今日あたりから、また私の東京通勤が再開する。夕方から所要で出かける。
年明けあたり、対面でのセミナーがあったのだが、インフルエンザの流行もあり、「なぜ、きょうび対面で?お互いのメールアドレスを知っているのなら、ウェブ会議のオプションがあっても当然では」という印象を否めなかった。コロナの試練を乗り越えて、我々の生活手段も多様化した。
「パソコンに求めるものは」と問われるとき、真っ先に「静かさ」と答えるだろう。デスクトップパソコンを組むときに、いの一番に避けるのはうるさいファンの類だ。場合によってはCPUファンなしでも稼働させる。ケースファンなど使った試しがない。起動したときにF1を押せばすむ話である。
どんなに高性能でも、ファンの音がうるさかったり、今日ではNVMeの発熱がひどかったりすると話にならない。日常使用における不快感と将来の故障の懸念を抱えるだけである。そのことを教わったのはネット上であった。「速さより静けさ」と題したそのブログはシングルコア時代のCPUに詳しかったが、今はもう存在しない。独自ドメインを維持するデメリットと言えるかもしれない。
直接面識のない誰かの師になること。わたしも50歳を越えているので、当然、それを目指すべきだと思っている。トピックは「教育」だろう。端的に言えば「教育」と「受験」は異なる。受験は民主主義のコストである。受験を通じて学ぶこともあるだろうが、本当の教育とは何かを考え続け、そのプロセスを開示することで、誰かが何かを得るものがあれば幸いである。
「教育の無償化」が浸透しつつある世相だが、誰かも言っていたが価格ではなく質だろう。また、教育と題するものが無償化しても、その分が受験に消費されては意味がない。無償でも価値のある教育的資材を発掘することも私のライフワークとしたい。
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