2016年2月7日日曜日

The Remains of the Day

沈んでゆく夕陽が東側の高層ビルに反射し、波長の長い暖かな光が日没までのわずかの間、その辺りにも留まる。「陽の名残り」と呼んでも良さそうな都市特有のこの風景を目にするたびに、私の脳裏にはカズオ・イシグロの「日の名残り」が思い浮かぶ。

この作品を知ったのは大学生の頃だった。20年ほど前の事だ。作品が英国の文学賞を受賞し、映画化された頃だったと思う。当時、映画を観たかどうかは覚えていない。だた、大学卒業を控えた時期に、その土地で過ごした日々の思い出を振り返るとき、題記の原題を呟くとその響きの良さが思い出に何か格調の高いものを添えてくれる気がした。大学の卒業アルバムの研究室のページのどこかにも書いた覚えがある。

現在、氏の作品がドラマ化されて放映中とのことである(TBS金曜ドラマ「私を離さないで」)。氏の作品は、翻訳版はハヤカワ文庫からしか出ていないが、作品によって訳者は異なるようだ。中でも「日の名残り」を訳した土屋政雄氏は評価が高く、今回のドラマ化された作品も土屋氏が翻訳されたようなので機会があれば読んでみたいと思う。作品の土台となる部分に、クローン技術に関する生命科学と生命倫理がある。

iPS細胞の誕生が、人類のエゴイズムをクローンに着手するまでに至らせていないと言えるかもしれない。ES細胞ではクローンに限りなく近づいてしまう。iPS細胞の技術は、すべての個人から幹細胞を作ることも不可能ではないだろうが、こと臓器移植に関しては白血球のHLAが一致していれば良いらしいので、必ずしも自分自身の細胞から作製する必要はないそうだ。よって、約50種類あるHLAのタイプ別のiPS細胞シリーズを作製し、そこから移植細胞(臓器)を作製すればよい。中でも、もっとも頻度の高いHLAサブタイプを有するiPS細胞は、既に出来ているとのことである。

以下、サイトから抜粋。

―イシグロさんが原作「Never Let Me Go」を通して表現したかったことはどんな事ですか?
私は、この物語は普遍的な人間のありようの残酷さに対抗する本質的なラブストーリーだと思っています。我々は、人間として、皆それぞれが死ぬ運命にあり、老いて弱って死んでいくのは人間の定めの一つなのだという事実に向き合わなければなりません。このことに気づいたときに、またこの世界でお互いに共有できる時間がとても短いものであると分かったときに、我々にとって一番大事なものは何でしょうか?この物語が、物質的な財産や出世の道よりも愛や友情そしてこれらを我々が経験したという大切な記憶が本当は価値があるものであると思わせてくれることを願います。別の次元では、この物語が、歴史的に我々がさまざまな形で作り出し続けている残忍で不平等で不当な世界に対する隠喩を提示しているというふうに見ることもできるかもしれません。

昨年夏にNHK教育テレビで放送された氏が講義する「文学白熱教室」と言う番組をたまたま見た。その中でも隠喩(メタファー)という言葉をしばしば使っていた。作品「日の名残り」も、物語で語られるストーリーは何かのメタファーであり、裏には別に本当に伝えたい何かがあったのだという。



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