2024年4月30日火曜日

震災と単身赴任生活を振り返る旅

 今度の仙台出張は、個人的には震災と単身赴任生活を振り返る旅にしたい。

以前、郡山に出張だったことがあったが、その際は大宮までのぼって、そこから東北新幹線で下った。仙台もその延長線上にある。

しかし、茨城だと日に3本、常磐線特急が仙台まで通っている(上りも3本)。

以前はスーパーひたち(フレッシュひたち)だったが、たしか、品川乗り入れを機に、ひたち(ときわ)に変わった(カッコ内は土浦にもとまるやつ)。

つくばから土浦までバスで行き、土浦で仙台までの乗車券だけ買って水戸へ向かう。水戸で途中下車できるのか駅員に聞いて、できればビッグカメラでも。水戸から特急ひたちで仙台まで。

水戸から仙台の間に、日立を通過する。途中下車できるのなら日立でもいい。6年近く、単身赴任していた場所。震災にあったのも、日立にいた金曜日の午後だった。

帰りは日立駅で一時下車して、ガラス張りの駅舎でコーヒーでも飲もうか。

2006年の3月から単身赴任は始まった。春が来るたびに、いつになったら自宅に帰れるだろうと思い、6回目の春を迎える頃、震災に見舞われた。

Temuとの聖戦

 Temu Japanのツイッターアカウントが凍結されていることは何かを示唆していると思いますが。

子供の大学受験もひと段落し、最近、妻がはまっているのはTemuでの買い物である。怪しい。実に怪しい。

しかし、コツは「買い物かごに入れてから、放置」。

そうすることで、ありとあらゆるTemuからの誘い文句のメールが来て、最終的には70%以上の値引きがあるらしい。

先日など、「今まで待った甲斐がありましたね」と言ってきたという。AIによる文書作成なのかもしれないが、今度はどんな文句で買わせようとしてくるのか、メールが楽しみになるという。

今まで買ったものは、造花の花に始まり、オートディスペンスの台所洗剤入れ(センサーで反応するやつ)、台所マットが複数枚(結構、高級感あり)。

皆様も機会があればお試しください。


写真は、高校時代、一人ぼっちのラグビー部員で合同チームで他校の部員とプレーする次男。赤キャップ。土浦一高のラグビー部は、次男の卒業とともに廃部になりました。

子供向けフリーペーパー

こんなん出てる。デイツタ。うちの子らの時代は、セブンイレブンのボノロンしかなかった。
(今日までずっとボナロンだと思っていた。そっちは骨粗鬆症の薬ね。)
  ボノロンの発行日:偶数月15日

トライブ指数

 つくば市のコーヒー好きのために、ここである指数を提案します。

名付けて、トライブ指数。

ままとーん公認。うそ。ままとーんと言えば、TX開通前は第三者認証機関のような公的権威だった。

トライブ指数=1000X/A

A=会員番号

X=ポイントカードの枚数

だいたい、会員番号1000番の人がポイントカード1枚目の時に1になるように設定。

指数1-10:ビギナー。これからの精進を期待する。

指数10-100:緑帯。ブラックベルトまであと一歩。

指数100以上:ブラックベルト。師範。つくばのコーヒー界隈のことについて意見を提言する権利と責任を有する。


私の場合は、

12000/82=146.3

もっと早い会員でも引っ越してしまった人もいる。今、何番ぐらいまでいってるのだろうか。


2024年4月29日月曜日

子育てを振り返る(10)エピローグ_ぐんぐんテスト

子育ては得てして一人目の経験が印象深く、二人目以降は惰性で流してしまったのか、あまり覚えていないことも多いです。

そういえば、七五三はふたりとも京都でやったので、オススメの写真館とかつくばにはありませんでした。参考までに、こちらでお世話になりました。

小学校では、算数の計算と、国語の漢字を覚えるためのぐんぐんテストというのをやっていると思いますが(竹西小での呼び名、変わっているかも)、うちの長男は落ちまくっていたようです(一人目であるにも関わらず、把握していないほど放置だったかも)。計算はともかく、漢字を覚えるのが苦手でした。現在のキーボード入力が主流の生活の弊害と言えるかもしれません。次男はたぶん、ちゃんと受かっていたんだろうと思います。

長男が土浦一高に合格した後、たしか江戸取に通っている小学校時代の同級生に久しぶりに会った時に、高校どこ通っているかを答えると、

「え、お前って、ぐんぐんテストよく落ちてなかった?」

と言われ、驚かれたようです。

逆に言うと、ぐんぐんテスト落ちまくるような子でも、土浦一高に合格することは可能です。入学後、苦労するかもしれませんが。

だから、あなたもあきらめないで。




子育てを振り返る(9)長男と次男のギャップ(完)

 長男にはフィットしたけど次男にはフィットしなかったもの、またはその逆ということであげてみたいと思います。また、ふたりとも共通して役に立った点もあげます。この場をお借りしてお礼申し上げます。

(長男にあったもの)

野村塾(これを語らずに長男の土一合格はありえませんでした。高校1年でやめてしまいましたが、大変、お世話になりました。)

茨城ジュニアヨットクラブ(ヨット・セーリング。長男が土一のヨット部に入らなければ、後輩のインターハイ出場、古豪復活はなかったでしょう。誰も言ってくれないので、親が言います。尚、新歓の恒例・クールポコのネタを考えたのは長男とのことです。)

・大学受験予備校A(京都。名前は伏せておきます。私が宣伝したところで誤差範囲です。ここにお世話にならなければ、長男の国公立合格はありませんでした。お世話になりました。)

・長男は、1年間だけヤマハ音楽教室に通い、あとは独学でピアノを弾けるようになりました。次男は興味を示しませんでした。

(次男にあったもの)

・つくばユナイテッド柔道(主力として期待されましたが、怪我でやめることになりました。でも、大学からまた始めています。)

・ツクバリアンズ(ラグビー、同学年に現U-20日本代表もいて、小学・中学校の間は楽しくやれました。ただ、高校で他に部員がいなかったのでさみしい思いをしました。)

TSS(中学生。集団授業でも次男は成果をあげることができました。)

(兄弟ともに楽しめた、お世話になった)

・ほっぺんくらぶ(学研教室、先生はもう引退されたと聞いております)

のうベル・スクール(そろばん、小学校時代。県大会・全国大会をはじめ、英語そろばんなど特殊技能がみにつきました。通学の行き帰りのゆかりの森での虫取り、ザリガニ取りもいい思い出)

タップスイミングスクール(ふたりとも黒キャップまでいけました)

小野塾(結局ふたりとも浪人したので成果があったかは?ですが、英語のサイドリーダーを読み込む授業は良かったのではないでしょうか。次男は国語の個別指導でお世話になりました。)

とりあえず、以上で完了です。また、何か思い出したら。

子育てを振り返る(8)小学校のPTA役員

 もう、だんだんネタも尽きてきました。幼稚園のママ友のこととか、ほかいろいろあるんですが、妻の部分を私の口から言うのもなんなので、この場ではやめておこうと思います。そういう意味では、これもメインには妻の担当ではありましたが。

小学校のPTAの役員決めは秋口から行うと聞いています。来年度のPTA会長、本部役員など。それを担当する選考委員が一番楽と、妻は子供一人につき1回の義務のうち、一回は選考委員(長)をやっていました。ただし、楽なのは担当者がスムーズに決まる場合です。いろいろな根回しにより、初の女性PTA会長誕生など、うまくこなしたようです。

もう一回は、広報委員(長)をやっていました。こちらも楽という触れ込みでした。また、この役のメリットは、運動会の時に「広報」の腕章をつけて、グランドの中に入って写真を撮れることです。私用のカメラで撮って、一部、本部に提出すればよい感じでした。また、学校側から子供が映っている分を(応援団などやっている場合)もらえたりしました。

PTAも廃止の方向のようなので、つくば市内もそのうち廃止になるのかもしれません。








2024年4月28日日曜日

子育てを振り返る(7)エキスポセンター年間パス&遠視性内斜視

 うちのマンションのメリットは、信号を渡ることなくエキスポセンターまで行けることでした。当時、マンションポエムに「センター街区の優越」とか使うデベとかいて、物議を醸しました。

エキスポセンターには私、長男、次男で年間パスを作り、週末しょっちゅう通っていました。

施設内の展示は古びたものが多かったのですが、子どもの遊びには十分でした。プラネタリウムもたまに新作が出たときなど。「タイムマシン」という作品が好きでした。

あと、科学実験のコーナーがあり、担当講師が交代で実施していました。写真の当時は小林亜星みたいな男性と、少し色っぽい感じのお姉さんがいました。

4枚目の写真は改装する前のセンター広場ですね。大清水公園が改装されたのも2008年です。この頃(5歳~6歳前)、長男の遠視性内斜視が見つかり、メガネを掛け始めました。御茶ノ水の井上眼科に通っていました。遠視性内斜視は、それまでの定期検診ではわからないこともあり、注意が必要です。当時はわかりませんでしたが、素因は私の方にあるようです(遺伝的な原因として)。

最初は、地元の医者にかかったのですが、手術実績を増やしたい野心的な医者で手術を勧めてきたので、セカンドオピニオンで井上眼科にかかったのが最初です。その傾向は、その後も家族の他の疾患でも経験しました。

科学に対する興味や関心を育むには、この春先の研究機関の一般公開週間や、夏休みの一般公開(博士パスポート)など、ふんだんにありました。











子育てを振り返る(6)自作教材「ローマ字入力」

 デジタルネイティブと呼ばれる最近の子供。それは20年前にはすで始まっていたと思います。youtubeやゲームは、文字を覚える前から可能だったように思います。

ひらがなを覚えてすぐに心がけたのがローマ字入力を覚えさせることでした。適当な教材がなかったので、自分で作りました。

当時、写真として残す意識がそれほど強くなく、完全な状態で保存されていませんでした。

写真の当時、長男4歳、次男2歳なので、手書きのローマ字入力は長男向けと思います。

テレビは「華麗なる一族」でしょうか。液晶テレビを買ったのは2008年12月でした。

ちなみに、次男のひらがな・カタカナは長男がほとんど教えてくれていたことを覚えています。この頃、完全ではないものの、ある程度読めていたような気がします。

*追記:現物を残してました。「ヤマハプリント倶楽部」でもよく楽譜(パスワードつきPDF)を買って、シール印刷して段ボールに貼ってた。

ピアノは長男だけ弾けて、1年間だけヤマハ音楽教室に通い、その後は妻が教えたり、自宅にあるアップライトピアノ(調律していないので、気持ち悪いらしい)か電子ピアノで独学で習得しました。次男は興味を示さなかったそうです。

下にあるのは、Temuで買ったキッチンマット(巻いた状態のを戻し中)






ローマの休日 リマインド

 もう一度、英語を勉強してみようかとキュートの本屋を訪ねた。NHKラジオ講座のテキストは、TSUTAYAよりもこっちのほうが充実している。

ラジオビジネス英語については、4月号と5月号が山積みされていた。たぶん、半期ごとのテキストで10月にも使えるだろうと思い、4月号から買うことにした。そこで、ローマの休日を扱った記事を見つけた。


このとき、オードリーは無名だった。デビュー作かはわからない。それもそうだろう。発する英語の発声は貴族(王女)とは呼び難く、演技もそれほどうまくはなかったのだろう。

私が前回のエントリーで直接的な表現をためらったのは、この作品でのオードリーは、ブラウスのシーンでは乳首の突起がうっすら分かることだ。ノーブラだったのかはわからない。そういう時代だったのか、外人はあまり気にしないのか。

最近、エロ本化が目立つフェイスブックやインスタグラムのリール記事やストーリーにも、若い子がノーブラで乳首のかたちを露わにした投稿が目立つ。私の中では「ローマの休日」現象と呼んでいる。因果関係はないだろうが。

2024年4月27日土曜日

中華街

今日は、フクロウで食べたのだが、結論から言うと、北京飯店には及ばなかった。田代未来と濱田尚里のサインがあったが、自己申告か?店員気付いたらかなりのマニア。

赤煉瓦からの

ネモフィラは、茨城県由来・・・

馬車道

Papabubureからのビスコウト

デザート

いちごはとちおとめ。
U字工事に教えてあげたい。

Diamond Princess

大桟橋にて

2024年4月26日金曜日

連休の予定

4月27日(土)横浜日帰り
第396回横浜定期演奏会 https://japanphil.or.jp/concert/20240427

4月30日(火)~5月2日(木)仕事

5月3日(金)J-COM土浦(春季高校野球茨城県予選準決勝)
どこが残ってくるか。水戸一残るかな。

5月6日(月)7日(火)山形県銀山温泉

予定がかぶっている方がおられたら、トゥギャザーしましょう。

2024年4月25日木曜日

歯医者をCHANGE

 およそ9年ほどお世話になった歯医者をやめ、新しい歯医者に通うことにしました。

理由はいくつかあるのですが、ひとつは担当の歯科衛生士(A.Oさん)がやめてしまったこと、もうひとつは、院長が年齢を重ねたため、めんどくさがりになったように思われることからです。

私自身も自覚があり、反省しているのですが、年をとるとめんどくさがりになり、それが仕事に影響を及ぼすこともあり、できるだけそうならないように心がけています。めんどくさいと感じるのは、脳の劣化によるもので、ボケの始まりともいわれていると思います。

新しい歯医者にはすでに何度か通っており、歯の詰め物のやり直しをお願いして、経過も良いので、今後はそちらにお世話になることにします。

一般に歯医者とか美容室とか変えるのは難しいと言われていますが、いい歯医者が見つかって良かったです。

歯科衛生士は、仕事とはいえ、口の中の掃除など、妻にもお願いしないようなことをお願いする特別な存在なのだと、今回のことで意識し始めました。今後、介護が必要になる年齢になってくると、そのような観点から妻以外のパートナーとして信頼できる人を探す必要があるのだろうかと考え始めています。

宇多田ヒカルはあまり聞かないのですが、Misiaと同じ時期に出てきて、私はMisiaのほうを選んだという感じでしょうか。U2のWith or Without Youをカバーしているのを聴いたことがありましたが、たまたま同じ時期にSuperflyによるカバーも聴いたところ、その歌に関してはSuperflyに軍配が上がるかな、という感じでした。でも、聴かないけれど、嫌いというわけではありません。緑黄色社会とドリカムは嫌いです。

2024年4月24日水曜日

【うちのマンション限定】マンションの〇スポット

 うちは清潔にしているし、食べこぼしもないはずなのに、なぜ?

どこから入ってきてるんだろう?

はい、その問いにお答えします。ここだと思います(ケースを外した状態)。ここを物理的に塞いでしまえば、解決するでしょう。

焼き損ねたCDやDVDを切ったり貼ったりすればうまく塞げる気がしますが、いかがでしょうか。他にいいアイデアがあればお知らせください。


ベランダで見かけるケースは、仕方ありませんが。

2024年4月23日火曜日

子育てを振り返る(5)人のふり見て

高校・浪人の部分を書いたら、あとは誤差のように思い始めました。

例えば幼稚園を選ぶ時に、知育に熱心な幼稚園を選ぶ方もいるかと思いますが、おそらく、あとから振り返ると、大きな違いはないのではないかと思います。

 およそ20年の子育てを通じて学んだことを書いてみます。

1)親の普段の言動が子どもの行動に現れることがある。

代表的なものが、子どもの卒業文集です。不意に、普段、その子の親御さんがどのようにその子に接しているかが垣間見られます。

・医者になれ

・〇〇大学に入れ

ということを、親からの刷り込みとして書かれることがあります。そのような願いは、大抵、叶うことはありません。ですから、普段から子供に対して打算に満ちた願望は語りかけないほうが賢明かと思います。誤った教育方針として、思い出の品にタトゥーのように刻まれます。

2)DNAの限界と宿命

なんだかんだ言って、持って生まれた遺伝子、親から受け継いだ遺伝子のポテンシャル・限界があります。だから何もしないのは無責任ですが、どんなに頑張っても、DNAに刻まれた宿命には逆らえません。親から受け継いだ資産はいつか潰えますが、遺伝子は不変です。そして、次の世代へと受け継がれます。    

以下、思い出したら、追記していきます。

3)意外な事実&公然の秘密

長男が土浦一高に入学したときに、周囲で中学受験を経験していないのは長男ぐらいだったと言います。中学受験失敗組、筑波大付属高校受験失敗組が多くいて、そのような中でも東大に合格していくということかと思います。

私の場合(鹿児島県鶴丸高校、かれこれ30年ほど前)も、同級生にはラ・サール落ちの友人は多くいましたが、そのような中でも東大・京大に合格する人はいました。いかに勉学に対するモチベーションを保ち続けるかだと思います。

中学受験失敗組は、高校入学後もモチベーションを下げることなく勉学に打ち込む側面はあるかもしれません。

子育てを振り返る(4)浪人生活の意味

ここでは、長男、次男のどちらに関する記載かは特定しませんので、ご想像にお任せします。直近の体験でもあるので、まだ親として完全に客観的に評価できていない部分もあるかもしれません。

 浪人生活については、私は積極的にアリだと思っています。自分と向き合う良い1年ではないでしょうか。

ずぼらな子、単に高校3年間勉強をさぼっていた子には、1年(場合によっては複数年)受験勉強の期間を延長してあげれば、多くの場合、成績は向上するのではないかと思います。特に高校時代、部活動をやっていた子。たとえ部活動をやっていても、地頭の良い子は両立して現役で突破していく子もいますが、凡人には無理です。時間をかけるしかありません。

一方、繊細な子、神経質な子の場合は、ある意味で自滅により、浪人中に必ずしも思ったほどの成果をあげられない可能性もあると思います。浪人しても、必ずしも皆が第一志望に受かる訳ではないことはご承知の通り。他人との競争というより、自分の規律・モチベーションの問題のように思います。神経質になりすぎて、生活パターンを乱す。夜更かしをして夜型になる、そのせいで午前中寝てしまうなど。それは、本人も予想しなかった展開かも知れません。しかし、自分という人間を知る上では良い経験になると思います。

ここで、大手予備校の集団授業に関しては、その効果は疑ってかかるべきで、完全に信用できない部分でもあります(校舎、講師による差もあるでしょう)。高校時代、授業を聞きながら自学自習できる子であれば問題ないでしょうが(その延長で成果もあるでしょうが)、それが疑わしい場合は、個別指導のところに世話になったほうがいいのではないでしょうか。うちは後者にしました。

少し前までは、つくば周辺には後者に該当するような予備校(塾)は不足していたように思います。ですので、うちの子供たちは浪人時代から自宅を離れて、妻の実家に下宿させて個別指導の予備校に通っていました。しかし、最近はつくばにもそのような個別指導の塾が出来ているようにタウン誌などで拝見しています。

また、浪人することによる副産物として、飲酒・喫煙から1年間遠ざかれる点があるのではないかと思います。成人年齢が18歳になった一方で、20歳未満の飲酒・喫煙の規制は以前よりも厳格になっているように思います。現役で大学進学した場合は、20歳になるのは2回生なので、大学入学後1年以上、我慢しなければなりませんが、浪人生(一浪)の場合は、大学入学後の最初の誕生日までの我慢ですみます。そのことによるトラブルの未然防止効果は、結構大きいのではないでしょうか。

飲酒解禁後に酒で失敗することは、また別の問題としてあるとは思いますが。



2024年4月22日月曜日

子育てを振り返る(3)高校受験 その2

 前回と比べると、文章が適当であることをお許しください。要点は伝わるかと。

一般論として、竹園を基準に、成績が良ければ土浦一高にあげる。そうでなければ、土浦二高か牛久栄進に下げる。我が家の場合、結果的にふたりとも竹園から土浦一高にあげました。その要因は何だったか。

それは、私学の特待生の取得状況です。我が家の場合、常総学院と土浦日大を受けました。

一般に、土浦日大のほうが特待生は取りにくいと言われていました。また、特待生にも3年特待と1年特待があります。

長男の場合は、常総学院の1年特待を取れたので、土浦一高に突っ込むことにしました。今振り返れば、我々夫婦も若く、まだ何も知らず、ただ、前だけ向いて、上だけ見ていた状態でした。長男には、無理をさせてしまったと思っています。

間接的な表現になりますが、土浦一高よりも、土浦二高や牛久栄進の先生方のほうが面倒見はよく、また、土浦一高の下位にいるよりも、上記2校の上位にいるほうが、勉学のモチベーションを保って、より良い精神衛生を保って、結果的に、より良い大学に進めると思います。竹園は言うまでもなく。

ですので、こういう言い方はどうかとも思いますが、国公立で、たとえば茨城大学、群馬大学、信州大学あたりでも十分に希望が叶うのであれば、土浦二高や牛久栄進という選択肢もまったく問題ありません。私大の推薦入学ならなおのこと。

また、私学の滑り止めについて言うと、水戸の方はもっとえげつなく、S高校などは上位の特待生には毎月小遣いを支給するケースもあるという話も聞いています。ですので、特待生のランク、幅も広いのではないでしょうか。そのような要因から、水戸一高の倍率は例年、土浦一高よりも高いのではないかと思っています。

ただ、土浦一高に合格したのは良いものの、上記のことに加えて、通学の大変さがあります。バスで通うにしても、本数は少なく、混雑はひどく。自転車で通う場合には、少なくとも年に数回は通学途中でタイヤのパンクを経験します。そのような場合は、あさひ自転車の軽トラック(MT)をお借りして自転車の引き取りに向かうケースもしばしばです。

そのようなことから、次男のときには「竹園でええんちゃう?近いし、楽やで。土一、自転車で通うの大変やで」と諭したのですが、逆に煽り行為になってしまい、また、若者特有の「若さゆえの過ち」のような上昇志向で、親や兄のアドバイスは耳に入らず、届きませんでした。

ちなみに次男の方は、常総も日大も3年特待を取れました。しかし、それを取れなかったことをバネにして、高校生活における勉学のモチベーションを保ち、優秀な成績を維持した友人もいたようです。

最後に、とある塾でアルバイト塾講師として中学生に理科を教えている長男の雄姿。

塾のHPから拝借。






子育てを振り返る(2)高校受験 その1

時系列ではなく、マイルストーンとして大きなところから取り上げていきたいと思います。まずは、高校受験から。

その前に、うちの子らの状況をお伝えしておきます。
 長男(21)市内公立中/ 土浦一高/ 一浪/ 公立大学・生命環境学部(環境・情報科学科)
 次男(19)市内公立中/ 土浦一高/ 一浪/ 旧帝大・工学部(応用理工学科)

私の見解は、良くも悪くも、この次元からの発言であることをご理解ください。

高校受験の前に、まずつくばに住んでいて大学進学を考えるとすると、竹園ー筑波大という線を基準にすると思います。今でも、親としては、その基準は十分に堅牢なものと思います。むしろ、うちの場合は二人子供がいたので、二人のうち一人は、「家から近いし竹園でいい。大学も筑波大でいい」という子供がいても良かったと思うし、親としてもその線を確保するために、つくばに定住を決めた(家を買った)ところもあります。

しかしながら、結果的に二人とも実家を離れるという選択をしたということは、ある観点からすると子育てに失敗したのかもしれません。ある観点というのは、単に学力だけでなく、性格的なところも含めてです。もっとのんびりした性格に育ってくれても良かったと思います。失敗というより、いい意味で裏切ってくれたとしておきましょうか。

変に偏差値嗜好を強めたり、いわゆる学歴厨でなければ、筑波大を出ていればどのような将来の選択肢でも叶うと思いますが、その点は、親よりもむしろ子供自身の価値観として(つくばに住んでいるとなぜか)筑波大の評価を不当に低くしてしまうという点があるのではないかと思っています。

脱線して大学の話を先にしてしまいましたが、逆に、筑波大関係者や筑波大信者の中には、筑波大学をリスペクトするがゆえに「茗渓学園」という選択をする人がいるかも知れません。その場合にも、竹園高校というのはひとつの大きな物差しになっているのではないかと思っています。

そこで、端的に言って「竹園高校無理そうだから先手を打って茗渓学園(中学)」という選択をすると、(ここでの本題から外れて中学受験という選択になりますが)、得てしてその選択があとあと投資回収しそびれているケースというのを拝見します。茗渓に進んだ知人の親御さんは多くいますが、今でも連絡を取っている方はこのケースからは外れますので、どうか自意識過剰にならないでください。

「竹園高校無理そうだから先手を打って茗渓学園中学」という選択をした方こそ、どこかに負い目があるのか、得てして「茗渓教」(茗渓の良いところ)を熱く語りがちなところがあり、その後、お子さんの進学が思わしくなく音信不通または行方不明というケースが得てして発生しがちです。

子供の教育を熱く語る人ほど、あとあと自分の子供がその基準に達することができずに本人(親自身)が音信不通または行方不明になる、というのはつくばあるあるかな、というところがあると思います。ですので、これから育児が佳境を迎える若い親御さんは、ご注意ください。

あと、なぜ、中学受験を回避したかについても少しふれておきます。
小学校生活を受験からフリーにしておくことと、中学受験によるメリットを比較したときに、前者のほうが大きいと判断したからです。中学受験はメリットのみが注目されますが、
落ちこぼれた場合のリスクについては誰も目を向けません。おそらく、上昇志向の強い人達に形成されている市場ですから、そのような集団は切り捨てられて顧みられないのでしょう。

現に、市内にある公立中等一貫校すらも、表向き語られることはありませんが、入学時に誓約される途中での転校を余儀なくされるケースは多く聞き、実際に下位に固定された集団の学生生活は悲惨であることが漏れ伝わってきます。

長くなりましたので、2回に分けます。本題は、次回。

 

2024年4月21日日曜日

つくばでの子育てを振り返る(1)プロローグ

 この春、次男が1年の浪人の末、無事に大学に合格しました。蛇足ながら、旧帝大としておきます。この辺りは教育への関心が高い分、その辺にもうるさいと思いますので。

長男も含めて、二人とも結果的に6(小学校)3(中学校)3(高校)1(大手ではない予備校)でしたが、子育てという意味では、その前に2(ほっぺんくらぶ、当時カピオ小会議室) 2(公立幼稚園)があります。

我々の子育てを振り返る上では、公立幼稚園の2年に触れるのも有益と思いますが、機会があれば。

まずは始めるにあたって、我々夫婦の特徴としては

1)中学受験をしなかったこと。

2)この土地ならではの習い事ができたこと(柔道、ヨット、英語そろばん、水泳、などなど)*妻のほうは、実施者として貢献した部分もあったかと。

かと思います。教育に焦点を当てるとすれば、2)はほどほどに。

公立の中高一貫校が増え、都内の私学への進学も増える中で、見落とされがちな点について、我々の経験、我々が聞いた知見という意味で触れられればと思います。

いつものことですが、「忘備録を兼ねて」。

では、ぼちほち始めます。よろしく。

2024年4月18日木曜日

どこの珍来

 


茨城ではラーメン店「珍来」で待ち合わせをしてはいけないという。多すぎて「どこの珍来」「珍來違い」が発生してしまうというのだ。

これは珍来が多いことを揶揄する笑い話だと思っていたが、今回、渡米中に実際に似たようなことが起こった。

ノースカロライナ滞在中の有る晩、Ruth Chris Steakhouse」というチェーン店のステーキハウスでディナーを頂くことになった。後で調べたら日本にも1店舗あった(上のリンク)。先方の秘書さんが予約してくれていたのだが、実際に名前で検索すると、同じくらいの距離に2店舗あった。どちらの店舗かはわからない。

ホスト側は自家用車、ゲスト側はUberで向かうことになり、我々は「こっちの店舗ですよね」と確認のメールを入れつつ、その方にUberで向かうことにした。到着するまでに『違うよ。こっちだよ』というメールが送られていたが、到着するまで気づかなかった。

店に到着して、何時から予約の◯◯ですが、というと、〇〇は会社名だったり、ホストの名前だったりしたのだが、最終的に秘書の名前で一致したので、問題ないと思ってそこで待った。

その後、こちらに向かうという連絡が来て、最終的には合流できたのだが、果たして予約した秘書と先方のホスト等が同じ店舗を想定していたのかわからない。

その秘書は、ランチに関してはきちんと会議案内のかたちでランチの場所(会議室)まで指定して予約してくれていたので、ディナーについても同様にやってくれていればよかった。せめて店舗の住所か、Google mapのリンクでも。

ちなみに「uber」は動詞として使えるらしい。

また、米国には缶コーヒーはないと聞いた。やたらスタバがあった印象である。スタバでの待ち合わせに関しても、同じことが起こり得る気がした。

2024年4月17日水曜日

アルカトラゾ島

 


サンフランシスコ湾に浮かぶ島。前半の山場はここでした。かつては極悪囚の監獄として使用された島です。脱走者を出してすぐに廃止になったそうです。脱走のエピソードについては、クリント・イーストウッド主演で映画化されているそうです。

実際に使用された独房や黄ばんだ便器など、生々しすぎて私は直視することが出来ませんでした。どこか感受性が強すぎるのでしょう。屋外の広場も糞尿の臭いが漂っていました。当時のものかはわかりませんが。

極悪囚でありながらも、脱走してまでも生きようとする生への執着。おそらくは、生きていることを誰も望んでいないような人間。それがそこまでして生きようとして、もしかすると生き長らえたかもしれないという可能性。

裏を返すと、我々はもっと楽に生きていいし、生きる資格があるし、生きる価値がある。そう思ったイベントでした。


話は変わりますが、チャイナタウンはサンフランシスコにもあります。世界中、どこにでもありそうです。今ではアフリカ諸国にもあるのではないでしょうか。彼らの移民の歴史は日本人よりも古いそうです。韓国人の移民の歴史はそれらよりも浅く、私が読んだ書物によると、ベトナム戦争に参加した「ご褒美」として、ある程度の資産を伴った韓国人が数十万人、ベトナム戦争後に米国に移住したと言われています。

ノースカロライナでも食べる料理に迷ったら中華にしました。世界中どこに行っても、中華料理は基本的にはそれほど味のばらつきが無いように思います。たまに例外があるそうですが。





2024年4月16日火曜日

グラマシーの休日



かれこれ20年以上前の話になるが、我々の結婚式の引出物のひとつに、グラマシー・ニューヨークのエスカルゴという焼き菓子を選んだ。2002年のことだから、「ニューヨークの恋人(Kate & Leopold)」が公開された少し後である。

当時、そのグラマシーとはマンハッタンの地区の名前だとは知らなかった。
今回、現地のフリーペーパーのガイドブックを見て、そのことを知った。たぶん、Google mapでは表示されないか、表示されてもあまり気にとまらない。今回宿泊した、ユニオンスクエアガーデンがある地区である。

また、そのガイドブックで、チャイナタウンの手前にLittle Italyという地区があることを知った。
チャイナタウンはGoogle mapでも表示される。しかし、Little Italyは表示された記憶がない。
それでも、そのあたりを歩くと、(Little Italyと呼ばれていると知らなくても)アル・カポネの青年期を演じた若き日のデ・ニーロが、こっそりと敵を始末したかのような路地裏の雰囲気が何となく残っている。そのような「味」が、ニューヨークにはあって、東京にはないように思えた。むしろ、大阪や福岡のほうがニューヨークに近い印象がある。福岡には住んだことないけど。

司馬遼太郎が「アメリカ素描」を記したのが1985年で彼が62歳の頃である。今回、米国訪問の私の背中を押したのは、彼よりもまだ若く、感受性があるであろう私が、行けば何か得るものがあるだろうと信じたからだ。

結果、それはあった。司馬遼太郎を越えたということではない。強いて言えば、彼が成し遂げたことの上に(彼から授かった知識をもとに)、その上に小さな石を積んだに過ぎない。私がこれからの人生の後半を生きていくのに、十分な刺激をもたらした。20歳の頃にハワイを訪れたものの、米国本土は今回が初めてだった。今までその機会がなかったことを悔やむよりも、この年でもまだ何かを感じる感受性を持っていたことに我ながら驚いた。

あまりにもプライベートな内容のため、ブログにはアップしなかったことを含めて、自分の中では私なりのアメリカ素描ができたのではないかと思っている。

「南部」だった名残を残すノースカロライナ(ヒスパニックやアジア人が少ないという意味で)は別として、サンフランシスコとニューヨークはまさに「人種のるつぼ」で、多様性という言葉を噛み締めていた。皆が自分の生きたいように生きているように見えた。自分は自分のままでいい。そのような達観に至るほどの全景だった。

ホームレス、コンビニ店員、Uberの運転手、ドアマン、清掃員、ベッドメイクの人など、必ずしも裕福でない人々、ある意味で泥水をすすりながら生きている人々も、何か生き生きとしているように見えた。いろいろな役割を演じる人がいて、ひとつの都市が成り立っている。

ノースカロライナでは、黒人のホテルマンに「サー(Sir)」と呼ばれるたびに、僭越ながら「Nobles Oblige」とは何かを考えた。白人ではないアジア人であるからこそ、これからの国際社会の中でSolidarityを高め、世界をひとつのより良い方向に向かわせる役割ができるはずである。

そう言いながらも、一方では同じアジア人である中華系の人々のマナーの悪さには腹が立った。カーネギーホールでのピアノの演奏会の際、演奏中の写真撮影や録画は控えるようにとのアナウンスがあったものの写真撮影を行い、係員に注意されてもなお、数回、撮影を繰り返していた(再三、注意されていた)中華系の複数名のグループには、申し訳ないが同類に扱われたくないという思いを強めた。カーネギーホールに来る層がその有り様である。すでに国際社会の理解はそうであろう。ほっとくと嵐山温泉の浴槽の中で歯を磨く連中である。あるいは、彼の国の国民は無垢の民よりも、エリート層のほうが得てして鼻持ちならない人間が多いのではないか。

国際社会の中で日本人に求められている役割は、近い友人として米国人の行き過ぎを諌め、市民のレベルでの(第三者として振る舞う場合の)マナーというものを中国人に教えることではないだろうか。

これを帰りの飛行機の中で書いていて、フライトアテンダントの方に「お仕事大変ですね」と言われた。「仕事じゃないです」と答えながらも、仕事もこれくらいの熱意でやれば・・・という思いや、ライフワークとしてはこっちのほうがそうかもな、仕事は生計を立てるための、いわばUberの運転手のようなものと思ったり。なんだかんだ、このような生活も10年、さらにその準備段階のうような時期も含めれば20年近くの歳月が過ぎた。

今回の訪米で、時差ボケなどに悩まされながらも、それでも自分としては「ゾーンへの入り方」を習得したつもりでいる。

また、新たな価値観でこれからを生きていけることを、そのような機会をえられたことをありがたく思う。おそらく、感受性の問題だろう。米国駐在を命じられても、ホームシックで毎日のように日本に電話をかけてきていたアホな同僚を過去に見てきている。そのような人間に訪米の機会を与えても、金をドブに捨てるようなものだ。

帰ったら、まず妻に「グラマシー・ニューヨークのグラマシーって、マンハッタンの地区の名前って知ってた?」という会話から始めよう。

ここではちみつを買った。ここの店主(Andrew)は京都の私大に留学していたらしい。
「日本人はみんなの幸せのために本音を言わない」というところまで理解していた。

ローマの休日

帰りの飛行機の中で、「ローマの休日」を観た。何故か今までちゃんとは観ていなかった。
個人的には5年前の家族旅行のイタリア旅行をなぞるような感じだった。

ヨーロッパ諸国のSolidalityを掲げる、小国の王女役のオードリー・ヘップバーン。
本人の声(英語)よりも、日本語吹き替えのほうが王女の高貴さが出ていて、格調高いものにしていたように思う。
字幕が何故か韓国語しかなかったのだが、韓国で特に評価が高いのだろうか。

もともとスクープを狙って打算で近づいた記者が、王女のノブレス・オブリージュに次第に恋心を抱き、最終的に元々の打算を取り下げてしまう。
金のために動かなかったアメリカ人を、公の役として初めて観た。しかし、アメリカの津々浦々には、このような良心が根付いていることを今回の訪問で感じた。

本当は、「ミッション・インポッシブル デッド・レコニング Part 1」を観ようとした。TSUTAYAに並んでいるものの、観そびれていた。
こちらも舞台がベネチアだったので、5年前の家族旅行をなぞるという意味では意味をなした。
イルザの「ベニスは初めて」というセリフが、まるで夏目漱石の「月が綺麗ね」のような使われ方をしていたと個人的には解釈した。
しかし、観はじめるとイルザ(レベッカ・ファーガソン)が早々と死んでしまった。その後、何となく熱が覚めてしまって最後まで観なかった。
このシリーズを通して、イーサン(トム・クルーズ)を愛してしまった女性は殉死してしまうという宿命になっているのだろう。

終わってみれば、進化したテクノロジーがなくても、人の心の機微を表現できるのであれば古い作品でも感動できるということを再確認した。
逆に、「ローマの休日」は、古い映像だからこそ記録されているさまざまなディテールが、リアルさを増しているように思った。

ちなみに、行きの飛行機では「ゴジラ-1.0」と「翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて」を観た。その話はまた。