今年は梅雨入りが遅れているそうだ。まだ、関東は梅雨入りしていない。四国が梅雨入りしたニュースがあった。今週いっぱい、梅雨入りはないそうだ。
梅雨が明けると、ねぶた小屋の建設が始まるだろう。そうすると、盆休みも視野に入ってくる。次男が2日ほど帰るとの連絡があった。我々は我々で、その前後で京都(次男のいる場所)に行くだろう。
時候の挨拶はこれくらいで。
中学を卒業して、島を出て鹿児島で暮らし始めて最初に困ったのが、言葉、方言の違いだ。鹿児島も標準語からは程遠く、また、それまで標準語で思考する習慣もなく、最初のうちは自分の感覚を標準語でまたは鹿児島弁で十分に表現しきれないもどかしさを覚えた。
当時、言語化などという動詞は存在しなかったと思う。
そのような洗礼もあってか、その後、私の言語化するということに関する意識は磨かれたと思う。一例として、東大入試の国語には100文字作文というのが当時からあったが(今もあるようだ)、Z会の東大模試で「日本語における外来語の使用について」というようなテーマが出題された時に満点に近い点をいただき、それ以外の問題もそれなりに出来て、国語の科目別ランキングで4位ぐらいになったことがある。当時はまだ、模試の結果で上位者は名前が公表されていた。いつ頃なくなったのか。個人情報がうるさく言われるようになってからだろう。記念にバッジのようなものをもらった記憶がある。
今から思えば、Z会のビジネス戦略も地方の公立進学校の生徒を発掘し、自信をもたせ、育成することで結果を出していくという点で、うちの高校の生徒というのは主要顧客に該当したのだろう。
本番で東大を受けることはなかったが(その後の人生においてもむしろアンチに近いスタンスで今に至る)、同学年で東大を受けた連中をインスパイアするにはおつりが出るほどの快挙だっただろう。地方の公立高校では、余裕で受かる人間などほとんどいないに等しく、ほとんどがボーダーライン上で一か八かの勝負に出ている人間がほとんどだから。当時、冷静に見て自分が東大に受かるほどの完成度があったとは思わない。ただし、受験が終わってしまえば忘却の一途をたどる受験の知識の中で、作文能力というのは(そのバックグラウンドとなる知識と論理形成を含め)その後も維持すべき数少ないスキルと言えるだろう。
県によっては100文字作文またはそれに近い問題というのは高校入試でもあるそうである。茨城県の場合は「160字以上200字以内」の作文がある。「常体または敬体」の指定があるのが特徴で、それをうっかり間違うと土浦一高の場合は落ちてしまうこともあるという。
作文の能力は、高校受験あるいはそれ以前から磨くに越したことはなく、SNSを活用する機会の多いインターネッツ社会(!)においては、生きている限り必要とされる能力だろう。文脈を読めない人間が多数存在する場面においては、その表現方法も時代とともに変わっていくのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿