今回の衆議院選挙で、神奈川13区(自民党幹事長・甘利氏の選挙区)を制した方(44歳)はれいめい高校の卒業生とのことだった。当時の鹿児島県の私学の位置づけとしては、例外的なケース(ラ・サール、スポーツ特待生など)を除き、公立高校の不合格者の受け皿というケースがほとんどだろう。彼の場合も、第一志望は鹿児島市内の県立高校だったのかもしれないが、長い人生の中で、その時の不合格は単なる点でしかなく、今日に至るまでのひとつの通過点でしかないと言えるのかもしれない。
私ももう48歳であり、年齢的に若い人向けに参考になる話をしなければならないと自覚している。これから話す話も、そういう話になる。
大学時代、ラグビー部の友人がいた。ここで彼のことを仮に”裕二”としよう。”裕二”は、大学3年生の時、脳梗塞を発症し、一時、生死のはざまを彷徨った。意識が回復しても、看護師さんに対して「乳もませろ」とか騒いだりして、大脳皮質が正常に機能している状態ではなかった。記憶もあいまいだったと記憶している。親御さんも大変、心を痛めていた。
その病状も、時間の経過とともに自然に治ったのかもしれないが、私はその時、クラスメートの声をカセットテープにとり、また、これが客観的には私ならではのくさい演出だが、グラウンドを走る声を録音して、
「”裕二”、わかるか、今、大学のグラウンドを走っている」
などと細かい小芝居を交えた。
そのカセットテープの効果は不明だが、彼は最終的に記憶を取り戻し、脳のほうは回復することはできたが、左足の足首に麻痺が残ってしまった。
”裕二”は、ある製薬メーカーのMRとして就職し、今日に至っている。
製薬メーカーのMRは、その営業スタイルの変化などもあり、各社、大幅なリストラが行われた。彼も、その対象に選ばれても仕方なかっただろうが、運よく、生き残っているようだ。
これはこちらの勝手な想像だが、その左足に残ってしまった麻痺のせいで、障碍者枠での採用なのかもしれない。
今では年賀状を交わすだけの付き合いとなっているが、毎年、その年の出来事を風刺するようなユニークな年賀状を送ってきてくれている。
その時、録音に使ったウォークマン本体は壊れて捨ててないが、マイクと袋はまだ残っており、袋のほうは2.5inchハードディスクのケースとして生まれ変わって生きている。
0 件のコメント:
コメントを投稿