2023年2月26日日曜日

My NY Diary (完)

1995年秋を舞台にしたこの作品。原作(My Salinger Year) の小説の作者が私よりひとつ年上なので、大学卒業後の実際の経験を書いたものなのか。当時、私は大学4年生だ。その年が明けると、司馬遼太郎が亡くなった。 

 当時、サリンジャーに興味はなかった。というか、そんなに本を読んでいない。
カズオ・イシグロが出だした頃だったと思う。

この歌が流行ってた頃ではないかな。


途中で、フィリップスのタイプライターが出てくる。使い勝手はよかったのだろうか。使ったことがないのでわからない。ちなみに、フィリップスのモニタに関しては性能はイマイチで、バリカンについては割と使い勝手はよかった。

シガニー・ウィーバーの演技に重厚感があってよかった。いずれ新しい流れに押し流されてしまう古い価値観や慣習に関しても、当時の空気として力を込めて力説した。当時はPCの普及期で、舞台となった出版社においても、著作権のある作品の違法公開の検閲のためだけに1台だけ導入し、業務にはPCは導入しない(業務を増やすから)という方針だった。

約30年近くが経過した今日では、どのように変わったかは説明するまでもなく、例えば、主演女性に感想を述べようと思えば、インスタグラムのメッセージを通じてコメントを送ることもできる(実際に送った)。

デジタルとインターネットの普及により、距離や時間は縮まったのか。一方で、作中で主人公の彼氏のセリフに「ヒーターがなくて寒くても、愛があれば暖かい」といった、テクノロジーの進歩とは別の部分で人間が喪失してしまった部分もあるような気がしてならない。
しかし、当時、LGBTの問題などは当時は(ホモ、レズなどの)蔑称として奇異な目で見られていた時期だ。生物学的に、古来から一定程度の割合で存在したであろう問題が、社会の成熟とともに多様性の一部として認識されていることは、民主主義の成熟として肯定的にとらえるべきなのだろう。

ラストシーンで、隠遁していたサリンジャーと面会してから、どのようにストーリーは展開したのか。読者の想像にゆだねるかたちで映画は終わった。同様に、現代に目を向ければ、我々の社会はどこに向かっていくのだろう、ということに関して、当事者として自覚をもちながら、この現代を生きていかなければならない。そんな、2023年の春。(完)

0 件のコメント:

コメントを投稿