2019年9月12日木曜日

藝大アーツイン丸の内

大手町の読売新聞ビルを含め、丸の内界隈は9月20日に開幕するラグビーワールドカップの展示でにぎわっている。それにオンするかたちで、題記のイベントが行われている。イベント側からみると、ワールドカップの展示がいささか邪魔だ。

今日は昼休みに丸ビル1階で開催されているコンサートを覗いてみた。食後の歯磨きは大事だが、一定の年齢を超えると食後の運動もまた同様に大事である。今回はその一助だ。

丸ビルの1階には、アートの展示のほか、ピアノの演奏が行われていた。置かれていたピアノは、木目調のスタインウェイであった。場所柄的にも、演奏者的にもふさわしい(協力企業にスタインウェイ・ジャパン株式会社とある)。

以前、NHKの日曜昼の「のど自慢」で、とある村からの中継でスタインウェイのピアノが置かれていたことがあった。平成の市町村合併を経てもなお、村が単独で存在するケースの多くは、何らかの理由で国から莫大な補助金が出ていて、それを周辺市町村とシェアするのが嫌だから頑なに合併を拒否しているケースが主だと断言してもよいだろう。そのようなケースは、得てして米軍基地やら原発やら、補助金が出ていない周辺市町村もほぼ同等のリスクにさらされていることがほとんどだ。さらされるリスクベースで、補助金もばらまく時代ではなかろうか。


そうすれば、誰がひくのか分からないスタインウェイのピアノが〇〇村に置かれるようなこ ともなくなるだろう。

2019年9月7日土曜日

マリアノ・フォルチュニ展

東京メトロ「二重橋前」駅の1番出口が工事中で閉鎖されていたため、少し南のB7出口から出た。ここは厳密には東京メトロ「日比谷」駅の出口の扱いらしい。地上に出ると、「日比谷駅↓」の表示がある。二重橋駅1番出口とは、道路をはさんでほんの5メートルほどの間隔である。 

デロイト・トーマツの前を抜け、交差点を渡ると、美術館の前の庭園には、待ち合わせとも時間つぶしともつかない人々がまばらに腰かけている。待ち合わせ場所には悪くない。後で気づいたことだが、美術館はその中からこの庭園がよく見渡せるよう設計されていた。 

開場の時間までまだしばらくあることは分かっていたが、準備も整っているようだったので、あえて知らないふりをして「18時30分からでしたっけ?」と尋ねてみた。すると、案の定、定刻前であるにも関わらず受付を行い、中に案内してくれた。30分ほどで美術館の展示は見終わることができ、結果的に、当初の開場時刻から10分後の18時40分には見終えて出てくることができた。解説用のレシーバーとヘッドホンも無料で貸与してくれた。 

おそらく、ヴェネチア現地ではこのくらい規模の美術館には入ることはないだろう。優先順位からして、もっと大きな美術館を観覧するだろうし、そちらに時間をとられる。短期の弾丸旅行では、とても手が回らないアイテムである。そのようなアイテムを、帰国後、その余韻が冷めたころに、会社帰りのついでに見ることが出来たことは僥倖というほかない。

2019年8月30日金曜日

人間の脳

8ビートの曲が頭にこびりついて離れないことがある。最近、「若者のすべて」という曲を聴く機会があり、その症状に陥っている。この曲をカバーするアーティストも多く、槇原敬之など出色である。個人的には、レミオロメンの藤巻さんで聴いてみたいところだ。
 

 その映像はyoutubeを探してみた限り、ない。しかし、人間の脳はある意味優秀で、私の脳内では彼が歌っている楽曲を思い浮かべることができる。

母親が白内障の手術をすると電話してきた。島の病院でやるという。島の病院もそれくらい上達している、あるいは白内障の手術はそれくらい進歩して容易になったと信じたい。

最近では、白内障の手術を経ると、逆に以前よりよく見えすぎて困ることもあるという。ほこりが気になって掃除ばかりするとか。しかし、手術の失敗が心配だ。

手術が失敗したとしても、自分の中で思い描くことができる素晴らしいシーンは、これまでの人生でどれくらいあったのだろう。私の顔も久しく見ていないだろうが、いつ頃の顔を思い浮かべるだろうか。

そういう観点で考えると、一番、残酷なのは、痴呆症なのかもしれない。

2019年8月15日木曜日

渋谷おはら祭について考える

終戦記念日に台風の到来が重なり、今日は一日、自宅待機で台風が通り過ぎるのを待つ一日となりそうだ。

盆が開ければ、翌週には地元のまつりが控える。このまつりは本場ではないながらも青森のねぶたを観ることができるということで、周辺地域からは一定の評価を得てきた祭りである。

一方、地方の祭りの輸出という観点では、5月に渋谷おはら祭というのが行われている。参加団体は、鹿児島県各地出身者の関東支部といった様相だ。

この祭りは1998年頃に第一回が行われた計算になるが、どのような経緯から始まったのかは寡聞にして知らない。先出の地元の祭りは、1981年に第一回が行われ、青森ねぶたの導入が1997年とのことである。もしかすると、地方の祭りを輸出する流行りのさきがけかもしれない。

渋谷おはら祭も、夜郎自大な鹿児島県出身者が渋谷区に持ちかけたのか(京都には偉人の銅像はないが、かつて西郷隆盛の銅像を立てようとした御仁がいたそうだから可能性を否定できない)、あるいは地域の祭りに乏しい渋谷区がPTAの面倒くさい催事を僻地の人のいい集落に押し付けるように鹿児島県に持ちかけたのか、いずれにしても双方の利益が一致するかたちで始まり、そしてそれが維持されているから20回以上も続いているのだろう。

しかし、この祭りが望郷の念を伴うのか否かについては、私は否定的だ。いったい、鹿児島おはら節は鹿児島県のどれだけの地域で踊られているのか。歌詞に出てくる地名からして、霧島-国分ー鹿児島市くらいではないか。逆に、歌詞に出てくる霧島、国分でも踊られていないとしたら鹿児島市だけのものとなる。

少なくとも離島に関しては、私の場合、種子島で普通に生活している以上は鹿児島おはら節を踊る機会はない。その唄はラジオ等を通して聞いたことはあったとしても。よって、離島出身者は、この祭りに参加するために故郷からはるか離れた東京の地で、本土・鹿児島の文化をはじめて習得することになる。







2019年8月13日火曜日

夜店のお面

お盆の真っ只中。いかがお過ごし?

秋田県大館市にも大文字があり、従来、京都と同じ8月16日に行っていたそうだが、昨年から8月11日に変更になったそうだ。8月11日は今年で32回目(ということは第1回目は昭和63年で昭和最後の年)を数える下鴨納涼古本まつりの初日ということもあり、お盆の初日、という表現も悪くないだろう。

幼稚園児にとって人気番組の、仮面ライダーシリーズ(1971~)&スーパー戦隊○○レンジャーシリーズ(1975~)はさらに長い歴史を刻んでいるが、夏祭りの時期には夜店にお面が並ぶ。

DVDレンタルが普及して以降、番組本編は過去のものも見ることができるようになった。そのため、子供にとって一番のお気に入りの仮面ライダー&○○レンジャーはリアルタイムのものではないこともあるらしい。

過去の作品は、グッズやおもちゃはオークションでも手に入るが、先出のお面はなかなか手に入らないとのこと。なので、自分の子供の用が済んでも、大切に取っておけばまた誰かにあげて役に立つこともあるかもしれない。








2019年6月22日土曜日

カプリ島紀行

ナポリからカプリ島へは高速船に乗った。Aquastrada TMV50という高速フェリーで、Rodriquez社というイタリアの船舶メーカー製。カタログ上は444人乗りで(全長50.5m)、片道40分、値段は時間帯にもより19€~23€。

卑近な例と比較すると、鹿児島ー種子島間の高速船はB929というボーイング製。こちらは260人乗り(全長27.4m)なので、今回乗った高速船は約2倍の大きさということになる。ただし、総重量は前者のほうがはるかに軽く、理由はアルミ製であることと思われる。ホンダのNSXのような、高級仕様ということかどうかは不明。

アナカプリという路線バスの中継地に、レストランの送迎バスに迎えに来てもらった。バスと言っても軽バンで、ハンドルには「ISUZU」とあった。左ハンドルのミッション(MT)車だった。カプリ島は坂が多く、入り組んだ路地ばかりなので、オートマよりもミッションのほうが運転しやすいのかも知れない。

私の好きな番組に「小さな村の物語 イタリア」というBS日テレの番組があるが、先日、300回を迎えたもののカプリ島は今まで一度も取り上げられていないようだ。もともと貴族のリゾート地なので、番組の趣旨にあったドキュメンタリーは作りにくいのかも知れない。





2019年6月2日日曜日

時計と髪飾り

題記の小話をご存知だろうか。

ある、貧しい夫婦が何かの記念日にお互いにプレゼントを渡すことにした。夫は妻の美しい長い髪につける飾りを、自分の時計を質に入れて買った。一方の妻は、夫の時計のベルトが傷んでいたので、自慢の髪を切って売って時計のベルトを買った。いざ、その記念日を迎えると、使いみちのない贈り物がそれぞれの手元に残った。

お互いの思いやりがすれちがってしまう小話は、出典不明のまま、私の心の中に残っていた。それがO・ヘンリー短編集であることを知ったのは、たまたま読んだ地方紙のコラムだった。

O・ヘンリー短編集といえば、長男が学校の英語のサイドリーダーとして読んでいた。正確には読まされていた。それを思い出した私は、長男に「O・ヘンリー短編集読み終わったか?」と訪ねた。もう読み終えて、次のサイドリーダーを読んでいるという。上記の話はあったか?と尋ねると、ああ、あったわ、と言った。

O・ヘンリー短編集が、我が家で世代を越えた名著になった瞬間だった。長男も次男も、未だに私の本棚の本には興味を示さないままではあるが。