2015年8月12日水曜日
黒潮(くろしお)の道
司馬遼太郎作品を通じて東アジアの来し方を眺めると壮大なロマンに溢れている。最近読んだ中では、万里の長城の外側には(内側のシルクロードとは別の)ステップルートがあり、騎馬民族が西はスウェーデンから東は日本まで金(Gold)に関する技術を伝播した。あるいは、過去に読んだ中では中国・雲南省(長江流域)から日本へ稲作が伝播した話など。その分野の専門家には既知の話なのだろうが、もっと広く一般人も知っても良い。
ちなみに司馬遼太郎作品については、人気がありすぎて批判も多い英雄史伝よりも紀行文のかたちをとりながらその土地にゆかりのある人にフォーカスを当てることも多い「街道をゆく」が必読だと思う。それについては機会を改めたい。
映像は南西諸島(鹿児島県)のもの。東京から見ると、沖縄の手前の島々。稲作はこういった島々を伝って伝来した経路もあったことだろう。また、遣隋使や遣唐使の頃には、これらの島々に流れ着いたり、停泊して補給した事もあったろう。
地層の断面があらわになっている映像のいくつかは種子島のものだろうが、16世紀にポルトガル人が火縄銃を伝えた時とさほど変わらない風景なのではないだろうか。あとサーファーたちも種子島かな。もっと南にいくと珊瑚礁があってサーファー達には危険だと聞いたことがある。
種子島で量産された火縄銃は、この黒潮の流れに乗って、 和歌山(根来寺)にたどり着き、そこから信長に届く。決して、九州新幹線、山陽新幹線を逆行して陸路で伝えた訳ではない。和歌山の根来衆は、さらに黒潮に乗って銚子まで行き、そこに醤油を伝えたとも聞く。
気に入った動画を見つけたので、いろいろ書いてみた。
教えてくれたアイドル、ありがとう。親孝行して来なよ。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿