2016年1月12日火曜日

年賀状

年賀状のやり取りもほぼ落ち着いた頃でしょうか。

我が家は毎年、富士フィルムのパンフレットから型番を選んで注文する(写真を埋め込むタイプの)年賀状を送らせていただいております。自分でパソコンで作った方が安上がりだと思いますが(レイアウトする手間を考えるとそうでもないかも知れませんが)、保存を考慮するとあの分厚いコーティング仕様のほうが長持ちするのではないかということでずっと注文しています。毎年、少なくとも1枚は宛名を書かない年賀状を自分達の保存用にとっております。

今年からネット注文(店舗受取り)に変えたので多少安くはなりました。かつ、ハガキ裏面と同一の電子ファイルも入手できるようになりました。そちらの有効利用も考えていますが(例えばハガキで送っていた分を一部そちらに置き換えるなど)、まだ必要に迫られてはおりません。

結婚してから仕事の面でしんどかった時期も 2、3度ありましたが、年賀状だけは何事も無かったように家族4人で写真に納まってきました。肉親や親戚、恩師や旧友らには心配をかけまいというやせ我慢と、少しの意地みたいなものでしょうか。

年賀状の交換だけでかろうじてつきあいが続いている、というケースがあります。私の場合は、年賀状を送る相手はそのような相手がほとんどです。遠方の親戚や過去にお世話になった人や付き合いのあった友人など。

そのような年賀状だけのつきあいも、だんだんとドロップアウトしてしまうケースがあります。早くは20代に、大学院時代の友人で学位は取得したものの希望に適う職に就けずに行方不明になった友人たち。そして今年、ついに大学時代からのある友人の年賀状が途絶えてしまいました。

彼は、大学の同じ学部で同じ部活の友人でありましたが、彼が九州に転勤になって以来、年賀状を交わすだけの付きあいとなっていました。毎年、その年(前年)に流行したものをネタにした面白い年賀状を送ってくれていたのですが、今年はまだ届いておりません。喪中ハガキも受け取っていないので何か変化があったのではないかと気になっています。年齢的にもリストラや子会社転属などがぼちぼち身の回りにも見られる時期にさしかかっていることもあるので。

ひとつ気にしているのが、年賀状がある種のストレステストになってしまう点です。特に学生時代の友人に対しては、同じように人生のステージを進んでいる場合は気になりませんが、結婚や子どもの誕生など双方で一致していない場合、「差が開いている」と感じる面もあるのではないかと懸念しています。











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