菖蒲の季節である。旧暦の頃は「尚武」とかけたともいう。
当時、梅雨のせいで傷んだ食材で命を落とすことの多かった小児の健康を願う(祝う)ため、端午の節句を行ったという。
薩摩・示現流の稽古のひとつに、立木打ちというのがある。幕末の剣豪のひとりに薩摩の桐野利秋(中村半次郎)がいるが、彼は薩摩でも郷士という、今でいうと郊外に暮らす兼業農家のような(半士半農 の)生活を送っていた。
剣術のトレーニングとして、農作業の傍ら、自宅近くの一本の木に黙々と木刀を打ち込んだという。他で例えると柔道の岡野功氏が、木にタイヤのチューブを結び付けて黙々と打ち込む姿に近いかも知れない。
私がこうして黙々と書き綴るのも、いわば立木打ちのようなものなのかも知れない。
余談だが、映画「るろうに剣心」 の主人公が抜刀術として、鞘から抜く際の一太刀で相手を仕留めることを得意技としていたが、あれは本来、薩摩示現流の技ではないだろうか。 新撰組らにも「薩摩の一の太刀には気をつけろ」と恐れられたという。なんだか、由来として語られていないのはパクられた気がして郷土人としては残念である。
あと、女性を口説くときは、あえて、一の太刀は外したほうが良いのかも知れない。1回目を外して、女性に「すれ違ってしまった」という失望感を与えた方が、二の太刀が効果的に効くのではないだろうか。
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