日本の優勝に終わったWBCの盛り上がりとは少し距離を置いていた。サッカーのWCと同様に、普段、観ない人までもがこぞって盛り上がる風潮に、日本人に特徴的な「自発的な同化(同調圧力と表裏一体だろう)」と「場の雰囲気」に似たものを感じ、大げさだが「こんな感じで太平洋戦争にも突入していったんだろうな」という空想を促された。もっとも、今回のWBCでは右寄りとされるテレビ局は放映権の関係からか、国民の熱狂をよそに軒並み冷めた態度ではあった。
救いがあったとすれば、MVPに輝いた大谷選手が、すでに米国で活躍している点からもナショナリズムとは別個の次元で生きていて、今回の優勝に際しても「日本が勝ってよかった」で止まっているマスコミや国民をよそに、同じアジア圏の国々に言及して(アジア人種である日本にできたのだから、自分たちにもできる。あるいは、自分たちと日本とではどこが違うのだろう、という発展的な問題意識も推測される)周辺諸国での野球人気の喚起ということに言及したことだった。これらの国々ではすでに少子化のトレンドにあり、国家の枠を超えた競技人口の拡大という共通の目標を共有していることもあるだろう。これは、他のスポーツにとっても言えることだと思う。
主催国である米国が優勝を逃したが、経済効果という意味では、日本やその他の国が優勝したほうが大きかったのではないかという穿った見方もできる。メジャーリーグ自体が(大谷をはじめ)スター選手の排出を海外に依存しているとすれば、大会の意義は先細りとなった自国のすそ野拡大よりも、人材と資源の供給元である海外の人気の掘り起こしという意味では日本は上客だろう。ある意味で、柔道におけるフランスの立場なのかもしれない。限りなく植民地に近い優等生的な投資先が、本国を脅かし、凌駕するまでに成長したことは決して悲しむべきことではなく、輸出した自国の文化が海外で見事に花開き、実を結んだという見方を米国人はするべきなのかもしれない。
誰も言及していないが、今回の実質的な準優勝国はメキシコなのだろう。メキシコ人はおそらくそのように思っているに違いない。米国と国境を接し、メジャーリーガーについても裾野の拡大の部分から貢献していると思われるメキシコがその位置にいることは米国にとってはどうなのか。日本の躍進とは裏腹に、国力の低下を痛感する事例になるかもしれない。政権によっては不法移民を防ぐために物理的なフェンス(壁)を設けて、「同化・一体化」を避けたいとする国家の躍進は、内心、穏やかではないのではないかと慮ってみたりしてみる。
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