2015年10月25日日曜日

ゴッホの手紙

ヨットという乗り物はイギリスで生まれたと思っていたが、14世紀のオランダらしい。それを知ったのは例のシリーズの「オランダ紀行」。フライング・ダッチマンという種類の二人乗りの小型ヨットは、1990年代初めまでオリンピックのヨット競技の一つでもあったようだ。

その本の前半は、オランダの風土や国としての成り立ち、周辺諸国との関係などが述べられているが、終盤は画家・フィンセント・ファン・ゴッホの生涯について傾倒してゆく。

ゴッホといえば「ひまわり」で知られた画家であるが、生前は無名であったらしい。そして、オランダ史には文学の巨匠は少ないが、「文学をフィクションに限定せず、”文章という知的な道具によって描かれた感性の体系”とすれば、ゴッホの書簡集はオランダ文学の最大の収穫」とのこと(ワイド版の318ページ)。ドナルド・キーン氏が日本の日記文学を高く評価するのも、そのような観点からなのだろう。

初期のゴッホは働く人を描くことが好きだった。まるでミレーのようだな、と思いながら読みすすめると実際にミレーの作品を模写していたようだ。書簡にも「ミレー的な感じ」(第372信)と触れられているとのこと。

そして浮世絵に影響を受け、「ひまわり」を描くようになる。ゴッホの生涯からみると、その明るさは例外的だ。

新宿に東郷青児美術館という損保ジャパンが運営する美術館があり、日立系列にいた頃、たまにチケットがまわってきていた。損保ジャパンも日立も「芙蓉グループ」という旧安田財閥に属し、関係が深い。団体割引の生命保険や車の任意保険などで世話になったりする。

その美術館にもゴッホが描いた「ひまわり」のうちの一つが常設展示されていることは以前から知っていた。しかし、チケットはいつも誰かにあげていて見に行った事はなかった。いつか、行ってみることにしよう。多分、これまでとは違った印象でみることだろう。

その前に、先週末から始まった神田の古書まつりでタイトルの書簡集を探してみるかもしれない。

2015年10月23日金曜日

中学校の音楽会

市内の中学校では、今、音楽会が開催されている。昨日、長男の通う中学校が、今日は隣の中学校が行なったようだ。この二つの中学校は、特別に北関東最大級の規模を誇るイオンモール、ではなく北関東最高の音響を誇るノバホールを使わせてもらえる。置いてあるピアノは○千万のスタインウェイだ。

それはなぜかと言うと、この二つの中学校はこの地域が開発される頃に設立され、この地域の発展のためにわざわざ移住してこられた献身的な人々の、優秀なDNAを引き継ぐ自制と規律が融合したご子息が多く通っているから、ではなく、単に近いからだろう。

この音楽会は、3学年の全クラスがクラスごとに課題曲と自由曲を合唱することがメインのイベントである。課題曲は、各クラスで(クラスの誰かが)作詞・作曲したオリジナルの歌を歌う。自由曲は、 既成の歌をクラスで選んで歌う。課題曲も自由曲もクラスごとに違い、同じ歌を歌わせてクラスごとにその出来を競うということをしないという点が変わっている。

課題曲(オリジナル曲)を歌う前に、 その歌の意味とこめられた想いを誰かが代表でスピーチするのだが、長男がその代表に選ばれた。しかし、その読み上げる文章は、クラスで文章を書くのがうまい子が書き上げた。私の息子ならそっちの役をやってほしかったが、多分、妻に似たのだろう。



2015年10月20日火曜日

富山

今年に入り、富山は二度目である。
前回、訪問した時に「かつて富山は関西経済圏だった」という話を聞いた。

そのことを傍証する一例かも知れないが、土産物屋や自動販売機に表示されている、支払いに使用できる交通系カードの代表例が「IKOCA」だった。「SUICA」や「TOICA」は小さく表示されていた。JR関西の路線は通っていないだろうに。奇妙な感じだった。

前回、訪れた時も出張だったが、前回は家族の土産に「鱒(ます)寿しと鰤(ぶり)寿し」の詰め合わせを買って帰った。今回は、妻が雑誌で見たという寿々屋の「白えび寿し」を頼まれたので、それを買って帰ることにした。この季節しか売っておらず、白えびが取れない場合は生産しないという。

北陸新幹線「かがやき」で富山駅に着くと、待ち合わせ時刻までしばらく時間があったので、売り場を確認することにした。まだ商品が並んでいなかったので店員に聞くと、そのうち入ってくるが予約も出来るとのことだった。だいたいの帰りの時刻と私の連絡先を伝え、ひとつ予約しておいた。

仕事が終わり、帰りに土産物売り場に寄り、売り場の陳列棚を見ると「売り切れました」との札が置いてあった。店員が棚の上から私が予約した分の一つを取り出して、会計してくれた。

他に、帰りの新幹線で食べるのに「三味笹寿し6個入り」を近くの別の店で買った。

2015年10月19日月曜日

FMEA/FTA

日立系列の会社に入社してまもなく受けた研修が、タイトルのリスク分析・故障モード分析の研修だった。単純化するとFMEA(failure mode and effect analysis)は潜在的なリスクを洗い出してそのリスクを未然に防ごうとする手法、FTA(failure tree analysis)は既に起こってしまったトラブル・故障を取り上げ、その原因を分析する手法である。FMEAが、想定可能な多岐にわたる要因から不都合なリスク・故障という事象に発展しうるリスクを想定する事に対し、FTAはひとつの問題の原因を要因に分解し、さらに1段階、2段階と小さな要因に掘り下げていき、最後にきっかけとなった小さな要因を同定しようとする手法である。

と私は理解しているが、間違っていたらごめん。

今月末に退職する人がいる。隣の部署の部長だった。もう会社には来ない。

傍からは自分から辞めていった様に見えた。しかし、一応、うちの会社は米国系の外資である以上、「辞めさせられた」という線を考慮に入れておくべきだと思う。

現に、その人はピープルマネージメント(部下の管理)を期待されて採用されたが、うまくいっていなかったという。私の目から見てもそのように見受けられた。そして、つい最近、その人が果たすべきだったピープルマネージメントを行なうために、シニアマネージャーが入社してきた。

さらに、これをFTAとして分析した場合、もうひとつの要因が浮かび上がってくる。

半年ほど前に、その人が所属する大きな組織の、もうひとつの山の部長が辞めていった。その穴を埋めるためには、その大きな組織の中から適任者がいればその人が当たるのがベストだろう。今度辞めていく部長は、入社以来、任されていた部署よりもバックグラウンドとしてはそちらの部署のほうが経験はあったようだ。おそらく、打診はされただろう。しかし、蓋を開けてみると、過去にそのポジションをこなし、その後、工場長まで勤めて、本社勤務であがりで定年を待っているような大きな山の外のポジションにいた長老(!)が奇跡のカムバックを果たした。

もしも、今度辞めていく人がそのポジションを打診されて、断っていたのだとしたら。日系の会社でも、管理職で社命を拒んだらその後、窓際に行くのは当然の報いだ。ましてや外資なら、首になっても文句は言えないだろう。

そのような理由から、私の中では「首になった」と解釈している。そう捉えて自らの振る舞いを考える方が外資系で生きていくうえでは間違いは少ないように思う。






2015年10月17日土曜日

雨上がりの朝

休日をいかがお過ごしでしょうか。

昨日は大阪出張で、6時前にはうちを出ました。天気予報では東京だけが雨で、うちを出るときも降っていなかったので傘は持たずに出かけました。

大阪は一日晴れていて、無事に仕事を終えて帰り、20時過ぎに東京駅に着くとまだ降っていました。念のためうちに電話をかけると「こっちも降っている」と。息子に傘を持たせて、駅まで迎えにいかせるから、とのこと。

降りる駅に着くと、改札の外に長男が背中を向けて待っているのが見えました。背がだいぶ伸びました。もう、170センチ近くあるのではないでしょうか。妻の背はもう抜いてしまいました。小6の時に着ていた服はもうほとんど着られず、大人サイズのSでも稀に小さいこともあるようです。

改札に近づくと、壁際に次男がもたれかかっているのが見えました。

昔、日立市から毎週末帰ってきていたときに、JR土浦駅まで車で迎えに来てくれた際に、たまに兄弟で東西連絡通路のところに迎えに来ていたことを思い出しました。あの時はまだ小さかったから、二人で近くに並んで、子犬か雛鳥がえさを待っているような感じでした。

日立市に通っていたのが約4年前までなので、それ以上前のことです。長男が小学校低学年、次男が幼稚園の頃でしたでしょうか。












2015年10月11日日曜日

TPPの舞台裏

他の分野は知らないが、バイオ医薬品をめぐるTPP交渉の舞台裏を少しだけ知る機会を得た。

バイオ医薬品のデータ保護期間は8年で合意した旨の報道がなされ、これについては「大手の製薬会社が優遇されている」という向きのとらえ方もあるが、当初、米国側からは12年間とする提案がなされていた。そして当の大手製薬会社の業界団体(米国研究製薬工業協会(PhRMA)および米国バイオ産業協会(BIO))の受け止め方は「協議に負けた」との見解である。

従来、医薬品の保護期間は販売後だいたい10年位かなという印象だったから、12年というのは少しだけ権利の延長を主張してきてるかな、というのが個人的な印象だった。それが8年で妥結したと言うのは、上記の団体にとっては従来よりも逆に保護期間が短いという印象だろうな、というのは否めない。

この交渉については、米国とオーストラリアが対立していた旨の報道がされているが、実際には背後にいるのは利害が対立する業界団体同士であり、これらの国は代理で交渉しているに過ぎない。そして、米国内にも12年とする提案に反対する業界団体は存在し、米国政府は賛成派・反対派双方の団体からロビー活動を受けたことだろう。また米豪双方に拠点を持つ多国籍企業においては、双方の政府にロビー活動したとというのが実態だろう。

結局、協議に負けたかたちの米国にとっても、最後は「国民にとってどちらのほうが有益なのか」というのが判断の拠り所だったのではないか。

日系企業にとっても、交渉に積極的に加わらないながらも興味津々だったとは思うが、例えるならば関ヶ原の戦いで徳川方が勝つか石田方が勝つか、離れたところから趨勢をうかがっていたら以外にも石田方が勝ったという感じではないだろうか。

2015年10月10日土曜日

One day, One life - Misia


いつになく あの人の顔から笑顔が零れる

同僚に話しかける姿が 離れた私の席からも よく見える

いつまでも こんな日が続きますように

明日も 明後日も

2015年10月4日日曜日

断酒、オルニチン、レノア、etc.

①をやめてもう1ヶ月ほどになります。8月に受けた人間ドックの結果が届き、散々だったので、妻にやめさせられました。せっかくこれからは茨城の焼酎を飲もうと思っていたのですが。

私自身の考えとしては好きな様に生きて死ねばいいと思っていたのですが、妻が「絶対だめだ」と言うので素直に従うことにしました。実際には意外とあっさりとやめることが出来ました。

①をやめた今の私には、楽しみといえば②くらいしかありませんが、贅沢は言ってはいけないのかも知れません。

①をやめると同時に③を始めました。健康診断では肝臓のパラメータ(ALT, AST, γGTP)が悪かったので。糖のほうは大丈夫でした。③はアンモニアの代謝を促進します。これまでDHLや協和発酵バイオの製品を試しましたが、近日中にアメリカのiHerbという会社から個人輸入します。既に妻がユビキノール(コエンザイムQ10)やらいろいろと輸入した実績があります。ユビキノール(コエンザイムQ10)に関してはもともとカネカが開発したものですが、国内で販売されているものは酸化型が多くそちらはあまり効かないのだそうです。

③を飲み始めてから、思い込みかもしれませんが④がマシになったような気がします。

④に関しては、お盆過ぎあたりからレノアを使い始めました。これはお盆に帰省した際に妻の実家で使っていて効果がありそうなのでうちでも使い始めたのです。古いTシャツに染み込んだなかなか取れない臭いも分解されているような気がします。匂いをつけるタイプのものもありますが、そちらは試していません。デオドラントビーズという臭いを分解するタイプのもので緑色と青色のボトルの製品がありますが、うちでは青色の方を使っています。緑色の方は使った後に残る香りが⑤に似ている気がして、うちでは不評でした。

妻がせっかくそこまでやってくれるので、私も健康管理に気をつけていつか⑥を抱けるように長生きしたいと思います。


【問題】 文中の①~⑥に適切な語句を以下の中から選びなさい。
(酒、女遊び、子供の成長、オルニチン、加齢臭、キレ癖、金木犀、殺虫剤、いい女、孫)

2015年10月1日木曜日

適当な話

あまり沈黙が長くなると、浙江省でスパイ疑惑で拘束されているのではないかと心配してくれる人がいるかもしれないので、何か適当に書こうと思います。

2日ほど前、昼過ぎから取引先を訪問する必要があったのでエレベータで1階に降りると旧知の顔と出会いました。日立○○時代に一緒だった人でした。彼が新入社員として入社した年に私も中途入社したので、「同期」として新人研修等を受けたような間柄でした。ですので、私より10歳くらい若いはずです。

私も先を急いでいたので、今の会社に来てどれくらいなのかは聞かずじまいでした。後日、彼のオフィスの受付を訪ねて電話で呼び出してみましたがあいにく不在でした。

再来週あたりにビルの消防訓練があるので、縁があればそこで再会するかもしれません。