愛宕神社の近くに、「NHK放送博物館」という資料館があり、日本でラジオ放送が始まって以来の放送技術に関するゆかりの品々の展示、大河ドラマで使われた衣装などの展示、過去の放送の映像記録を視聴できるアーカイブ室などがある。1Fには小さな売店があり、そこに置かれたCDプレーヤーからは「花は咲く」が流れ、朝ドラ関連グッズや、女性気象予報士がポーズをとるカレンダーなどが売っている(女性だけでもこんなにいたんだ、と軽く驚く)。
少し前に、昼休みの時間つぶしにアーカイブ室で古い映像を見ていたことがあった。「山河燃ゆ」「翔ぶが如く」「篤姫」など。司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズでは、「種子島みち」の回を見てみた。鉄砲の伝来に関しては、南蛮船の乗組員(中国人)と、島の役人の西村某が砂の上に漢字を書き、意思疎通する場面がある。その後のエピソードが放送では省略されていた。放送はあくまでも番組であり、書籍の完全な実写化ではないようだ。ちなみに書籍では、その役人の子孫が東京帝大を卒業し、大阪朝日新聞で「天声人語」という今日の新聞紙面でもお馴染みのコラムを始めたことに言及している。ペンネームを西村天囚という。
第二次世界大戦の頃、天囚は既にこの世にいないが、大阪朝日新聞は当初、日米開戦には反対だったという。しかし不買運動などから経営危機に陥り、やむなく大衆に迎合し戦争を煽るに至ったとのこと。大手メディアが経営の独立性に問題を抱え、偏向報道に陥ってしまうのは今に始まったことではないようだ。
中学生の頃、新聞のコラムを切り抜き(そのコラムは私の場合、南日本新聞『南風録』だったと思う)、ノートに貼って書き写したり、わからない漢字を調べたりする勉強法を先輩に教わってやっていた。そのルーツはどこから来たのか知らないが、インターネットも無い時代に、どこかの遠い都で始まって辺境の種子島まで伝わったのだろうか。その勉強法は今も残っていて、いつの頃からか「天声人語ノート」という商品まであるようだ。現代はインターネットを使えば縁もゆかりもない地域の地方紙のコラムニストの文章を読むことも可能な時代。まずは自分の感性にあった筆者を探すのもひとつの楽しみかも知れない。
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