市の事業として街路樹の整備がある。その中に花壇や芝の整備もある。定期的に植え込みは角刈りに刈られ、芝は(というよりそこに共生するクローバーは)坊主にされる。
時として、まだ咲いている花が植え替えのために抜かれ(廃棄され)、また新しい苗が植えられるのを待っている状態の花壇を見かける。一方で、街路樹の根元の草が目について、せっかくのきれいな並木に雑音として耳につくこともある。
今日はある恩人の命日である。享年88歳。第二次世界大戦を生き抜いて(終戦当時18歳)、長く生きられたほうだと思う。もっとも、晩年は難病に苦しめられていたと聞いた。
その方の事業の後継者を探す折に、「(実力不足のため)後継者にはなれないが、いくらかの出資はできますよ。」という申し出をしたことがあった。当時、私は予定していた結婚がキャンセルとなり、自由に使えるが使うあてのない資金がいくらかあった。
そのような話をした後に、一度、私の職場に電話をかけてこられたことがあった。もしかすると出資だけでなく後継者として考えておられ、あるいは出資だけであったとしても私の身元を確認する必要があってのことだったかもしれない。
結局、その話は流れたが、その後、その方には学校では教わらないこの国の近現代史を教わることになる。
ここで、私の寿命を81歳と仮定する。その仮定には私なりの推計と根拠があるがここでは説明を省く。
私もすでに人生の折り返し地点を超えた。
これから先の人生に、自分自身に花が咲くような出来事はもうそれほどないだろう。子供の成長や孫の誕生に喜ぶことはあっても。むしろ私自身は、花を咲かすよりも、草をとるような人生を歩んでいきたい。そして最後には、禅寺の熊手の跡だけが残る砂利の庭のようになればいい。
以下、余談。
以前、ある飲み会で定年後再雇用の年配の方がこの歌を熱唱するのを聴いた。流行っていた当時にリアルタイムで聴いていたにしても違和感があるのではないか。本人に直接聞いたところによると、スラムダンクの主題歌で、子供がバスケをやっていたからだということを話されていた。
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