2015年1月31日土曜日

20年後

21歳(大学3年)の時に、ラグビーの試合中に頭突きをくらって前歯が抜けたり折れたりして、その後20年が経過しました。先日、久しぶりにその本格的なメンテをしなければと思い立ち、歯医者通いを始めています。土曜日ごとに通う予定ですので、終わるのはいつになるのかわかりませんが。

折れた歯に関しては、完全に抜いてブリッジにすることにしました。差し歯を作り直すたび、根の部分は小さくなって、ここ数年は中で割れていることも 予想されながらも最大限に注意してだましだましやっていました。硬いものを噛んだら抜けてしまうのではないかという不安を抱えながらだったので、思い切って抜く決意をしたのでその不安ともおさらばです。まだ仮歯の状態ですが、抜いて正解だったように思います。どうしてもっと早く決断できなかったのだろうと思うくらいです。

決断できたのも、この歯で20年やってきたことを一つの区切りとして、これから先の20年(20年後)のことを想定して、その時のために今、どのような手を打っておくことがベストかを考えられたからでしょう。抜けたり折れたりする前の状態にできるだけとどまっていたいという思いよりも、老化という現象を意識することが多くなった自分が、視線を将来に向けるようになったという心境の変化も大きいように思います。

20年後、どのような姿でいたいかは、決して歯の状態 にとどまった話ではなく、自分のキャリアについても意識しています。その理想の姿はいくつかありますが、その一つのモデルである恩師に誘われて昨晩は赤坂で痛飲しました(他2名を含む)。20年後はまだ私も60歳なので、その頃には定年が延長するなどしてまだ私もサラリーマンを継続している可能性も高いですが、早かれ遅かれその後、定年を迎えた際には自分もそのようなかたちで後輩の面倒を見てやれる立場でいたいものです。それに関しては、仕事に限らず子育てについても同じようなことを考えているので、機会があれば書きたいと思います。

2015年1月17日土曜日

今回、訪れた場所は、秦の後、「楚」と呼ばれた地域である。「四面楚歌」の楚である。「項羽と劉邦」の中で、楚(西楚)の項羽が漢軍に囲まれた際、周囲を囲んだ漢軍が、項羽の国である楚の歌を歌うことで項羽が既に味方も敵に寝返ってしまったと勘違いしてしまうという故事の国。

 旧日本軍が、その「旧・楚」の地において当時の国際法で禁止されていた毒ガスによる攻 撃を行ったということを知ったのは、そこを初めて訪れた直後の8月のお盆の番組であった。その事実は、極東裁判の頃には米国には知られていたが、もしもそ れを裁くと将来的にアメリカが毒ガスを使うことが出来なくなるということで伏せられたという。

かの国の人はその事実を知ってか知らずか。あるいはその事実を知っていたとしても、古くから国取りの権力争いには慣れていて、それも致し方なしと諦観の思 いでいるのか。国際法とは言えども、戦時中である。致し方ないという思いはこちらにもないわけではないが、一方でその毒を製造する国内の製造所の状況も悲 惨であったことは事実である。

過去を綺麗に清算することは出来ないのかもしれない。しかし、時間の流れはとどまることなく、現代を生きる我々は幸いにも戦争をする必要はなく、ビジネスを通した協調・共栄の時代の中にいる。少なくともそのことを幸運としたい。