2015年6月6日土曜日

Rain

 

 東京は昼過ぎから曇りはじめ、夕方の帰宅時間には小雨が舞い、行きかう人々の足をせわしなくさせていた。

遅れ気味の地下鉄のホームには、帰宅を急ぐ人々の列が次の車両を待ちわびていた。

人ごみの中からKを見つけ出したのはたまたまか。それとも脳裏に焼き付いた残像とピタリと照合されたからなのか。到着した車両に乗り込むKの姿を追って、Nは遅れて同じ車両に乗り込んだ。

席に座り、 スマホをいじり始めたKを遠目に、Nは扉近くに立ち吊革につかまった。雨を吸った折り畳み傘の収まりが悪い。

暫くすると席が空き、Nはそこに座った。Kと同じ側のシートで間に数人はさんだ場所。KはNに気付いていない。向かいの窓ガラスに映る姿を見ると、まだスマホで何かを見ているようだ。途中の駅で降りるのだろうか。隣の席が空いたら移ろうか。そう思いながらNもまた自分のスマホをチェックした。

途中で何度かKの隣の席は空いたが、Nは結局、そこに移ろうとはしなかった。むしろ、そこにいたことを気づいていない振りをして過ごそうかと 考え始めていた。Nは読みかけの文庫本を取り出し、おもむろに読み始めた。昔、読んだことのある、お気に入りの一冊。Nは今、地下鉄御堂筋線に乗っているかのように想像を膨らませ、本に集中しようとした。

同じ車両のすぐ近くにいながらにして、言葉を交わすこともなく、 しばらく時は過ぎた。

地下鉄は終点に着こうとしていた。Kも途中の駅で降りることはなかった。Nはさらにそこから乗り継いで家路を急ぐ。Kもまたそうだろう。

ホームに着いた車両が乗客を一斉に吐き出そうとする時、NはKの前を通り過ぎた。立ち上がったKは居眠りしていたのか、あくびする口を押えていた。NがKの腕に触れて声をかけると、はっと驚いた表情をした。Nはかすかに微笑んで「おつかれさん」と、声をかけた。Kは軽く、頭を下げた。

ホームに降りると、二人は逆の方向に向かって歩き出した。2,3歩進んだNが振り返ると、人混みに紛れて行こうとするKの後ろ姿が見えた。 手に傘は持っていなかったように見えた。

雨は止まないまま、静かに降り続いていた。

2015年6月4日木曜日

遥かなる地平

かつて日立7150という臨床検査に革命を起こした医療機器があった。

日立7150とは、現在、健康診断や人間ドックで行なわれる血液検査を行なうための医療機器であり、検体の自動測定および大量処理を可能とした最初の医療機器であった。

技術サイドにいた私は、その開発に関する秘話を耳にすることはよくあったが、東京で働き出してから、その営業サイドのキーパーソンの逸話を耳にする機会を得た。

その話を耳にしたのは、今の職場を紹介していただいた恩人でもあるが、その人は業界を細かく分けると上記の分野と同じ業界にいるわけではない。よって、上記の革新性が細かな業界区分を超越していたという証左となる。

曰く、その営業マンには、学会や展示会で現場を仕切る姿をから「俺がこの業界を背負ってやっているんだ」という自負が漲っていたという。そして、その姿勢は同業他社の立場から見ても、決して反感を抱かず好感が持てるものであったそうだ。

有名無名を問わず、「俺が背負っている」と言う自負は持ってしかるべきで、それなくしては仕事に対するプライドも何もない。

 誰しもが、遥かなる地平を目指して、仕事に取り組むべきである。

 





2015年6月3日水曜日

大阪にて

先週、大阪に泊まりで出張だった際、独身時代を過ごした場所でもある大阪に久しぶりに滞在して、(昨年の喧騒を経た今)何か思うところがあるだろうかと振り返ったが、残念ながら特に書こうという気になるものはなかった。

ただ、最近、休日に子供が遊んでくれなくなった事もあり(習い事の送迎は別として。つまり、遊ぶ場合は親とではなく友人と遊ぶようになったという事です)、家でごろごろしながら本を読むことが多い。それで、独身時代、大阪にいた頃に読んでいた本を実家に置いていたので、おふくろにこっちに送ってもらった。

当時、夢中になって読み、自分の価値観の形成に大きく影響し、ここまで導いてくれた書籍は、今、改めて読み返したとしても何か得るものがあるだろう。

荷物が届いたという連絡に、妻が私の実家に電話した際の余談として、おふくろが「(私の)姪っ子の○○は寅年の女で気がきつくてかなわんわ・・・」と言ったところ、妻が「私も寅年です・・・」と言って二人で大笑いしたらしい。

そんな近況報告でした。

2015年5月30日土曜日

運動会

今日は、次男が通う小学校の運動会だった。

運動会の楽しみは、子供の姿を見ることのほかに、知り合いのご父兄とお会いする事もそのひとつである。この地区の中学校の運動会は平日開催で父兄がほとんど見に来ないこともあり、 また父親は入学式および卒業式には出席しないことを望む我が家では(妻の意向)、私にとってその機会は今回を含めてあと2回だけとなった。今年、すでに長男の代のご父兄で下の子がいない方々とはお会いする事が出来ず、少し寂しい思いをした。 そして、来年はついに最後の機会となる。

うちの子が通う小学校では、従来、9月末に運動会が行なわれていたが、震災のあった2011年から今の時期の開催となった。そして、その年の運動会のあとの6月に、ずっと闘病中でその年の運動会には参加できなかったお子さんが病のため亡くなる不幸があった。たまたま、前に住んでいたマンションで旧知だったこともあり、わが身につまされる思いだった。それ故、この時期の運動会には、一年の無事を感謝する意味合いも強い。そのようになってからもう4年が経過した。

運動会と関係ないが、東京で仕事を通じて知り合った方の甥っ子さんが、うちの息子と同い年で隣の学区に通っていることを知った。将来、同じ学校に通う可能性もゼロではない。「○○さんのお子さん、いい子みたいよ。」という日が来る事を願う。ここのところ、ブログに書いたいろんな願い事がかなっているような気がするので、敢えて書く。

2015年5月24日日曜日

土になる努力

「風のように生きる」と題して、足掛け9年書き続けてきました。時に、子供に対する粗削りで不器用な愛情が共感を呼び、時に、ただひたすらに応援する見返りを求めない愛が感動を呼んできたのではないかと分析しておりますが・・・(笑。

「風の人、土の人」というタイプ分類があるのを知ったのは、確か現・朝ドラ関係のブログだったかと思います。それまで知りませんでしたが、私が知らずに使っていた「風のように」というのもニュアンスとしては同じでした。

そんな私が今、心がけているのが、いわば「土になる努力」ではないかと思います。一例としては長男のヨット。月に2回、霞ヶ浦に浮かんですごす生活ももうまる2年が過ぎました。そして、これからあと2年は続く見込みです。高校受験を経て、高校で部活として続ける場合は もう親のサポートは必要なくなります。

息子たちにとっては、今、住む場所がふるさとになります。長男にとっては霞ヶ浦の水が、次男にとってはラグビー場の芝が、故郷の景色の一つとなることでしょう。風のように生きることを良しとしてきた自分も、子供の人生を中心に考えると、無意識のうちに土になる努力をしていたことに気づきました。

2015年5月18日月曜日

5月の晴れた空の色


新幹線の窓から立山連山にまだ雪が残っているのが見えたので、東京よりはまだ少し涼しいかと思ったが、かの地に降り立ってみるとスーツ姿にはそれほどでもなかった。あるいは東京は今日も汗ばむ夏日だったのだろうか。

仕事が終わった後の余談で、「この辺りはかつて大阪の商業圏だったのだが、このところ東京との結びつきがますます強くなっている。北陸新幹線の開通はそれに拍車をかけそうだ」という話をうかがった。昨日の大阪都構想に関する住民投票が僅差の反対多数に終わったばかりだが、仮に大阪市を解体して大阪府を救済しても、大阪を中心とする関西経済圏の衰退を果たして止められたかというと、見通しとしては依然、厳しいのかもしれない。因果関係でいえば、関西経済が順調で自治体の税収が滑沢であれば、今回の大阪都構想も検討する必要性がなかった筈だろうから。経済に力なくして政治は無力、といったところだろうか。

JAL再建の際に、伊丹発着の種子島行の定期便が不採算路線の一つとして廃止になったのが何年前だったか記憶が定かでないが、同じく伊丹発着の屋久島行の定期便が今も運行されているというのを最近知った(種子島便も盆・正月の臨時便としては今もある)。当方としては両路線とも廃止されたものとばかり思っていたので、ずっと運行されたままだったのか、或いは再建の見通しが立って復活したのかどちらだろうと思い、もしかすると種子島便も復活したかと期待して路線検索したがあいにく「その路線は存在しません」といったニュアンスのメッセージが。

そのような状況にありながらも、あるテレビ番組で「人気上昇中の離島観光地」として種子島が第2位だった(くりーむしちゅーが司会してるやつ)。1位は沖縄の聞いたことのない島。どういう算出方法をしたのか気になるところだが、それはさておき番組をきっかけに観光客が増えるのであれば地元としてはありがたいことだろう。現時点では、仮に伊丹発の路線があったとしても、旅行としては九州新幹線で鹿児島まで行き、鹿児島から高速船で行くほうがお勧めではないだろうか。位置づけとしては鹿児島観光のオプションツアーとして。種子島自体は1泊もすれば十分で2泊もするとかえって暇を持て余すかもしれない(マリンスポーツをやらない場合は尚)。

余談だが、高速船は当初、1社のみでの運航であったが、いつの頃からか全九州に展開して財をなした地元のタクシー会社が参入し、今では2社で価格競争ありの状況下で両社運航しているようだ。その高速船の船着き場も、便数が増えたからか、昔、フェリーが発着していた場所に戻されて、ある意味で「種子・屋久桟橋」は復活した。

2015年4月4日土曜日

フロリゲン


高野川のソメイヨシノ
桜が満開の時期を迎えている京都にいます。

開花を促す植物ホルモン「フロリゲン」。その存在は70年以上前に提唱されていましたが、そのメカニズムが解明されたのは比較的最近で、奈良先端大・(故)島本功氏(享年63)のグループによって行われました。先生は2013年秋に亡くなりました。

先生はイネの研究者でした。桜をはじめ多くの植物が冬から春へと日が長くなる頃に花を咲かせますが(長日植物)、イネは夏から秋へと日が短くなる頃に花を咲かせます(短日植物。他にコスモス、キクなど)。先生は亡くなる前年に紫綬褒章を受章されていますが、受賞についてはどちらかというとイネを研究材料とした実用的な研究実績の貢献が大きかったのではないかと思います。そのようなキャリアを歩まれた先生が、晩年に「花を咲かせる」という実用というよりアートな現象において、かつそれに関しては決して花形役者ではないイネを用いて大きな業績を残されたことは我々に何かを教えているような気がします。
賀茂川(半木の道)のしだれ桜

先生は、私が在学した当時(1996-1997年)の大学院の講義において、「俺もノーベル賞取っても良いと思うけど」と 、半ば冗談交じりに、しかしご自身の実績に自負を持たれて話されることがありました。研究者というより、個性の強い実業家といった雰囲気がありました。


桜をはじめ様々な植物が花を咲かせるこの季節。63歳という今の時代には早すぎる死を迎えた先生のことを思い出しながら、いささか燃え尽きた感と憂鬱感に苛まれていた自分の心の洗濯を済ませ、明日、また関東に向かいます。