三方を山に囲まれたその日本海側の地方では、およそ400年前からお盆の灯篭流しが行われてきた。鉄道が開通した大正13年以降は、それを記念した花火大会があわせて行われ、いつの頃からかは不明だが、初盆を迎える家庭では精霊(せいれい)船が出され、約1万個の灯篭とともに入り江の湾の海面を炎で赤く染める。
夕暮れの日差しは海面に注がれることはなく、 東の空の雲に差し込んでそのあたりをわずかに照らしていた。やがて辺りは闇に包まれ、小さなショッピングモールとその周辺の商店街のネオンが対岸の道路沿いにもかすかに届いていた。花火開始までの時間、穏やかな水面には近隣の家庭から放たれた灯籠の小さな火が漂い、久しぶりに帰省したと思われる子や孫の笑い声が闇に木霊した。
そのような中心部から離れた地元の街道沿いの街並みにも、◯◯ウォーカーなどのタウン誌に「花火観覧の穴場」として紹介されるようになってから、遠方ナンバーの車が数珠をなして場所取りをするようになった。同じような話を、10年以上前に岸和田だんじり祭を訪れた際にもたまたま入った喫茶店で耳にした。もっとも、その時は我々が地元の祭りに縁なく「ひやかしに」来る側だった。
やがて花火の打ち上げが始まり、沿道に集まった人々の目はそこに注がれた。打ち上げの終了時刻まで、小休止を挟みながら何度か山場を見せた。対岸で打ち上げられた大玉の爆発音は、上空に大輪の花が咲き、その光が消えかけた頃にこちら岸に届く。その時間差が、ほんの僅かの差で届かなかった願いや思いを代弁しているかのようでもある。水面に浮かぶ灯籠の群れを、この地域特有のにわか雨が襲い、見物客は散り散りに車や軒下に逃れた。小さな炎は為す術もなく、さざ波に揺られ雨雲が去ることをただ静かに待ちわびるように見えた。
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