私の祖父は生前、台湾で働いていた。ノンキャリアの公務員として、教育関係の業務に携わっていたという。戦後も、残務処理でしばらく単身赴任で駐在していたそうだ。その頃の資料は私が幼い頃まで残っていたというが、実家を建て替えるときに父が全部、焼いてしまった。祖父は父が小学4年生の時に亡くなったので私は会ったことが無いが、生前の祖父を知る人によると、私は祖父に似ているという。
鴻海精密工業がシャープの買収を検討しているニュースに接する時、私は祖父の生前の業務の、ほんの少しかも知れない成果が、今、大きな力となって時代を動かそうとしているような気がしてならない。
イギリス人作家カズオ・イシグロの祖父は、伊藤忠商事の社員として中国に駐在していたことがあり、その後、豊田自動織機が中国に現地法人を立ち上げる時にそちらに加わったことが彼に関する解説書「境界のない世界」の中に書かれてある。作品「わたしたちが孤児だったころ」は、日中戦争当時の上海を舞台にした作品であるが、解説本の著者によると、その祖父に対する懐古的な憧憬が創作のモティベーションだったのではないかと述べられている。
私が現在、習っている中国語(北京語)は、台湾を含む中華圏の標準語(汎語)のような位置づけなのだそうだ。台湾人にも通じると聞く。コンビニやスーパーのレジで働くアジアの若者達の多くが、大きな夢を抱いて日本を訪れていることだろう。そんな彼らが、今よりもほんの少しだけ日々を楽しく過ごせるように、彼らと日本人との触れあいのツールとして、今、学んでいる中国語を活かせたら、と考えている。既に1件、実施済みで、経過は良好のように感じている。
鴻海精密工業がシャープの買収を検討しているニュースに接する時、私は祖父の生前の業務の、ほんの少しかも知れない成果が、今、大きな力となって時代を動かそうとしているような気がしてならない。
イギリス人作家カズオ・イシグロの祖父は、伊藤忠商事の社員として中国に駐在していたことがあり、その後、豊田自動織機が中国に現地法人を立ち上げる時にそちらに加わったことが彼に関する解説書「境界のない世界」の中に書かれてある。作品「わたしたちが孤児だったころ」は、日中戦争当時の上海を舞台にした作品であるが、解説本の著者によると、その祖父に対する懐古的な憧憬が創作のモティベーションだったのではないかと述べられている。
私が現在、習っている中国語(北京語)は、台湾を含む中華圏の標準語(汎語)のような位置づけなのだそうだ。台湾人にも通じると聞く。コンビニやスーパーのレジで働くアジアの若者達の多くが、大きな夢を抱いて日本を訪れていることだろう。そんな彼らが、今よりもほんの少しだけ日々を楽しく過ごせるように、彼らと日本人との触れあいのツールとして、今、学んでいる中国語を活かせたら、と考えている。既に1件、実施済みで、経過は良好のように感じている。
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