2019年8月15日木曜日

渋谷おはら祭について考える

終戦記念日に台風の到来が重なり、今日は一日、自宅待機で台風が通り過ぎるのを待つ一日となりそうだ。

盆が開ければ、翌週には地元のまつりが控える。このまつりは本場ではないながらも青森のねぶたを観ることができるということで、周辺地域からは一定の評価を得てきた祭りである。

一方、地方の祭りの輸出という観点では、5月に渋谷おはら祭というのが行われている。参加団体は、鹿児島県各地出身者の関東支部といった様相だ。

この祭りは1998年頃に第一回が行われた計算になるが、どのような経緯から始まったのかは寡聞にして知らない。先出の地元の祭りは、1981年に第一回が行われ、青森ねぶたの導入が1997年とのことである。もしかすると、地方の祭りを輸出する流行りのさきがけかもしれない。

渋谷おはら祭も、夜郎自大な鹿児島県出身者が渋谷区に持ちかけたのか(京都には偉人の銅像はないが、かつて西郷隆盛の銅像を立てようとした御仁がいたそうだから可能性を否定できない)、あるいは地域の祭りに乏しい渋谷区がPTAの面倒くさい催事を僻地の人のいい集落に押し付けるように鹿児島県に持ちかけたのか、いずれにしても双方の利益が一致するかたちで始まり、そしてそれが維持されているから20回以上も続いているのだろう。

しかし、この祭りが望郷の念を伴うのか否かについては、私は否定的だ。いったい、鹿児島おはら節は鹿児島県のどれだけの地域で踊られているのか。歌詞に出てくる地名からして、霧島-国分ー鹿児島市くらいではないか。逆に、歌詞に出てくる霧島、国分でも踊られていないとしたら鹿児島市だけのものとなる。

少なくとも離島に関しては、私の場合、種子島で普通に生活している以上は鹿児島おはら節を踊る機会はない。その唄はラジオ等を通して聞いたことはあったとしても。よって、離島出身者は、この祭りに参加するために故郷からはるか離れた東京の地で、本土・鹿児島の文化をはじめて習得することになる。







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