2023年5月22日月曜日

狩猟民族としての何か

いくつになっても、古着屋巡りやヤフオクをやめられない。気軽にアクセスできるところにあるからという理由と、思うに、人類に潜む狩猟願望から来ているものではないか。似たようなところに、虫取りがあるのではないかと思う。

子供が大きくなってから久しく虫取りにも行っていないが、息子たちが二人ともうちを出て行った今年は、いよいよやることもなくなった。自分が飼うために、久しぶりにクワガタ取りに行こうかと思っている。

先日、ショッピングモールの屋外で開かれていたフリーマーケット的なところで、はく製になったオオクワガタが売られていた。数千円したと思う。うちにも大きなアリがガラスの中にはく製にされているキーホルダーがある。どちらかの息子が、旅行のお土産か何かに買ったかもらったのだろう。私にとっては、価値がわからない。成果物が何であれ、取りに行くという行為と時間に価値があるのだ。

もっと計画通りに成果をあげようとすると、農耕とか造園とかになってくるのだろう。重なりの部分に草取りがある。草取りは目に見えて成果が分かる。草とりは裏切らない。神道には創始者もなければこれという教義もないが、あえて言えば「その場所をきれいにする」と聞いたことがある。そういう意味では、草取りは宗教的にも良い効果がある。

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