2025年8月15日金曜日

第38回古本市

 今年が第38回ということで、おそらくコロナの頃には中止されているはずであるが、その年も分も1回に数えるとすると第14回(2001年)から断続的に訪問している。

昨年は義理の父の用命により、谷川俊太郎の作品を漁った。結果、10冊近くを買った。店によってはそろえていた一角を買い占めた。当時、まだ朝日新聞関西版に週1回の連載をもっていたはずだが、その年の11月に亡くなった。今年は彼の作品はあまり目立たなかったように思う。

今年、探していた本はいずれも今年に入ってからの発売で、どれも新しい作品だから当然のことながら店頭には並んでいなかった。

たぶん、資料性の高い高価なものも店頭に並ぶことはなく、風雨にさらされても差し支えないような在庫がメインなのだと思う。

今年も数冊買ったが(1冊200円、3冊で500円)、それらについては今回は触れない。

以前、買ってあった「西域物語(井上靖)」にふたたび目を通した。

宮本輝が小説家になったのは「あすなろ物語」にも影響を受けてのことらしい。今年、探そうと思っていた本の1つが、薩摩の密貿易に富山の薬売りも協力していたという彼の新作であったが、先述の通り見当たらなかった。

従来、薩摩の密貿易の日本側の輸出品の主なものは、南西諸島で生産された黒糖とされてきた。多くの著作で薩摩を描いた司馬遼太郎が、富山の薬売りが密貿易に協力していた事実を知らなかったか、というとそれはないと思う。書かなかっただけだろう。

徳川の権威が確かだった頃に、佐幕とされる藩の庶民が裏で幕府を裏切っていたとしたら、小説として時代が転換するダイナミズムが薄れてしまう。もしかすると、時代の変化というのはそのように安泰と思われる時代にあっても水面下で少しずつ変わっているのかもしれない。

前回の参議院選挙では「教科書では教わりませんよ!」とか、まるで鬼の首でも取ったかのように叫んで悦に入る党首も見られたが、たぶん、大きなうねりの中では誤差範囲の事実をさもそれが中心となる事実であるように触れ回り、そしてそれを信じる一部の人間がいることを思うと、たぶん、若い世代はほとんど本を読まなくなったのだろう、特にデジタル化されることなく捨てられていく、この古本市に埋もれている知識についてはと思うことであった。




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