2025年3月28日金曜日

コロナの時代を越えて

 今日あたりから、また私の東京通勤が再開する。夕方から所要で出かける。

年明けあたり、対面でのセミナーがあったのだが、インフルエンザの流行もあり、「なぜ、きょうび対面で?お互いのメールアドレスを知っているのなら、ウェブ会議のオプションがあっても当然では」という印象を否めなかった。コロナの試練を乗り越えて、我々の生活手段も多様化した。

「パソコンに求めるものは」と問われるとき、真っ先に「静かさ」と答えるだろう。デスクトップパソコンを組むときに、いの一番に避けるのはうるさいファンの類だ。場合によってはCPUファンなしでも稼働させる。ケースファンなど使った試しがない。起動したときにF1を押せばすむ話である。

どんなに高性能でも、ファンの音がうるさかったり、今日ではNVMeの発熱がひどかったりすると話にならない。日常使用における不快感と将来の故障の懸念を抱えるだけである。そのことを教わったのはネット上であった。「速さより静けさ」と題したそのブログはシングルコア時代のCPUに詳しかったが、今はもう存在しない。独自ドメインを維持するデメリットと言えるかもしれない。

直接面識のない誰かの師になること。わたしも50歳を越えているので、当然、それを目指すべきだと思っている。トピックは「教育」だろう。端的に言えば「教育」と「受験」は異なる。受験は民主主義のコストである。受験を通じて学ぶこともあるだろうが、本当の教育とは何かを考え続け、そのプロセスを開示することで、誰かが何かを得るものがあれば幸いである。

「教育の無償化」が浸透しつつある世相だが、誰かも言っていたが価格ではなく質だろう。また、教育と題するものが無償化しても、その分が受験に消費されては意味がない。無償でも価値のある教育的資材を発掘することも私のライフワークとしたい。

Distros' nameDWoriginLocation
EdubuntuUbuntu/
Canonical Ltd.
Isle of Man
Skolelinux (Debian Edu)DebianNorway
Prim TuxUbuntuFrance
EmmabuntüsDebianFrance
Zorin OS EduUbuntuIreland
Sugar on a Stick (SoaS)FedoraUS
DoudouLinuxDebianFrance
UbermixUbuntuUS
AcademiX GNU/LinuxDebianRumania
Escuelas LinuxBodhi/UbuntuMexico



2025年3月26日水曜日

人生の宝物

 


子どもたちがそれぞれ帰路につき、我々夫婦はまた二人だけの生活に戻った。彼らの部屋には今はそれぞれ古ぼけたLinuxのマシンやその他のレガシー家具が置かれ、物置兼私の趣味の部屋となっているが、がらんとした部屋を見ては、彼らが幼い頃、そこで生活していた頃を思い出すことが癖のようになっている。

人生の宝物とは何かを考えたとき、子どもたちが幼かった頃の日々の記憶と答えたい。当時はただ毎日を懸命に生き、後にそのような思いに至るなど思っても見なかった。子どもたちの人格も当時とは異なり、子どもたちとの関係性もそこに留まることを望むことは誤りだろいうことはわかっている。だからこそ、もう二度と戻らない日々は、私にとって人生の宝物として長く記憶に留めたいと願っている。

我が家の場合は、子供が幼い頃はまだホームビデオはminiDVだったので、その映像の再生手段、PCへの取り込みの手段を維持したいと考えるのも、上記の考えの延長なのだろう。

引用した歌はおそらく失恋か別れの歌なのだろうが、いろいろな人がカバーしているということは、受け手の思い描いた世界観にマッチしやすいということでもあるのではないだろうか。

2025年3月24日月曜日

新しい道路

 家族全員が自宅に揃うのは実に4年ぶりのことだ。長男が高校を卒業して自宅を出て以来、2年後に次男が同様に出て、二人が同時に帰省することはこれまでなかった。

家族4人で牛タン太助にランチを食べに行った。久しぶりでだいぶ値上がりしていた。ランチもディナーもない値段設定なので、一人だいたい3000円になっていた。

ランチが済んだあと、4人でみどりののケーキ店を目指してドライブした。万博記念公園駅前の道路が延長して、以前よりもだいぶ行きやすくなった。その道路が開通したのは次男が出ていったあとなので、その道路を4人で走るのは初めてだった。

子供が小さい頃から車でよくでかけた。その頃のことが思い出されたが、もう、当時とはそれぞれが置かれた状況は異なる。新しくできた道路を4人で走ることは、これから先の人生を示唆しているようにも思えた。

未来は否応なく向こうからやってくる。それは、我々にとって常に初めての出来事だ。

一方で、4人で行ったこともあるレイドバックバーガーがこの3月で閉店した。昨日が最終営業日だった。長男が出ていってからも、次男と3人で行き、次男が出ていってからも夫婦で何度か行った。ここ最近は、軽く済ませることも多く、その近所のサンドイッチ店で買うことが続いた矢先のニュースだった。それなりに流行っているようにも思えたが、ハンバーガーに2000円以上は出させられないという店主の判断か、値上げすることなく閉店を決めたようにも思えた。





毎週日曜日の9時からやっているラジオ番組のエンディング曲。「どうして人は大人になっていくのだろう」は、親が子供に抱く一部の感情であることにも気づいた。

「夢をあつめて」Youtubeにはない。Youtubeには紹介動画だけあって、それによるとコロナ期間中にリリースされたようなことが言われていた。

2025年3月21日金曜日

イソップ物語ーレンガを積む男

 表題のことを思い出す思索の旅をしていました。

導入は、いつものごとく、Linux OSのことです。人気Distrosのひとつ、Zorin OSの教育版が、どのような使われ方をしているかを調べている過程で、またひとつ、フランス的なDistroに遭遇しました。その名前はEmmabuntüsといい、Debianベースでデフォルトでは日本語対応していません。欧州6ヶ国語にとどまっている感じです。

詳細は、興味があればサイトを当たって欲しいのですが、このOS作成の発端は、人道団体に寄付された中古PCの再生のためという点です。

ここで思い出したのが、題記の物語です。タイトルは正確ではないかもしれませんが、レンガを積む作業に対して、ある作業員は「レンガを積む」仕事だと捉え、あるものは「水場を作る」仕事だと捉え、またあるものは「教会を作る」仕事だと捉える。

この手の団体の作り方はいかにもフランス人が得意とするところで、それ以外の分野においても、「国境なき医師団」や「世界の医療団」があったりする。

母国語にこだわり、時には英語を軽視するような側面を持ちながら、マインドは外向きである。少なくとも、日本人にはそのように映る。

こと、OSを作る点に限定しても、日本人は内向きで、得てしてグローバルなコミュニティには参加せず、国際会議で発言せずな性質なので、まともなOSひとつ作れずに内向きな同調圧力と仲間作りと派閥争いでまともなものも作れずに空中分解に終わる。少なくとも、部外者にはそう見える。

「OSを作る」ことが「OSを作る」ことで終わっているからだろう。

発端の点については、Zorin OSのコミュニティで質問したらコメントがあったので、興味があればそちらで。Zorin OSはWindowsの代替品として日常使用に耐えうるDistroなので、親が使用する延長で、興味のあるアプリを追加でインストールするという使用法が一番好ましいように思う(Zorin OSのソフトウェアマネージャーもそのような外観になっている)。教育版のISOファイルは自ずとサイズが大きくなり6GB超えが当たり前のようなので、わざわざそれをダウンロードしてインストールするよりは。

常体・敬体まじりの乱筆乱文失礼。



2025年3月20日木曜日

Debian Edu/Skolelinux 12


同じく教育用のOSとして題記のものがある。Debianはグローバルでの開発だが、この教育用はノルウェーで開発されているようである。

利用可能言語(10カ国語以上)の中に日本語があったのでDeep Dive。Readmeに以下の記述があった。

So far, translations for the Debian Edu Bookworm and Bullseye manuals have been completed for Danish, Italian, German, French, Dutch, Norwegian Bokmテ・l and Japanese.
2024-03-29 13:36、文字化け箇所はオリジナルも化けている感)。

この、ノルウェーからパスされたボールは日本側でキャッチされているのか検索すると、これより2版前のもの(Debian Edu 10)の時点で一度だけ紹介された形跡がある(2019.7.10)。ver.12はこの3月15日にリリースされたばかりのようだ。

上記の中で、「再起動後は、なんの設定も不要で日本語入力ができるようになっています。」とある。Debian系にしては珍しいのではないか。

上記の紹介サイトではBD版(ver.12で7.6GB)をVirtual Boxで検証したようだが、リンク先の中ではDVD版ISO(同3.7GB)が比較的ファイルサイズも小さく、ダウンロードしやすいかもしれない。逆にCD版はISOファイルが複数に渡るが、今日のUSBを使用したインストールには使用できるのだろうか。Ventoyであれば複数のISOを入れておけば順番に読み込んでくれるのかもしれない。
DVD版をダウンロードしたので、また暇なときにインストールして使用感を確認してみる。


PrimTux 8

 教育用のLinux OSがどのようなものか探していたわけではない。

ある個人的な興味から、例えとして車のタイヤを考えたとき、我が家ではミシュランのタイヤとコンチネンタルのタイヤを履いたことがあるが、ミシュランのタイヤは(ランフラットタイヤだったが)トラブルがあり、一方、コンチネンタルのタイヤではトラブルは経験していない。

Linux OSももしかしたら同様ではないか。フランスのOSにはどのようなものがあるかを調べていたら(私の基本スタンスとしてUbuntu系に限定する)、題記のものがヒットした。

Linux OSのポータルサイトであるDistroWatchにも「PrimTuxは、教育環境の学校の教師とコンピューター愛好家の小さなチームによって開発されたDebianおよびUbuntuベースのディストリビューションです。これは、最新のコンピューターの代替または主要なオペレーティングシステムになることを意図したものではなく、廃止された機器のアップグレードであり、教育の精神で学校または教育環境に利益をもたらします。」とある。

こういうの弱いな。フランス的ではある。地図で確認すると、フランス全土に広がっているように見える。地図を引いてみたら(−で)、インド洋の海外県でも使われていることに気づいた。

Voir en plein écran

前提が(フランス人が作るものはいい加減ではないか)というところから入ったので、ギャップにやられるパターン。そういえば、私はスニーカーはPalladiumというフランスのメーカーが好きだったことを忘れていた。

2025年3月18日火曜日

壊れかけの



NHKプラスで動画を視聴する 

先日、NHK朝のニュース(関東版)で近所の小学校が取り上げられた。AIに関するものだった。

我々の若い頃は、話し相手はラジオだった。「本当の幸せ教えてよ」と壊れかけのラジオに聞いてみたり、「今夜こそは僕の話を聞いてよ」とお願いしたり。ラジバンダリ。


今の小学生にとってはAIかもしれない。というか、今の時代は、若い人も年老いた人も(私を含む)話し相手はAIなのかもしれない。

NHKプラスの動画の埋め込み方をChatGPTに聞いてみた実験的投稿。著作権の関係で、多分、無理だろうとのことだが。