2020年8月30日日曜日

小麦が香る男

サンドウィッチマンのコントに「小麦が香る男」というのがある。
 (リンク先はyoutubeではありません)

サンドウィッチマンのコントといえば、テレビでよく見かけるのは富澤がボケるパターンだが、こちらは伊達がボケるパターンだ。

 私はある一点において、このコントが一番好きだ。 それは、パン好きな(小麦香る)変人(伊達)が、テレビ「情熱大陸」から(何度も)出演のオファーを受けるものの、それを丁重に断るシーンがあるからだ。伊達の台詞曰く、「俺はパンを広めたいのであって、俺自身が広まる(有名になる)必要はない」。


かく言う私も、実は何度か番組出演のオファーを受けていて、丁重にお断りしている。一度は、テレビ局で偉くなった高校の同級生が、国会議員の妻を伴ってわざわざこんな田舎の自宅まで説得に来たこともあったものだ。


・・・



嘘です。

私のマンションの住人、または子どもの同級生のご父兄がちょくちょくテレビに出ておられる。今日も「ブラタモリ」の伊豆大島の回に、地質の専門家として出ておられた。過去にも別の方が同番組に出演を依頼されたが、自分が出るのは嫌で、部下に頼んだ方もいたという。伊豆大島の回に出られた方も、必要最小限に(仕方なく)出た、という感じだった。あくまでも私の印象だが。

「情熱大陸」は、葉加瀬太郎のバイオリンソロが素敵過ぎる。演歌における「哭(な)きのトランペット」に勝るとも劣らない。あれにやられて(自分のポリシーではないものの)思わず出てしまう人もいるのかもしれない。音楽の力とは大きい。

一方で、テレビに出るということは、人間としてどこかが壊れてしまう部分もあるのではないか、と思わせる、若き俳優の死のニュースであった。



2020年8月3日月曜日

渡辺恒雄・平成編は見ない。

確か、新型コロナの騒動が始まった後だったと思うが(後で調べたら5月20日でした)、読売新聞主筆・渡辺恒雄の昭和の足跡をたどる番組がNHK(もしかしたらBS1)で放送された。再放送するようだ。

番組では、同じ新聞記者としてタックルでおなじみの三宅さんや沖縄返還の密約の西山氏らも登場しながら、渡辺氏がいかに自民党のある派閥の腰巾着として政治に貢献したかというような内容だった。

それを見て、一見、渡辺氏の昭和の政治における影響力に感嘆してしまいそうだが、果たしてそうだろうかと問い直す次第である。

なぜなら、昭和という時代は、匿名でありながら、新聞記者の影響力が大きかった時代と思う。そして、その生き様も、多様だ。

調べたところによると、渡辺氏を挟んで、3歳年上に司馬遼太郎がおり、3歳年下に深代惇郎がいる。両氏の略歴は他に当たられたい。

私自身は、この両氏に惹かれるところはあっても、渡辺氏に惹かれるところはない。
昭和という時代を生きた、新聞記者の多様な生き方の中で、渡辺氏の生き様には何ら惹かれない。

いわんや、その平成編をや。昭和の政治における功績で名を成した渡辺氏は、平成の世においては横柄な読売巨人軍のオーナーとしての側面しか見当たらない。番組のタイトルが、いずれ平成編も放送されるような感じだったが、たぶん、見ることはないだろう。


2020年3月14日土曜日

「感染症ビジネスの復権」と「地球規模での問題解決」

前回のエントリーが「感染症との戦いはほぼ終わった」的なニュアンスだったので、この新型コロナウイルスの流行には、個人的には多少、冷水を浴びせられた感がない訳ではない。

今回の新型コロナウイルスの流行は、戦いの真っ只中であり、今後の展開は余談を許さない。総括するには時期尚早であるが、私のいる業界界隈からの視点では「感染症ビジネスの復権」といえるだろう。一方、もっと大きな視点では、「世界が近くなった状況下で、いかに地球規模の問題を解決に導くか」ということなのだと思う。

本邦においては、公衆衛生の向上により抗生物質メーカーが儲からなくなって久しく、2000年頃を境に経営が傾いた抗生剤メーカーが相次いで生活習慣病を得意とするメーカーと合併して以降、現在、抗ウイルス薬を開発できる企業がどれだけ残っているのだろうか。

一方で、もうオワコンと思っていたビジネスが復興することは、必ずしも悪いことではないのかもしれない。先進国における医療のトレンドが、1回◯千万円または◯億円というような先進医療に傾倒していく傾向にあった中で、今回のように、途上国や、言葉は悪いが野蛮な国から発生し、世界中に拡散するパンデミックが存在する以上、我々は依然として抗ウイルス薬や抗菌薬を得意とするプレーヤーが必要だということを改めて知らされた思いでいる。それはもはや国内メーカーである必要はなく、世界的なグローバルカンパニーで構わない。

例えるならば、今日の世界の中では日本はかつての「美濃」の位置にあり、中国が「駿河」でアメリカが「足利幕府」くらいの関係性かもしれないのだから。

今回ほど、あるひとつの課題に各国が一丸となって立ち向かわなければならないと感じたことは過去にあっただろうか。地球の温暖化、海洋汚染、エネルギー問題から北朝鮮のミサイルまで、我々の生命に関わることとして切実に捉えたことはなかったのではないか。

今回のコロナの副産物として、世界が地球規模での課題に対して真摯に向き合うようになればいい。