2021年10月31日日曜日

プロローグ2

 今日は衆議院選挙の投票日。天気が悪いと無党派層の投票が伸び悩むという。今回もそうか?

雨雲予想からは午後は晴れるだろう。私は、午後は久しぶりにある場所に足を伸ばすことにした。

プロローグ1

 前日までの天気予報「曇り」は外れ、午前中は小雨が舞っていた。今期の朝ドラ(お帰りモネ、気象予報士が主人公:忘備録としてくどい程記載)の父親役の思想にはどこかで聞いた気もするが、私との大きな違いは酒を飲まないこと。もうやめて1年になる。そういう意味では、ここを見てシナリオをパクっている脚本家のキャラ設定は、今後も外れ続けるだろう。


2021年10月17日日曜日

紫芋の功罪

 私が幼かった頃にはなかったが、その後に取り入れられた作物の一つに紫芋というのがある。

一時期、安納芋が着目されるまでは珍しがられて売れていたと思う。定量的な数字はもっていないが、一時期、B to BまたはB to Cの作物として貢献した。

一方で、ある時期から、地元でとれる落花生が紫色がかるようになった。実家から送られてくる落花生が、すべて紫がかったものになった。

最後に以前のように茶色い落花生を食べたのは、記憶にあるのは2003年の夏である。

まだ、次男が生まれる前に、家族で阿字ヶ浦の海水浴場に行った。初めて海を見る長男。お祝いでいただいたファミリアの帽子をかぶっていた。もっとも、いただいたものはサイズがあわず、当時、まだ営業していた西武百貨店のファミリアの店舗に相談して、合うサイズに交換していただいた。

その際に、おやつとして実家から送られてきたゆでた落花生を持参したことを覚えている。

一般に全国的に流通しているものは、炒った落花生である。ゆがいた落花生は日持ちしないため、生産地でしか、かつ生産者でしか入手できないのではないだろうか。ここ茨城・千葉エリアは全国でもトップの落花生の産地であることから、おそらく我々が持参した落花生も地元でとれたもののように思われ、特に奇異にみられることもなかった。

これは私がこれまで学んできたことから推測する域をでないが、紫芋の色素をつかさどる遺伝子が、トランスポゾンで落花生に水平移動したものだと思っている。

であるから、先に結論をいうと、もしもこの記事を茨城・千葉のサツマイモ生産者がみているとすれば、念のために紫芋には手をださないほうが賢明だと思われる。糖度を下げて乾燥させた紫芋は、あるいは干し芋にすると見栄えがよいのではないかとの期待がわくかもしれないが、場合によっては落花生を台無しにしてしまう。

もう、私の地元でとれる落花生はそのような紫がかったスカスカの落花生しかできなくなってしまっているかもしれない。一度、放射能で汚染された土地のように、その土地が元の茶色の落花生を取り戻すには、膨大な時間がかかるのではないかと懸念している。

2021-11-13追記

その後、NHK WORLDにて放送された番組によると、日本で流通する落花生の9割が輸入品(原産国は不明。商品に記載されているだろう)。かつ、国産(1割)の9割は千葉県八街市にて生産されているとのこと。

2021年10月16日土曜日

いつかどこかで。

子供たちが通う(った)高校の英語のサイドリーダーの量が半端ない。

長男が3年間に渡された分(今、部屋に残っている分)でざっと13冊あり、もしかすると他にもあるのかも知れない。

大学受験に臨む上での他教科との配分を考えても、少し、負荷が大きいかもしれない。

そのことを、正面切って批判する塾講師もいるようである。

しかし、高校英語は受験のためだけにある訳ではなく、今の日本の英語教育からすれば、その後、大学・社会人となって、いつかグローバルに活躍する上での礎とならなければならないものである。

また、受験に限らず、その後の人生を考える上で、英米文学という観点からも素養として読んでおくに越したことはない。

学年によって入れ替わりはあるようだが、長男の代でざっと見たところ、私のこれまでの読書歴から以下の3冊は必読に値するように思われた。

(記憶に頼って書いているので、邦題となる)

「チーズ・バーガーズ」

「オーヘンリー短編集(最後の一葉)」

「母よ、嘆くなかれ」(The Child Who Never Grew)

このうちいくつが、次男の代でも採用されるかわからないが、いずれも評価が定まった古典的作品なので、残るのではないかと思う。うち上2冊は翻訳の文庫本も出版されていることから、私からそれらを渡した(3つめもあるようである)。残念ながら長男はそれらに目を通すことなく通り過ぎ、次男についても今のところ手を付けた兆しはない。

英語教師の熱量を生徒が受けるにはあまりに盛り込みすぎな感は否めない。しかし、在学時には消化不良であったとしても、長い人生において、いつか、どこかでこれらに再会する機会があり、そこでその意味を改めてかみしめられるのであれば、それでいいのだと思う。

2021年10月12日火曜日

花を植えるより草をとる

市の事業として街路樹の整備がある。その中に花壇や芝の整備もある。定期的に植え込みは角刈りに刈られ、芝は(というよりそこに共生するクローバーは)坊主にされる。

時として、まだ咲いている花が植え替えのために抜かれ(廃棄され)、また新しい苗が植えられるのを待っている状態の花壇を見かける。一方で、街路樹の根元の草が目について、せっかくのきれいな並木に雑音として耳につくこともある。

 今日はある恩人の命日である。享年88歳。第二次世界大戦を生き抜いて(終戦当時18歳)、長く生きられたほうだと思う。もっとも、晩年は難病に苦しめられていたと聞いた。

その方の事業の後継者を探す折に、「(実力不足のため)後継者にはなれないが、いくらかの出資はできますよ。」という申し出をしたことがあった。当時、私は予定していた結婚がキャンセルとなり、自由に使えるが使うあてのない資金がいくらかあった。

そのような話をした後に、一度、私の職場に電話をかけてこられたことがあった。もしかすると出資だけでなく後継者として考えておられ、あるいは出資だけであったとしても私の身元を確認する必要があってのことだったかもしれない。

結局、その話は流れたが、その後、その方には学校では教わらないこの国の近現代史を教わることになる。

ここで、私の寿命を81歳と仮定する。その仮定には私なりの推計と根拠があるがここでは説明を省く。

私もすでに人生の折り返し地点を超えた。

これから先の人生に、自分自身に花が咲くような出来事はもうそれほどないだろう。子供の成長や孫の誕生に喜ぶことはあっても。むしろ私自身は、花を咲かすよりも、草をとるような人生を歩んでいきたい。そして最後には、禅寺の熊手の跡だけが残る砂利の庭のようになればいい。

以下、余談。

以前、ある飲み会で定年後再雇用の年配の方がこの歌を熱唱するのを聴いた。流行っていた当時にリアルタイムで聴いていたにしても違和感があるのではないか。本人に直接聞いたところによると、スラムダンクの主題歌で、子供がバスケをやっていたからだということを話されていた。


言わずもがなだが、タイトルは「愛を語るより口づけを交わそう」をもじっている。

2021年10月4日月曜日

あの匂いを形容するための例えの変遷

 先日、コジマの閉店セールで店内を物色するまで、最近のバリカンコーナーがこれほど充実しているとは思わなかった。いつ頃からだろうか。想像するに、七三分けのツーブロックが散見されるようになってからではないかと思う。

刈り上げは鮮度が肝心。常に刈られた状態を維持することが必要である。だとすると、シェービング並みの頻度で刈る必要がある。そうした背景から、シェービング業界がヘアカット業界に殴り込んできた。名称もバリカンではなく「トリマー」というカテゴリーを創設。シェービングもヘアカットもできるという代物である。

普段、ツーブロックにすることもなく、また自分で髪を切ろうとすることもない人には気づかない時代の変化である。

昔の理容(床屋)は最後の顔剃りで温めたおしぼりを顔と襟にあて、白い乳鉢のような皿に刷毛でシェービングクリームを混ぜて塗っていた。あのクリームと同じ「匂い」のシェービングクリームは売っているのだろうか。私は普段、ジレットのシェービングフォームを愛用しているが、ジレットやシックの製品ではあの匂いとは異なる。おそらく、使用している界面活性剤が異なるのだろう。

唯一、それに近い匂いを感じた製品がある。車のシートクリーナーのスプレーである。あの、床屋の厚い合皮のシートの待合ソファを思い出させる匂いを放つ。車のシートクリーナーなどそう頻繁には使わない。保管している間に缶がさびてきた。使えなくなる前に使い切ろうとして、最近は毛足の長い絨毯のそうじに使っている。そのたびにあの昔の床屋を思い出す。

1000円カットでは顔剃りはやらない。また、美容室は業態として顔剃りはできないと聞く。1000円カットが出てきて久しく、また、昨今はトリマーの登場でセルフカットが増えるとすると、昔からある青白赤円筒が表でくるくる回っている理容店がなくなれば、あ の顔剃りの匂いも絶滅する。

もしかすると、あの匂いは床屋の顔剃りの匂いではなく、車のシートクリーナーの匂いに変わってしまうのかもしれない。

 

2021年10月3日日曜日

ノーベル賞週間

 今年のノーベル賞の発表が週明けに迫っている。

環境問題やワクチンの均等分配など実例を挙げると枚挙に暇がないが、物事をグローバルに俯瞰する必要がある場面が多い今日においては、ある意味、芥川賞・直木賞のような感じでこの賞を眺めている昨今である。

もともと自然科学系の分野は3部門に細分化されていたが、最近では化学賞と医学生理学賞の区分けは曖昧である。一方で、ボブ・ディランが文学賞を受賞した年があったように、文学賞に関してはその対象範囲が広げられてくる傾向にあるのではないかと思う。

正直、ボブ・ディランにはミュージシャンとしての魅力は全く感じない。田舎の親父が奏でるカントリーかブルースという印象しか持てない。しかし、文学という観点に立てば、あるいはその賞に値するという点には異論はない。

昨今のテクノロジーの進歩、ビジネスの盛衰、またはグローバル社会の動向を考慮すると、ノーベル賞財団あるいはその選考委員会の時代をとらえる鑑識眼も問われているのではないかと思う。その点にも注目して、賞の発表を楽しみにしている。

外見は昔のままで

 自動車メーカー各社が、2030年までにガソリン車の販売を終了することがほぼ流れとして確定しそうな気配である。気の早い富裕層は愛車のクラシックカーのエンジンをEVモーターに入れ替えて乗り続ける試みを始めているニュースを見かける。

心情的には理解できる。例えば、子供が小さかった頃に使っていたアイテムには愛着があり、できるだけ手放したくない。できることなら使い続けたい。

我が家の場合、車に関してはその予定はない。しかし、パソコンに関してはそれを試みている。

2002年頃に購入した日立のプリウスのベアボーンからマザボを取り外せることが判明した。当時としては光学ドライブを2台搭載しているモデルで、今から思えば電源の供給量不足で急にシャットダウンすることもあった。当時はまだ自分でパソコンをいじることができなかったので、メーカーサポートに頼って修理に出したりしたものだった。長らく眠らせていたが、これに、SFFのマザボであれば取り付けられそうな感じである。

ヤフオクで適当なマザボを購入し、余ったパーツと足りないパーツを買いそろえて一台組みたいと思っている。

メーカーパソコンでこの時にネックとなるのが、バックパネルの取り換えが不可能なことだ。

しかし、これについてはすでに前例があり、DELLのVostro200のベアボーンのバックパネルをペンチとドライバで無理やりこじ開けて、別のPCのMicroATXマザボを取り付けて使っている。


無理やりめくって入れ込んでいるところが卑猥といえばいえなくもない光景である。