この春まで、厳密には昨年度まで、ロピアの向かいの中華弁当店に、次男によく似たドンガラとした(大柄の)青年が働いていて、主に接客を担当していました。私は、妻が不在の時に、よくその弁当屋に昼食や晩ごはんを買いに行っていました(ちなみに、18時以降は半額です)。浪人中、実際には次男は痩せていたので、同時期の彼とは見た目は違ったのでしょうが、その青年を観るたびに離れて暮らす次男を思い出し、元気にしているだろうかと思っていました。そんな彼も、年度が変わって見ていません。国に帰ったのでしょうか。
その彼にも、祖国に両親がいて、同じように離れて暮らす息子を思っていたのかも知れません。こうして、わたしのブログに集まってくる人も、そこに実際の出来事から抽出されて、共有できる感覚として何か共感できるものがあるからと思っております。
このブログの最大の売りは、「生々しさ」だと思っています。統計的に処理されていない、私という一個人の実情を率直に伝えることが、存在価値だと思っています。
今回、いろいろと思い出すことがあり(そういえば、長男は科学部の部長だった、とか)、もうひとつ思い出したことがあったので、記事にします。骨子だけ先に公開して、時間をかけて肉付けするという、作成過程を見せて、読者にも想像を促すという実験を試みます。
これは、中3(15歳、うちの場合は2017年)の時に、18歳の自分宛てにハガキを書くという試みで、長男が書いたものです。次男のが残っていないのは、長男の年に法改正がなされて、この年だけ行ったイベントだったのかもしれません。
真っ先に思うのが、内容を読む前に、「字が汚い。こんな字でよく印象減点されなかったな」ということです。次に我々夫婦が驚いたのが、長男本人が合唱のことをそんなに好きだったのか、ということでした。
当時は学内では科学部(先述、3年次部長)、学外では小4から続けていたヨットクラブに参加していました(中3の1年間は受験のため不参加。受験のためにヨットを休部するのに、代わりに合唱をはじめていたことになります)。
男性パートが少ないので、音楽の先生に誘われたのがきっかけだったようですが、Nコンにも出たり、ノバホールでの演奏会にも出たりしていました。
余談ですが、つくばの子供たちが恵まれていると思うのが、小学生のころからノバホールでの演奏会の機会をもらえることです。世界に通用する素晴らしいホールだと思います。なんといってもこけら落としが世界のクラシックピアノ賞3冠王・アルゲリッチ(清塚信也も憧れているとか)で、演奏会後には集いの会があったとか。高エネ研人脈のなせるわざでしょうか。
話を戻し、このはがきが届いたのは高3の誕生日以降(2020年)でしたが、高校入学時、高校には合唱部の先輩が何人かいて、直接、誘われたにも関わらず、高校では合唱部には入りませんでした。そのこだわりというか、心境の変化は理解できません。
中学時代に限ると、親にも相談せず、たしか中3の冬まで活動はあったと思いますが、そんな好きなものがあったのなら、いい中学時代を過ごせたのかなと思っております。
そして、肝心なこのハガキの趣旨である、選挙には行ってないでしょう。その後も。
時期的に、長男もいる参加しているはずの録音。男性パートにそれらしき声があることはあります。
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