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2017年1月23日月曜日

回帰熱

初場所で稀勢の里が優勝し、郷土出身力士ということで地元も盛り上がりそうな気配を見せている。こんな時、土浦駅前にイトーヨーカドーでもあれば優勝セールでもやりそうなところだが、約4年前に閉店してしまった。ちょうどこの2月に閉店を迎えようとしている西武つくば店の閉店セールの一部に稀勢の里優勝セールを上乗せし、西武の閉店に花を添えてほしいところだ。

次男がまだ柔道をやっていた時に、県南の柔道大会には鳴戸部屋の関係者が顔を出し、目に留まるとスカウトされるという噂を聞いたことがある。また、土浦市にある水郷公園には、常時、わんぱく相撲大会の応募チラシが置いてあり、次男がまだ3,4歳の頃に親の言うことを聞かないと「相撲大会に申し込むぞ」と脅すと、マワシを締める事を嫌がる次男はしぶしぶ言うことを聞いたものだった。あのチラシはどこかにしまってあるはずだが何処へいったのだろう。

2016年3月27日日曜日

春の便り

近所でも桜の花がほころび始めた。

明日から土曜日までまた中国へ。今回は広州まで足を伸ばすのでコートをどれにするか迷う。緯度的には台湾と同じくらいで、現地はやや暑いだろう。

桜が春の風物詩として感じられるようになったのはいつ頃だろう。実家にいた頃は全く感じなかった。鹿児島市で過ごした高校時代もあまり意識していなかった。その頃の年齢では四季を愛でる感覚も乏しかっただろう。脳裏に浮かぶ郷里の春の風景は、収穫が終わった後のサトウキビ畑の殻焼きの熱気と、その熱気に揺らぐ黄色い菜の花畑だ。

ここ2回ほど訪問している中国大陸沿岸部の地域では、食後のデザートとして輪切りのサトウキビが振る舞われた。もしかすると今回は、郷里の春と似たような景色に遭遇するかもしれない。

両親が目下、夫婦げんか中で、母がまだ我が家の今年の年賀状を見ていないという。父と母は本家とその隣にある隠居家に別居中で、隠居家で過ごす母は本家の敷居をまたぎたくないという。

仕方がないので、今年の年賀状に使った祭りの時に撮った写真ほかを2Lでプリントして送ることにした。今度、小学2年生になる甥っ子向けに「かいけつゾロリ」シリーズの本数冊も同梱した。うちの子供達が読んだおさがりではあるが。

通常、父の宛名で送っていたが、今回は母の宛名で送ることにした。

本当は、ゴールデンウィーク前頃に送るつもりだったが、ネット経由での写真のプリント(店頭受取り)が簡単だったのと、明日からの渡航で万が一のことがあってはと思い、今日、送ることにした。

以前は「父がいつ死ぬかわからないので」と思って写真やビデオを送っていたが、今回は「自分がいつどうなるかわからないので」。東日本大震災以降、そのようなことを時々、考えるようになった。

明日、どんなことが起こっても後悔しないように今日を生きよう。気持ちも伝えておこう。

2015年12月1日火曜日

寧波

現地語で「にんぽー」と読むらしい。中国沿岸部の都市。

種子島に鉄砲が伝来した時の船が(マカオへ)帰る時と再来した時に発着点となった中国大陸の都市。

再来週に3泊4日でその近くに出張に行って来ます。12月13日(日)出発です。12月14日(月)~16日(水)は会社にいませんので、あしからず。

2015年9月1日火曜日

ふるさとのなまりなつかし

昨日は「さらばふるさと、おれはもう、茨城の土になる」という感じのエントリーのつもりだったが、今日うちに帰ると、嫁がいろんなネタを収集しており、中でも「種子島の小学生が柔道の全国大会で優勝してた」だった。


発端は、長男、次男がお世話になった柔道クラブのOBの子が、中学生の全国大会他で優勝したというニュースだったのだが、嫁はちょくちょく柔道のほうも見ているようで、というのも、県で上位にいる子らは次男も対戦したことのある子なのでどうしているのか気になるらしい。

そんな中、種子島の小学生の子が 全国大会で優勝した。準決勝、決勝は判定だったようだが、昨年の私のフィーバーは主審、副審の先生方の記憶に・・・ないか。

一方で、私のブログのフィーバーは種子島に届いて・・・ないか。

であっても、さんざんブログで吠えたことの裏付けとして、関東の名だたる名門道場を差し置いて種子島の子が優勝したことは喜ばしい。

ちなみに、種子島・屋久島が属する「熊毛地区」の柔道連盟の会長も、母方は静岡からお茶の栽培のために種子島に移住した家系だ。簡単に言うと、うちのばあさんの姉だ。

静岡からお茶の栽培の為に種子島に移住して、その子孫が柔道の発展に貢献しているという・・・

おもしろか(面白い)。



2015年8月12日水曜日

黒潮(くろしお)の道


司馬遼太郎作品を通じて東アジアの来し方を眺めると壮大なロマンに溢れている。最近読んだ中では、万里の長城の外側には(内側のシルクロードとは別の)ステップルートがあり、騎馬民族が西はスウェーデンから東は日本まで金(Gold)に関する技術を伝播した。あるいは、過去に読んだ中では中国・雲南省(長江流域)から日本へ稲作が伝播した話など。その分野の専門家には既知の話なのだろうが、もっと広く一般人も知っても良い。

ちなみに司馬遼太郎作品については、人気がありすぎて批判も多い英雄史伝よりも紀行文のかたちをとりながらその土地にゆかりのある人にフォーカスを当てることも多い「街道をゆく」が必読だと思う。それについては機会を改めたい。




映像は南西諸島(鹿児島県)のもの。東京から見ると、沖縄の手前の島々。稲作はこういった島々を伝って伝来した経路もあったことだろう。また、遣隋使や遣唐使の頃には、これらの島々に流れ着いたり、停泊して補給した事もあったろう。

地層の断面があらわになっている映像のいくつかは種子島のものだろうが、16世紀にポルトガル人が火縄銃を伝えた時とさほど変わらない風景なのではないだろうか。あとサーファーたちも種子島かな。もっと南にいくと珊瑚礁があってサーファー達には危険だと聞いたことがある。

種子島で量産された火縄銃は、この黒潮の流れに乗って、 和歌山(根来寺)にたどり着き、そこから信長に届く。決して、九州新幹線、山陽新幹線を逆行して陸路で伝えた訳ではない。和歌山の根来衆は、さらに黒潮に乗って銚子まで行き、そこに醤油を伝えたとも聞く。

気に入った動画を見つけたので、いろいろ書いてみた。

教えてくれたアイドル、ありがとう。親孝行して来なよ。






2014年1月17日金曜日

種子島みち

愛宕神社の近くに、「NHK放送博物館」という資料館があり、日本でラジオ放送が始まって以来の放送技術に関するゆかりの品々の展示、大河ドラマで使われた衣装などの展示、過去の放送の映像記録を視聴できるアーカイブ室などがある。1Fには小さな売店があり、そこに置かれたCDプレーヤーからは「花は咲く」が流れ、朝ドラ関連グッズや、女性気象予報士がポーズをとるカレンダーなどが売っている(女性だけでもこんなにいたんだ、と軽く驚く)。

少し前に、昼休みの時間つぶしにアーカイブ室で古い映像を見ていたことがあった。「山河燃ゆ」「翔ぶが如く」「篤姫」など。司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズでは、「種子島みち」の回を見てみた。鉄砲の伝来に関しては、南蛮船の乗組員(中国人)と、島の役人の西村某が砂の上に漢字を書き、意思疎通する場面がある。その後のエピソードが放送では省略されていた。放送はあくまでも番組であり、書籍の完全な実写化ではないようだ。ちなみに書籍では、その役人の子孫が東京帝大を卒業し、大阪朝日新聞で「天声人語」という今日の新聞紙面でもお馴染みのコラムを始めたことに言及している。ペンネームを西村天囚という。

第二次世界大戦の頃、天囚は既にこの世にいないが、大阪朝日新聞は当初、日米開戦には反対だったという。しかし不買運動などから経営危機に陥り、やむなく大衆に迎合し戦争を煽るに至ったとのこと。大手メディアが経営の独立性に問題を抱え、偏向報道に陥ってしまうのは今に始まったことではないようだ。

中学生の頃、新聞のコラムを切り抜き(そのコラムは私の場合、南日本新聞『南風録』だったと思う)、ノートに貼って書き写したり、わからない漢字を調べたりする勉強法を先輩に教わってやっていた。そのルーツはどこから来たのか知らないが、インターネットも無い時代に、どこかの遠い都で始まって辺境の種子島まで伝わったのだろうか。その勉強法は今も残っていて、いつの頃からか「天声人語ノート」という商品まであるようだ。現代はインターネットを使えば縁もゆかりもない地域の地方紙のコラムニストの文章を読むことも可能な時代。まずは自分の感性にあった筆者を探すのもひとつの楽しみかも知れない。