、出てきていないという。




2016年2月3日水曜日

私が選ぶ「12神薬」

中国人観光客がドラッグストアで爆買いするターゲットの製品を「12神薬」と呼んだりするようだ。いくつかのサイトで見たところ、リストに多少の差はあるが小林製薬の製品が目立つ。あと目薬だろうか。銘柄の違いはあれど、近所のドラッグストアでも常に売り切れの目薬もある。もしかすると日本に居住している中国人が、母国の知人に頼まれて店頭に並ぶや否や買い占めて母国に送っているのではないだろうか。

以前は医師による処方によってのみ手にすることが出来た薬で、今日では薬局で買えるようになったものがある。その主なものは、

1)ロキソニン(解熱鎮痛薬)
2)ガスター(空腹時の胃痛)
3)アレグラ、アレジオン(アレルギー、花粉症)
4)アクチビア(ヘルペス)

などがある。2)や3)が中国人にとっての神薬に加えられるには、中国の公衆衛生の向上とストレス社会化が必要だろうから、あと何年くらいかかるだろうか。

昨年末から妻が首から肩・ひじの痛み、指先のしびれに悩まされるようになった。以前から通っていたカイロプラクティックに加え、針やお灸を試したが完治には至らず、最近はペインクリニックに通っている。ブロック注射と処方薬で治療を試みている。

ロキソニンよりも強いとされるボルタレンを飲んでいるが、痛みにはあまり効果がないという。これらの薬は炎症性の痛みには効果があるが、妻の場合はそうではないのだろうか。

そのような折、泣きっ面に蜂と言わんばかりに妻がインフルエンザに罹った(苦笑。その解熱薬としてカロナールが処方されて飲んだところ、不思議なことに首やひじの痛みも多少、和らいだという。カロナールは上記のロキソニンやボルタレンとは作用が異なり、かつ比較的安全性が高いということで小児にも用いられてきた(製品名はアンヒバ坐剤)。同じ成分(アセトアミノフェン)からなる「タイレノール」という製品は薬局でも買える。

よって、
5)タイレノール(解熱鎮痛薬)
ここで、アセトアミノフェンを含むいくつかの有効成分からなる総合感冒薬や配合剤はいくつかあるが、 中には個人的に相性が悪く飲むといつも悪寒が起きたり胃が痛くなったりするものがあるので、ここでは有効成分が単一の「タイレノール」を選んだ。

他、個人的には
6)新三共胃腸薬(消化酵素、食べ過ぎの腹部膨満感)
7)オルニチン(肝臓の代謝促進)
8)キョーレオピン(滋養強壮)
9)ら・サロンパス(筋肉痛)
10)ムヒ(虫刺されによるかゆみ止め)
11)メンターム クールローション(日焼け後のケア)
12)レノア(衣類の消臭剤)


以上が、今現在、私が選ぶ「かつては病院での診察を経てでなければ使えなかった薬だが、今日では店頭で買える優れもの」あるいは「個人的に生活の質の向上に役立っている必須アイテム」だ。数年後に見直してみるとまた変わっているかもしれない。

ご参考まで。






 


釣りの心得

子どもの頃はよく父に連れられて釣りに行った。春先は砂浜からキス釣り。初夏から夏にかけては堤防からシマアジ(たぶん、本州より一回り小さい)を釣り、たまに仕掛けと錘(おもり)を沈めすぎて海底を這わせるとカレイが釣れる事もあった。

当時はまだ4級船舶免許というのがあり(今は1級と2級しかない)、その免許で運転できる小さな漁船を沖へ出すこともあったが、そこでは自分が何かを釣った覚えが無い。

父の釣りに付いて行くようになって言われたのが、「竿を投げる人の、利き手側には居るな」ということだった。右投げの人の場合はその右側、左投げの人の場合はその左側にはいてはいけないと。それはスイングした際に仕掛けの針がひっかかったり、投げ損じて錘(おもり)が当たったりする危険性があるからだ。磯釣りだと竿をしならせ思い切り遠投する。バス釣りなどしかやらない人は、そういう注意は聞いたことは無いかもしれない。

郷里を離れてからまったく釣りはしなくなったが、長男が小学校低学年で釣りに興味を持った頃、安い小さな投げ竿セットを買って、土浦のイオンの側を流れる川で竿の投げ方を教えた。そして、上の注意事項を教えておいた。父が祖父から教わり、そして子に教えたことの一つとして、大きくなるまで覚えていてくれるだろうか。