2015年6月28日日曜日

インターン生、来る

インターンという言葉は、かつては研修医を表す言葉であったが、最近は期間を決めた就労学生を表す言葉としても定着した感がある。

来週、同じフロアの他の部署にインターン生が来る。その人はこれまで米国本社で2年間インターン生をしていて、このたび日本法人に短期でインターン生活をおくることになったようだが、米国勤務の期間中、イントラSNSで私をフォローしてくれていた。その人は私以外にも何人か日本法人の人をフォローしていたが、うちの会社は地味で冴えない会社なので、中の人間もたぶんミクシィすらやったことのない連中ばかりなのでフォローバックするという心遣いを知らない人間が多く(冗談ですよ)、その人のことをフォローバックしていたのは私を含む2,3人だった。

そんな彼女が、2年間も米国本社での勤務を経た後、 何故にごくローカルの日本法人などで1ヶ月足らずのインターン生活を送ろうと思ったのかは謎だ。その人が日本人だということはあるが。

あいにく、日本法人で働く期間は米国法人にいた頃とはID等も変わるため、当時のアカウントは削除されてしまった。メールアドレスも変わることだろう。

旧アカウントには「今度、日本法人にいらっしゃるそうですね」的なメッセージを送ったが、メールに転送されていたとしても(メールアドレスも変わるので)伝わっているか分からない。

今回もまた、忘れたふりをしてみるのも一興だろうかと思い始めている。

2015年6月25日木曜日

WAGYUに続き、

明日は私にとってある意味で勝負の日です。

よって、ベストなコンディションで望みたい。しかし、風邪気味。

私の風邪に対する対処法は、喉にタオルを巻き、みかんを食べまくる。しかし、この季節、温州みかんは売っていない。

と思いきや、日本の温州みかんを、ニュージーランドで栽培して輸入したという代物が売っていた。

決して不味くはない。普通。若干、小粒か。

以前、日本の和牛がオーストラリアかニュージーランドで飼育されて海外でWAGYUの名で売られていると聞いたことがありますが、それに続いてでしょうか。

そんなことより、明日は完全に治っていて欲しい。


2015年6月23日火曜日

京都縦貫道

関東では、圏央道が成田と繋がったことがニュースとして大きく報道されましたが、関西では京都縦貫道が7月18日にようやく繋がるらしい。従来は、途中で下道に下りて「わち道の駅」に寄る事が定番でしたが。

8月16日は京都市内は五山の送り火 が行なわれますが、北部の日本海側の宮津市では宮津湾花火大会があります。嫁さんの母方がそちらの出身なので、お盆の帰省中のイベントとしてはどちらかというと五山の送り火より宮津湾花火大会のほうが頻度としては高いです。

今年は、車で帰るそうなので、開通して間もない高速道路を走ることになるでしょう。

サッポロ

日産、日立、サッポロビールらは資本関係があり、芙蓉グループと呼ばれる。もともとは戦前の安田財閥でしたっけ?

日立市内の飲食店では、サッポロビールしか出てこなかった時代もあり(最近はそうでもないとのことだが)、 私が単身赴任していた頃、寮に入っていたビールの自販機もサッポロのものだった。

当時(特にドイツワールドカップの頃)はサントリーが好きで、特に「プライムタイム」というビールを好んでいた。ちょっとフルーティーな香りがする感じの。しかし、寮にいる時はサッポロを飲まざるを得ず、「こんな不味いビール、どうやったら作れるんや。」と思いながら仕方なく飲んでいた。酸っぱさというか、苦味の癖が強く、とても洗練されているとは言い難かった。

しかし、そのような生活も6年ほど続くと、 その癖が普通になってしまい、他のビールでは物足りなくなってしまった。アサヒとか特に薄く感じてしまう。

サッポロは最近、アルコール度数7%の第3のビールを出してきた。度数の高さを舌で感じられるほどの出来だ。なぜか、イオンでしか売っていなくて、西友、ヨーカドー系列には置いていない。

2015年6月22日月曜日

碧(あお)

「碧(あお)い」と書いて、その示すところは緑色。あるいは深い青。この漢字は子供の名前でたまに拝見する。あと、愛知県碧南(へきなん)市とか。ドラマでもあった気がするが、思い出さなかったことにする。

日本人はよく緑色を「あおい」と表現する。信号機の青は、実際は緑色に光る。また緑黄色野菜のことを「青物野菜」と呼ぶ。調べると、色で形容詞になるのが古くは「赤、青、白、黒」の4つだけだったからとの説明がある。

カナダで女子のワールドカップが行なわれているが、「芝がきれいだな」と感じたのは2006年ドイツでの(男子サッカー)ワールドカップ以来だ。日本はこの時期、梅雨だから外は雨が降っている事が多い。実際にはピッチは降っていなくても、芝が濡れているかの印象を持つ。

芝は夏前の時期がきれいなのだろうか。だとすると、例年、この時期の開催であれば日本と同様に北半球である程度緯度が高いところということになる。今日は夏至。










2015年6月21日日曜日

立木打ち

菖蒲の季節である。旧暦の頃は「尚武」とかけたともいう。
当時、梅雨のせいで傷んだ食材で命を落とすことの多かった小児の健康を願う(祝う)ため、端午の節句を行ったという。

薩摩・示現流の稽古のひとつに、立木打ちというのがある。幕末の剣豪のひとりに薩摩の桐野利秋(中村半次郎)がいるが、彼は薩摩でも郷士という、今でいうと郊外に暮らす兼業農家のような(半士半農 の)生活を送っていた。

剣術のトレーニングとして、農作業の傍ら、自宅近くの一本の木に黙々と木刀を打ち込んだという。他で例えると柔道の岡野功氏が、木にタイヤのチューブを結び付けて黙々と打ち込む姿に近いかも知れない。

私がこうして黙々と書き綴るのも、いわば立木打ちのようなものなのかも知れない。

余談だが、映画「るろうに剣心」 の主人公が抜刀術として、鞘から抜く際の一太刀で相手を仕留めることを得意技としていたが、あれは本来、薩摩示現流の技ではないだろうか。 新撰組らにも「薩摩の一の太刀には気をつけろ」と恐れられたという。なんだか、由来として語られていないのはパクられた気がして郷土人としては残念である。

あと、女性を口説くときは、あえて、一の太刀は外したほうが良いのかも知れない。1回目を外して、女性に「すれ違ってしまった」という失望感を与えた方が、二の太刀が効果的に効くのではないだろうか。

・・・





端午の節句

端午の節句は旧暦でやるほうが意味合いとしてもふさわしいのだという。

数日前に、実家の母親から「この辺はまだ端午の節句を旧暦でやるから、あくまき(ちまき)を作ったから送る」と電話があり、今日、届いた。季節柄、地元ではナガラメと呼んでいる、アワビの仲間で一回り小さい種類の貝も送られてきた。

ゆうパックのチルド便なのだが、毎回、届く時には冷気はあるもののほぼ溶けてしまっているところに関西よりもさらに遠い事を実感する。

 昨日の次男のラグビーの練習に、朝の通勤電車でよく見かける女性の姿があった。ロシア系の外国人と一緒にいるところを見たことがあったので、外国人と付き合っている独身女性と思っていたが、幼稚園児の子供がいるようだった。向こうは気づいただろうか。こちらは気づかないふりをしていた。



2015年6月20日土曜日

change

中間テストの結果を受けて、長男の教育環境が一変した。これまでは基本野放し。小学4年までは通信教育の添削をやってあげていたが、5,6年は本人に採点も任せていた。塾にも通わず。

そんな状況であったが、今後1年、通信教育での学習を継続するものの、改善が見られなかったらそれを諦め、塾に放り込むことに妻と合意した。近所の塾の中で、評判の良い所がいくつかあてがあるようだ。

今現在、長男は完全に妻の監視下に置かれている。専業主婦のなせる業だ。小学4年までの通信教育の添削はほとんどやっていなかったのに、嫁自身も大した変わり様だ。

評判の良い塾のひとつに、国語学習の一環に新聞のコラムを使っているところがあると聞き、それは今のうちから自宅でもやらせようということになった。私がよさそうなコラムを探してきてA4コピー用紙に印刷し、まずは知らない漢字を調べたり、200字程度で感想を書かせたりしようと思う。本当は、コラム自体を書き写させたいのだが。題材によって難易があるので毎日というわけにはいかないが、これを機会に、全国各地の新聞の優れたコラムニスト探しでもやろうかと思う。

先日、「街道をゆく 愛蘭土紀行II」を読んでいたら、深代惇郎氏のことが出てきた。執筆時に既に故人。筆者より少し年下だったという。その筆者自身も既に故人となって久しい。


2015年6月18日木曜日

マウスピース

以前から長男の歯軋りがひどいので、先週末にBODYMAKERで安いマウスピースを買ってきてつけるようにさせている。寝ている途中に外れていることもあるが、気づいたら噛ませるようにしている。効果はあるようで、つけているときはゴムをかむような音がしている。

最近の我が家の最大の関心事は、長男の成績だ。「俺とお前の子供やから、まあ、普通にやっていればそれなりには出来るやろ」という親の慢心が見事に粉砕された。私より嫁の方が心配していて、「血圧が上がる」といっている。私はどちらかというと、なるようにしかならないと思っている。

家族が同じ方向を向いて、力を合わせて課題解決に向けて取り組むという意味においては、新たなミッションが形成された感がある。

2015年6月13日土曜日

御茶ノ水へ

午後は長男の遠視の定期診断で御茶ノ水の眼科へ。

普段は嫁が連れて行っているが、暑さに弱いため今日は私が。

嫁が行ったときは、芸能人が子供を連れて来ているのを何度か見たことがあるという。私はまだ見たことはない。


職場もあの辺りがいい。1時間くらいで通える。

新しく生まれ変わった御茶ノ水ソラシティは、基礎の部分は旧・日立本社ビルのものをそのまま残し、“がわ”だけ変えたそうだ。

どこかにそんな恰好いい男がおった気がするが。

・・・


終わったら、亀戸に餃子食いに行く予定。


勤続1年

今の職場に来てようやく1年が経ちました。
これでやっと、ろうきんはお金を貸してくれるのでしょうか。

冗談はさておき。

あと半年が過ぎれば、社内公募制度という、社内のオープンポジションに異動を希望することができるようになります。他に細かい規定はありますが、現在の所属部署に18か月勤務しているというのが必要条件のひとつです。

社内公募に出ているポジションは、同時に社外にも募集をかけているので、一般論として社外の候補者との比較もありえます。

今の勤務先の社内公募制度がどれくらい機能しているか分かりませんが(制度としてはあっても、社内政治や組織の壁から形骸化している会社も多いと聞きます)、応募してみるのも一興だろうかと考えています。

今、募集が出ているポジションはいずれも今の私の職位よりひとつ下がるかたちですが、「会社のために一兵卒として汗を流したい」とか言うと、受けるんじゃないだろうか。結果的にNGだとしても。

シャアが、少佐から名を変えて(クワトロ)大尉となったように。





2015年6月12日金曜日

子供の職場見学会

来月、夏休み期間中に、子供(小学生以下)の職場見学会が予定されています。
うちも次男(小5)が参加予定です。

ただし、東京本社なので、地方の工場や研究所のように装置や機器が有るわけではないので、それに比べると子供受けはどうかな、というのが私の周りの感想ではあるのですが。

 最近は、多様な働き方が提唱される中で在宅勤務というのもあり、PCを持ちかえれば自宅でも勤務可能というとも多々ありあます。その一環として、グローバルのLync(Skype for  Business)会議を自宅から参加するというのをやる機会がありました。夜の8時や9時からの会議で、100名規模の参加者で特に発言する必要もないのでマイクをオフにし、HDMIケーブルでテレビにつないで画像も音声もテレビから出すというのを子供たちもそばで見ながらやりました。

「今、しゃべっているのはインド人だ。」

「これは、オーストラリア人がパソコンを示しながらしゃべっている。」

と、解説を入れながら子供たちにも見せました。

私は種子島生まれなので、鹿児島県本土ともそれなりの距離感を感じて生きてきました。海で隔てられているというのは心理的にも距離感を意識せざるを得ず、中学時代の先輩や同級生も、県大会では本来の実力を発揮できず敗退してしまうということが多々ありました。

それと比較すると、うちの子供たちは 東京と陸続きで比較的近い距離にいるからか、そのような心理的な負担を感じている様子はありません。次男に至っては、英語読み上げ算というマイナー競技ではありますが、茨城県で優勝し、東京で行われた全国大会でも2位にはいるという成績でした。

私自身は、種子島から鹿児島本土に渡る段階で比較的多くのエネルギーを費やし、あるいは達成感を得てしまったのかも知れません。子供たちには、ここからさらに大きく羽ばたいてほしいという意味で、機会があるごとに世界との距離を近く感じさせる取り組みを行っていこうかと考えています。





2015年6月11日木曜日

髪飾りと時計のベルト

これは、確か高校の英語の副教材にあった話。

あるところに、裕福ではない夫婦あるいはカップルがいた。ある年のクリスマス。貧しいながらもお互いにプレゼントを買うことにした。男は、自分の時計を売って、女性の長い髪に着ける髪飾りを買った。一方の女は、古くなった男の時計のベルトを代えてあげようと、自分の長い髪を切って売り、その替えベルトを買った。

お互いの好意が、互いに空回りしてしまった。

なんとなく、そんな雰囲気を感じてしまった一日だった。

嫁と姑

Q:嫁と姑(実母)が喧嘩した時、どう対処する事がベストか?

A:姑(実母)の前では嫁を庇い、陰で(嫁と二人きりのときに)嫁を叱る。

いつ、だれから聞いたのかは忘れたが、そのような話を聞いたことを覚えている。そんな話を思い出した出来事。

中1の長男が中間テストを終えたところだった(長男の通う中学校は2学期制)。
理科のテストで、長男のクラスだけは授業でやっていない箇所が、テスト範囲として出たという。
教師曰く、「テスト範囲のワークをやっていたら、出来るだろ」。

長男に対しては、「お前の考え方が甘い。高校受験は中学校のレベルの差があっても、同じ条件で入試がある」と諭す一方で、それは教師の裁量の問題なのに(場合によっては、対象から外すなど出来たはず)、逆切れのようなコメントを吐く教師にはどのように対処すべきか。

特に行動するつもりはないが、このブログだけでも、ささやかなWARNINGになればいい。

2015年6月6日土曜日

ウイスキー発祥の地

皆さん、ウイスキー発祥の地はどこか知っていますか?
昨季の朝ドラ「マッサン」の影響もあり、スコットランドとか思っていませんか?

正解は、アイルランドだそうです。
1170年、イングランドのヘンリー二世がアイルランドを征服した際、ウイスキーはスコットランドに伝えられた(「街道を行く アイルランド紀行I」 文庫本p249)。

同書では、「ゆうどき」でお馴染みだった小泉武夫氏の「酒の話」も根拠資料として引用しています。

ただし、アイルランドでは大麦をそのまま蒸すのに対し、 スコッチは発芽した大麦を使うというような、スコットランドでの発展的な進歩があったことはあるのかもしれません。



Rain

 

 東京は昼過ぎから曇りはじめ、夕方の帰宅時間には小雨が舞い、行きかう人々の足をせわしなくさせていた。

遅れ気味の地下鉄のホームには、帰宅を急ぐ人々の列が次の車両を待ちわびていた。

人ごみの中からKを見つけ出したのはたまたまか。それとも脳裏に焼き付いた残像とピタリと照合されたからなのか。到着した車両に乗り込むKの姿を追って、Nは遅れて同じ車両に乗り込んだ。

席に座り、 スマホをいじり始めたKを遠目に、Nは扉近くに立ち吊革につかまった。雨を吸った折り畳み傘の収まりが悪い。

暫くすると席が空き、Nはそこに座った。Kと同じ側のシートで間に数人はさんだ場所。KはNに気付いていない。向かいの窓ガラスに映る姿を見ると、まだスマホで何かを見ているようだ。途中の駅で降りるのだろうか。隣の席が空いたら移ろうか。そう思いながらNもまた自分のスマホをチェックした。

途中で何度かKの隣の席は空いたが、Nは結局、そこに移ろうとはしなかった。むしろ、そこにいたことを気づいていない振りをして過ごそうかと 考え始めていた。Nは読みかけの文庫本を取り出し、おもむろに読み始めた。昔、読んだことのある、お気に入りの一冊。Nは今、地下鉄御堂筋線に乗っているかのように想像を膨らませ、本に集中しようとした。

同じ車両のすぐ近くにいながらにして、言葉を交わすこともなく、 しばらく時は過ぎた。

地下鉄は終点に着こうとしていた。Kも途中の駅で降りることはなかった。Nはさらにそこから乗り継いで家路を急ぐ。Kもまたそうだろう。

ホームに着いた車両が乗客を一斉に吐き出そうとする時、NはKの前を通り過ぎた。立ち上がったKは居眠りしていたのか、あくびする口を押えていた。NがKの腕に触れて声をかけると、はっと驚いた表情をした。Nはかすかに微笑んで「おつかれさん」と、声をかけた。Kは軽く、頭を下げた。

ホームに降りると、二人は逆の方向に向かって歩き出した。2,3歩進んだNが振り返ると、人混みに紛れて行こうとするKの後ろ姿が見えた。 手に傘は持っていなかったように見えた。

雨は止まないまま、静かに降り続いていた。

2015年6月4日木曜日

遥かなる地平

かつて日立7150という臨床検査に革命を起こした医療機器があった。

日立7150とは、現在、健康診断や人間ドックで行なわれる血液検査を行なうための医療機器であり、検体の自動測定および大量処理を可能とした最初の医療機器であった。

技術サイドにいた私は、その開発に関する秘話を耳にすることはよくあったが、東京で働き出してから、その営業サイドのキーパーソンの逸話を耳にする機会を得た。

その話を耳にしたのは、今の職場を紹介していただいた恩人でもあるが、その人は業界を細かく分けると上記の分野と同じ業界にいるわけではない。よって、上記の革新性が細かな業界区分を超越していたという証左となる。

曰く、その営業マンには、学会や展示会で現場を仕切る姿をから「俺がこの業界を背負ってやっているんだ」という自負が漲っていたという。そして、その姿勢は同業他社の立場から見ても、決して反感を抱かず好感が持てるものであったそうだ。

有名無名を問わず、「俺が背負っている」と言う自負は持ってしかるべきで、それなくしては仕事に対するプライドも何もない。

 誰しもが、遥かなる地平を目指して、仕事に取り組むべきである。

 





2015年6月3日水曜日

大阪にて

先週、大阪に泊まりで出張だった際、独身時代を過ごした場所でもある大阪に久しぶりに滞在して、(昨年の喧騒を経た今)何か思うところがあるだろうかと振り返ったが、残念ながら特に書こうという気になるものはなかった。

ただ、最近、休日に子供が遊んでくれなくなった事もあり(習い事の送迎は別として。つまり、遊ぶ場合は親とではなく友人と遊ぶようになったという事です)、家でごろごろしながら本を読むことが多い。それで、独身時代、大阪にいた頃に読んでいた本を実家に置いていたので、おふくろにこっちに送ってもらった。

当時、夢中になって読み、自分の価値観の形成に大きく影響し、ここまで導いてくれた書籍は、今、改めて読み返したとしても何か得るものがあるだろう。

荷物が届いたという連絡に、妻が私の実家に電話した際の余談として、おふくろが「(私の)姪っ子の○○は寅年の女で気がきつくてかなわんわ・・・」と言ったところ、妻が「私も寅年です・・・」と言って二人で大笑いしたらしい。

そんな近況報告でした。