2024年8月25日日曜日

まつり2日目

 1日目のケーブルテレビ放送では、また同じ浴衣来ていたのが腹たったので、つくば市は株主としてACCSに株主提案すべし。つくば市からの紐付き資金として、浴衣代を支給しても良い。

さもなくば、榊原千恵に交代するか、青年会議所から送り込む。2人くらいは務まりそうな人がいたはずだ。



基本的に、毎朝のルーチン的にしか掃除はしていない。ペデのゴミの具合は自分の目で確かめるがよろしい。明日の掃除は大変だな。


左手前にあるレジ袋のゴミから、何か感じる人がいれば感じてほしい。

今日は眉村ちあきのステージと青年会議所のキャリーを見る予定。
あと、タイラーメン。



2024年8月24日土曜日

東京タワー p46

(以下、書籍からの引用)

貧しさは、比較があって目立つものだ。この町で生活保護を受けている家庭、そうでない家庭、社会的状況は違っても、客観的にはどちらがゆとりのある暮らしをしているのかもわからない。

金持ちが居なければ、貧乏も存在しない。

東京の大金持ちのような際立った存在がいなければ、あとは団栗(どんぐり)の背比べのようなもので、誰もが食うに困っているのでもないのなら、必要なものだけあれば貧しくは感じない。

しかし、東京にいると「必要」なものだけしか持っていないものは貧しい者になる。東京では「必要以上」のものを持って、初めて一般的な庶民であり、「必要過剰」な財を手にして初めて、豊かなる者になる。

”貧乏でも満足している者は金持ち、それも非常な金持ちです。だが、金持ちでも、いつ貧乏になるかとびくついている人間は、冬枯れのようなものです”

「オセロ」(筆者注:Othello。ウィリアム・シェイクスピア作《1602年》の悲劇)の中に登場するこんな台詞も東京の舞台で耳にすると、観念的で平板な言葉にしか感じない。しかし、今、こうしてあの頃の、あの町の人々を思い出すと、たしかにそのとおりだと思えてしまう。

(以上、引用終わり)

端的に言うと、地方の公立高校から慶応大学に進学すると、「うちの家、貧乏だったんだ・・・」と感じることが代表的な例と言えるだろう。

また、東京にいるとシェイクスピアの演劇の感動が薄れるというのは、東京という生活空間の病巣とも言えるだろう。

カマラ・ハリスさんの演説にもあったが「分厚い中間層の復活」は日本にとっても至上命題である。それを自覚しているのかしていないのかわからない自公政権は、無能である。



おもしろ動画選

 やっぱ中国は国が広いし、人口も日本の10倍いるので、裾野が10倍広いと思うといろいろ面白いのが目に留まる。日本ではあまり目にかかれないものをいくつかピックアップ。



一高にチャリ通して、長男らとデッドヒートした子らもここまで爽快ではないだろう。


おまけ。


 

 

まつり初日

 

わたしの下調べの限りでは、ヨシムラミートのブースがない。ということは、出店しない?

つくばフェスティバルでも出していなかったので、あり得ない話ではない。



この辺は掃除しといたよ。サービスとして。

俺が水たまり除去した場所に、何も知らずにテキ屋が事前準備してた。雨降ったらそこに集まるよ。明日の午後あたり。

久しぶりの風邪ひき

 嫁さんがお盆に友達と外食した際にもらってきた風邪を、つくばに戻ってから私ももらってしまい、のどの不調とだるさを感じている。妻のほうは私よりももっと体調は悪いようで、先日、呼吸器科にかかっていた。

風邪を引くのは何年ぶりか。引いている間はしんどいが、治ってからはかえってスッキリする。普段よりも返ってよく眠れたりする。免疫を鍛える・反応を確認するためにもたまにかかるくらいは許容すべきなのだろう。

ちょうど週末は地域のまつりと重なっているが、外出は控えるだろう。地域のまつりも、以前は2日目(最終日)の打ち上げの時がやかましいくらいだったが、最近は準備の段階から昨日あたりから夜遅くまで騒がしい。

青年会議所がクラウドファンディングをやっていて(この場合のクラウドはcrowd、群衆の意味な)、ちょうど茨城新聞でも記事になっていたが、予算規模が4000万と聞いて驚いた。つくば市からはそのうち1000万出ているという。青年会議所には株主も何もいないのだとすれば、やりたい放題なのではないかと印象が悪くなる記事であった。つくば市から拠出している1000万だけでも、市は監査してほしい。

元バレーボール選手が、BGMにつかってたやつ。最近、よくテレビにも出ている。

天然。


2024年8月23日金曜日

今朝の1曲(雨降って The アルフィー50周年)

 

今年、2本伐採した。



ここも俺が手を入れなかったら、野イチゴの侵食がひどい。