2016年9月18日日曜日

牛黄加持(ごおうかじ)

牛黄(ごおう)は、リンク先でも紹介されているように日本薬局方にも収載されている生薬であり、基原(origin, source)は牛の胆嚢に生じた結石である。

かつて医学が未開であった時代には、「牛100頭に1頭のみにしか見られない腫瘍」と思われていた時代もあり、司馬遼太郎の作品「牛黄加持」の中でもそのように紹介されている。また、リンク先の最後の方にも紹介されているように、その牛は夜間、光るということが言われていたため、その牛は特別な力を持つと信じられていた。ひいては、牛黄もそのような用いられ方をした。

司馬氏の作品では、世継ぎに恵まれない帝の女御の加持祈祷(かじきとう)に用いられている。具体的には、牛黄に高僧の精液を混ぜたものを女性の秘部に塗りながら祈祷を行なう。そして、その女性はある若い僧が想いを抱く高貴な女性だったため、最後はその若い僧がどさくさに紛れて自身が挿入して、見事、懐妊したという話である。

これは、史実に基づいた話だったように記憶している。日本の天皇制は、明治時代に山縣有朋が極端に神格化したものであり、過去にはこのような方便もまかり通っていたことだろう。女帝もいただろうし、平清盛も天皇の落し胤だったようだし、源氏物語でも帝がらみで不義の子どもが何人か生まれたりしている。

ある時期から私のライフワークとしてきた「街道をゆく」シリーズの読破も終盤を迎えている。基本的に古本で集めていた同シリーズも、ハードカバー、ワイド版および文庫本でまばらながらも全43巻のうち残すところあと2巻となった(ちなみに22巻と28巻である)。アマゾンで古本販売が始まってから加速度的に収集力が増した。

昭和45年(1970年)に同シリーズがはじまったきっかけとして、同年に起こった三島由紀夫の割腹自殺を挙げる解説本を読んだことがあるが、本質的な理由ではないように思う。もっとも、その直後に司馬氏も声明を発表したようだが。極度な天皇制の神格化は、司馬氏も望んでいなかったことは確かかも知れないが。

私はそれよりも、どの巻か忘れたが、シリーズが始まって25年目の作品で「始まって25年です。(大阪)万博の年に始めたので」という点が一番大きな動機だと思っている。大阪人で生涯、大阪を活動拠点にした司馬氏にとっても大阪万博は大きなイベントだったはずだ。世界が近くなり、大都市が均質化していく中で、東京を含む世界共通の「文明」ではない日本の地方の「文化」を残そうとしたものと私は思う。また、シリーズでは訪れていない土地もいくつかあるが(ワイド版には巻末に訪問地のマップがある)、先述の解説本ではその地域はコンクリートの「東京」と同一であるから(訪問しなかった)と言うが、私はそうは思わず、単にシリーズは司馬氏の死をもって未完で終わったのだと思う。

私も、新たなライフワークを見つけなければならない。




2016年9月10日土曜日

産み分け

以前、述べたように、男性不妊の頻度は100人に1人ということでそれほど高くはない。

一方で、私の周りでは、有機化学(合成)に関わる業務に従事する男性には、女の子しか生まれない傾向にある。

また、以前、聞いた話によると、シリコンバレーではIT関連の仕事をする男性にも女の子が多いという。電磁波を浴びる量に依存しているのかもしれない。

つまり、Y遺伝子はこれらのストレスにより、受精する能力を失うか、弱くなっているのだろう。

これから子どもを産もうとする人に、ご参考まで。