2021年12月1日水曜日

Xの喜劇

これは、現在、iPhoneが13まで進んでいることを知らない情報弱者または無関心者が経験した笑い飛ばす程度のエピソードである。

ある日、リサイクルショップにかご積みされた「iPhone X保護ガラスシート」が1枚100円で売られていることを知った。ここで、筆者は「X」が意味するところは任意の数字で、iPhoneのすべてのバージョンに使えるユニバーサルな製品なのだと勘違いした。

すでにお分かりの通り、「X」が意図するところは「10」、つまりiphone10用なのである。

私が会社から持たされているiPhoneは8で、会社からは裏の透明ケースは支給されているものの、表のガラス面の保護フィルムは支給されず自腹で買って使っていた。思うに、壊れる場合は表のガラス面のほうが圧倒的に多いと思うが、なぜ、裏のケースのほうのケアばかりするのだろう。会社によっては、(退職するなどの)返却する際に、(ガラスがバリバリに割れているなど)故障している場合は修理代を請求されるという。

ここで、フィルムの場合は何かの拍子に、たとえば尖ったものなどで穴が開くケース(いわゆるピンホール)があるようで、その場合、丸い5ミリくらいの円形状の白抜け気泡ができてしまう。本体のガラス面のほうは守られているので目的は達しているが、このフィルムの気泡はなんとなく気になる。押して周辺に押し出せるわけでもなく、その穴の周囲に常に円形に白抜きされている。

私のスマホのフィルムも少し前にそのような穴が発生していたことから、保護フィルムの貼り換えを考えていた。その矢先の上記の誤解である。

失敗した場合の予備も考慮して、2枚買って帰ったわけだが、想定通り、ガラスシートはスマホのサイズよりも大きかった。これを切って使うことまでは想定内だったが、フィルムと違い、ガラスの場合はハサミで切ると切断面を起点に縦にバリバリに割れてしまう。もしかすると、ハサミの種類によっては切れないのではないか。

結局、2枚とも割ってしまった私は、最終的にダイソーで売っているそれそこユニバーサルな保護フィルムに落ち着いた次第である。ちなみにダイソーでもiPhone用の保護ガラスは売っていたが、8用はなかったと思う。

2021/11/30追記

その後、ダイソーにてiphone7/8用のガラスフィルムを見つけた。それに張り替えた。


2021年11月28日日曜日

海運の延長で見た、タイタニック号沈没事件(本日の大河ドラマ + α)

 大河ドラマ「青天を衝け」における、海運をめぐる岩崎弥太郎と渋沢栄一の競争に関して。

五代友厚が亡くなる年(1885年、享年49、糖尿病だったという)に、両社が合意し、合併?したのかな。外資に食い物にされることなく、内資の海運会社が生き残ったような終わり方だった。

それからはるか時代は下り、1912年4月15日、タイタニック号の沈没が起こった。

これに関しては、映画の公開が1997年で(手元に2巻組のVHSがある)、2006年には3枚組DVDセットが発売された。

知らなかったが、映画の公開に先立つ1996年に「(邦題)タイタニックは沈められた」という翻訳本が出ていた(集英社)。数日前、古本屋で入手した。原題は「The Riddle of the Titanic」で、どれくらい前に発行されたのかは分からない。

その本によると、タイタニック号は、姉妹船「オリンピック号」とすり替えられて、保険金目当てであえて沈没させたのではないか、という疑惑について書かれてある。オリンピック号は1911年9月20日、イギリスの軍艦ホークと衝突事故を起こし、巨額の損失を出していたという。

タイタニック号は、その傷物となったオリンピック号にすり替わり、その後、無事に?運行された一方で、傷物となったオリンピック号がタイタニック号として沈没したというものだ。

ちなみに、乗客乗員2,200名のうち、700名が救出された。映画の印象では、もっと多くが(ほとんどの乗客が)亡くなった感があった。

皮肉にも、2006年に発売されたDVD(30万セット限定生産)の帯に「あなたはまだ、本当のタイタニックを知らない。」とある。これは、上記の疑惑を踏まえたうえでの記述なのかと訝しがりたくなる。

どこかで、オリンピック号は保険が十分でなかったため、巨額の損失を出した、という記載を見た気もする。その点、岩崎弥太郎の海運業が保険に抜かりがなかったのは、遡れば坂本龍馬がいろは丸沈没事件で紀伊藩からふんだくった事例が伏線としてあることは十分に想像できる。

2021年11月10日水曜日

石川先生

 ご実家は茨城県結城市にある、和菓子屋です。

結城市はうどんや醤油の名産地です。

実家に何か送ることがあれば(例えば、子供服のおさがりなどを弟へ。島にはGAPはおろか、ライトオンすらないので)、ここのうどんを送っています。

近くにある醤油屋(たしか、帝国ホテルでも使用している、また東京オリンピック2020の選手村で使われたとも聞いた)に定期的に妻が買いに行くので、ときどき近所にあるご実家にも寄らせてもらっています。

一時期、古賀塾(古賀稔彦さんの道場)を手伝っていたとかで、ご実家には古賀さんのサインか写真が飾ってあるはずです。

妻が言うには、柔道に話を振ると、ご本人にそっくりなお母さんが「いつも高藤に負けて」と言っていたそうです。

石川さんは「柔道界の画伯」と呼ばれているようですね。ちなみに醤油屋の女将は東京藝大ピアノ科卒で、娘さん2人は帰国子女。文化的薫りが高いエリアですね。

お近くにお越しの際は、是非(うどん屋と醤油屋は教えません)。

2021年11月9日火曜日

発表!全仮面ライダー大投票

 これも録画で見た。先に結果を知っていたので、最後のほうだけ見た。

1位:仮面ライダー電王2007.1.28~2008.1.20【全49話】)



他をよく見ていないので相対的にはわからないが、絶対評価でも面白かった。ストーリーをずっと追っていたわけではないが、最終話で、良太郎(佐藤健)がイマジンがみんな(死んで)いなくなってしまったと思っているところで、本当はみんな土手のかげに隠れていて、モモタロス(赤イマジン)か誰かが「出ていきにくいな」というユーモアがよかった。


ちょうど、うちの子供らがそれぞれ4/5歳と2/3歳の時なので、二人が一緒に見た数少ないシリーズのひとつだ(唯一か、ふたつだと思う)。運がよかったと思う。ほかのシリーズをDVD借りてまでは観ていないので(DVDは「ドラえもん」か「クレヨンしんちゃん」か「ガンダム」だった)。下の世代の子らもレンタルDVDで観て、やはり電王が一番好きらしい。ちょうど夜店のお面がひとつ良好な状態で残っていたので、それをあげたら大変、喜ばれた。

そして、やっぱりこのセリフ、『記憶こそが時間』(下の動画には出てきませんが、オープニングの歌の時の導入で言ってただろうか)。


ちなみに同時期に放送された「レンジャー」シリーズのほうのゲキレンジャーのお面は、ベランダに外向けに括り付けてカラス除けになっている。





2021年11月8日月曜日

カノン進行

『恋人よ 僕は旅立つ 東へと向かう列車で』(木綿のハンカチーフ)

 某国営放送の番組によると、冒頭の歌謡曲を含む日本の歌謡曲の一部のヒット曲は、題記のコード進行を含んでいるという。中でも、織田哲郎は確信犯とのこと。

番組で取り上げられた曲のうち、確かにいくつかは好きな曲に該当し、いくつかは触れ合う機会がなく、そしていくつかは当時、聴いていたことを公表したくない「黒歴史」と化した。

今、公表できる曲として「夢をあきらめないで」(岡村孝子)がある。番組でも冒頭で(種明かしする前に)取り上げられた。「掴みはオッケー」というところだろう。

岡村さんは近年、がんとの闘病が伝えられているが、番組では新規に録音されたように拝見した。また、数年前になるが、種子島の公会堂のこけら落としにご足労いただいたことを地元の自治体が発行する新聞にて知った。私がどこかに書き捨てたものが影響しているとしたら恐縮至極。ただし、私も他人(後輩)の紹介で知ったことから、他にも彼女のファンは多かったことだろう。

シンガーはどうしても年齢による衰えには抗しがたく、上記の岡村様におかれても例外ではない。闘病の傍ら、無理することなく(ご自身の健康を第一に)演奏活動を続けていただきたい。当時の楽曲は、今も変わることなく(黒歴史化することなく)、私の中で永遠です(正直に打ち明けると「Eau Du Ciel」⦅1989年、私が高校1年⦆くらいまでのファンでした)。


本当はほかにもたくさん持っていたんだが(写真は中古で買い直したもの)、たぶん、弟のところにあると思います。また、カセットテープなら実家にあって、まだ使えるはずです。

2021年11月3日水曜日

「人生・万事塞翁が馬」ソニーのウォークマン編

 今回の衆議院選挙で、神奈川13区(自民党幹事長・甘利氏の選挙区)を制した方(44歳)はれいめい高校の卒業生とのことだった。当時の鹿児島県の私学の位置づけとしては、例外的なケース(ラ・サール、スポーツ特待生など)を除き、公立高校の不合格者の受け皿というケースがほとんどだろう。彼の場合も、第一志望は鹿児島市内の県立高校だったのかもしれないが、長い人生の中で、その時の不合格は単なる点でしかなく、今日に至るまでのひとつの通過点でしかないと言えるのかもしれない。

私ももう48歳であり、年齢的に若い人向けに参考になる話をしなければならないと自覚している。これから話す話も、そういう話になる。

大学時代、ラグビー部の友人がいた。ここで彼のことを仮に”裕二”としよう。”裕二”は、大学3年生の時、脳梗塞を発症し、一時、生死のはざまを彷徨った。意識が回復しても、看護師さんに対して「乳もませろ」とか騒いだりして、大脳皮質が正常に機能している状態ではなかった。記憶もあいまいだったと記憶している。親御さんも大変、心を痛めていた。

その病状も、時間の経過とともに自然に治ったのかもしれないが、私はその時、クラスメートの声をカセットテープにとり、また、これが客観的には私ならではのくさい演出だが、グラウンドを走る声を録音して、

「”裕二”、わかるか、今、大学のグラウンドを走っている」

などと細かい小芝居を交えた。

そのカセットテープの効果は不明だが、彼は最終的に記憶を取り戻し、脳のほうは回復することはできたが、左足の足首に麻痺が残ってしまった。

”裕二”は、ある製薬メーカーのMRとして就職し、今日に至っている。

製薬メーカーのMRは、その営業スタイルの変化などもあり、各社、大幅なリストラが行われた。彼も、その対象に選ばれても仕方なかっただろうが、運よく、生き残っているようだ。

これはこちらの勝手な想像だが、その左足に残ってしまった麻痺のせいで、障碍者枠での採用なのかもしれない。

今では年賀状を交わすだけの付き合いとなっているが、毎年、その年の出来事を風刺するようなユニークな年賀状を送ってきてくれている。

その時、録音に使ったウォークマン本体は壊れて捨ててないが、マイクと袋はまだ残っており、袋のほうは2.5inchハードディスクのケースとして生まれ変わって生きている。





2021年10月31日日曜日

プロローグ2

 今日は衆議院選挙の投票日。天気が悪いと無党派層の投票が伸び悩むという。今回もそうか?

雨雲予想からは午後は晴れるだろう。私は、午後は久しぶりにある場所に足を伸ばすことにした。

プロローグ1

 前日までの天気予報「曇り」は外れ、午前中は小雨が舞っていた。今期の朝ドラ(お帰りモネ、気象予報士が主人公:忘備録としてくどい程記載)の父親役の思想にはどこかで聞いた気もするが、私との大きな違いは酒を飲まないこと。もうやめて1年になる。そういう意味では、ここを見てシナリオをパクっている脚本家のキャラ設定は、今後も外れ続けるだろう。


2021年10月17日日曜日

紫芋の功罪

 私が幼かった頃にはなかったが、その後に取り入れられた作物の一つに紫芋というのがある。

一時期、安納芋が着目されるまでは珍しがられて売れていたと思う。定量的な数字はもっていないが、一時期、B to BまたはB to Cの作物として貢献した。

一方で、ある時期から、地元でとれる落花生が紫色がかるようになった。実家から送られてくる落花生が、すべて紫がかったものになった。

最後に以前のように茶色い落花生を食べたのは、記憶にあるのは2003年の夏である。

まだ、次男が生まれる前に、家族で阿字ヶ浦の海水浴場に行った。初めて海を見る長男。お祝いでいただいたファミリアの帽子をかぶっていた。もっとも、いただいたものはサイズがあわず、当時、まだ営業していた西武百貨店のファミリアの店舗に相談して、合うサイズに交換していただいた。

その際に、おやつとして実家から送られてきたゆでた落花生を持参したことを覚えている。

一般に全国的に流通しているものは、炒った落花生である。ゆがいた落花生は日持ちしないため、生産地でしか、かつ生産者でしか入手できないのではないだろうか。ここ茨城・千葉エリアは全国でもトップの落花生の産地であることから、おそらく我々が持参した落花生も地元でとれたもののように思われ、特に奇異にみられることもなかった。

これは私がこれまで学んできたことから推測する域をでないが、紫芋の色素をつかさどる遺伝子が、トランスポゾンで落花生に水平移動したものだと思っている。

であるから、先に結論をいうと、もしもこの記事を茨城・千葉のサツマイモ生産者がみているとすれば、念のために紫芋には手をださないほうが賢明だと思われる。糖度を下げて乾燥させた紫芋は、あるいは干し芋にすると見栄えがよいのではないかとの期待がわくかもしれないが、場合によっては落花生を台無しにしてしまう。

もう、私の地元でとれる落花生はそのような紫がかったスカスカの落花生しかできなくなってしまっているかもしれない。一度、放射能で汚染された土地のように、その土地が元の茶色の落花生を取り戻すには、膨大な時間がかかるのではないかと懸念している。

2021-11-13追記

その後、NHK WORLDにて放送された番組によると、日本で流通する落花生の9割が輸入品(原産国は不明。商品に記載されているだろう)。かつ、国産(1割)の9割は千葉県八街市にて生産されているとのこと。

2021年10月16日土曜日

いつかどこかで。

子供たちが通う(った)高校の英語のサイドリーダーの量が半端ない。

長男が3年間に渡された分(今、部屋に残っている分)でざっと13冊あり、もしかすると他にもあるのかも知れない。

大学受験に臨む上での他教科との配分を考えても、少し、負荷が大きいかもしれない。

そのことを、正面切って批判する塾講師もいるようである。

しかし、高校英語は受験のためだけにある訳ではなく、今の日本の英語教育からすれば、その後、大学・社会人となって、いつかグローバルに活躍する上での礎とならなければならないものである。

また、受験に限らず、その後の人生を考える上で、英米文学という観点からも素養として読んでおくに越したことはない。

学年によって入れ替わりはあるようだが、長男の代でざっと見たところ、私のこれまでの読書歴から以下の3冊は必読に値するように思われた。

(記憶に頼って書いているので、邦題となる)

「チーズ・バーガーズ」

「オーヘンリー短編集(最後の一葉)」

「母よ、嘆くなかれ」(The Child Who Never Grew)

このうちいくつが、次男の代でも採用されるかわからないが、いずれも評価が定まった古典的作品なので、残るのではないかと思う。うち上2冊は翻訳の文庫本も出版されていることから、私からそれらを渡した(3つめもあるようである)。残念ながら長男はそれらに目を通すことなく通り過ぎ、次男についても今のところ手を付けた兆しはない。

英語教師の熱量を生徒が受けるにはあまりに盛り込みすぎな感は否めない。しかし、在学時には消化不良であったとしても、長い人生において、いつか、どこかでこれらに再会する機会があり、そこでその意味を改めてかみしめられるのであれば、それでいいのだと思う。

2021年10月12日火曜日

花を植えるより草をとる

市の事業として街路樹の整備がある。その中に花壇や芝の整備もある。定期的に植え込みは角刈りに刈られ、芝は(というよりそこに共生するクローバーは)坊主にされる。

時として、まだ咲いている花が植え替えのために抜かれ(廃棄され)、また新しい苗が植えられるのを待っている状態の花壇を見かける。一方で、街路樹の根元の草が目について、せっかくのきれいな並木に雑音として耳につくこともある。

 今日はある恩人の命日である。享年88歳。第二次世界大戦を生き抜いて(終戦当時18歳)、長く生きられたほうだと思う。もっとも、晩年は難病に苦しめられていたと聞いた。

その方の事業の後継者を探す折に、「(実力不足のため)後継者にはなれないが、いくらかの出資はできますよ。」という申し出をしたことがあった。当時、私は予定していた結婚がキャンセルとなり、自由に使えるが使うあてのない資金がいくらかあった。

そのような話をした後に、一度、私の職場に電話をかけてこられたことがあった。もしかすると出資だけでなく後継者として考えておられ、あるいは出資だけであったとしても私の身元を確認する必要があってのことだったかもしれない。

結局、その話は流れたが、その後、その方には学校では教わらないこの国の近現代史を教わることになる。

ここで、私の寿命を81歳と仮定する。その仮定には私なりの推計と根拠があるがここでは説明を省く。

私もすでに人生の折り返し地点を超えた。

これから先の人生に、自分自身に花が咲くような出来事はもうそれほどないだろう。子供の成長や孫の誕生に喜ぶことはあっても。むしろ私自身は、花を咲かすよりも、草をとるような人生を歩んでいきたい。そして最後には、禅寺の熊手の跡だけが残る砂利の庭のようになればいい。

以下、余談。

以前、ある飲み会で定年後再雇用の年配の方がこの歌を熱唱するのを聴いた。流行っていた当時にリアルタイムで聴いていたにしても違和感があるのではないか。本人に直接聞いたところによると、スラムダンクの主題歌で、子供がバスケをやっていたからだということを話されていた。


言わずもがなだが、タイトルは「愛を語るより口づけを交わそう」をもじっている。

2021年10月4日月曜日

あの匂いを形容するための例えの変遷

 先日、コジマの閉店セールで店内を物色するまで、最近のバリカンコーナーがこれほど充実しているとは思わなかった。いつ頃からだろうか。想像するに、七三分けのツーブロックが散見されるようになってからではないかと思う。

刈り上げは鮮度が肝心。常に刈られた状態を維持することが必要である。だとすると、シェービング並みの頻度で刈る必要がある。そうした背景から、シェービング業界がヘアカット業界に殴り込んできた。名称もバリカンではなく「トリマー」というカテゴリーを創設。シェービングもヘアカットもできるという代物である。

普段、ツーブロックにすることもなく、また自分で髪を切ろうとすることもない人には気づかない時代の変化である。

昔の理容(床屋)は最後の顔剃りで温めたおしぼりを顔と襟にあて、白い乳鉢のような皿に刷毛でシェービングクリームを混ぜて塗っていた。あのクリームと同じ「匂い」のシェービングクリームは売っているのだろうか。私は普段、ジレットのシェービングフォームを愛用しているが、ジレットやシックの製品ではあの匂いとは異なる。おそらく、使用している界面活性剤が異なるのだろう。

唯一、それに近い匂いを感じた製品がある。車のシートクリーナーのスプレーである。あの、床屋の厚い合皮のシートの待合ソファを思い出させる匂いを放つ。車のシートクリーナーなどそう頻繁には使わない。保管している間に缶がさびてきた。使えなくなる前に使い切ろうとして、最近は毛足の長い絨毯のそうじに使っている。そのたびにあの昔の床屋を思い出す。

1000円カットでは顔剃りはやらない。また、美容室は業態として顔剃りはできないと聞く。1000円カットが出てきて久しく、また、昨今はトリマーの登場でセルフカットが増えるとすると、昔からある青白赤円筒が表でくるくる回っている理容店がなくなれば、あ の顔剃りの匂いも絶滅する。

もしかすると、あの匂いは床屋の顔剃りの匂いではなく、車のシートクリーナーの匂いに変わってしまうのかもしれない。

 

2021年10月3日日曜日

ノーベル賞週間

 今年のノーベル賞の発表が週明けに迫っている。

環境問題やワクチンの均等分配など実例を挙げると枚挙に暇がないが、物事をグローバルに俯瞰する必要がある場面が多い今日においては、ある意味、芥川賞・直木賞のような感じでこの賞を眺めている昨今である。

もともと自然科学系の分野は3部門に細分化されていたが、最近では化学賞と医学生理学賞の区分けは曖昧である。一方で、ボブ・ディランが文学賞を受賞した年があったように、文学賞に関してはその対象範囲が広げられてくる傾向にあるのではないかと思う。

正直、ボブ・ディランにはミュージシャンとしての魅力は全く感じない。田舎の親父が奏でるカントリーかブルースという印象しか持てない。しかし、文学という観点に立てば、あるいはその賞に値するという点には異論はない。

昨今のテクノロジーの進歩、ビジネスの盛衰、またはグローバル社会の動向を考慮すると、ノーベル賞財団あるいはその選考委員会の時代をとらえる鑑識眼も問われているのではないかと思う。その点にも注目して、賞の発表を楽しみにしている。

外見は昔のままで

 自動車メーカー各社が、2030年までにガソリン車の販売を終了することがほぼ流れとして確定しそうな気配である。気の早い富裕層は愛車のクラシックカーのエンジンをEVモーターに入れ替えて乗り続ける試みを始めているニュースを見かける。

心情的には理解できる。例えば、子供が小さかった頃に使っていたアイテムには愛着があり、できるだけ手放したくない。できることなら使い続けたい。

我が家の場合、車に関してはその予定はない。しかし、パソコンに関してはそれを試みている。

2002年頃に購入した日立のプリウスのベアボーンからマザボを取り外せることが判明した。当時としては光学ドライブを2台搭載しているモデルで、今から思えば電源の供給量不足で急にシャットダウンすることもあった。当時はまだ自分でパソコンをいじることができなかったので、メーカーサポートに頼って修理に出したりしたものだった。長らく眠らせていたが、これに、SFFのマザボであれば取り付けられそうな感じである。

ヤフオクで適当なマザボを購入し、余ったパーツと足りないパーツを買いそろえて一台組みたいと思っている。

メーカーパソコンでこの時にネックとなるのが、バックパネルの取り換えが不可能なことだ。

しかし、これについてはすでに前例があり、DELLのVostro200のベアボーンのバックパネルをペンチとドライバで無理やりこじ開けて、別のPCのMicroATXマザボを取り付けて使っている。


無理やりめくって入れ込んでいるところが卑猥といえばいえなくもない光景である。



2021年9月11日土曜日

Windows 11への切符

 With COVID-19の時代は、潰れて欲しくない店には意識して金を落とす必要があるように感じている。

近所のパソコンショップが「掃除してたらDDR3メモリが出てきたので大放出」とツイッターで呟いたので、かけつけてみた。うちのパソコンもメモリスロットが開いているのがあったと思ったので、「2ギガ2枚」と伝えた。「1ギガ500円で」とのことだった。占めて2000円。

自宅に帰って確認したところ、自宅で動いているデスクトップPCはすべてDDR2メモリだった。どれも(3台とも)2008年製でWindows XPの時代から働き続けるご老体だ。ハードディスクをSSDに換えたり、弱った電源を替えたりしながらやってきた。車でいうと満13年なので、自動車税も上がる時期に差し掛かる。

Windows 11のリリースが間近だが、Windows 10からの移行にはハードウェアで制限がかかりそうだ。調べた限りでは「デバイスマネージャ¥セキュリティデバイス¥トラステッドプラットフォームモジュール(TPM)」のファームウェアを2.0に移行できるものに限られるようだ。インテルのCPUでいえば第7世代、メモリでいえばDDR4メモリとほぼ同等なのではないかと想像している。お笑いでいうと、かまいたちは旅のバスに乗れない。ところで、8.6秒バズーカは第何世代に当たるのか。仮に第7世代だったとしても、旅のバスには乗れないだろう。

ちなみに先述のDDR2マシンのデバイスマネージャを確認すると、(Windows10に更新しても)そのような項目は見当たらない。また、DDR3マシンではファームウェアは1.2で、2.0には更新できない。

「Windows 10 のサポートは 2025 年 10 月 14 日まで継続します」とのことなので、たぶんぎりぎりまで粘るだろう。車検でいうと税金が上がってから2回車検を通すようなものだが。

その後、Windows11に移行するのかどうか。もう、Windows7の頃からWindowsのOS更新ビジネスには辟易している。その頃にはWindowsに代わるものが出てきていてほしい。Ubuntuとかも試したこともあるが、もしかしたらその頃にはPCはもうオワコンで、何か別のデバイスが出てきているのかもしれない。

Windows11への旅はあまり期待していないが、たぶん会社のPCは否応なく更新されるのだろう。

2021年8月23日月曜日

世界文学への招待’16

 放送大学にて5年前に制作されたカリキュラムが再放送されているのを視聴した。講師の一人がその前年に芥川賞を受賞して、脂がのり切っている時期だったのではないかと思う。

テーマのひとつが「クレオール文学」である。


その番組に出演していたフランス海外県・カリブ海マルティニーク島に居住し、創作活動を行っている作家(パトリック・シャモワゾー)によると、文学作品とは必ずある土地に根ざしたものであり、逆にどのような土地にも依存しない作品は存在しえない、という。


アルジェリア(フランス領アルジェ)生まれのカミュも広い意味ではクレオール文学と言えるのではないだろうか。また、彼の作品「ペスト」の中にも、舞台がアルジェリアの都市・オランでなければならない印象的なシーンがあるという(登場人物が気分転換に海で泳ぐシーン)。


昨年中止で、2年ぶりに開催された下鴨古本市を訪ねた。中止になった年も回数はひとつ増えるようで、2年前が第32回、今年が第34回の開催とのことだった。


例年8月11日から16日にかけて開催されているが、今年は雨天のため13日と14日は中止だった。中止の告知も、主催者のブログの決して分かりやすいとは言えない写真サイトの現地の雨模様の写真というものであった。訪れたのは15日だったが、会場の糺の森は前日までの大雨が嘘のように、あたかも甲子園のグランド整備で有名な阪神園芸によって除水されたかのような水捌けの良さだった。


ローカル新聞の記事によると「昨年中止で在庫がたまっているので、通常であれば1万円のものが500円で売られているものもあります。」とのことだったが、にわかには信じがたかった。


昨年に続き、今年も地域の夏祭りは中止だ。インドで発生した変異株であるデルタ株が本邦でも蔓延し、既存株に置き換わってきている。ニューノーマルという言葉を越えて、抗コロナ・ファーストで行動する段階にきている。コロナ後の世界が当たり前になって、いつかずっと先の将来に子供たちがそれ以前の生活を振り返るとき、何か読むに値するような随筆のようなものを書くことが出来るような経験や思い出を残せたかどうかを自問自答する今日この頃である。