2016年12月31日土曜日

恒例・パソコンのメンテ

大晦日をいかがお過ごしでしょうか。

嫁さんの実家に寄せてもらう盆・正月の私の任務として、パソコンのメンテがあります。妻の父のPCが何らかの不具合を来している場合、その解決に努めます。

今回もメインのデスクトップが立ち上がらなくなったとのことでした。急にシャットダウンすることもあるとのことだったので、原因として、

1)電源ユニットの劣化
2)メモリの劣化(メモリダンプ)

も考えられましたが、結局、立ち上がらなかったのは内部にたまった静電気で、起動時のソフトの整理とハードディスクのデフラグで回復しました。その回復したパソコンから書いています。

最新のパソコンはパーツ交換で性能の向上を試みる必要はほとんどありませんが、嫁さんの実家のメインのデスクトップPCは2011年夏に買ったもので、OSもウィンドウズ7から10にアップグレードしてしまったものなので、まだパーツ交換を試す価値はあります。次回の帰省までに、秋葉原で中古パーツを探しておき、次回の帰省時にはパーツの交換を試みようかと思っています。

では、よいお年を。

2016年12月29日木曜日

中学校の入学準備

長男の時に学習した甲斐があり、次男の中学校入学の準備は順調に進んでいます。

この地域の公立中学校では、男子の場合、スラックスを自分で用意する必要がありますが、日頃から近隣の紳士服店をチェックしていた甲斐があり、冬用・夏用をすでに数本ずつ用意することができました。

それ以外に、通学用のカバンがあります。ほとんどの子がリュックを使っていると思いますが、これもあらかじめチェックしておいて、いいのがあれば買っておいたほうが良いかもしれません。ある程度大きくて、頑丈なものはそれなりの値段がしますし、いざ必要に迫られて探しても気に入ったものがなかったりします。次男のものは、10月頃に阿見アウトレットのURで見つけました。

あとは、自転車くらいでしょうか。

2016年12月24日土曜日

漸近線

妻と子供たちは帰省して、私は溜まったシャツとハンカチにアイロンをかけ終えた後、一息ついて晩飯の友にメールした。

独身の女性にクリスマスイブにメールするのもいかがなものかと思いながらも、万が一、ひとりで淋しくしていないことを祈りつつ、ましてや連休の中日に仕事などもってのほか・・・しかし、仮にそうであっても、気にしている人間が少なくとも一人はいることを思い出してせめてもの救いになれば。

たいてい、年の近い仲間と飲み会でもしているだろうが。

帰省する前の長男と妻が風邪を引いていたが、どうやら今回は置き土産に私にうつして帰ったようだ。今朝から喉が痛い。風邪をうつしてしまうリスクがあると、誰かを飯に誘うのも気が引ける。

もっとも、晩飯の友も家族が留守の間に飯につきあってくれることはなく、たいてい家族がこちらに戻った後だ。「奥さんがいるときに堂々と誘ってくれたら、喜んで付き合いますよ」と言わんばかりに。そっちがそう来るならと、私も毎回、妻には正々堂々と「今日は飯いらんから」と言い残して出かける。そうすると、「奥さんには何と言ってきたのですか?」と聞いてくる。私が何と答えるかは秘密。

赤坂、神楽坂、六本木・・・と回を重ね、次で何回目だろうか?人によってはそろそろ男女の仲になっている頃かもしれないが、我々がどうかは想像に任せる。

毎回、私が格好つけて奢ろうとすると、いつもだいたいその半額くらいのお金を私のカバンやポケットに入れてくる姿がいじらしく、「では、これは次回のデポジットということで」と、次回、また付き合ってもらうことを約束に受け取るが、前回、受け取った紙幣は使えぬまま、私の財布のお守りになってしまっている。







2016年12月17日土曜日

明るい老後

今日は妻は次男の幼稚園時代からのママ友たちと忘年会。子供の幼稚園在籍時からずっと続いており、回を重ね、もうすぐ小学校の卒業を迎えようとしている。たぶん、中学に進んでからも続くのだろう。転勤でいなくなる人がいる中、今回の参加者は13人とのことだ。

次男の小学校卒業がスケジュール的に視野に入ってきて、巣立ちの会(卒業式の余興)の出し物の準備が始まりつつある。今年はご他聞にもれず、担任がピコ太郎のPPAPをやることになったらしい。そして、父兄(といっても母親達)がスクールメイツのように担任の後ろで踊るらしい。

長男の小学校卒業の時は、父兄の出し物は無難に合唱だけだったのだが、この辺も学年によって父兄のノリに差がある。

子供たちが独り立ちしたら、おばさん達同士で旅行に行ったりするのだろう。身近にそのようなリタイア世代もおり、そのような老後を夢見ているかもしれない。その時、留守中の私の相手をしてくれる人を今の内から探しておくのがある意味での老後の蓄えなのかもしれない。



2016年11月23日水曜日

未来は、暗くない。

比較的近い関係の夫婦の中3のお子さんに、ある高校の野球部から授業料免除の特待生として声がかかりました。「寮費だけでいいから」とのこと。

その夫婦は子供にその高校への進学を勧めたものの、結局、本人は行かないことを決めたそうです。同じ中学には3チームから声がかかっている子もいる中で、自分の実力を冷静に判断した結果なのかもしれません。

しかし、一方で、将来つきたい仕事が既に決まっているのであれば、一時の夢を見る必要がない時代なのかも知れません。一時の夢を見るために、それがうまくいかなかった時の不確定要素(のほうが大きい)を受け入れるより、そこに確実な幸せな人生を送れそうな選択肢があったから、それを選んだまでかもしれません。

現代は、夢のない時代だとも言われます。「テレビの中に夢が無い」、などとも。社会全体が昔に比べて豊かになったのはもう一昔前の話で、今は後退の局面かも知れませんが、であるから尚更、子供たちは現実的な選択をするのだろうか、とも思ったりしました。今の生活に満足していれば。しかし、それは決して悪いことではないとも思いました。我々親の世代とは、時代が抱えている世相が違えば価値観も違うのでしょう。


2016年11月13日日曜日

ワイシャツ買う時

ワイシャツを買う時に気をつけているのが、胸ポケットの有る無しだ。
スペイン系のファストファッションの店のシャツには、基本的に胸ポケットがついていない。

ワイシャツの胸ポケットは、伝統的にはむしろ無いほうが正統と言われる様だが、IDカードが手放せない昨今のビジネスにおいては機能的に胸ポケットがないと不便なことが多い。

あと、シャツの製造国が中国から最近はベトナムやバングラディッシュになりつつあるが、新興メーカー(ショッピングモール系)の安いシャツは背中のまちがなくなっている場合が多い。その点、意外とヨーカドーのシャツは背中にちゃんとまちをつけていたりする。

アメリカ系のブランドで、ユニクロ・GUのように数ランク設けているブランドのトップブランドのシャツが好きだった。そのブランドにはマークのようなものはなく、一見、無印良品のように外観からはどこのブランドかは分からない。しかし、胸ポケットと背中のまちがあり、そして生地の肌触りが上質で気に入っていた。

しかし、今日、久しぶりにとあるアウトレットでそのブランドの店舗を覗いたら、胸ポケットがなくなっているものが多かった。そして、生地も劣化しているように感じた。その下位ブランドでは既にデザインや生地の質の劣化も激しく、最近は店舗を覗くことすら少なくなったが、上位ブランドですらその風潮にのまれているようで残念でならなかった。

2016年10月17日月曜日

放置アカウント

フェイスブックなどに、もう使わなくなったアカウントを残している理由は何だろう。

もしかすると、お別れの挨拶すら出来ずに別れた人や、懐かしい誰かからの連絡を待っているからではないだろうか。

東京では連絡先を交わさずに別れてしまったら、偶然、再会するなど至難の業だ。

しかし、今はSNSがある。うまくいけば、探し当てることが出来る。妻の友人にも、もう結婚して子供もいるのに、昔の恋人に未練があってついついフェイスブックを覗いている人もいるという。

もしも、連絡を待っている誰かから、探し当ててもらって連絡をもらえたら嬉しいだろうか。それは嬉しいよな。

問題は、私がその連絡を待つ人であるか否か・・・。





2016年10月12日水曜日

邂逅

そごう柏店が閉店したことが結構大きく報道された。筑波西武店が閉店する時は、それほどでもないだろう。

今日、妻は、定期的に通うカイロプラクティックを終えると、柏のショッピングモールに向かった。目的は、「いきなりステーキ」デビューだっだ。





その時に、そのショッピングモールにある医療モールで「かしわ希望眼科」という眼科を見かけた。院長の名前に見覚えがあった。

長男が5歳の時に地元の病院で遠視性内斜視と診断された時に、その後の治療をお願いしたいとその先生が勤務する東京の眼科に通い始めた。その後、その先生は葛西の分院に異動された。そして、このショッピングモールの開業と同時に、同医療モールで開業されたようだ。

ショッピングモールも、それくらいテナントに力を入れているということが分かった。
柏のそごうが潰れるのも致し方ないことだったのだろう。

ここで問題です。
タイトルは何と読むでしょうか。
①ちんすこう
②ようすこう
③かいこう


2016年10月11日火曜日

神奈川と千葉の距離感

三浦半島には何度か足を運んでいます。

最初に訪れたのは、日立化成時代の研修。マホロバ・マインズ三浦というホテルに泊まりこみで研修を受けました。品川から京急で1時間ちょっとかな?2度ほど訪れました。




他には、戦艦・三笠がある三笠公園など。




司馬遼太郎の街道をゆく42「三浦半島記」には、初期の頼朝がローカルな戦いに敗れて千葉(房総半島)に逃れる記述があります。上記の場所からは、残念ながらこの情景を思い浮かべる事はできませんでした。

しかし、今回、訪れた横須賀美術館は違いました。対岸の富津がありありと見えました。



来月、次男が小学校の修学旅行で鎌倉を訪れます。宿泊先は、なぜか千葉のホテル三日月です。例の件で話題になる前から、長男の時もそうでした。それでも、今回、横須賀美術館から眺めた距離感を思うと納得する次第でした。

2016年9月18日日曜日

牛黄加持(ごおうかじ)

牛黄(ごおう)は、リンク先でも紹介されているように日本薬局方にも収載されている生薬であり、基原(origin, source)は牛の胆嚢に生じた結石である。

かつて医学が未開であった時代には、「牛100頭に1頭のみにしか見られない腫瘍」と思われていた時代もあり、司馬遼太郎の作品「牛黄加持」の中でもそのように紹介されている。また、リンク先の最後の方にも紹介されているように、その牛は夜間、光るということが言われていたため、その牛は特別な力を持つと信じられていた。ひいては、牛黄もそのような用いられ方をした。

司馬氏の作品では、世継ぎに恵まれない帝の女御の加持祈祷(かじきとう)に用いられている。具体的には、牛黄に高僧の精液を混ぜたものを女性の秘部に塗りながら祈祷を行なう。そして、その女性はある若い僧が想いを抱く高貴な女性だったため、最後はその若い僧がどさくさに紛れて自身が挿入して、見事、懐妊したという話である。

これは、史実に基づいた話だったように記憶している。日本の天皇制は、明治時代に山縣有朋が極端に神格化したものであり、過去にはこのような方便もまかり通っていたことだろう。女帝もいただろうし、平清盛も天皇の落し胤だったようだし、源氏物語でも帝がらみで不義の子どもが何人か生まれたりしている。

ある時期から私のライフワークとしてきた「街道をゆく」シリーズの読破も終盤を迎えている。基本的に古本で集めていた同シリーズも、ハードカバー、ワイド版および文庫本でまばらながらも全43巻のうち残すところあと2巻となった(ちなみに22巻と28巻である)。アマゾンで古本販売が始まってから加速度的に収集力が増した。

昭和45年(1970年)に同シリーズがはじまったきっかけとして、同年に起こった三島由紀夫の割腹自殺を挙げる解説本を読んだことがあるが、本質的な理由ではないように思う。もっとも、その直後に司馬氏も声明を発表したようだが。極度な天皇制の神格化は、司馬氏も望んでいなかったことは確かかも知れないが。

私はそれよりも、どの巻か忘れたが、シリーズが始まって25年目の作品で「始まって25年です。(大阪)万博の年に始めたので」という点が一番大きな動機だと思っている。大阪人で生涯、大阪を活動拠点にした司馬氏にとっても大阪万博は大きなイベントだったはずだ。世界が近くなり、大都市が均質化していく中で、東京を含む世界共通の「文明」ではない日本の地方の「文化」を残そうとしたものと私は思う。また、シリーズでは訪れていない土地もいくつかあるが(ワイド版には巻末に訪問地のマップがある)、先述の解説本ではその地域はコンクリートの「東京」と同一であるから(訪問しなかった)と言うが、私はそうは思わず、単にシリーズは司馬氏の死をもって未完で終わったのだと思う。

私も、新たなライフワークを見つけなければならない。




2016年9月10日土曜日

産み分け

以前、述べたように、男性不妊の頻度は100人に1人ということでそれほど高くはない。

一方で、私の周りでは、有機化学(合成)に関わる業務に従事する男性には、女の子しか生まれない傾向にある。

また、以前、聞いた話によると、シリコンバレーではIT関連の仕事をする男性にも女の子が多いという。電磁波を浴びる量に依存しているのかもしれない。

つまり、Y遺伝子はこれらのストレスにより、受精する能力を失うか、弱くなっているのだろう。

これから子どもを産もうとする人に、ご参考まで。


2016年8月25日木曜日

石上、花を栽える。

石上栽花後、生涯自是春(貞和集)
読み:石ノ上ニ花ヲ栽(う)エテ後(のち)、生涯自(おのずか)ラ是(これ)春
意:それは、石の上に花を植えるようなものだ。ただし、根がついてしまえば、生涯春のようなものだ(街道をゆく34)。
(以下、私なりの理解。本来の意味からはずれるかも)
普通、石の上に花(植物)を植えることなど出来ない。しかし、それを植えようとするのが精神的鍛錬というものであり、現に、植わってしまうことがある。

一方で、花はこちらにそれを美しいと思う心がなければ、何の価値もない。自分の庭に植えても、自分がそれを美しいと思う心が枯れてしまったら、または花そのものが枯れてしまっては意味がない。

花が根を張り、自分のそれを愛でる心が枯れなければ、生涯、春のようなものだろう。




2016年8月21日日曜日

運とか、霊とか。

お盆の帰省中に、車のタイヤ2本が連続してパンクするというアクシデントに見舞われました。

地元のヤンキーに狙われて悪戯されたとかではなく(地域によってはあり得る話ですが)、片方は釘踏み、もう片方はクラックから裂けたものでした。

まだ1年半しか乗っていないので、クラックは敷いてあった鉄板を踏みながらハンドルを切ってしまって、その後、経時的に劣化したか、あるいは単に不良品のタイヤに当たってしまったかでしょう。

ここで、何かの霊的なものを感じたのが、釘踏みでパンクしたタイヤを交換した直後に走行している際に、別のタイヤが(クラックが原因で)パンクしてしまったことです。

皆さんは霊とか運命とか信じますか?

この状況では何かそのようなものを感じざるを得ず、ちょうど高速道路に乗ろうとする直前だったので「乗る前に起こって良かった」という思いを禁じざるを得ませんでした。高速走行中にタイヤがバーストして事故でも起こしてしまったら、というより悪い状況との比較の上でです。

普段、私はどちらかというと「洗車マニア」的な性格で、週末は必ず洗車場かマンションの洗車スペースで車を洗う事を常としています。

しかし、このような状況に遭遇して再確認することは、「車は安全に走行することが第一」であるということです。実は連続してパンクしたあとに、狭い路地でホイールにガリ傷をつけてしまったのですが、このような状況に見舞われた直後なので大目に見ることが出来ました。

タイヤは、2本ともパンクした位置が悪く修理不能で、交換せざるを得ませんでした。グッドイヤーのランフラットタイヤ(パンクしても100kmくらい走行できるというタイヤ)からダンロップのノーマルタイヤに換えましたが、乗り心地は良くなりました。あと、燃費も少しだけ良くなりました。






2016年8月16日火曜日

制度と自然

興味深いデータがあった。出典はこちら。今後、日本は欧米化して婚外子が増えるのか。それとも、現状のまま留まるのか。

今の日本は、戦前よりも婚姻制度を厳格に運用している印象がある。若衆制度や夜這いなどがあった時代には、生物学的な親と戸籍上の親が異なることは珍しくない話だったという(理由は適当に調べて)。婚姻制度(一夫一婦制)は、社会の秩序を守るための制度として、人間の本能を制御する面がある。一方で、子どもの養育に責任を持たせる拘束力もあるかも知れない。

一方、少数派の意見だが、「結婚は諦めたけど子どもは欲しい」という意見も聞く。身近な事例として、事実婚を選び、入籍せぬまま出産・子育てを行っているケースも知っている。彼女は欧米に留学経験があったが、それはまるで、法規制の煩わしさを回避した自由(自然)の追求のようにも受け取れる。

制度が後押しして、女性の生き方が変わるのか。それとも、女性の生き方が変わることで社会保障制度がそれをサポートするように変わっていくのか。


ブライダルチェック

最近は「ブライダルチェック」なる言葉もあるようだ。結婚式場や結納品の下見のことではない。女性の場合は、特に結婚前のチェックという理由でなくても、体調不良から婦人科にかかるなどして婚前に無排卵症であることがわかる場合も多いと思うが、その場合はパートナーに告げるのだろうか。それとも告げないままに一緒になるのだろうか。ブライダルチェックにより、キャンセルされる結婚も中には存在するのだろうか。

ある広告記事によると、日本では6組に1組の割合(16.6%)で不妊症に悩んでいるという。別の情報では100人に1人の割合で男性不妊症があり、また10人に1人の割合で女性が無排卵症であるという。

だとすると、双方に問題はないものの、何故か相性が悪くて妊娠できないケースが16.6-1(男性不妊症の割合)-10(無排卵症の割合)=5.6%あることになる。我々が一般に耳にする不妊治療の苦労話はこの5.6%に関するものがほとんどである。もしかすると、この5.6%にもまだ同定されていない何らかの理由があって(免疫学的理由やその他の理由)、将来的にはそれが解明されるのかも知れない。

つまり、現状はブライダルチェックを経ても、上述のように5.6%の割合で(単純計算で20組に1組の割合で)不妊症に悩む可能性は残される。




2016年8月14日日曜日

孫の教育

子供たちが小学4年生までは、毎月送られてくる教材の採点など、私自ら子供の勉強を見ることもあったが、小学5年生以降はその採点も子供自身にやらせており、子供の勉強を見ることはなくなった。

中学に入り、成績が芳しくない場合などは教えてやろうかと思わないでもないが、今のところ教えていない。親が子供に自ら教えると、子供は反抗して親子げんかになり、期待される結果が得られないことは多いらしい。

親として子供に教えるべきことは、勉強の具体的な内容よりも、もっと理念的な、人生の楽しさとか素晴らしさであるべきであるという思いもある。それが出来ているかどうかは分からない。

一方で、この夏休みもそうだが、長期の休みに帰省すると長男は義理の父(妻の父)に勉強を教えてもらっている。義理の父は現役時代は高校の英語教師で、定年後も近所の大学に推薦入学が決まった生徒たちの入学までの補講を手伝ったり、教員仲間の方と共同で参考書を出版したりしていた。

そんな義理の父も、実の子(妻とその弟)には自ら教えることはなかったそうだ。現役時代は時間がなかったかも知れない。子供に対しては自主性を求めながらも、孫に対しては手取り足取り教えようとするのは、その時点での時間的な余裕に加え、人生に残された時間を考慮した際にそのような心境になるのかも知れない。

今、敢えて子供の勉強に対して自ら手を差し伸べることをしていない私も、孫ができれば熱心に教えるようになるのかもしれない。

2016年8月6日土曜日

コストとリスク

我が家には二人の息子がいる。

長男は幼稚園のころに遠視であることがわかって、その頃から眼鏡をかけている。眼鏡はだいたい4,5万円する。今度、通算4つ目の眼鏡を作る。

次男は、怪我が堪えない。幼稚園から小学校2年生まで柔道をやっていた。小1の冬休みと小2の夏休みに半年くらい開けて2回、鎖骨を折った。小3からラグビーに転向したが、首に負担がかかっているようだ。先日、カイロプラクティックに通ったら、頚椎の4番がずれていた。それを直すと、慢性的な頭痛が治った。

生活の質を保つ上で、長男の眼鏡は欠かせない。一方、次男もラグビーをやめれば首がゆがむ事は無く、頭痛やもっと大きな怪我に悩まされる事もないのだろうが、それがない人生はきっとつまらないだろう。

人生には人それぞれ何らかの余計なコストがかかる一方で、リスクをとって何か行動をおこさないと満足のいく時間は過ごせない。当たり前のことだが、それを再確認した。わたしにとってのコストとリスクとは何だろう。

2016年7月27日水曜日

子宮頸がんワクチン訴訟

先週末、疲労からか白目の血管が切れた。以前は酒を飲みすぎた時に切れていたが、酒を飲まずに切れたのは初めてだった。

そして今朝は、口にヘルペスが出た。そんな折に子宮頸がんワクチンの集団訴訟のニュースがあった。

これについては、副作用はワクチン接種との因果関係が濃厚だが、その発生頻度はその他のワクチンの発生頻度と同程度に留まるという理解だ。いわゆる流行性の感染症の場合には、費用対効果を考えた場合、ある程度の発生頻度で副作用が発生してしまうが、公衆衛生上、そのリスクは受け入れざるを得ないものとしてワクチン接種が推奨される。

しかし、この子宮頸がんワクチンの悩ましいところが、流行性感染症(パンデミック)を対象としたものではなく、子宮頸がんの発症率(罹患率)が(日本人の場合)人口10万人あたり10~20人(約0.01~0.02%)である一方で、ワクチンによる副作用が伝えられる数字によると、重症例で0.047%(1600人/340万人)と、疾患の発症率を上回ってしまっているところだ。

我が家は幸い男の子二人なので接種は考える必要ないが、私のまわりではワクチンを受けたという人は今のところ聞いていない。


2016年7月21日木曜日

リスクヘッジと自前主義

心臓のペースメーカーに代表される「植え込み型の医療機器」という製品群がある。その中にはパーキンソン病や神経因性疼痛に対して、小さなポンプや電気刺激を発するものを体の中に埋め込んで、そこから薬剤を少しずつ放出したり、電気刺激を出したりすることで症状を軽減させるものもある。

これらの製品の主要なメーカーは海外(米国)企業であるが、その製品を構成する部品のほとんどが実は日本製である。それらは基板(配線板)、電池、ポンプなどであるが、中国、韓国、台湾にはまだこれらの高性能パーツの製造は無理なのではないだろうか。

日本企業が日本国内でこれらの部品をアッセンブル(組立)し、製品を作ろうと思えば実現可能だろうが、それをやろうとするメーカーはいない(少なくとも例外的である)。不具合が発生した時の補償などのリスクを考慮すると、部品だけ供給したほうがリスクヘッジにかなっているのだろう。逆に言うと、顧客向けに製品を提供してリスクを取ってまで儲けなくても良いという判断かも知れない。

以上は私の経験から得た話。

過去の歴史においても似たようなことがあった。日本は銅の産出国として古くから中国(宋、明)に銅を輸出していた。中国はその銅を使用して貨幣を製造した。日本は輸出した銅のほか、輸出品の対価は先方の貨幣で支払いを受け、鎌倉~室町時代に日本国内で使用する貨幣はもっぱら中国の貨幣(宋銭、明銭)に依存した。国内での貨幣の流通量を考慮すると、自前で貨幣を製造するより原料(銅)を輸出して鋳造の手間をアウトソーシングしたともいえる。

以上は、司馬遼太郎著書の受け売り。

一方でイギリスは、EU加盟中もユーロを導入することなく、自前の通貨(ポンド)を維持していた。それがベネフィットのつもりがリスクとなり、EU離脱が決定した瞬間、通貨安となり、結果的にソフトバンクによるARMの買収を招いた。自前主義が思わぬところで仇となったと言えないだろうか。

2016年7月16日土曜日

MRIと献血

今日、次男が大学病院の画像センターに脳のMRIを取りに行った。少し前から頭痛があり、暑い日にめまいや吐き気があったからだ。先日のラグビーの交流戦でも体調不良で動きがイマイチだった。

数年前に、近所で脳腫瘍で亡くなった子がいたので、念のためだった。検査結果は異常なかった。あくまでも念のためだったが、異常なしの診断が出るまでは気分が晴れなかった。妻も同様。ただし、次男は偏頭痛持ちの体質なのかもしれない。

先週、献血ルームを訪ねたが、抜歯してから3日以内ということで採血してもらえなかった。ドナー保護のためではなく、血液が口内細菌に感染している可能性があるからとのことだった。

今日、出直して献血ルームに向かった。成分献血は予約できるらしく、そちらの予約は混んでいた。私は全血の希望で、3番目だった。

採血中にDVDを見ることが出来、私は「フラガール」(2006年日本)を選んだ。「タイタニック」(1997年アメリカ)があればそちらを選んだだろうが、あいにくなかった。

フラガールは、くしくも私が映画の舞台である福島県いわき市に近い茨城県北に単身赴任してまもなくの公開だった。施設の名称は「スパリゾートハワイアンズ」という。日立グループの福利厚生のひとつとして、年に何度かチケットの配給があった。小さい子どもにとっては、東京ディズニーランドより人気のスポットだ。関東西部でいえば、「ユネッサン」と似た施設と思えばいい。

大きな違いは、お抱えのフラガールたちがいることだ。ファイアーダンスを行う男性も数名いる。映画では、研修生候補の中に蒼井優がいた。

私が単身赴任して2年目に、近所のコンビニで高1の女の子がアルバイトを始めた。女優で例えると、蒼井優と黒木華を足して2で割った感じだった。あまり変わらないかも知れないが。

昨日まで中学生だった女の子が、徐々に化粧を覚え、あっという間に高校を卒業して旅立っていった。東京の短大に行くということだった。今、25歳くらいか。まだ都内にいるのか。


p.s.
お気づきの方もいるかもしれないが、私のブログでは広告が表示されない設定にしている。Bloggerはデフォルトでそのようになっている。広告が表示される場合、表示される内容は閲覧者の検索履歴等に依存すると思うが、サイト主としてはいらぬ勘繰りをされたくない故。






2016年7月12日火曜日

ジワジワくる話

仕事を終えて自宅に着くと、同じマンションに住むご婦人が我が家を訪ねたものの留守で帰ろうとするところだった。長男は塾、次男はそろばんで妻はその送迎。

「○○さんですか?」
「はい」
「中学2年生にお子さんがいますか?」
「はい」

そのようなやり取りをした後、彼女が言うには昨日、学校で中1の息子さんの自転車の鍵が壊れたのだという。

「あの馬鹿息子、また悪さしたか」と一瞬、私の表情はこわばったが、話を聞くと鍵が壊れた自転車の後輪を持ち上げて帰っていると、その日はたまたま徒歩で通学していた息子が一緒になり、自転車を持って帰るのを手伝ったのだという。

そのお礼に、とのことでアイスクリームをいただいた。

もうひとつ。

先日、子供達が幼稚園の頃のビデオを見ていた。体格のいいお父さんがいて、「この人だれや?」と妻が言ったとき、「○○さんのご主人や」と私が教えてやった。当時は知らなかったが、その後、小学校時代にどこかでご家族でいるところを見かけて知った。

その数日後、中学校の授業参観があり、妻がその奥さんと一緒になり、「そういえば幼稚園のビデオを見てたら、体格のいい人がいて誰だろうと思っていたら、旦那が『○○さんのご主人や』って教えてくれた。何であの人がそんなこと知ってんねん!」と軽く笑いがあったらしい。

なんか、俺がその奥さんにずっと思いを寄せていて、どんなご主人か観察してたみたいやし。密かにに思い続けられてたみたいに感じで、その晩、ジワジワ来てたりして。

小学校を卒業すると中学校には行くこともないので、基本的には会うこともないのだが。

どや、ジワジワ来たか?


2016年7月11日月曜日

○○○漁り

今年はまだクワガタが採れていない。ニーズが無いので、それほど切羽詰ってもいないが。

クワガタ採りに代わって、今、ハマっているのが、題記の○○○漁りだ。

この○○○漁りは、私が住む地域よりも、周辺部の市に行ったときのほうが面白い。おそらく、需要と供給の関係からだろう。

最近、中学生の制服で詰襟の制服を採用しているところはどれくらいあるのだろう。開成中学は詰襟とのことだ。この辺りも、昔からある中学は詰襟の制服なのだろう。上着は短いのから長いの、ズボンも太いのからいろいろありそうだ。

長男が通う中学を含む、私が住む地域の中心部の中学はブレザーの制服を採用している。学校が出来たのが30年くらい前だろう。上着(ブレザー)とシャツは決まっているが、ズボンはグレーから黒の間で自由だ。柄(チェックなど)があっても構わないらしい。

小学校を卒業する頃、近所の4系列くらいある紳士服店に行き、ウエスト73で探して1本買った。その後、夏用も必要ということで何かの機会に買った。

そうこうしているうちに、ある時、同じ系列店でも店舗によって値引きが違うことに気づいた。自分が住む地域よりも、周辺部のほうがバーゲン品は安いということに気づいた。

店舗によっては正規値段が4000~8000円のものを1000円で売っている。

そのうち、まめに店舗を覗くようになり、ウエスト73で夏用3本、冬用3本くらいをそろえるようになった。中2となった今は、ウエスト76で同様に揃えている。

自転車通学のため、臀部が摩擦で光ってくる可能性もあり、その場合にも買い換えてやろうと思う。

問題)○○○にあてはまる言葉を下の選択肢から選びなさい。

(オンナ、アマゴ、オナゴ、アナゴ、ズボン)

2016年7月4日月曜日

城山に登る

将軍塚(京都)、金華山(岐阜)、比叡山(大津)、稲佐山(長崎)・・・etc.

その土地の市街地を一望できる低い山。鹿児島の場合は、「城山(しろやま)」がそれに該当する。
 

展望台の近くには、鹿児島で随一の由緒あるホテルとして知られる城山観光ホテルがあり、名家の婚礼はここで開催されるのが習わしである。また登山道の麓には県の職員の独身寮があり、その近くに源泉かけ流しの温泉が銭湯として営業している。

鹿児島の場合、「城山に登る」というのは、観光やデートで市街を一望できる場所に行くということのほかに、「墓参り」のニュアンスが加わる。

城山は、言わずと知れた西南戦争の終焉の地であり、西郷隆盛が最期を迎えた場所だからだ。

鹿児島の城山はもう5年以上訪れていないが、東京の身近な場所に城山という地名がある。日比谷線神谷町駅と南北線六本木一丁目駅に挟まれたエリアは森トラストの領地だが、その中に「城山ガーデン」として整備された場所がある。

鹿児島の城山とは何の因縁もないだろう。しかし、神谷町の駅からスウェーデン大使館に向かう木陰の散歩道を、鹿児島の城山の暗く陰った山道を思い浮かべながら歩いた鹿児島県人は少なくないはずだ。

その散歩道の途中にあるテレビ東京が、この秋には六本木一丁目駅の北西側に移る。遊歩道の途中にぽっかりと空きビルが出来てしまうが、そこも間もなく再開発されるのだろう。


2016年7月3日日曜日

希望

オバマ大統領が広島を訪問した時に、「苦境にある人に必要なのは、希望だ」というようなことを言っていたと思うが、その時のスピーチの全文には見当たらなかった。テレビで見たので、被爆者に語りかけた際のスモールトークのような中でだったのかもしれない。

類似体験として、言わんとすることは理解できる。給料が悪くても、会社の将来やプロジェクトの展望に期待が抱ければ我慢できる。今すぐに抱えている問題が解決できなくても、明るい将来を思い描くことが出来れば何とか現状を堪え、乗り切ることが出来る。

都知事選もその一助として楽しみにしている。そして、最近の流行に関して言えば、人工知能によるハピネスの研究にも期待している。


2016年6月24日金曜日

エスペラント

国際共通語、または国際補助語と呼ばれる人工言語。発明した人は19世紀末、当時、ロシア領だったポーランドに住むユダヤ人だったという。「支配階級の言語が共通語としての役割を果たすのはフェアでない」という感情を強く抱き、自ら人工言語まで作ろうと思い立つのも無理の無い生い立ちが思い浮かぶ。

21世紀になり、世界はますます近くなり、国際共通語の必要性は以前にも増している。そんな中、英国のEU離脱が決まった。スコットランドは再び独立に向けた国民投票を行う動きだ。英国がにわかに解体の兆しを見せ始めている。

現在、英語がもっとも普及した国際共通語としての位置にあることは疑いようがない。一方で、今日の英国の国民投票の結果は、英語が国際共通語としての地位を確固なものとしていきながらも帝国主義の「遺産」として確定した日のようにも思える。エスペラントを発明した人は、まさかこんな日が来ると予想しただろうか。

2016年6月13日月曜日

セゾンカード

(ウォールマート)セゾンカード(西友)と(クラブオン)ミレニアムセゾンカード(西武)。どちらも年会費無料。

どちらのカードもカード利用により永久不滅ポイントがつき、別のカードと合算が出来ます。

よって、日々のこまごまとした物を西友でウォールマートカードで買って、その永久不滅ポイントをクラブオンカードに移行して、クラブオンポイントに変えると西武での買い物に使えます。

思い出したときにチェックすると、それなりの額になっています。今回、そのポイントで折りたたみ傘を買いました。日本製でとてもカッコいいです。

あと、(ウォールマート)セゾンカードはアメックスカードなので、コストコでの買い物にも使えます。

うちはコストコ会員、2年くらいで辞めましたが。



2016年6月12日日曜日

第31回茨城県珠算競技大会


本日、つくば国際会議場にて題記大会が開催されました。

この大会は従来、別の場所(筑波研修センター)で開催されておりましたが、昨年からモンゴルの小学生も参加するようになり、上記の場所での開催となっております。

近年は参加者が増えたため各塾からの参加人数が制限され、今年は次男が通う塾ではそろばん1級を取っている子でも塾内選抜で敗れて出場できない状況のようです。

競技は各学年(または複数学年)で総合(乗算、除算、見取算)、読み上げ算、読み上げ暗算の3部門で競われます。昨年次男は読み上げ算で2位、読み上げ暗算で3位でした。読み上げ算の1位はモンゴルの子だったそうです。

今年もモンゴルから参加がありました。子どもらはお揃いの白いポロシャツを着て、右胸にはモンゴルの国旗の刺繍がありました。

前日に、モンゴルからの参加者のご父兄がショッピング中に財布を盗まれる不運があったそうで、残念な気持ちになりました。日本に対してどのような印象を持って来日されたか分かりませんが、これが現実であり、洗礼といっては厳しすぎるでしょうか。

ちなみに次男は読み上げ算で3位でした。本人は不本意そうでしたが、おそらく順当な結果なのだと思います。長男が2年生の時から参加させていただいた大会でしたが、今年で最後の参加となります。長い間、ありがとうございました。





2016年6月9日木曜日

ニホニウム

ニホニウム(元素番号113)の発見に世間が少し湧いております。

既出ネタですが、「(常温で)磁石にくっつく物質は?」の問いに、ノーマルな答えは「鉄」です。

近所の物質・材料研究所に次男(当時5年生)が研究所見学に行った時に、同じ質問をされました。

その際に、次男が「(鉄以外に)ニッケルとコバルト」と答えると、研究者の方が「よく知っているね」と褒めてくれました。

研究者の方も、大方、これらの答えは期待していなかったかも知れず、次男が見事なリターンエースを決めたかと思いましたが、「それ以外に、ガドリニウム(ランタノイド系元素番号64)もつきます」と、さすが専門家、追加の知識を授けてくれました。

ガドリニウムはそれまで私も知りませんでしたが、調べたところMRIの造影剤に使われているようです。

2016年5月6日金曜日

求愛の季節

今日、関東に戻ります。

この時期、関西に滞在するのは実に14年ぶりで、裏を返すとその間、必ず家族は4月には帰省していたということになります。今年は長男が塾の春期講習のため帰省できなかったので、このG.W.の時期に帰省することになりました。

関東→関西は、朝4時半に高速に乗り、約500キロを休憩1時間を含め約7時間で着きました。新東名が豊田まで伸びたことから、三ケ日JCTへ向かうループ(写真)がなくなりました。写真は、道路情報がアップデートされていないナビ画面です。

その後に走る伊勢湾岸道路はいつ走っても快適です。渋滞に捕まったのは鈴鹿あたりで15キロ40分ほどだけでした。帰りも渋滞に捕まらなければ夕方には自宅に到着している予定です。

関東に戻ると、翌日には小学校の除草作業があります。運動会が5月に開催されるので、その準備の一環です。子供らが低学年の頃は、残暑厳しい9月に行われていました。今の季節は、日差しが強くても過ごしやすいです。

今、わたしの住む地域ではG7サミットに向けて市内の主要な建物の外壁の塗り替えが行われており、このG.W.明けにはそれももう完了していることでしょう。公立か、民間かを問わず、それらの工事を行った施設には国から補助金がでていることと思います。

うちの近所では科学技術関連の部会が開催されますが、長男が属する中学校の科学部の部員は、ノーベル賞受賞者などによる基調講演などを傍聴できるのだそうです。

花や新緑が美しい季節です。孔雀も求愛の季節だそうです。皆様も残り少ない休暇をお楽しみ下さい。








2016年5月4日水曜日

青空文庫

電子書籍は利用したことがなく、疎かった。

中2の長男には、G.W.に読書感想文の宿題があり、課題図書は森鴎外の「高瀬舟」と「山椒大夫」である。

塾の先生からは電子書籍ではなく、文庫本などのハードコピーでの読書を薦められたそうだ。かといって、気に入るかどうか分からない本を買って手元に置くのもどうかと思い、とりあえず図書館を探させた。しかし、他の誰かに借りられていたようだ。

連休も半ばが過ぎ、今になってまだ本を手配できていないというので、仕方なく電子書籍をさがしてみた。すると、予想通り、無料で公開されていた。青空文庫をはじめ、それをソースとして取り込んだ電子書籍ストアから読めた。

本はページをめくりながら読むというこだわりは共感できるが、電子書籍もなかなか便利そうだ。過去の名作はほぼ無料で読めそうだ。デスクトップやA4ノートの大きな画面で読むのは従来にはない感覚だ。



2016年4月23日土曜日

自主性

昨年末あたりから、次男のラグビーの練習に同伴しなくなっている。練習が近所の大学のグラウンドで行なわれる場合は、一人で自転車で通っている。

今日は、練習から帰るなり、初めて自主トレをやっていた。マンションの階段を14階まで2往復したらしい。その後、ダンベルで腕を鍛えていた。

ようやく自分のものとしてとらえ始めたようで、親としては嬉しい。

私の中国語の勉強も細々と続いている。NHKラジオ第二をネット経由で聞いている。朝、通勤電車が発車する前にテキストに一通り目を通し、8時15分から地下鉄で途切れ途切れになりながら聞き、仕事を終えて帰った午後10時半からはテキストを見ながら聞くようにしている。

中国語の上達もさることながら、自主的に学ぶということについて子供達に何か伝えたい。特に長男。


2016年4月21日木曜日

熊本城



今回の震災で、無残に痛んでしまった熊本城。

初めて訪れたのは中学生の頃の修学旅行で、2回目が写真の家族旅行のときだった。


今後の修復では、この姿に忠実に近づけていくことだろう。

しかし、人の人生の場合は、仮に不運に見舞われてしまった場合、かつて思い描いた理想に近づいていくことだけが幸せではないのかもしれない。

逆境を経たからこそ見えてくる世界もあるだろうし、また予想もしない場所にたどり着き、そこに幸せがあるかもしれない。


2016年4月16日土曜日

財布の中の小銭と、余った電気。

熊本の地震が予断を許さない。余談も許されない雰囲気だ。

とりあえず、JAL,ANAのマイルを寄付した。こういった寄付は、財布の中の小銭的なものがふさわしいと思う。浅く広く。善意の出所がぼんやりして広いほうが、社会全体に対する信頼感が増すような気がする。

以前、会社の厚生会で地引網を何度かやったとき、それはまるで会社の縮図のように感じたことがあった。どれだけお金(資本金)があっても、引き手がいなければ回らない。同様に、被災地もいずれは寄付金よりもボランティアを必要とするようになるのだろう。それは、先般の鬼怒川決壊の際も同様であったと思う。

常日頃、誰かの役に立ちたいとは思っている。しかし、それは自分の家庭が順調に回っている時でなければ可能ではない。先日、妻が首の痛みでのたうち回っていたときはそんな余裕は無かった。幸い、妻は無事に回復し、ペインクリニックの通院も当初、毎週通っていたが、じきに2週間に1度になり、ついに再来週で終了の見込みとなった。

つまり、自分の家が順調に回っている時に誰かの役に立ちたいと思うのは、自社の発電所を持つ企業が「余った電気」を売るようなものだ。しかし、「余った電気」では本当に援けを必要としている人に届かない。あるいは足りない。そんなケースもあるような気がして、最近、無力感を抱いている。


2016年4月2日土曜日

后会有期:今日、帰国します。

昨日で今回のミッションが終了した。

今回のミッションに関連して、再び今回の滞在地を訪れることがあるかは分からない。訪問の機会があったとしても他の者に担当が変わるかも知れない。

タイトルの「后会有期」は「ご縁があればまたお会いしましょう」という意味だ。ニュアンスとしては背後に「もう会えないかもしれないけど」というのがあるようだ。今回は、そのような心境でこの地を後にする。現地の関係者にこの言葉を伝えると通じた。先方も「いい言葉を知っているな」というような顔をしていた。







2016年4月1日金曜日

仕事4日目、最終日。

昨日は夕食が少し早く終わったので、初めて街に出てみた。コンビニで八宝茶を見つけ、3袋買っておいた。

行きの国際線の中で観た「東京タワー、オカンとボクと、時々、オトン」(2007)の中で、父親とは別居中の母親が、息子(ボク、小学生くらい)を連れて父親とは別の男性と温泉に旅行に行く場面がある。

母親と男性が息子をゲームセンターに残して(息子がゲームをして過ごしている間)部屋で過ごそうとするシーンがあった。ゲーム機の前にすわって遊びたさそうにしている息子に、男性が小銭を入れ、スタートボタンを押してあげた。その時、母親がわざわざ「スタートボタン、押してくれたとね。ありがとう」というシーンがある。その時は、なぜそんなことをいちいち口に出して礼を言う必要があるのだろうと不思議に思っていた。

しかし、もしかしたらそれは母親の「恋の」スタートボタンを押してくれたことに対するお礼とかかっていたのだろうか、と思い始めている。ちなみに母親役は今の目で見てみるとNHKの桑子アナに声や雰囲気が似ている。前回見た時は、まだ桑子さんはアナウンサーになっていないので彼女を知らない。

今日から次男は一人だけ京都の祖父母のところへ行く。長男は塾の春期講習のため、今年から春休みの帰省は出来ない。

仕事は最終日、無事に乗り切りたい。日本に帰ったら留守中にたまった業務がたくさん待 っている。

写真を添付してみたが、うまくアップできるだろうか。久しぶりに見た、すもも。周りにあるのは竜眼。ライチと同類で一回り小さい。












2016年3月31日木曜日

仕事3日目。天気:曇り

您早。

今回は、オブザーバー的な役回りでこちらに来ている。そのため、多少気楽だが待ち時間が長いと退屈して変な疲れ方をする。滞在も折り返し地点を過ぎ、疲れがたまってきた。毎回そうだが、食べすぎでスーツのウエストもきつくなってきた。

昨日は待ち時間に外を眺めていたら、菜の花畑を見つけた。しかし、菜の花畑は茨城でも見られる。サトウキビ畑が見たい。サトウキビ自体は、デザートとして毎食のように食卓に並べられている。

お土産を市中に買いに行く時間はなさそうだ。今回も空港でお茶類を買うにとどまるかも知れない。前回、市中のスーパーで豆板醤を買って帰ろうとして誤って豆鼓(チー)醤を買ってしまった。しかし、こちらの豆板醤は日本と違って辛くないとのこと。結果的に、豆鼓醤のほうが珍しくて良かったのかも知れない。

長男の通知簿に、技術・家庭科の評価で「優れた鉋(かんな)掛けの技術を皆に披露し、適宜、アドバイスしていた」とあったことを思い出した。どこでその鉋掛けの技術を身に着けたのか知らないが、手先は器用なのだろう。幼い頃から意識的にドライバーやペンチなどの道具類を使う機会を与え、本人もそのような作業が好きだった。

ある意味で 、今回のミッションも日本の「鉋掛けの技術をアドバイスする」ような側面がある。見方によっては(日本の基準は)行きすぎの部分もあるのだろうが、こちらの人々も納得できるところに落ち着いてくれればいいのだが。









2016年3月30日水曜日

星期三(水曜日)、仕事2日目。

今日は曇り一時雨の予想。気温も昨日ほど上がらない。

昨晩、妻からメールがあった。実家に小包が届いたと連絡があったとのこと。
母が写真を見ると、長男が大きくなっててびっくりしたようだ。

テレビを見ていたら、3月30日、星期三とテロップがあった。中国の七曜は星期一(月)~六(土)、星期天または星期日(日)であることは初級講座でも学んだ。

她は昨日はお休みだったようだ。持病の偏頭痛だろうか。インフルエンザでないことを祈る。








2016年3月29日火曜日

仕事一日目終了。天気:曇り

天気予報は雨だったが、なんとか曇りで持ちこたえた。気温は20℃を上回ったようにネットでは表示されているが、体感温度としては少し肌寒い。

木曜日以降は25℃を上回る予報だが、体感温度もそれにふさわしいだろうか。

そういえばJALの機内誌に、サッカーU-15日本代表の一人が取り上げられていた。現在中2で今度中3。まだプロでもないだろうに、そんな年頃でも取り上げられるのか。

長男の通う中学校にもU-13あるいはU-15日本代表の一人が通っているらしい。長男と同学年だがクラスは違うとのこと。当然ながら学校のサッカー部には入っておらず、どこかのJリーグ傘下のユースにいるようだ。

国際線の機内でガンダム「青い瞳のキャスバル」(2015)と「東京タワー、オカンとボクと、時々、オトン」(2007)を見た。「東京タワー〜」は一度、見ているが、内容をすっかり忘れていてそれなりに楽しめた。なんでそんな古い映画が準備されているのか不明だが、中学を卒業すると大分の高校に進むシーンがあるので、卒業・入学のシーズンに合わせたチョイスだろうか。ちなみに東京タワーは1958年に完成したそうだから今年で営業58周年になる。

日本に帰ったら、BS釣りビジョン「こちら東海です」の三代目最終回を見なければ。

こちらの時刻は日本より1時間前で現在午後7時。これから皆で飯に行く。














我走累了

今日は羽田からの国際線と中国国内の国内線を乗り継いでの移動。朝5時に家を出て、7時から晩6時までずっと機内または空港にいた。

先ほど、ホテルの前のレストランで食事を済ませた。今回は、紫芋と茹でた落花生も振る舞われた。茹でた落花生なんて、日本国内でも産地でなければ食べないだろう。

明日からの昼食では、トコブシ(アワビの同類でアワビより一回り小さい)も振る舞われるという。

今回は5泊6日といつもより長めだが、ホテルを変わらなくて済むので割と楽だ。

みんな、インフルエンザにかかったりせず、元気にしてるかな。今年は3つの型(A,B,C)すべてに免疫が出来ることを売りにしているワ クチンが出たらしいけど、それぞれの型に対するtighterは従来のものより低いのではないだろうか。と、疑いたくなるほどの大流行だ。人によってはA型とB型に順番に罹った人もいると聞く。

タイトルは「私は歩き疲れました」。という意味。受講していた中国語講座の最後の授業で学んだ表現。「走」は中国では「歩く、うろうろする」という意味らしい。まさに今日はうろうろして疲れた。

それを応用して次の表現を考えてみた。我愛累了。私は愛して疲れた。こなれた表現にすると「愛することに疲れた」という感じか。本場の中国人に通じるだろうか。中国にそのような表現はあるだろうか。

ちなみに日本語の「どうぞ宜しくお願いします。」という表現は中国語で「请多关照。」となるが、日本語から訳されたと言われているそうだ。NHKラジオ「まいにち中国語」4月号のテキストに書いてあった。他に明治維新の頃に西洋の概念を日本語に訳して作られた熟語(単語)で中国に逆輸入されたものが多いことはよく知られている。





2016年3月27日日曜日

春の便り

近所でも桜の花がほころび始めた。

明日から土曜日までまた中国へ。今回は広州まで足を伸ばすのでコートをどれにするか迷う。緯度的には台湾と同じくらいで、現地はやや暑いだろう。

桜が春の風物詩として感じられるようになったのはいつ頃だろう。実家にいた頃は全く感じなかった。鹿児島市で過ごした高校時代もあまり意識していなかった。その頃の年齢では四季を愛でる感覚も乏しかっただろう。脳裏に浮かぶ郷里の春の風景は、収穫が終わった後のサトウキビ畑の殻焼きの熱気と、その熱気に揺らぐ黄色い菜の花畑だ。

ここ2回ほど訪問している中国大陸沿岸部の地域では、食後のデザートとして輪切りのサトウキビが振る舞われた。もしかすると今回は、郷里の春と似たような景色に遭遇するかもしれない。

両親が目下、夫婦げんか中で、母がまだ我が家の今年の年賀状を見ていないという。父と母は本家とその隣にある隠居家に別居中で、隠居家で過ごす母は本家の敷居をまたぎたくないという。

仕方がないので、今年の年賀状に使った祭りの時に撮った写真ほかを2Lでプリントして送ることにした。今度、小学2年生になる甥っ子向けに「かいけつゾロリ」シリーズの本数冊も同梱した。うちの子供達が読んだおさがりではあるが。

通常、父の宛名で送っていたが、今回は母の宛名で送ることにした。

本当は、ゴールデンウィーク前頃に送るつもりだったが、ネット経由での写真のプリント(店頭受取り)が簡単だったのと、明日からの渡航で万が一のことがあってはと思い、今日、送ることにした。

以前は「父がいつ死ぬかわからないので」と思って写真やビデオを送っていたが、今回は「自分がいつどうなるかわからないので」。東日本大震災以降、そのようなことを時々、考えるようになった。

明日、どんなことが起こっても後悔しないように今日を生きよう。気持ちも伝えておこう。

2016年3月24日木曜日

修了式

うちの周辺では今日が小・中学校の修了式だった。長男、次男それぞれ通知簿を持ち帰ってきた。科目によっては評価に納得いかないものもあったり、逆に予想より良く評価されているものもあったようだ。

長男はこの春から塾に通う。公立高校の受験くらいは自力でなんとかしてほしかったし、1年間は信じて待ったが無理だった。すでに体験コースで数日通ったが、その間、一日、大雨の日があった。私は自己管理できずに塾に通う羽目になった罰として、雨の中、傘を差して通わせたかった。次男には「自主的に勉強できないとあのザマになるぞ」と見せしめにしたかったが、妻は車で送り迎えしていた。

今、次男の学年ではいじめがひどいらしい。最近は男の子よりも女の子のいじめのほうがひどいようだ。聞くところによると、小学生の頃の長男の学年でもあったようだ。その時も、いじめる側にまわるのは男の子ではなく女の子だったという。

いじめる側に回る子の原因は受験のストレスではないか、と状況証拠から推測されているようだ。うちの近所にも公立や私学の中高一貫校があり、受験する子も多い。いじめられる側も嫌だが、いじめる側に回るのも問題だ。気をつけて見守りたい。

2016年3月13日日曜日

変わり続ける

福島原発事故の後、事故の前に地元の小学生によって描かれた「東京に電力を供給することでこの国を支えている」という趣旨の壁画が紹介されたことがあった。事故が起こるまでは、そこに原発があることを誇らしく思っていたことだろう。

先日、うちの会社の営業部で大規模なリストラが行なわれた。昨年の年初に、渋谷のホテルの宴会場を借りて行なわれた全社的なパーティのスピーチで、「会社を日本一の会社にしたい」と抱負を述べていた営業所の所長さんのことを思い出した。今でも、うちの会社を日本一の会社にしたいと思っているだろうか。

うちの会社に限らず、業界全体を通して営業部門はリストラの必要性に迫られているという。実績が下位10%の者を定期的に解雇するという、米国系の企業ではままある手法を取り入れているところもあると聞く。

東芝やシャープといった企業のライフサイクルの中で後退期にさしかかった大企業を例に挙げるまでも無く、ある企業や組織に所属することやそれを大きくするようなことに生きがいややりがいを感じるべき時代ではない。人生のもっとも大事な時期に職を失い、路頭に迷わないために、時代の向かう先を見つめて自分自身が変わり続けるしかない。



2016年3月11日金曜日

不只是美麗

昨晩はホテルのチェックインが22時を過ぎたが、部屋が空いていたのか無償でアップグレードしてくれた。

今朝はメールで報告書を送った後、すぐにチェックアウトし、上海市内のカルフールに向かった。仙霞路を西へ進むと普通のスーパーが開いていたのでそこでも買い物した。今回のオーダーはジャスミン茶に加え、豆板醤とライチ紅茶。上海人によるとライチ紅茶はもっと南方の飲み物だそうで、市中にあるかわからないという。前回も、空港内の土産物屋で買ったかも知れない。

上海市内は、いわゆるエコバッグがなければ買い物出来ない。レジの人は袋に入れてくれない。会社帰りの買い物で使っている、ビジネスバッグにいつも忍ばせているエコバッグが役に立った。

上海市内で、タイトルの英訳併記の広告看板を見かけた。タイトルは、more than beautyの中国語訳。

水城路を南に下り、地下鉄の駅を過ぎ、延安西路の高架を超えると目的地に着いた。そこで、ライチ紅茶に似た、ライチの一回り小さい竜眼という果物が入った八宝茶というのが一個だけあったのでそれを買った。売れているようだ。

その後、地下鉄10号線で空港に向かった。こちらのモデルは、中村アンに似たタイプをよく目にする。地下鉄のDHCの広告もその系統の人だった。

東京は晩には雪が舞う予報のようだが、こちらの寒さはそれほどでもない。歩いて汗ばんだので、先ほど着ていた毛衣を脱いだ。

空港内で売られているライチ紅茶はやはり高い。

東日本大震災から五年。合掌。

2016年3月10日木曜日

空中超市

当初の予定より繰り上げた新幹線で上海に向かっている。一等席に空きがなく、二等席に変更した。一等席より座席が若干狭く、一等席にある電源が無い。

現地で放送していたタイトルのバラエティ番組が、字幕入りで何となく理解できた。本来は聴覚障がい者向けの配慮なのだろうか、多少、中国語を勉強した人の理解の助けにもなると思う。聞き取るのは難しいが、文法も多少頭に入っていると文字を見ると少し理解できる。

さっきまでパソコンで報告書を書いていたが、電池が無くなった。明日の朝、飛行機に乗るまでに書き上げるつもり。

您早安

おはようございます。

「あなた」という字はもっと簡単な字があるのですが、変換で出ないので上のより敬意を込めたほうの字にしています。

こちらは一時間の時差があります。内陸部に行っても一時間しか変わりません。

「らじるらじる」は日本国内でしか聴けないようです。

妻から日本(近所)ではインフルエンザが大流行とメールがありました。学級閉鎖が多発しているようです。
私は先月、妻と長男がインフルエンザ(A型)にかかった際にもうつりませんでした。今まで罹った記憶がありません。ワクチンも受けていません。
今度から、履歴書にも書こうかと思っています。

今日も良い一日を。


2016年3月9日水曜日

今晩您是我的人

今朝のラジオ「すっぴん!」で、ダイヤモンド⭐️ユカイが歌う「冬のリビエラ」が流れたが、なかなか良かった。羽田空港で聴いていた。

上海新幹線で移動中、日本でも聴いたことのあるピアノの曲が流れた。作曲者も演奏者も分からない。もしかしたら西村由紀江かも知れない。正確なところは、いつ、知ることになるのだろうか。取りあえず、中国でも認知されている局のようだ。

新幹線の駅で乗車待ちしていた際に、WiFiに繋ごうとしたらリストの中にタイトルの名前があり、何となく意味が分かって・・・誤解してたら恥ずかしいが。

今回はシェーバーは日本から持参。KAIレザーの5枚刃。個人的な感想として、4枚刃と5枚刃の違いは、5枚刃は4枚刃より剃りが甘くな るが、肌を切るリスクは少ない。
肌を切るリスクは、歯の枚数が少なくなるほど高くなる。ホテルに置かれているディスポ製品の2枚刃は特に。よって、旅先でバンドエイドを貼らなくて済むように、自前で今回から5枚刃を持参。

明日は8時30分から仕事。仕事を終えたら、また新幹線で上海へ帰る。

2016年3月6日日曜日

自由化の波

「新電力、契約した?どこ?」というのが、世間話の種としてしばらく使えそうな昨今です。

「電気代はほとんど変わらない。むしろ東京電力が一番安い」という話も聞きますが、いろんな企業が参入したほうがサービスも向上するだろうし、雇用も生まれるだろうし、多くの企業が乱立してカオスみたいな状態の方が今より閉塞感はなくなるのかな、という期待から来るご祝儀的な部分が大きかったので、うちは契約しました。

どこにしたかというと、石油系のところにしました。電気以外でサービスを受け取る窓口として、ガソリンが一番、生活に欠かせないものなので。「月100Lまで○円/L引き」という条件ですが、毎月、優遇枠の上限ぐらいまで給油しています。

私が契約したところは、月200kWh(約6000円)未満の使用料なら逆に割高になる料金設定です。また、サービスエリアも関東に限られます。電気の供給は4月1日からですが、ガソリンの割引は早ければ今月半ばからに前倒しされるとの事でした。

石油系の会社は、来年4月に予定されているガスの自由化にも参入が予想されています。その際に、もしサービスの上乗せがあるのならガスも同じところで契約する事になると思いますが、もともとエネルギー源を電気だけに頼るのが不安なので(停電など)、オール電化は好きではありませんでしたが、一方で、まさか電気とガスを同じ会社から買うような時代が来るとは思いもしませんでした。






2016年2月28日日曜日

日々のスパイス

私の祖父は生前、台湾で働いていた。ノンキャリアの公務員として、教育関係の業務に携わっていたという。戦後も、残務処理でしばらく単身赴任で駐在していたそうだ。その頃の資料は私が幼い頃まで残っていたというが、実家を建て替えるときに父が全部、焼いてしまった。祖父は父が小学4年生の時に亡くなったので私は会ったことが無いが、生前の祖父を知る人によると、私は祖父に似ているという。

鴻海精密工業がシャープの買収を検討しているニュースに接する時、私は祖父の生前の業務の、ほんの少しかも知れない成果が、今、大きな力となって時代を動かそうとしているような気がしてならない。

イギリス人作家カズオ・イシグロの祖父は、伊藤忠商事の社員として中国に駐在していたことがあり、その後、豊田自動織機が中国に現地法人を立ち上げる時にそちらに加わったことが彼に関する解説書「境界のない世界」の中に書かれてある。作品「わたしたちが孤児だったころ」は、日中戦争当時の上海を舞台にした作品であるが、解説本の著者によると、その祖父に対する懐古的な憧憬が創作のモティベーションだったのではないかと述べられている。

私が現在、習っている中国語(北京語)は、台湾を含む中華圏の標準語(汎語)のような位置づけなのだそうだ。台湾人にも通じると聞く。コンビニやスーパーのレジで働くアジアの若者達の多くが、大きな夢を抱いて日本を訪れていることだろう。そんな彼らが、今よりもほんの少しだけ日々を楽しく過ごせるように、彼らと日本人との触れあいのツールとして、今、学んでいる中国語を活かせたら、と考えている。既に1件、実施済みで、経過は良好のように感じている。

2016年2月27日土曜日

美しき停滞

「司馬遼太郎が亡くなって20年」というのをどこかで見かけた。阪神大震災から約1年後、当時、大学4年生で、卒業間近だった。薬剤師の国家試験の勉強真っ只中だった。亡くなった当時、特に感慨は無かった。というのも、司馬作品を読むようになったのはそれから約2年後、入院生活の暇つぶしに読み始めたのがきっかけだからだ。

スーパーやコンビニのレジは、ほとんどが外国人が担うようになって久しい。留学生のバイトなのだろうか。日本の私大の4割が定員割れしているというデータもあり、留学生の受け入れに活路を見出そうとする学校もあるのかも知れない。大学経営は大変なのだろうが、一方でいずれ受験生を持つ親の立場としては楽観的でいられる部分もある。

アメリカの大統領選挙を見ていると、冨の配分が偏りすぎていて、低所得者層の不満が限界に来ているようにも思える。かつて正義の押し売りをしていた学級委員長的な偽善すらなくなってしまった感がある。

そういう観点から、氏の指摘する予想と目指す方向性は当たっていると思う。「米国で起こっていることは数年後には日本でも起こる」とも言われるようだが、そうはならないようにしたい。社会を担う一員として。

2016年2月17日水曜日

年の差

朝ドラ「あさが来た」での五代とあさ(広岡浅子)の師妹愛が話題である。史実として明確な資料はなく、状況証拠からの想像(フィクション)の部分も多いという。

そのフィクションに無理がないかを自分なりに検証しようと思い、ひとつの指標として年齢に注目してみた。

すると、五代とあさの年齢差は13歳であった。五代が没するとき(享年49)、あさ36歳。

そのことから、たとえいろいろなエピソードがフィクションだったとしても、無理のない設定だと思った。

多少、自慢が入るが、今現在、(二人きりでも)飯に付き合ってくれる人が3人いる。3人とも30~35歳で私より10歳前後若い。普通に、無理なく、そのような関係を築ける年齢差として10歳くらいは必要なのだと思う。

私も彼女たちに何か役に立てるだろうか。立ちたいとは思っている。

2016年2月14日日曜日

The English Patient

若かりし頃に背伸びして読んだ小説を、もう一度、読み直してみようと思い、図書館で「イギリス人の患者」(新潮社)を手にした。訳は土屋政雄氏だった。

24、5歳の頃だったと思う。映画化された作品も観たが、当時、ペーパーバックを買い、原書で読もうとしたことを覚えている。翻訳を読んでみると、当時の私の読み違いにもいくつか気づいた。

映画では、飛行機での自爆行為に及ぶ夫が妻の不倫にリアルタイムで気づいているような進行だったと思うが、原作(小説)ではその恋は理性的な判断により終えられた後で、しばらくして何らかのきっかけで夫が気づいたという設定だった。当時、原書で読んだ時には気づかなかったが、恋が終わった後、飛行機事故に遭遇するまでの男(イギリス人の患者)の心の葛藤の描写が秀逸だと思った。当時、気づかなかったのは、英語力に問題があったのか、あるいは人生経験が不足していたのか。

砂漠での共同生活という特殊な環境で生じてしまった過ちが悲劇を招いたのか。あるいは単に夫の病的な不寛容さが招いたものだったのか。飛行機での自爆行為で即死した夫に代わり、妻を看取ることになった男(イギリス人の患者)は、実はハンガリー人だった。ハンガリーには、今日でもドイツ車の工場が多く存在するように、すなわち男はドイツ側の人間(スパイ)としてずっとマークされている人物だった。ハンガリー人はアジア人の血を引くとされる。スリランカ人の作者が、そのような背景も考慮に入れていたのかどうか・・・

では、今日はこの曲でお別れです。今日は春一番が吹き荒れ、温かい一日となりましたが、明日はまた冬日に戻り、冷え込むそうです。東京砂漠で風邪など引かぬよう、ご自愛下さい。



余談ですが、ご近所の厩舎の方が前川清の愛馬「コイウタ(恋歌)」を飼育(管理)されておられるそうです。




2016年2月10日水曜日

100人に2~4人

震災から5年、ということが言われるようになった。

iPS細胞ストック構築のプロジェクトも、スタートは震災の直前のようだ。ノーベル賞を受賞するのは、その1年半後だ。

一般からのドナー公募はしていないが、例外的に2つのケースで参加できるようだ。

一つは、
1.日本骨髄バンクにドナー登録し、骨髄等を提供された方の中で、HLA型をホモ接合型で有する方
HLAは父方と母方から一つずつ受け継ぐが、それが同じ型(ホモ)である場合、iPS細胞ストックのドナーとなり得るとのこと。

二つ目は、
2.日本赤十字社の京都・大阪の献血ルームで成分献血をされた方
具体的には下の2箇所の献血ルームで「血小板成分献血」を行なった方でHLAがホモ型であった献血者本人に、「医療用iPS細胞ストック構築に関する研究」への協力について書面で案内するとのこと。ソースはこちら


1)大阪府赤十字血液センター(森之宮)



2)献血ルーム四条(京都府)




またHLAがホモである確率は2-4%とのことだ。年賀状で切手シートが当たる確率もそれくらいではないだろうか。






2016年2月8日月曜日

認知症の音楽療法

今朝のNHKのニュースで認知症の音楽療法の話題が取り上げられていた。
認知症・音楽療法  思い出の曲で よみがえる記憶 - NHK 特集まるごと

妻の母校は全国でもいち早く音楽療法科を設けていたらしいが、妻の在学中は、「あの人たちは演奏家になる訳でもなく、教育者(教員)になる訳でもなく、何を目指すんだろう」というように好奇な目で見られていたそうだ。時代が移り、今や一番稼いでいるのではないか、とのこと。音楽療法士、ミュージックセラピストと呼ばれる。

認知症の人も、直近のことは忘れても古い歌はよく覚えているという。リトミックの逆バージョンみたいな感じなのだろう。


2016年2月7日日曜日

The Remains of the Day

沈んでゆく夕陽が東側の高層ビルに反射し、波長の長い暖かな光が日没までのわずかの間、その辺りにも留まる。「陽の名残り」と呼んでも良さそうな都市特有のこの風景を目にするたびに、私の脳裏にはカズオ・イシグロの「日の名残り」が思い浮かぶ。

この作品を知ったのは大学生の頃だった。20年ほど前の事だ。作品が英国の文学賞を受賞し、映画化された頃だったと思う。当時、映画を観たかどうかは覚えていない。だた、大学卒業を控えた時期に、その土地で過ごした日々の思い出を振り返るとき、題記の原題を呟くとその響きの良さが思い出に何か格調の高いものを添えてくれる気がした。大学の卒業アルバムの研究室のページのどこかにも書いた覚えがある。

現在、氏の作品がドラマ化されて放映中とのことである(TBS金曜ドラマ「私を離さないで」)。氏の作品は、翻訳版はハヤカワ文庫からしか出ていないが、作品によって訳者は異なるようだ。中でも「日の名残り」を訳した土屋政雄氏は評価が高く、今回のドラマ化された作品も土屋氏が翻訳されたようなので機会があれば読んでみたいと思う。作品の土台となる部分に、クローン技術に関する生命科学と生命倫理がある。

iPS細胞の誕生が、人類のエゴイズムをクローンに着手するまでに至らせていないと言えるかもしれない。ES細胞ではクローンに限りなく近づいてしまう。iPS細胞の技術は、すべての個人から幹細胞を作ることも不可能ではないだろうが、こと臓器移植に関しては白血球のHLAが一致していれば良いらしいので、必ずしも自分自身の細胞から作製する必要はないそうだ。よって、約50種類あるHLAのタイプ別のiPS細胞シリーズを作製し、そこから移植細胞(臓器)を作製すればよい。中でも、もっとも頻度の高いHLAサブタイプを有するiPS細胞は、既に出来ているとのことである。

以下、サイトから抜粋。

―イシグロさんが原作「Never Let Me Go」を通して表現したかったことはどんな事ですか?
私は、この物語は普遍的な人間のありようの残酷さに対抗する本質的なラブストーリーだと思っています。我々は、人間として、皆それぞれが死ぬ運命にあり、老いて弱って死んでいくのは人間の定めの一つなのだという事実に向き合わなければなりません。このことに気づいたときに、またこの世界でお互いに共有できる時間がとても短いものであると分かったときに、我々にとって一番大事なものは何でしょうか?この物語が、物質的な財産や出世の道よりも愛や友情そしてこれらを我々が経験したという大切な記憶が本当は価値があるものであると思わせてくれることを願います。別の次元では、この物語が、歴史的に我々がさまざまな形で作り出し続けている残忍で不平等で不当な世界に対する隠喩を提示しているというふうに見ることもできるかもしれません。

昨年夏にNHK教育テレビで放送された氏が講義する「文学白熱教室」と言う番組をたまたま見た。その中でも隠喩(メタファー)という言葉をしばしば使っていた。作品「日の名残り」も、物語で語られるストーリーは何かのメタファーであり、裏には別に本当に伝えたい何かがあったのだという。



2016年2月6日土曜日

Lascia ch'io pianga




オペラ《」リナルド》(HWV7a)より
第22曲、Almirenaのアリア ChA58a(p61), HHA II/4

Lascia ch'io pianga
mia cruda sorte,
e che sospiri la libertà.
Il duolo infranga queste ritorte
de' miei martiri sol per pietà.


買い物から帰ると、妻がこの曲を弾いていた。肘の調子がいいようだ。

去年、長男の卒業式のPTAの出し物でいきものがかりの「エール」を合唱することになり、妻がその伴奏を担当した。去年の今頃は体育館に集まってその練習をしていた。オリジナルから移調してキーを下げて歌ったようだ。

2週間ほど前に妻が首の激痛に襲われてから、しばらく寝たきりのような日々が続いた。今は日常生活に支障が無い程度には回復しているが、寝たきりのときは介護生活を前倒しで経験したような感じだった。

そのとき、「来年、次男の時はもう弾けないかもしれない」と、弱音をこぼしていた。私は、仮にそうなったとしてもそれで仕方ないと思っている。無理だったら、他の人に任せればいい。長男の代の学年に比べると、次男の代の学年にはこれまで十二分に貢献してきた。

昨日まで普通に出来ていたことがいずれ出来なくなる。老いは必ず来る。それが多少、早かったとしても悲しむ必要はないだろう。それが出来ていた頃の輝きは変わらないのだから。

余談。
この人モンセラート・カバリェ(Montserrat Caballé, 本名:Maria de Montserrat Viviana Concepción Caballé i Folc、1933年4月12日 - )は、当時、マリア・カラスと人気を二分した人だそうだ。これだけゆっくり歌えるのは肺活量に自信があるからとのこと。クイーンのボーカルもファンだったという。このレベルの人はその後、出てきていないという。




2016年2月3日水曜日

私が選ぶ「12神薬」

中国人観光客がドラッグストアで爆買いするターゲットの製品を「12神薬」と呼んだりするようだ。いくつかのサイトで見たところ、リストに多少の差はあるが小林製薬の製品が目立つ。あと目薬だろうか。銘柄の違いはあれど、近所のドラッグストアでも常に売り切れの目薬もある。もしかすると日本に居住している中国人が、母国の知人に頼まれて店頭に並ぶや否や買い占めて母国に送っているのではないだろうか。

以前は医師による処方によってのみ手にすることが出来た薬で、今日では薬局で買えるようになったものがある。その主なものは、

1)ロキソニン(解熱鎮痛薬)
2)ガスター(空腹時の胃痛)
3)アレグラ、アレジオン(アレルギー、花粉症)
4)アクチビア(ヘルペス)

などがある。2)や3)が中国人にとっての神薬に加えられるには、中国の公衆衛生の向上とストレス社会化が必要だろうから、あと何年くらいかかるだろうか。

昨年末から妻が首から肩・ひじの痛み、指先のしびれに悩まされるようになった。以前から通っていたカイロプラクティックに加え、針やお灸を試したが完治には至らず、最近はペインクリニックに通っている。ブロック注射と処方薬で治療を試みている。

ロキソニンよりも強いとされるボルタレンを飲んでいるが、痛みにはあまり効果がないという。これらの薬は炎症性の痛みには効果があるが、妻の場合はそうではないのだろうか。

そのような折、泣きっ面に蜂と言わんばかりに妻がインフルエンザに罹った(苦笑。その解熱薬としてカロナールが処方されて飲んだところ、不思議なことに首やひじの痛みも多少、和らいだという。カロナールは上記のロキソニンやボルタレンとは作用が異なり、かつ比較的安全性が高いということで小児にも用いられてきた(製品名はアンヒバ坐剤)。同じ成分(アセトアミノフェン)からなる「タイレノール」という製品は薬局でも買える。

よって、
5)タイレノール(解熱鎮痛薬)
ここで、アセトアミノフェンを含むいくつかの有効成分からなる総合感冒薬や配合剤はいくつかあるが、 中には個人的に相性が悪く飲むといつも悪寒が起きたり胃が痛くなったりするものがあるので、ここでは有効成分が単一の「タイレノール」を選んだ。

他、個人的には
6)新三共胃腸薬(消化酵素、食べ過ぎの腹部膨満感)
7)オルニチン(肝臓の代謝促進)
8)キョーレオピン(滋養強壮)
9)ら・サロンパス(筋肉痛)
10)ムヒ(虫刺されによるかゆみ止め)
11)メンターム クールローション(日焼け後のケア)
12)レノア(衣類の消臭剤)


以上が、今現在、私が選ぶ「かつては病院での診察を経てでなければ使えなかった薬だが、今日では店頭で買える優れもの」あるいは「個人的に生活の質の向上に役立っている必須アイテム」だ。数年後に見直してみるとまた変わっているかもしれない。

ご参考まで。






 


釣りの心得

子どもの頃はよく父に連れられて釣りに行った。春先は砂浜からキス釣り。初夏から夏にかけては堤防からシマアジ(たぶん、本州より一回り小さい)を釣り、たまに仕掛けと錘(おもり)を沈めすぎて海底を這わせるとカレイが釣れる事もあった。

当時はまだ4級船舶免許というのがあり(今は1級と2級しかない)、その免許で運転できる小さな漁船を沖へ出すこともあったが、そこでは自分が何かを釣った覚えが無い。

父の釣りに付いて行くようになって言われたのが、「竿を投げる人の、利き手側には居るな」ということだった。右投げの人の場合はその右側、左投げの人の場合はその左側にはいてはいけないと。それはスイングした際に仕掛けの針がひっかかったり、投げ損じて錘(おもり)が当たったりする危険性があるからだ。磯釣りだと竿をしならせ思い切り遠投する。バス釣りなどしかやらない人は、そういう注意は聞いたことは無いかもしれない。

郷里を離れてからまったく釣りはしなくなったが、長男が小学校低学年で釣りに興味を持った頃、安い小さな投げ竿セットを買って、土浦のイオンの側を流れる川で竿の投げ方を教えた。そして、上の注意事項を教えておいた。父が祖父から教わり、そして子に教えたことの一つとして、大きくなるまで覚えていてくれるだろうか。


2016年1月27日水曜日

街やモノの移ろい



次男が生まれる前、里帰り出産するまでの定期的な健診に訪れていた産婦人科は数年前に分娩をやめてしまった。その近くに、老健施設を併設したペインクリニックが開業した。聞くところによると5年前の開業とのことだ。今回、持病の首が悪化した妻をそこへ連れて行った。

20年ほど前、大学生の頃、同じ部活の医学部の同期が診療科を選ぶ際に、「麻酔科は暇だ」というような話も聞いた。当時、それが理由で麻酔科を選ぶドクターはいなかっただろうが、今や大学病院をはじめとする大病院に勤めた後で、開業を検討する際に採算が見込める診療科の一つが麻酔科(ペインクリニックとして開業)ではないだろうか。うちの近所に開業したペインクリニックも、かつてがんセンターの麻酔科長を務めた人だという。

がんの疼痛や高齢者の関節痛(変形性関節症)などのニーズから、ペインコントロールの重要性が高まってくることは予想されていたが、実際にフィールドにおいてもそれが確認できるようになってきたということだろう。薬自体は古い薬でも、投与方法(インフュージョンポンプを体に埋め込む医療機器)や投与部位(星状神経節ブロック)が進化することで新しい治療法が確立されていることも知られている。

帰りがけに、その近くにある古びたショッピングモールに寄った。つくばエクスプレスが開通する前からある小じんまりとしたモールだが、空きテナント(スペース)が目立つ。我々がそこを訪れるのも、おそらく震災後に水を買いに来て以来だろう。駅周辺や高速のインター近くに新しい店舗が出来て、古くからある店がバタバタ潰れていく姿はこれまでも見て来た。店主のこだわりで無くなった商品もあった。スフレ、メープルシロップのラウンドパン・・・

妻が処方された薬の中に、かつて勤務した会社の収益を支えた製品のジェネリックがあった。私が在籍した頃にその効能追加の評価を行っていたが、それから既に15年は経っているのでジェネリックも出ていて不思議はないのだろう。そして私が学生時代に学び、最初にビジネスとしてかかわった分野は間違いなくレガシー産業化していく。私が仕事で中国を頻繁に訪れるようになったこともその一端なのだろう。

2016年1月12日火曜日

年賀状

年賀状のやり取りもほぼ落ち着いた頃でしょうか。

我が家は毎年、富士フィルムのパンフレットから型番を選んで注文する(写真を埋め込むタイプの)年賀状を送らせていただいております。自分でパソコンで作った方が安上がりだと思いますが(レイアウトする手間を考えるとそうでもないかも知れませんが)、保存を考慮するとあの分厚いコーティング仕様のほうが長持ちするのではないかということでずっと注文しています。毎年、少なくとも1枚は宛名を書かない年賀状を自分達の保存用にとっております。

今年からネット注文(店舗受取り)に変えたので多少安くはなりました。かつ、ハガキ裏面と同一の電子ファイルも入手できるようになりました。そちらの有効利用も考えていますが(例えばハガキで送っていた分を一部そちらに置き換えるなど)、まだ必要に迫られてはおりません。

結婚してから仕事の面でしんどかった時期も 2、3度ありましたが、年賀状だけは何事も無かったように家族4人で写真に納まってきました。肉親や親戚、恩師や旧友らには心配をかけまいというやせ我慢と、少しの意地みたいなものでしょうか。

年賀状の交換だけでかろうじてつきあいが続いている、というケースがあります。私の場合は、年賀状を送る相手はそのような相手がほとんどです。遠方の親戚や過去にお世話になった人や付き合いのあった友人など。

そのような年賀状だけのつきあいも、だんだんとドロップアウトしてしまうケースがあります。早くは20代に、大学院時代の友人で学位は取得したものの希望に適う職に就けずに行方不明になった友人たち。そして今年、ついに大学時代からのある友人の年賀状が途絶えてしまいました。

彼は、大学の同じ学部で同じ部活の友人でありましたが、彼が九州に転勤になって以来、年賀状を交わすだけの付きあいとなっていました。毎年、その年(前年)に流行したものをネタにした面白い年賀状を送ってくれていたのですが、今年はまだ届いておりません。喪中ハガキも受け取っていないので何か変化があったのではないかと気になっています。年齢的にもリストラや子会社転属などがぼちぼち身の回りにも見られる時期にさしかかっていることもあるので。

ひとつ気にしているのが、年賀状がある種のストレステストになってしまう点です。特に学生時代の友人に対しては、同じように人生のステージを進んでいる場合は気になりませんが、結婚や子どもの誕生など双方で一致していない場合、「差が開いている」と感じる面もあるのではないかと懸念しています。











2016年1月9日土曜日

鯛の神経抜き(神経締め)

今日の夕食は家族で近所のホテルに入っているフレンチへ。そのレストランはここ1、2年の間にシェフが変わったそうで、その後、手ごろな値段で美味しい料理が楽しめると評判が高い。

コース料理の一品として鯛のソテーが振舞われた。その時、料理を運んできたソムリエの説明では、「この鯛は九州・天草で揚がった鯛で、神経抜きという技法で鮮度を保って出荷されています」とのこと。この「神経抜き」とは、生きたまま水揚げされた後で魚を締める際に、脊髄に針金のようなワイヤーを通して脊髄を破壊することで死後硬直を遅らせ、鮮度をより長く保つことができる魚の締め方だそうだ。

この技法(後で調べると「神経締め」とも言うらしい)は日本発祥で、兵庫県の明石でいち早く取り入れられたという。妻もテレビで見たことがあるそうだ。

この話を聞いて、私は過去に経験したある動物実験の手法を思い出した。かれこれ15年近く前になるが、脊髄破壊ラットというネズミを使った実験をやっていたことがあった。中枢神経系の影響を排除する為、ラット(ネズミの一種で200g~400gの大きさでマウス、いわゆるハツカネズミの10倍くらいの大きさ)の脊髄の中に同じように金属の棒を通して脊髄機能を破壊(麻痺)させて、人工呼吸器下で薬の効果を評価する実験をやっていた。その時は、本来は粉を計るのに用いるスパーテルという鉄の棒の先を尖らせて、麻酔で眠らせたラットの眼窩(頭骸骨の目の所のくぼみ)からその棒を脊髄の中に通していた。そんな実験を4年ほどやっていただろうか。

この脊髄に針金を通す技法を英語でpith(脊髄穿刺する、脊髄破壊する)という。上記のネズミは"pithed rat"と呼ばれる。よって、神経抜き(神経締め)された魚を外国人に説明する際には、英語では"pithed fish"と呼べば適切に伝わるだろうか。

そして、さらに考えが及んだのが、どうやって漁師がその技法を取り入れたのだろうかということだ。もともと血抜きや温度管理などで鮮度を保つ工夫は行なっていただろうが、いつ、どのようにしてこの技法の発明に至ったのか。

神経系の専門知識や生物の死後の変化に関する専門知識のない、一般の漁師が試行錯誤でこのような技法の発明に繋がるだろうか。それは考えにくいのではないだろうか。一方、水産大学でそのような研究をされている方もいるのだろうか。それも考えにくいのではないかと思う。可能性のひとつとして、釣り好きの医学系の研究者がなじみの釣り船の漁師に教えてそれが試されて広まったということは無いだろうか。あくまでも私の経験をつなげた空想の域を出ないが。

もしこの技法が、魚の締め方に進化をもたらしたブレークスルーであったとして、それが本来、漁業とまったく異なる分野の専門知識が取り込まれて発明に至ったのだとすればとても画期的なことだ。そして、それが人間同士の触れ合いによるノウハウの伝授であったとすれば、尚、素晴らしい。




2016年1月1日金曜日

一年の計

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

今日は午後一番に初詣に出かけました。京都は昨晩、にわか雨に見舞われましたが、元日は暖かな日に恵まれました。我が家は初詣は上賀茂神社に決めています。結婚以来、他の神社に行ったのは1回だけで、その年があまりよい年ではなかったのでそれ以来、他の神社には初詣としては行かなくなりました。

年末年始の京都も中国人観光客が目立ちます(ただし初詣の神社ではそうでもありませんでした)。鹿児島をはじめ地方も中国からの観光客に頼らざるを得ない状況のようです。製造業では2008年頃には「チャイナ・プラス・ワン」といって中国リスクに備える(中国からの避難先となる次の国をさがす。ベトナムが注目されていました)動きはありましたが、逆に国内消費がここまで中国に依存するようになることを当時、誰が予測したでしょうか。

日立系列にいた頃、通信教育を補助する制度があり、英語、財務関係、そして中国語に関する講座については無事に講座を修了すると受講後に全額補助されていました。中国語は当時、製造拠点としての重要性から新たに補助対象に追加されたところでした。当時、私も英語と財務関係は一つずつくらい受講した覚えがあります。

近日中に中国語の入門講座を受講する予定ですが(受講者が少ない場合は開講されない場合あり)、こんなことなら日立系列にいた頃に中国語もいくつか受講しておけばよかったという気もしない訳ではありません。しかし、こればかりは必要性がないと習得する気にはならないので、それを言っても仕方がないのでしょう。

今のところ、出張で現地を訪れた時に多少得るものが多くなればという気持ちですが、日本国内にいても何か活かせる場面があればと思います。とりあえずは中国語習得を切り口に視野を広げられればというのが2016年年初の抱負です。