2015年8月31日月曜日

秋のあしおと

父方の祖母の家系は、もともとは静岡県の浜岡町(現・御前崎市)あたりでお茶の栽培農家だったが、明治か大正初期の頃にお茶の栽培を普及させるために種子島に移住した。そのような世帯が他にもいくつかあったようだ。うちの祖母は大正5年生まれだったので、生きていれば99歳。100年ちょっと前の話だ。

鹿児島県産のお茶はどこもそのようなルーツを持っていると思う。我々が子どもの頃は、鹿児島県産のお茶は「静岡県産」として売られているものが多かったはずだ。それは産地偽装とかいう後ろめたいものではなく、移住地で収穫したものが流通ルートを持たない為に、自分の本家に送ってそこから出荷していたという類のものだと思う。いつしか、そのような便宜も許されなくなり、産地の表示は厳格化されるようになった。それと並行して、ブランドとしての確立にも努力されたと思う。地元の売りは「日本一早い新茶の里」だったと思うが、今も変わらないのだろうか。

昨年、そして今年と春先に体調を悪くしたのでしばらく焼酎をやめていた。といってもウイスキーとビール(第3のビール)は飲んでいた。焼酎の雑味で悪酔いしてしまうような思い込みからだった。

ここ最近、肌寒い日が続き、焼酎が恋しくなった(お湯割)。しかし、気に入っている「五代」は近所で見かけなくなって久しく、かと言って、地元の焼酎は売られているものの、厳しい事を言うと「甘み」が気になって気が進まない。若干、発酵が甘いのではないか。糖分が完全に発酵されていない気がする。あるいは原料の芋の糖度が高すぎるのだろうか。

そのような事情から数日、我慢していたが、ついに今日、一升瓶を手にしてしまった。茨城産の芋焼酎というのを目にしたからだ。同じところから米焼酎も出ていたが芋にした。

この土地の連中は、隙を見せるとどら焼きの中にチョコレートを入れてみたりチャレンジ精神旺盛なので油断ならない。ちょっと警戒したが、味は上々だった。茨城県産の芋は干し芋にするのがメインなのでもともとの糖度が低いのだろうか。甘みも気にならなかった。

移住13年目にしてようやく。

ちなみに県北にはそば焼酎があり、そちらはフルーティで香りが良いのはだいぶ前から知っていた。



2015年8月23日日曜日

夏祭り2日目


祭りの喧騒を遠くに聞きながら、「街道をゆく 十津川街道」を読む。

p74-75から引用。
一説によると、十津川郷には外界から貴種の者が訪ねてくると、御胤をいただきたい、として、その家の娘を夜の伽にはべらせる風習があったとされる。(中略)東アジアの中では近親近縁結婚を普通としてきた日本だけが異風で、このために右のような民俗も、必要上、ごく自然にできあがったのかもしれない。

この作品は昭和58年(1983年)に書かれたものである。そして、上記の話を聞いたのは昭和20年代とのことである。十津川に限らず、戦前には日本各地で似たような風習が残っていたかと思われる。

同じ地域を扱った作品に「天河伝説殺人事件」(1988年)があり、本で読んだのか映画で見たのか忘れたが、その作品にも上記のような民俗を感じさせるものがあった。私の中での日本の伝統的な夏祭りのイメージは、そのような民俗が多分に含まれたものだ。もっとも実際にそのような祭りに立ち合った経験は(残念ながら)無いが。

平成となって四半世紀が過ぎ昭和が遠くなった今、これらの作品が書かれた当時も(さすがにこのような風習はのこっていないにせよ)現代と比べればそのような雰囲気がより豊富に漂っていた事を思い出す。

現代の抱える問題の中で、科学の進歩と民俗の土着性の喪失が相乗して、それを鋭利化しているものがあるように思う。 それを解決するものは何なのか。それもやはり科学なのか。あるいは社会保障制度なのか。











2015年8月22日土曜日

ケーキ屋のかき氷

今日、明日と地元では夏祭りが行われています。

元々、小さな町や村が5つぐらい集まって出来た市が、一つにまとまる気分を醸成する意味合いもある祭りであり、伝統ある祭りというより新しくしつらえた感じのお祭りです。また、外国人居住者も多いという特徴も加わり、祭りの出店には多くの国の料理を目にすることが出来ます。パレード、ステージ、出店、大道芸などがメインで、花火はありません。

パレードの見どころは、長らく本場・青森の職人により作られた数機のねぶたでしたが、昨年からは秋田の竿燈(けんとう)も加わりました。各地の名物が年々増えていくといいですね。それに旧町村の古くからの神輿や、周辺市町村、各種団体の神輿が加わります。

出店は近隣の飲食店のものが中心部の一等席に陣取ります。今年はその中に、普段よく利用しているケーキ店の「かき氷屋」が加わりました。

そのケーキ店は店長が職人気質のうるさ型で、客として訪れるとバイトがよく怒られていて入れ替わりが早いです。客に対しても好みがうるさく、嫌いな客には「早く決めろ」とか平気で言います。そのような状況下でありながら、なぜかうちの嫁さんはその店長に嫌われていないようで、訪れると世間話をいろいろとして、いつかは「一見さんお断りのケーキ店を出したい」という夢を語ったこともあったそうです。ちなみにその店のお勧めは純生ロールケーキです。

そんな店長が今年から店舗でもかき氷を始めていました。妻が聞いたところによると、昔からやりたかったのだそうです。今年は日光などの天然氷のかき氷がもてはやされていますが、店長曰く、かき氷は削る「刃」が命なのだそうです。刃が良ければ、氷は天然でなくてもおいしく作れると。確かにその店のかき氷の氷は薄くふわふわの粉雪のようでした。

また、一般のかき氷はいきなり器に氷を盛って、最後に上からシロップを掛けるだけですが、その店長のこだわりは、まず皿にシロップを敷き、その上に氷を盛り、途中で一度止めてシロップを掛けてからまた氷を盛り、最後に上からたっぷりとシロップを掛けるという手の込みようです。

店舗では480円でしたが、祭りの出店では500円でした。一般のかき氷よりは高いですが、結構流行っていたように思います。

夏の終わりに行われる祭りなので、祭りが終わると秋の訪れを感じますが、ケーキ屋の店舗でのかき氷はいつ頃までやるのでしょう。またひとつ、季節の風物詩が出来たのであればうれしいことです。













2015年8月21日金曜日

Reading Glasses(老眼鏡)

つい先日、人間ドックで視力検査をしたら相変わらず両目1.5だった。

しかし、最近、文庫本を読むのがつらくなった。振り返れば2年位前から近くの小さい文字が見にくくなっていたように思う。あと、針に糸を通す作業など。

帰省の際に老眼鏡を借りて新聞を読んでみて、快適に読めることを経験済みだったので、もうそろそろ私も強がりをやめて老眼鏡にお世話にならねばと思い始めていた。

人間ドックを受けた日の帰りに地元の駅前のショッピングモールにあるメガネチェーン店により、一通り検査してもらった。その結果、最初、3.0の度数で合わせてみた。2.0に落としても支障なかった。2.0の度数までなら既製品であるという。試してみると軽い。そして安い。息子の眼鏡の10分の1の値段・・・

迷わず買い、早速、お世話になっている。
文庫本と文献を読みまくりたい。


2015年8月17日月曜日

たまゆらの灯

 三方を山に囲まれたその日本海側の地方では、およそ400年前からお盆の灯篭流しが行われてきた。鉄道が開通した大正13年以降は、それを記念した花火大会があわせて行われ、いつの頃からかは不明だが、初盆を迎える家庭では精霊(せいれい)船が出され、約1万個の灯篭とともに入り江の湾の海面を炎で赤く染める。

夕暮れの日差しは海面に注がれることはなく、 東の空の雲に差し込んでそのあたりをわずかに照らしていた。やがて辺りは闇に包まれ、小さなショッピングモールとその周辺の商店街のネオンが対岸の道路沿いにもかすかに届いていた。花火開始までの時間、穏やかな水面には近隣の家庭から放たれた灯籠の小さな火が漂い、久しぶりに帰省したと思われる子や孫の笑い声が闇に木霊した。

そのような中心部から離れた地元の街道沿いの街並みにも、◯◯ウォーカーなどのタウン誌に「花火観覧の穴場」として紹介されるようになってから、遠方ナンバーの車が数珠をなして場所取りをするようになった。同じような話を、10年以上前に岸和田だんじり祭を訪れた際にもたまたま入った喫茶店で耳にした。もっとも、その時は我々が地元の祭りに縁なく「ひやかしに」来る側だった。

やがて花火の打ち上げが始まり、沿道に集まった人々の目はそこに注がれた。打ち上げの終了時刻まで、小休止を挟みながら何度か山場を見せた。対岸で打ち上げられた大玉の爆発音は、上空に大輪の花が咲き、その光が消えかけた頃にこちら岸に届く。その時間差が、ほんの僅かの差で届かなかった願いや思いを代弁しているかのようでもある。水面に浮かぶ灯籠の群れを、この地域特有のにわか雨が襲い、見物客は散り散りに車や軒下に逃れた。小さな炎は為す術もなく、さざ波に揺られ雨雲が去ることをただ静かに待ちわびるように見えた。





2015年8月14日金曜日

【書評】火花 Ver.1

久しく小説を読んでいませんでした。
年齢的に感性が鈍っているのか、小説に求めるものが無くなっていたのかもしれません。

今回、芥川受賞作を掲載した文藝春秋を手にしたのは、新幹線での時間つぶしにちょうど良いと思ったからです。又吉さんの作品を読むのは初めてでした。

小説も、著者に興味が無いとわざわざ手にとって読まない時代なのかもしれません。そういう意味では、以前、NHKのファミリーヒストリーでも見たことのある又吉さんは興味ある書き手でした。


最初に断っておきますが、浅い書評しか書けません。
 
小説のいくつかの場面で花火のシーンがあることに対して、タイトルが「火花」となっているのはなぜだろう、というのは誰もが思う疑問ではないでしょうか。

それに関しては、私なりの解釈は先輩・神谷と僕との間で、若かった前半では先輩の意見に傾聴するばかりでありながらも、年齢を重ねた後半では僕が自己の主張を先輩にぶつけていくというお笑いに関する美学、芸術論を遠慮することなく戦わせることを「火花」と形容したのかな、と思いました。

小説なので、フィクションとして計算もあるとは思いますが、悲しいエピソードの取り上げ方の裏に、又吉さんの生来のやさしさのようなものが感じられて、泣かせる状況を演出するのがうまいなあと思いました。

村上龍が「長い」と評していましたが、確かに東京駅を出る前から読み始めて、京都に着いてもまだ読み終わらなかった。書きためたネタのような部分は、もう少し端折っても良かったかも知れません。真樹さんと別れる場面での、泣きを風呂のようにいう場面は面白いと思いましたが。

その真樹さんと別れる場面と10年後に見かけたシーンをピークにして、 後半はもう少し短くても良かったかなと思いました。

選考委員の選評も載っていますが、結構、皆、辛口で書くんですね。

群像物語ではないけれど、青春小説ですね。若くて売れない頃を支えてくれた彼女への、ありがとうというメッセージも込められているのかな、とも思いました。

単なる偏見かもしれませんが、芥川賞とか、純文学とか、書き手の 描写へのこだわりがうざく感じられて、自分の描写に酔って文章こねくり回しているイメージしかありませんでしたが、この作品に関してはそういう嫌らしさは感じませんでした。

ちなみに私の好きな司馬遼太郎は直木賞作家です。

以上、稚拙な感想文で失礼いたしました。








2015年上半期を振り返る

これから京都に向かいます。

年に2回、盆と正月、京都で過ごす生活ももう10年以上経過しました。

最近、思うのが、前回滞在した時と何が変化しただろうか、ということです。ここ1,2年は特に意識することが多くなりました。

今季は長男が中学に進みました。成績の方は苦労していますが、徐々に腰をすえて勉強する態度が身についてきただろうか。と信じたい。

また、自分で意識して行動した部分もありますが、今季は新たな出会いがいくつかありました。それらの出会いを大切にしたいと願っています。

その上でも、長男には頑張ってもらわねばなりません。高校に進んでもヨットを続けるには、県下随一の進学校に進まなければなりません。その上で、あらたな人脈の広がりがあれば、と今の時点では期待を膨らませています。

皆様も良いお盆をお過ごし下さい。




2015年8月12日水曜日

黒潮(くろしお)の道


司馬遼太郎作品を通じて東アジアの来し方を眺めると壮大なロマンに溢れている。最近読んだ中では、万里の長城の外側には(内側のシルクロードとは別の)ステップルートがあり、騎馬民族が西はスウェーデンから東は日本まで金(Gold)に関する技術を伝播した。あるいは、過去に読んだ中では中国・雲南省(長江流域)から日本へ稲作が伝播した話など。その分野の専門家には既知の話なのだろうが、もっと広く一般人も知っても良い。

ちなみに司馬遼太郎作品については、人気がありすぎて批判も多い英雄史伝よりも紀行文のかたちをとりながらその土地にゆかりのある人にフォーカスを当てることも多い「街道をゆく」が必読だと思う。それについては機会を改めたい。




映像は南西諸島(鹿児島県)のもの。東京から見ると、沖縄の手前の島々。稲作はこういった島々を伝って伝来した経路もあったことだろう。また、遣隋使や遣唐使の頃には、これらの島々に流れ着いたり、停泊して補給した事もあったろう。

地層の断面があらわになっている映像のいくつかは種子島のものだろうが、16世紀にポルトガル人が火縄銃を伝えた時とさほど変わらない風景なのではないだろうか。あとサーファーたちも種子島かな。もっと南にいくと珊瑚礁があってサーファー達には危険だと聞いたことがある。

種子島で量産された火縄銃は、この黒潮の流れに乗って、 和歌山(根来寺)にたどり着き、そこから信長に届く。決して、九州新幹線、山陽新幹線を逆行して陸路で伝えた訳ではない。和歌山の根来衆は、さらに黒潮に乗って銚子まで行き、そこに醤油を伝えたとも聞く。

気に入った動画を見つけたので、いろいろ書いてみた。

教えてくれたアイドル、ありがとう。親孝行して来なよ。






2015年8月8日土曜日

Diary#20150808

先週一週間続いた猛暑が多少和らいだ週末。4階にある我が家には時折、柔らかな風が吹き込む。つまりエアコンをつけずに過ごせている正午前。

平日に不在通知が届いていたクレジットカードの再配達を受け取り、高校野球の中継を流しながらPCに向かう。

日程はまだ未定ながら、中国への出張が決まった。前回とは別の場所ながら、前回と同様の作業や苦労が予想される。今のところ、担当は私だけだが、後輩を相棒に引き込みたい。どうやって口説こうか・・・。

 今日は東京湾大華火祭。職場が入っているビルの屋上も(主にレジデント向けだろうが)開放すると聞いた。誰か都合が合えば、という気がない訳でもなかったが、・・・こうして自宅にいる。

実際誰かと行ってたら、さすがに書かんけどな。



2015年8月2日日曜日

ひそかな願いVer.2

先週末で退職した派遣社員がいた。別の会社で正社員のポジションを得たとの事だった。
その抜けられた部署は部長と別の派遣社員の二人体制となってしまい、一日も早く正社員を補充したいということだった。以前から社内公募でポジションは示されている。

そのポジションに、あの人が来てくれないかな。社内のワーキンググループのメンバーとして、その部署の業務に関わっていた人。願わくば、社内公募への応募というかたちで。

即戦力だと思うし、ほか、いろいろと勤務体制の上でもメリットは多いと思う。研修参加も多いので、今後のキャリアの幅も広がると思う。

ちなみに、(たまたま気づいたのだが)その人とは来週の中盤の危険な時間帯でスケジュールがかぶっているのだが、 決して同一行動ではありませんので。念のため、誤解のないよう。

ここ読んでいる人がいたら、働きかけてくれないかな。どの方面からでも(部長、本人、etc.)

もしかしたらあり得るかも知れない、可能性のひとつということで。