今回の首相を狙ったテロ行為について、私も私見を述べたい。お前には聞いていない、という声も聞こえてきそうだが、いつの世もそれぐらいの当事者意識をもって生きなければ生きる意味がないだろう。読むか読まないかは読者次第で。それくらいの当事者意識をもって生きていなければ、いざというチャンスに阿吽の呼吸で動けないだろう。 いわゆる「(ウエイティングサークルで)バットを振り続ける」ということだ。
今回の件に関して、どこかで大宅壮一編「日本のいちばん長い日」の「斬ってもなにもならんだろう」(文庫本の223ページ、徳川侍従はいった)を引用しているのを拝見した。手元の文庫本を確認すると、徳川侍従はその後、頭に血が上った軍曹に往復ビンタをくらい、眼鏡を飛ばし、顔を腫らすめにあう。終戦宣言直前まで、下級将校の頑なな抵抗があったようである。
その話には続きがあり、エピローグの中で、戦争が終わって15,6年が過ぎた時に、その時の下級将校の一人が家宝の鏡をつぶして作った茶釜をもって、徳川侍従に詫びに来たことが書かれてある。
人は絶望したときに、テロに向かうという。
前回の元首相を狙ったテロ行為を合わせると、希望を失った若者が相次いでテロ行為を行ったように見える。1回目の件が世間の同情を集め、結果的にテロによって目的を達成したとみなされた結果、2件目を誘発したようにも見受けられる。しかし、2件目の動機にはどれほどの同情が集まるだろうか。
「日本のいちばん長い日」のあとがきに、昭和の戦争の幕引きは「死者のみに全責任を課した」とあった。後世において真実が明らかになることがあるかわからないが、もしかすると日航機墜落事故の幕引きも同様ではなかったかと訝しがっている。歴史に刻まれたうちのどれだけが真実か。あるいは、歴史に残らなくても、後世にとって良い礎となる確かな石を積むような人生を。
http://bungeikan.jp/domestic/detail/909/
「世界が正しく、良くなるために、一つの石を積み重ねるのである。なるべく大きく、据すわりのいい石を、先人の積んだ塔の上に重ねたいものだ。」(佐々木八郎)
まだ未完なので、考えがまとまり次第、アップデートするつもりだ。
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