2024年5月5日日曜日

子育てを振り返る(13)かけっこの遅い長男が応援団長になれた理由

 小学校時代の長男は運動音痴と言って良い存在でした。

柔道、剣道・・・、脱落。

サッカー、野球はやるまでもなく。幼稚園の年長でメガネをかけていたのもあり。

小学4年生の時に、わらをもすがる思いで掴んだのが、ヨットでした。

そんな長男は、小学校6年生の時に、運動会で応援団長をやりました。

長男の小学校の運動会は、紅組、白組で対抗するシステムで、当時、学年3クラスあったのを紅白2つに分けていました。今はクラス数増えていそうですね。

長男以外にも、応援団長をやりたかった子は多数、いたはずです。なぜ、なれたのか。

長男は4年生のときの担任とは相性がわるく、常に目の敵にされている感じでした。

長男自身も落ち着きがなく、いたずらが多く、管理するタイプの教師には嫌われたのもあるでしょう。一時は、知的障害扱いされて、ユリノキ学級の先生が観察に来たほどです。さすがにそれはやりすぎなところもあり、その担任は、次の年にはどこかに行きました。

5年生のときの担任のT野先生は、それとは逆で、長男のことを受け入れてくれました。「引継書にはこう書いてあったけど、先生はそうは思わない。〇〇は素直ないい子だと思う」。

5年生の1年間はとても楽しかったようです。5年生から6年生にあがる3月、長男は「今のクラスが楽しかった。今のクラスのままがいい。」と、周囲をはばからず、号泣していたそうです。

お前、小学校卒業は、来年やで。とは誰も突っ込まなかったのでしょうか。たしか、小学校卒業する時は、長男は泣いていなかったはずです。竹園東中学校の制服を着て、みんなと楽しそうにしていました。

今は運動会は秋のようですが(2011年、長男が3年生の時までは秋でした)、その時は春(5月末)に行われていました。ですので、学年が上がるとすぐに運動会の練習が始まっていたはずです。

応援団長を決める選挙で投票をした時、複数の立候補があった中で、長男に票が集まったのだそうです。意外にも、女子の票が多かったと聞きました。多分、5年生が終わるときの号泣シーンの印象が強く、好感を持たれたのかもしれません。

こじつけかもしれませんが、もし、長男が中学受験のプレッシャーを抱えていたとすれば、学年が変わることに対してそれほど繊細になって泣くことなどなかったかもしれません。受験が佳境に入り、それどころではなかったはずです。中学受験のプレッシャーから開放してやることで、「今」を楽しんでいてくれたのではないかと想像します。

応援団長をやりたい子がいるとすれば、何かの参考になれば幸いです。


長男5年生の時のヒット曲。2013.8.21 ON SALE!!

私にとっても、東京が平和で良いときでした。今のような生活に、巻き込まれる直前。

0 件のコメント:

コメントを投稿