2015年3月14日土曜日

記憶のかけら#1線路沿いの道


忘れずに心に残しておきたい景色がある。もう5年以上も前のことである。

単身赴任していた頃、赴任先の宿舎から取引先の事業所へ出張することが多かった。多い時は週に2,3日訪問していた。訪問する際は、朝、宿舎にタクシーを呼び、 最寄りの駅まで行って電車で向かっていた。

宿舎から駅までのタクシーでの道のりは、歩道の整備されていない線路沿いの道路を走った。朝の時間帯は、通勤する同じ会社の人ともすれ違った。駅や近所から歩いて通う人。あるいは自転車で通う人。

その中に、同じ部署で働くある派遣社員の人の姿もあった。 当時26~27歳で、うちの部署に来る前は隣りの県で働いていたのだが、派遣会社を通じてうちの事業所の近くに転居してもらい、会社には自転車で通っていた。

出張の際、私を乗せたタクシーが彼女とすれ違う時、私は後部座席の窓から彼女の姿を見ていた。向こうはこちらに気付いていなかった。何を思いながら通勤しているのだろう。健気な表情をして自転車をこぐ姿に私は心が安らぎ、いつの頃からか出張の時は、彼女が今日も自転車で通っているだろうかと楽しみにするようになっていた。

そのようなささやかな楽しみもそう長くは続かなかった。

リーマンショックの後、事業所の経費削減が叫ばれるようになり、派遣社員は一律に辞めてもらうことになった。専門技能を身に着けた業務だからと、当時の彼女の上司の交渉の甲斐もあり、しばらくの間、特例的に契約は延長されたが、最終的にはやめてもらうことになった。

彼女が辞めて1年半ほどが過ぎた時、うちの事業所は震災に見舞われた。そういう意味では、その前に別のところに移っていたことは不幸中の幸いだったのかも知れない。しかし、彼女の郷里の地域は、比較的地盤が脆弱だった地域だったこともあり県内でも被害が大きいほうで、震災の混乱が収まりつつあった頃になっても、まだその被害が尾を引いて県域のニュースで取り上げられていた。

彼女にうちの事業所をやめてもらう時、まだ次の職場は決まっていなかった。一度、実家に帰ると聞いたが、その後、どうしているのかは分からない。震災の頃は、実家にいたのだろうか。もう結婚して、子供が一人くらいいてもいい年頃だ。当時とは違った姿で、彼女が自転車をこぐ姿を想像している。

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