2015年7月1日水曜日

手紙力、飯に誘う、etc.

チャット、SNS、ブログ、メール、etc。いろいろなツールが発達して、以前は手紙であった手段がより選択肢が増え、手軽になった。

特にブログは、それを手紙の手段として用いる場合、公衆に対して高らかに訴えるのである意味、強烈だ。効果がどれだけあるかは知らないが、手の届かない遠い存在の人にも気持ちを伝えようとすることが出来る。また、直接相手に訴えるのではなく、間接的に伝えるのでワンクッション置いた奥ゆかしさがある。相手にしてみれば、直接言われたわけではないので都合が悪ければ見なかったことにすることも出来る。

このところ、40紙近くある朝刊の中から選んだコラムを毎日のように 子供らに読ませ、200字程度で感想を書かせているが、これはひょっとして女を口説くための「手紙力」の強化にもなるのではないかと目論んでいる。

話は変わり、異性を飯に誘う場合、当然、それなりの店を選ぶ必要があるが、問題なのは何を食うかではなく、飯に誘うことにより「あなたに(相手に)好意を持っている」ということを伝える、ということだ。

よって、私の場合、「今度、食事行きましょう」と言いながら月日が過ぎ続け(その間にも何度か「今度、飯行きましょう」と言っているわけだが)、遂に3年あまりが過ぎた挙句に、相手から「じゃあ、予定入れましょう」と言われ、そちらの経費で飯を食ってしまったという 忸怩たる経験をしたことがある。

一方、飯に誘われた方はどうだろう。もしも、好ましくない相手に誘われた場合、「うわぁ、あいつに飯に誘われた。舐められているわ。末代までの恥。」とばかりに、その事実は誰にも口外されず、墓まで持っていかれ、その誘われた相手と会った時には鬼無視する、あるいは白目対応という羽目になるのだろうか。だとすると、「あいつに飯に誘われた」と多少噂になると言う事は、誘われて喜んでいると受け取っていい訳だろうか?

何度か話題にしているが、昼食は基本的に妻の作った弁当を持っていっているが、木曜日は例外的に弁当がない。別に毎日妻が作った弁当を食べ、その後、少し昼寝して・・・、という生活に不満はない。しかし、木曜日は決まって弁当がないということが、「俺の木曜日のランチはこれでいいのか?」と私に自問させる。

明日は木曜日。





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