2015年12月31日木曜日

年末年始のルーチン

地下鉄御堂筋線の壁広告に「韓国3日間¥9800」というHISの広告を見て、「(過去の経験から)どんなホテルに泊まらされるんだろう・・・」という懸念の一方で、自分の実家からはもう5年以上足が遠のいていることに忸怩たる思いを胸にする。しかし、4人家族で帰ると、国内にも関わらず飛行機代だけで30万円以上かかるという現実はどうにかならないものなのか。

参考までに、
羽田→鹿児島(片道):¥31,740
鹿児島→種子島(片道):¥14,200
大人3、子供(小学生以下、大人の半額)1の場合、
(31,740+14,200)x2(往復)x3.5(人)=¥321,580

私の中では、次に実家に帰るのは親の葬式だと思っている。

妻の父が元高校の英語教師で、定年後、とある大学のAO入試合格者の入学準備のお手伝いをしている。合格者に対して入学までに4回ほど英語の講義を行い、その都度試験を行っている。その結果の集計をエクセルファイルでまとめているのだが、そのファイル作成の手伝いも今年でもう8回目を数える。その試験の結果については思うところがあるが、ここでは控える。

大晦日の鞍馬寺登山も今年で5回目。次男が小1の時に始めた。

妻の実家のパソコンのメンテも私の仕事になっている。

3年ほど前に買ったLenovoのG585というA4ネットブックがCPUのしょぼさとメモリ2GBという少なさで使い物にならずお蔵入りしていたが、メモリを4GBに換装したらそれなりに使えるようになった。タスクマネージャーでCPUの使用率とメモリの使用量をモニタしてみると、メモリは定常的に2.5GBは使用しているのだが、何故、販売時には2GBしか付けていないのだろう。CPUの使用率はすぐに100%を振り切る。マルチタスクは到底無理のようだ。今更ながら、何でこんな仕様で売ったんだろう。

今年は、メインで使っているデスクトップPCのほうも、一度シャットダウンしたら立ち上がらなくなっていた。私が寄せてもらう1日前ぐらいにそうなったままだった。ネットで調べた情報に従い、メモリを外して電源を入れるとビープ音が鳴るので、原因はメモリの帯電だったようだ。メモリを差し直して電源を入れたら無事に立ち上がった。私も初めての症状だった。こういう場合、知らずにパソコンを買い替える人(特に高齢者)も中にはいるのだろうか。















2015年12月28日月曜日

いざ鎌倉

私がNHK日曜美術館の録画を見ていると、妻が「あんた、絵なんか興味あったっけ?」と聞いてきた。

「いや、そのうち土日の子供らの付き添いがなくなったら、美術館めぐりでもしようかと思ってるんや。ゴルフもマラソンもだるいし」というと納得したようだった。

一緒に鎌倉近代美術館の回を見ていると、妻の好きな日本画家の作品も所蔵されている事がわかった。また、実は妻は絵が好きだと言う事が分かった。そもそも、家政学部音楽学科を出ており、本人曰く「芸術をこよなく愛している」らしい。

言われてみると、うちの家にはゴッホの「ひまわり」、モネの「睡蓮」、クリムトの「接吻」のコピーの他、名も無き画家の絵もいくつか飾られている。

そして年が明けたら、閉館する前に鎌倉近代美術館に行く事になった。

数年後の美術館めぐりも妻と回るような気がしてきたな。動機は不純だったんだけどな。

奇跡の血量

昨日は競馬の有馬記念があり、普段は競馬を見ない私もテレビで見ていた。
一頭だけ白馬で毛色の違う(一番人気の)ゴールドシップが最後尾から追い上げる姿は、「後一歩及ばず」ながらも見ごたえがあった。そのゴールドシップにとっては引退レースだったようで、その後に引退式があったようだ。私が住む地域は美浦トレーニングセンターが近くにある関係から競馬関係者も多少の知己がある。引退式に列席した横山騎手の縁者も長男の同級生にいる。

競馬は血統の寄与が大きい競技でもあり、「奇跡の血量」と呼ばれる近親交配の法則があるという。簡単に言うと、ある馬にとっての孫とひ孫の掛け合わせによる、その馬の血を18.75%(12.5%+6.25%)ひくとされる血量の馬に強い馬が現れやすいという法則である。

戦前はいとこ婚も少なくなかった日本人にとってはそれほど濃い血とは思えないが、この法則はあくまでもレトロスペクティブに導かれた「都市伝説」であることが生物系の専門家には自明であるだろう。なぜなら、ある個体がその親から50%ずつ形質(遺伝子)を受け継ぐ事は自明であるが、その子に対して親の形質を50%ずつ遺伝させるとは限らないからだ。親から受け継いだ染色体が、生殖細胞として減数分裂する際にちょうど同じ(50%ずつの)比率で受け継がれるとは限らない。よって、仮に孫とひ孫が交配した場合でも、遺伝子が上記の計算のように18.75%引き継がれることはまずないだろう。

昨晩はテレビをつけたまま寝ていて、目を覚ますとNHKで「生命大躍進」というドキュメンタリー番組を3話連続で再放送していた。第2話「こうして母の愛が生まれた」は断片的に見たが、オンデマンドでもう一度見たい。「35歳を超えた独身女性の98%が結婚できない」という統計値があるというが、35歳を過ぎても現代の医療では40歳ぐらいまでは充分に妊娠適性年齢ではないだろうか。結婚はあきらめたけど、子どもは欲しいというケースもあるかも知れない。そのような意志の強い選択をした知人の例も1例だけ知っているが、これからの日本ではそのようなケースの増加も見込まなければ少子高齢化の弊害は乗り越えられないのではないだろうか。

2015年12月23日水曜日

鍼治療

妻が今日、7年ぶりくらいに鍼治療に行きました。

7年前、妻が自律神経失調症に悩んでいた時は鍼治療はあまり効かずに、知人に紹介してもらったカイロプラクティックが功奏して劇的に改善しました。その時の不調の原因は、幼少時に受けた衝撃による首の骨のゆがみが原因だったので、鍼治療ではそれを取り除くことは出来なかったようです。

そのカイロの治療院はGoogleマップにも出ています。ご参考まで。

 

結構年中混んでいます。先生ももうご高齢なので、最近は施術は午前中だけとかのことが多いです。私も腰や肩を直してもらってたまに調整に行くので、先生が亡くなったらどうしようというのが我々夫婦にとっての将来不安のひとつです。

2週間ほど前から、妻は左手の親指と人差指がしびれるという症状に苛まれました。まずカイロに行ったのですがあまり効きませんでした。次に整形外科にかかると「頸部脊柱管狭窄症」と診断されました。症状としてはまさにその病気の症状であるらしく、脊柱管が細いとそのような症状になりやすいようです。レントゲンの結果、確かに脊柱管は細かったようです。整形外科ではまずしばらく薬を飲んで治らなければいずれ手術となるようですが、手術しても必ずしも完治しない病気のようです(むしろ悪化することのほうが多いとか)。

そこで、私の方から鍼治療を勧めました。症状の原因と思われる箇所の首自体は全く痛みや凝りはないものの、肩こりがひどかったようなので、首から下の(肩の)筋肉の凝りが神経を圧迫して神経が過敏になって慢性的に刺激されているような状態(あくまでもイメージ)であれば、鍼治療が効くのではないかと思ったので。妻は以前、あまり効かなかったので半信半疑でしたが、しびれの症状がひどかったので藁をもすがるようにして治療に出かけて行きました。

すると、完全ではないものの親指のしびれは取れたようです。また、鍼の先生には今回のようなケースは過去に鍼治療で治せた経験があるとのこと。妻は帰省するまでにもう一度通って、人差し指の方も完全に治ることを期待しているようです。

強度の振戦やパーキンソン病を電気刺激を入れることで治療する埋込み型の医療機器もあるくらいなので、鍼治療がそういった神経系の症状に対して最適な治療法である可能性も十分にあると思います。妻はカイロに出会ってから、調子が悪くなるともっぱらカイロに通ってばかりでしたが、今回の件で鍼治療を見直したようです。







髭剃り

髭剃りは電動派かカミソリ派かに分かれると思いますが、私はカミソリ派です。ちなみに父は電動派でした。

それに加えて、最近はオッサン化現象の発現として加齢臭に加えて髭が伸びるスピードも増しているような気がして、普段は晩に入浴中に剃るのですが、たまに朝、髭を剃ることに快感を覚え、それがマイブームとなりつつあります。

カミソリメーカーはSchick, Gellette, Featherなど海外勢が主流ですが、替え刃で稼ぐビジネスモデルはプリンターと同様です。さらに定期的にホルダー(持ち手の部分)を買い換えさせる必要もあり、かつては私はSchickを使っていたのですが、そのホルダーの更新頻度の早さ(シリーズとしてざっとUltra(2枚刃)→Protector(3枚刃)→Quatro(4-5枚刃)→Hydro(3 or 5枚刃))に嫌気が差して、数年前から国内メーカー(貝印)のシリーズ(KAI3)を使っていました。
 
Schickのシリーズに関しては、最新のHydroシリーズでは5枚刃のほかには(4枚刃はなく)3枚刃に逆戻りするレトログレード現象まで生じており、 「刃の数を増やせばいいってもんじゃないよな・・・」という内省の意図も汲み取れます。刃の数を増やせば製造コストもかかるでしょうし、消耗品としては3枚刃くらいが落としどころなのかも知れません。

そのような昨今、KAIシリーズの替え刃を捜しに近所のサンドラッグと西友を回ったのですが置いてありませんでした。前回はそのどちらかで買ったのですが。その時はガンダムとのコラボ品も置いてあったのですが。

仕方がないので、以前、使っていたSchickのホルダーがどこかにあるはずなので、その替え刃を使おうと思い、あいまいな記憶を頼りにUltraシリーズの替え刃を買って帰りました。このUltraシリーズの替え刃は一度、姿を消したはずですが、なぜかまた置かれるようになりました(サンドラッグにも西友にもありました)。

具体的にはこれです。
表示に、Super IIシリーズ(Ultraの前)にも使えると書いてあります。



しかし、うちに帰って調べてみると、私が持っていたホルダーはQuatroシリーズのものでした。
だいぶ前にSchickを使うのをやめていたつもりでしたが、そうでもありませんでした。
当然、付けてみようとしましたが無理でした。その間にProtectorシリーズもありますし。一応、メーカーの互換表がありますが、原則、そのシリーズのものしか使えないような記載なのであまり参考になりません。

「しまったな。また無駄なものを買ってしまった。」と思いながら、ダメもとでKAI3のホルダーにつけてみたらなんと付きました。こんな感じ。



 今、調べたらKAIシリーズも最新はKAI5(5枚刃)になっているので 、実際は国内メーカー(貝印)も同じだったということか。さらにシェアで負けて替え刃を売り場においてもらえなくなったのだとしたら、どうするんだろう。ディスポに専念するのかと思って調べてみたら、ハイエンド(高性能)路線も用意していた。



 でもこれも日本の家電と同じにおいがするな。

今日の収穫は、KAI3(本来は3枚刃)シリーズでも使えるコストパフォーマンスの良い2枚刃の替え刃 が見つかったということでした。



2015年12月22日火曜日

縁のある名前、ない名前

昨日、派遣社員の人が辞めて行った。NHK「おはよう日本」の和久田アナウンサーに似た感じの人だった。

40数年生きてくると、この名前とは縁があるな、と思うことがある。と同様に、この名前とは縁がないな、ということもある。

「ある」ほうで言えば、私のサラリーマン人生の中ではじめて女性の後輩として面倒を見るように配属された人は、妻と同じ名前だった。漢字まで同じだった。妻と結婚した後のことである。

一方、「ない」方で言うと、私が日立系列を辞めた直後に働きすぐに辞めてしまった会社で、同じグループで働いていた人と、昨日、辞めていった派遣社員の人は同じ名前だった。

以前、すぐに辞めてしまった会社の人は、私が辞めた後、まもなく辞めてしまったそうなので、どこかで彼女の人生にいらぬ波紋を立ててしまったのではないかと心が痛んでいた。

昨日、辞めた人が入社してきた時、同じ名前であることに気づき、どこかでその時の代償としてその人のことをサポートしてあげられたらいいな、と思っていたので、残念であると同時に「縁がない名前だな」という感が強い。 もっとも、彼女にとっては正社員としての希望の職が見つかったとの事であるので喜ばしいことではあるが。

彼女は地方の大学を出て、その後、一度は地元で就職した後、東京に出てきて働き出したそうなので、その過程に勝手に「失恋」の影を感じていた。

私の知り合いにロンドン駐在中の人がいて、彼はまだ独身なので、帰ってきたら会わせてみようかなというところまで「のびしろ」を描いていたので、つくづく残念である。

というわけで、今日はこの曲で一日をはじめたいと思います。皆様もよい一日を。



2015年12月20日日曜日

0を1にする

先日、中国を訪れた際に、某商社の上海支店に勤務する中国人の方に聞いた話。

山際の土地に、風水の為に植えられたと言う巨木があった。なにやら、中国には直接の後背地に山があるとそこが壁となってお金の流れが悪くなるというような謂れがあるため、その手前に木を植えて(お金が)流れるスペースを作るということをするという。

その木は正確には何と言う木か知らないが、木肌がクヌギの木に似ていたので 「中国ではクワガタやカブトムシを採ったりしますか?」と聞いてみた。クワガタやカブトムシは(東日本では)主にクヌギの木に生息する(ちなみに西日本ではタブの木)。すると「中国にはクワガタやカブトムシはいない。だから採ったり飼ったりするような話は聞いたことがない」とのこと。

 なんと、中国には現在、クワガタ市場がないということだ。さらに、産出もされないという。
だとすると、これから中国にクワガタブームを起こす事も可能かもしれない。中国へのクワガタの輸出がGDPを押し上げる日が来るかもしれない。

冗談はともかく、たいていの場合、0を1にすることは1を2にすることよりも難しく、場合によっては10や100にすることよりも難しいかもしれない。また、物事によっては0を1にした時点で全体の80%が完成するようなケースもあるだろう。

ランチを一緒に食べる人を探すということにおいて、私にとっては「クワガタをダシにする」 というカードはとても有効なカードであった。そのおかげといっても過言ではない。現在の中国ではそのカードは使えないという。もし私が中国で働いていたら、ずっと1人でランチを食べなければならないかも知れない。

ルーティーンroutine_1回/年

少年ラグビーの今年を締めくくる県のチャンピオンシップのため、日立市へ。自家用車組と貸し切りバス2台とで朝6時出発、18時帰着の12時間の道中であった。

空き時間に去年は駅の方を回ったが、今年は前の勤務先の周辺を歩いて回った。どちらも海に近い場所にあり、会場のグランドから歩ける距離だ。前の勤務先は事務棟が新しくなっていた。他は4年前とほとんど何も変わらない街並み。

帰りのバスの中で、後ろの席で幼稚園児のママ同士が会話を していた。もうすぐ幼稚園も卒園で、寂しくなるといったような内容だ。私も相応の時期に似たような感情を抱いた気もするが、もうかなり前のことのようで感情として呼び戻す事は難しい。

それに関して、子どもが小さい時の映像はなるべくまめに撮っておいて、大きくなってから(小学校高学年頃)見返すことをお薦めする。叱る事が多くなった時期に見返すと、親も子も、愛情をたっぷりと注いだ時期を思い出し、子どもも「自分は愛されているんだ」ということを再確認するかも知れない。別に見せる必要はない。親がリビングで適当に見ていれば、子どもも「なんだなんだ?」といった感じで部屋から出てくるだろう。

そのあたりの映像を管理するテクニカルな方法については前にも述べた事があるが、気が向いたらまた書く。

あまり大きな声では言えないが、子どもの習い事の奥様方にも素敵な方がいらっしゃる。それは以前の習い事のときから同様で、まれにご主人と面識がある場合もある。私の場合はさいわいそっちの方面は東京で間に合っているので、今のところ地域社会にご迷惑をかけずに済んでいる。

このような子どもを通した出会いは、幸い、子宝に恵まれた親同士が知り合う ことによるものであり、なかなか子宝に恵まれないご夫婦の苦労や悩みは見えてこない。

彼女にも早く子どもが出来るといいのだが。母としての視点を備えると、女としての魅力も益々、増すだろう。そしてその子どもが男の子だったら、私の「クワガタ・シリーズ」がまた日の目を見る。次回は、「クワガタ採りツアー」まで何とかたどり着きたい。旦那は置いてこさせて。







2015年12月19日土曜日

ボイスレコーダー事件

子育ては、子どもを育てる一方で、逆に親がそれから学ぶ事や、子ども自身に教えられることも多い。

昨晩、部署の忘年会を終え、会社で抱えるいろいろな問題に気分もやや沈みながら帰宅するなり、妻が「大事件発生」と待ち構えていた。爆笑しながら。それがタイトルの「ボイスレコーダー事件」。

 防備録的な目的で言えばタイトルだけで充分なので、これ以上は伏せたい。あまり書くと方々に迷惑が及ぶ懸念がある。

私の性格の一部と、妻の性格の一部が合わさると、そういう性質が生まれるのかと、驚き半分、おかしさ半分。子どもの図太さに、自分が小さく感じた(笑。

また、今回の件とは関係ないが、子どもの性格を見て自分にもそのような側面がある(あった)のかと気づかされたり、思い出したりする事がある。これまでの人生や環境の中で 埋もれたり矯正されたりして現在ははっきりとは表に現れていなかったり、忘れたりしていた場合でも。







写真は、次男が小1の時に妻のために作ったもの。一心不乱に集中して、誰に教えられたわけでもないのにきちんと左右対称に作っていた。

当時はまだ「ママと結婚する」と言っていた。






2015年12月17日木曜日

秘密

今日は、会社でお似合いの二人が一緒にランチをしているのをたまたま見かけた。しかし、たまたまというのが、実は必然だったりするのではないかと思うことがある。

もしかしたら、その二人に協力をお願いすることもあるかも知れない。 あるいは、その二人にとっても都合がいいかも知れない。

楽しみがまた増えた。機が熟するのを待つ。


2015年12月16日水曜日

best before end

本でも映画でも、1回目に気付かなかったことを2回目に気づくことがある。 帰りの飛行機の中で、サッポロビールの黒ラベルを飲みながら「海街diary」を観た。行きに観られなかった残りを観終わった後、最初からもう一度、見直してみた。

 いくつかあった日本メーカーのビールの中でサッポロを選んだのは、(異母妹以外の)3姉妹の母親が現在、3姉妹と別居後、札幌に住んでいる設定から少しでも感情移入できるように、ではなく今週末、次男の試合で日立市に行くからである。単身寮にはサッポロの自販機があり、平日は毎晩飲んでいた。そんな日々を思い出すため。 今でも単身寮の入り口のタッチパネルのパスワードは覚えている。何食わぬ顔で大浴場に入り、誰かの飯を勝手に食べて帰ろうか。 そんな人も、たまにいたという。

見直して気づいた点を1つ。 次女の上司はもともと都銀で働いていたが、鎌倉の信用金庫に転職した設定ということ。 1回目観た時は、次女の上司はまったく印象に残らなかったが、2回目で上記の設定を知り、味が出てきた。

表現したかった主題は、「父親という存在が欠けていても、残された者が支え合って生きればその姿は美しい」ということだろうか。 鎌倉という土地を舞台として、四季それぞれの風景を背景にその姿が描かれていた。 兄弟(姉妹)4人という状況は現実には稀だろうから、別のものに置き換えて感情移入できれば良い娯楽作品と言えるかも知れない。

 この映画の中で、自分に一番近い登場人物は次女の上司だろう。その役柄を自分なりに焼き直し、日々の生活に潤いを持てるよう誰かが主役のドラマの中で生きたいと願う。

ここで問題です。
問)タイトルは、どういう意味でしょうか。

回答例)「終わる前にベストを尽くせ。つまり、いつ終わってもいいようにベストを尽くせ。それは仕事かもしれないし、他の事かも知れないし・・・」。

答えのヒント)このイディオムは機内で飲んだ缶ビールに貼られたシールに書いてありました。そのシールは、国内向けの缶ビールの表示を英訳したものです。

4日目の朝(帰国前)

昨晩、上海に着いた後、同行した商社の方らと一杯。
(薄い)青島ビールではなく普通のビールジョッキ3杯だけで、二日酔いで少し頭がいたい。

シャワーを浴びた後、そのまま寝てしまった。寝癖がひどいのでシャワーを浴び直す。
今朝も、新三共胃腸薬を一包飲んだ。

昨日の分の報告書は、新幹線の中で半分ぐらい出来た。まだまとまっていないので、出発までに仕上げる予定。

上海市街地の高級ホテルがひしめくエリアのホテルに泊まったが、しつらえが古く老朽化した感じが否めない。
地方都市の新しいホテルの方が、豪華さや開放感で勝っているかもしれない。
ただし上海ではNHK(総合)が視 聴できる。今日は東京は20℃近くまで暖かくなると言っていた。

商社の上海支店の方によると、ホテルの近くにアピタがあるという。朝食を済ませた後、お土産を買いに行く予定。
自宅にはお茶(鉄観音烏龍茶、ジャスミンティ)を買うことを決めているが、会社には何がいいだろうか。
食べ物はあまり喜ばれないので、こっちもお茶の類いになるのかな。

午後の便で羽田へ。到着は夕方。



2015年12月15日火曜日

もうすぐ上海

新幹線で移動中。

今回、浙江省で泊まった部屋のルームメーカーはどこか抜けていて、昨日はハンドタオル(ハンカチ)を置き忘れていた。
ハンドタオルは昨日はあったので、明らかに置き忘れた。

ちなみにシェーバーは昨晩も置いていなかった。 こっちは客にオーダーされて持ってくる種類かも知れない。
しかし、一応、五つ星ホテルということなので、それも考えにくいが。

その他は快適だった。

五輪まゆみの「恋人よ」の中国語カバーを聴いた。韓国では人気があると大昔に聞いたことがあったが、中国でも人気なのだろうか。

3日目の朝(仕事2日目)


昨日は一日中、小雨だったが、今朝は晴れている。

こちらで2日過ごしたが、意外にやや寒い。雨が降っていた影響もあるだろう。昨日の気温は日本(関東)より低かったようだ。今の気温は8度の表示。

昨日のうちに報告書が終わらなかったので、朝起きてから直している。今日、やらなければならないことの確認の意味もある。

連日の食べ過ぎで腹部の膨満感がある。日本から持ってきた新・三共胃腸薬を飲んだ(2日連続)。

そういえば昨日の昼にはトコブシ(アワビの小さい種類)を煮込んだ料理が出た。これも日本と同じ食材だが調理法が違う一例だった。

p.s.
こちらではyoutubeは見られないけど、別の動画サイトで日本のテレビ番組が見られ(わりと早くアップされるとのこと)、「下町ロケット」も字幕入りでアップされているらしい。







2015年12月14日月曜日

1日目終了

1日目が無事に終わった。午後、立ちっぱなしで腰が痛い。日本から持ってきたサロンパスを貼る。

昼間、PCを開く暇がなかった。メールが40件ほどたまっている。まず、今日の報告書をまとめてから処理しなければならない。

夕食では白酒ではなく紹興酒が振る舞われた。今回、訪れている場所はその本場。アルコール度数は10度以上。
今日も青島ビールが振る舞われたが、こちらはアルコール度数3.1%以上。

仕事は明日まで。明日の晩に上海へ。明後日は移動日。午前中に時間があるので、土産の鉄観音烏龍茶とジャスミンティを買いたい。

今日も遅くまで仕事してたみたいだ。お疲れ様でした。

p.s.

米国系のサイト(Facebook, Twitter, Google+, i Cloud, etc.)は全滅。

Yahoo Japanはほぼ問題ない。AFP通信は見られる。

BLOGOSも見られない。最近は日本にいる時もあまり見ていない。

NHKラジオのウェブ視聴サイト「らじるらじる」もダメだった。これは残念。

一日の始まり(2日目)

こちらは現在、午前7時40分。日本との時差は1時間(日本が1時間進んでいる)。

今日も曇っている。晩のうちに降った跡がある。路面がまだ濡れている。

昨晩はおよそ3か月ぶりにビールを飲んだ。青島ビールの新作(数量限定、緑の缶)と通常の青島ビール。2日酔いはない。

今日は現地の取引先と会う。白酒(バイジュ)の手荒い歓待があるかも知れない。

中国に来るたび、少し体重が増える気がしている。すでにスーツのウエストが少しきつい。

今回、泊まったホテルのシャンプー・コンディショナー・ボディソープは、資生堂のトニック(アウスレーゼ)系の匂いがする。幼い頃に、親父から漂っていた匂いを思い出す。

昨晩のシェーバー(shaving razor)の件は、500年前(西暦1500年)頃であれば、紙に漢字を書いて意思疎通したのだろうか。


3年後くらいに立ち上げたかったプロジェクトは、まだ望みは捨てずにいよう。今のプロジェクトがめでたく一つ先に進めば、まだ可能性はあるはずだ。



2015年12月13日日曜日

長い一日

朝6時前に家を出て、19時前(日本時間20時前)にホテルに着き、ホテルでの同行者との食事を終えました。長い移動が終わりました。

夕食は中国沿岸部の地方料理(上海料理、広東料理に近い)でどれも口に合うものばかりでしたが、サツマイモを煮込んだものが料理として、サトウキビの皮をむき、2センチ幅に切られたものがデザートとして出されたのは、日本(南九州)と同じ食材の分布地域でありながらもローカルによるカルチャーの違いを感じました。

食事を終えて部屋に戻ると、備品のうちシェーバーが欠けていることに気づき、コンシェルジュと電話でしばらくやり取り。お互いそれなりに英語をしゃべっているつもりだけど、なかなか意図 するところが伝わりませんでした。最終的には分かってもらえましたが。「シェーバーが置いてない」などというクレームはあまりないのでしょう。ルームメークする人の単純なミスでしょう。

中国のホテルはどこもロビーが独特な良い匂いがします。武漢の時(シャングリラホテル)も同じ匂いだったので、一般的なのだと思います。今回は3泊(浙江省2泊、上海1泊)ですが、いすれもシャングリラホテルではありません。

ツイッターはMyYahoo(マイヤフー)経由でROMしています。

上海に向かうANAの機内で「海街diary」を観ました。他に観たいのが無かったので、消極的な選択でしたが。鎌倉の四季、といっても春と夏しか記憶にありませんが、が鮮やかでし た。

最後まで観られなかったので、続きは帰りの飛行機の中で見る予定です。







上海着きました

これから、新幹線に乗ります。こちらも雨です。

2015年12月12日土曜日

土曜日の朝

今朝は8時30分に次男をそろばん教室に送って行き、その足で妻を「オギツ物流センター」というところまで送って行きました。

今日は、知る人ぞ知る、物流センターが行なう靴のバーゲンの日(ただし、女性用のみ)。百貨店に卸しているブランドが7割引きとか(ものによっては¥1,000、¥2,000)で買えるそうです。*ただし、一般公開されておらず、招待ハガキを入り口で見せないと入れません。



去年は来なかったので2年ぶりに来ましたが、ここも鬼怒川水害のあったエリアです。向かう途中の道路沿いの柵が、まだ倒れたままでした。

去年まではベルトや小物もあったそうですが、今年はなかったとのこと。靴の量も(妻が来た一昨年より)少なく、他の来客からも「今年は少ない」という声があがっていたそうです。水害で在庫が被害にあった影響なのでしょうか。

次男が9時半で終わるので、引き返しコンビニで待ち時間。週刊誌で朝ドラにも登場中の「五代友厚」の記事を読む。次男を拾い、再度、妻を迎えに常総へ。

妻は、今年はブーツだけ探していて、気に入ったのが買えた様子。

明日は朝10時に羽田から上海虹橋へ。そして新幹線で 浙江省へ。緯度的に種子島と同じかちょっと南なので、関東よりは温かいのでしょうか。











2015年12月10日木曜日

エポック‐メーキング(epoch-making)

[形動]ある事柄がその分野に新時代を開くほど意義をもっているさま。画期的。「エポックメーキングな発明」 (デジタル大辞泉より)

「今日は木曜日だが、あいつ、昼飯どうしたんやろう?」と、関心を持っている人がどれくらいいるでしょうか。

最近、想定読者一人で書くことが多かったので、 一人でもいてくれれば嬉しいですが。

妻には内緒なのですが、私に新しいランチパートナーが出来ました。

古くからの読者がどれくらいいるか分かりませんが、そう、今日は木曜日。外食の日でした。
ちなみにそれ以外の日は、NHKの昼のニュースをワンセグで見ながら、妻の作った弁当をデスクで食べています。そして少し昼寝します。

旧・ランチパートナーは、約一月前に新しい職場に旅立って行きました。うちにいた時は派遣社員でしたが、その会社では将来的には正社員になれる可能性もあると言っていました。

新しいランチパートナーにもそのうち良いことが起こるよう、 私に出来る範囲で大切にしたいと思います。既婚者ですが(苦笑。

そのうち、私とランチに行くと運気が向いてくるという都市伝説が生まれる日が来るかも知れません。
しかし、会社という場所は人生のある時期においては(就労期間)、一日の半分ちかく、人によってはそれ以上を過ごす場所です。かつ、配偶者とはいえ社内の人間で無い限り自由に出入りすることは出来ません。 「罪悪感を感じない範囲で」、一緒に飯に行きたいという人がいて、実際に行けるというのはとても幸せなことだと思います。

いささか「自意識過剰」ぽくて恐縮ですが、まだ独身の頃、同じ会社でたまに飯に誘ったり飲みに誘ったりしていた後輩(女性)がいました。彼女がその誘いに乗ることは結局、一度もありませんでしたが、ある日、急に(私もたいがい秘密主義なので)社外の女性と結婚することを社内に公表すると、その後、彼女は拒食症のようにみるみるうちに痩せていきました。

私の結婚との因果関係は不明で、もしかするとご両親の介護疲れだったのかも知れませんが、「最近、食べる量が足りてへんのとちゃうか?よし、食べ放題でも行こうか!」とダメ押しの誘いも躊躇するほどのペースで痩せていき、「そんなまででも何らかの理由でで誘いには乗れなかったんやな・・・」と、自惚れによる勘違いの可能性は承知の上で気の毒な思いがしました。

もう、結婚して子供もいるでしょうね・・・。

そのような経験もあったので、会社の中で二人で飯に行くのは抵抗がある人はあるだろう。(たびたび自惚れで恐縮ですが)行きたくても、周囲の目やいろいろ気にして断られるかもしれない。

だったら何人かで(大勢で)行けばいいじゃないか。と思うかもしれませんが、大勢で行くのと二人で行くのとは全然意味合いが違うんです。これは声を大にして言っておきます。二人で行かないと話さない内容もあるし、そういう会話ができるからこそ意味があるのです。

そう思っていたさなか、彼女は私の誘いに乗ってくれました!大げさですが、もしかすると「清水の舞台から飛び下りるつもりで」来てくれたかも知れません。本当に大げさですね。

もしも、そうだとすると、私はその勇気を大切に受け止めなければならないと、喜びをかみしめています。そんなに喜んでくれるなら私も行ってあげたのに・・・という人も出てくるかもしれません。


そして、私にとっては、この木曜日のランチだけが、唯一、住宅ローンや車のローン、マンションの修繕積立て金や固定資産税などを忘れて、羽を伸ばせる「伸びしろ」。

この1時間をいかに充実させようかという涙ぐましい努力が、皆様にとっても何かの参考になれば幸甚です。

というわけで、今日は同伴者がおりましたので定点観測の写真はございません。あしからず。
行った店も、私の手帳にだけ書いておきます。




テスト

メール投稿のテストです。
中国では、ツイッターもgoogleも直接は閲覧できないと思いますので。

2015年12月9日水曜日

尽人事、听天命


虎ノ門の森ビル37の1階に「東京中国文化センター」という場所があります。いつも何かしら展示しているのですが(書とかが多い印象)、昼休みの暇つぶしにぶらっと見るのにちょうどいいくらいのスペースです(入場無料)。

日曜日から中国に出発するので、情報収集を兼ねて昼休みに行ってみました。 入り口に「人民日報」の日本語版や「人民中国」という同類の雑誌(月刊誌)が、「ご自由にお取り下さい」と置いてあります。買うと¥400とか¥470とかするようです(裏表紙に書いてあります)。買ってまでは読まないけど、有益な情報があろうかとそれぞれ12月号をもらって帰り、読んだ時にタイトルの諺のことに触れられているページがありました。

タイトルの意味は「人事を尽くして天命を待つ」。日本でもお馴染みの諺ですが、もとは中国のことわざだそうです。その他には、岩手の南部鉄器(鉄瓶)が取り上げられていました。2010年の上海万博で展示して以来、中国で売れているそうです。普洱(プアール)茶を飲むのに良いとか書いてありました。

上記とは関係ありませんが、常滑焼は鉄分の多い粘土で作られるので、お茶を入れると旨いと聞いていましたが、すでに中部セントレア空港で「中国人にお土産として人気」だそうです。


2015年12月8日火曜日

ピンチ。

「ピンチ」は、人を強くし、成長させます。その結果、人を優しくさせます。

一方、「ピンチハンガー(pinch hanger)」は洗濯ばさみが沢山ついた物干しのことを指します。英語でもそのように呼ぶようです(検索すると商品が出てきます)。ズボンを吊るすタイプのハンガーもピンチハンガーと呼ぶようです。pinchには「つまむ」という意味があります。ただし、洗濯ばさみのことを英語で一般的に「pinch」と呼ぶかは 不明です(ある辞書で検索しても出てきません)。

プラスチック製品が壊れやすくなったことに関して。

ピンチハンガーの洗濯ばさみが劣化して、握った時に「バキッ」とつまみが折れてしまうことなんて昔はなかった気がします。ダイソーの製品ではあったかもしれませんが、最近はドラッグストアやスーパーで買ったものでもプラスチックの劣化の早さが感じられます。

その (洗濯ばさみ)部分の交換品が売られていることを知りました(近所のイオンのスーパーにて見かけました)。ただの(洗濯ばさみ)ではなく、針金のところに接続用のプラスチックがついていて、10個で100円くらい。なんか、かゆいところに手が届くアイテムを見つけたような気がして思わず買って交換しました。

気をよくした私は、さ らに「ひも付き洗濯ばさみ」(15個入り150円くらい)も買って、フレームにひもを回して付けて最終的に最初の仕様よりも20個くらい洗濯ばさみの数が増えました。今まで洗濯物が多い日は数が足りなかったので、これで足りると思います。

何でもっと早く気づかなかったんだろう。

2015年12月6日日曜日

赤い線

最近、パンクを含め故障関係の話が多くて恐縮ですが、昔に比べて製品の寿命が短くなっているように感じます。服が(中国製になって)破れやすくなったり、プラスチック製品が(同じく)割れやすくなったり。テレビに関して言えば、少し前(10月頃)に2008年冬のボーナスで買った液晶テレビ(SONYのBRAVIA)の右の端の方に赤い線が入りました。ちなみに単身赴任していた時にヤフオクで買った中古のシャープの液晶テレビ(2002年日本製)は、(インチ数が小さ いこともありますが)未だに故障せずサブのテレビとして使っています。

故障したテレビは、近所のショッピングモールのノジマで買いました。そのショッピングモールは2008年10月末にオープンしたばかりでした。ネットで買うほうが安かったと思いますが、ご祝儀ということで。今でちょうど買ってからまる7年になります。

その時に延長保証にも入っていて、さっき保証書を見たところ、購入後5年以上10年未満だと修理代が購入金額の10%(約3万円)以下であれば無償で修理してもらえます。当時は保証料が購入金額の3%でした(9000円くらい)。今は制度が変わっていて、保証料が無料である代わりにテレビは5年間しか保証されないようです。いつ頃、変わったのでしょうか。ノジマで久しく大きな買い物をしていません。

ネットで調べると、線が入る場合は回路の故障なのでそんなに修理代はかからないとのこと。しかし、気にならない位置(右端から3センチあたり)だし面倒くさいので多分修理はしません。ひまな時に店舗に行って、話の種にだいたいの修理見積もりを聞くぐらいの事はするかも知れませんが。












思い出の上書き

平日の通勤時間は、らじるらじるでNHK第一のラジオを聴くことが多い。

朝、私がいつも乗る電車は8時5分に北千住に着くのだが、その時刻から「すっぴん」という番組が始まる。日替わりのパーソナリティと、私より少し年上の女性アナウンサー(藤井彩子アナ)との間で繰り広げられる 軽妙なトークを参考に、まだ寝ぼけた頭で年上の女性との甘い会話を妄想したりしている。

先々週の金曜日(11/27)、もうすぐ会社に着こうかという時間帯に下の曲が流れた。


NHKでこの曲がかかる事は意外だったが、とても懐かしく感じた。
この曲は1995年にイギリスのPULPというバンドによって作られたものだ。当時、OASISがビートルズを越えるかという(少なくとも本人達はその勢いで吠えていた)時期だったが、このバンドはそれほど日本では注目されていなかったのではないか。私が知ったのも、その頃、通っていたNOVAという英会話学校でイギリス出身の先生に教えてもらったことがきっかけだった。

この曲は、一見、ポップな感じで明るい曲というイメージだが、詩はとても切ない詩だ。当時、22歳だった私はそのような詩の内容は意識せず、ただ、ノリのいい曲として聴いていた(ここでは本題から外れるのでその詩の内容には言及しない)。

読書でも読んだ回数や読んだ年齢、つまり自分の持つ知識や置かれた状況によってその本から受ける印象が異なるように、音楽や絵やそれ以外のことも同様かもしれない。上の映像にしても、今の自分には「歌っている人が○○さんに似ているな」というのが気になって仕方がないが、当時は(その○○さんとはまだ知り合う前なので、当然ながら)そのような感覚はまったく抱いていない。

当時、分からなかった事や知らなかったことを踏まえた上で、今、改めて過去の出来事や様子、交わした言葉、思い出せることの全てをとらえ直してみる。そうする事が、これからの日々をより充実させる上で大切だと感じている。

2015年12月5日土曜日

(ご参考)ネット接続のトラブル

フレッツ光を1年半ほど使った頃に、うちのマンションでもauひかりを使えるようになったのでそちらに切り替えて5年ちょっとになります。

今日、久しぶりにネットが繋がらなくなるトラブルに見舞われましたが、去年も一度、スピードが遅いと言う不具合がありました。

最初は、マンションタイプの光回線のスピードは加入者数に反比例してしまうという側面もあるので、「うちのマンションもauユーザーが増えてきたのかな」と思っていましたが、あまりに遅いのでサポートセンターに確認したところ、「ホームゲートウェイ(モデム)を初期化してみて下さい」と言われて試すと回復しました。4年ほど使っていたので、ファームウェアのアップデートが行なわれるたびにバグが溜まって遅くなっていたのではないか、とのことでした。

ですので、「なんか最近、回線が遅いな」という場合は、モデム(ホームゲートウェイ、フレッツ光の場合、名称はターミナルアダプタでしたでしょうか)を初期化してみるのも効果があるかも知れません。自分でも信じられないくらい、改善されました。ご参考まで。

2015年12月4日金曜日

中間テスト

長男の2学期(後期)の中間テストが終わった。

前期の期末テストは妻が付っきりで教えてまずまずの成績だったので、今回は本人に任せてみてどうかというスタンスで臨んだ。結果はまだもらっていないが、前回(期末)には及ばない事が明白だ。

よって、春期講習から塾に行かせる方向で話が進んでいる。クラスの友人が通っているところで、知人の紹介だと春季講習代が半額になり、さらにそのまま入塾すると入会金が半額になるところを考えている。

そうすると、これまで私以外は春休みも帰省していたが、それが出来なくなる。 長男はそれが嫌らしく、「期末が良かったら塾に入るの取りやめにしてくれ」と言っている。

あまり期待は出来ないが、家族が帰省した方が私も自由な時間が出来て嬉しい。

2015年12月3日木曜日

定点観測2

今日は、愛宕神社に対して反対側から眺めてみました。下の写真の右側にも高層ビルが建てられるそうです。今は暫定的になのか分かりませんが、弓道場になっています。


このトンネルの上(正確には右手)に愛宕神社はあります。トンネルの左手にあるガラス張りの塔がエレベータなので、ここから愛宕神社とNHK放送博物館に行く事が出来ます。他にも行き方は有名な出世の階段や、裏手の階段、横の方のスロープもありますが、上り坂なのでヒールの高い靴をはいている人にはつらいかもしれません。

博物館は現在、改修中で、オープンは2016年1月末の予定です。





 愛宕通りは今、紅葉が綺麗です。



2015年12月2日水曜日

定点観測

虎ノ門界隈での企業市民(都民)歴も3年を越えてきました。

下の写真の正面が虎ノ門ヒルズですが、この右手にも高層ビルが建つ予定だそうです。
虎ノ門ヒルズも、立ち上がったらあっという間に出来上がりました。
そこで、気が向いたときに定点観測しようかと考えています。
写真は、数日前に撮ったものです。




この辺は前職の頃から昼の散歩エリアです。
向きを変えてみると、南側には愛宕グリーンヒルズが見えます。
下の写真の奥の木々の向こう側に愛宕神社とNHK放送博物館があります。
案内したい人はいるのですが、まだ出来ていません。明日も無理でしょうか。
他の人を案内したら、妬いてくれるでしょうか・・・




ビルの完成が2018年とか2019年とかそのあたりだそうです。
それまで、潤いのある日々を積み重ねていければというのがささやかな願いです。

2015年12月1日火曜日

寧波

現地語で「にんぽー」と読むらしい。中国沿岸部の都市。

種子島に鉄砲が伝来した時の船が(マカオへ)帰る時と再来した時に発着点となった中国大陸の都市。

再来週に3泊4日でその近くに出張に行って来ます。12月13日(日)出発です。12月14日(月)~16日(水)は会社にいませんので、あしからず。

2015年11月29日日曜日

フォレストアドベンチャーつくば

関東全県(東京を除く)に展開し、全国各県に広がりそうな自然共生型のアスレチック施設。従来のアスレチックと違う点が、自生している木に足場やロープを組んでアスレチックを作っていることと、従来にない高さで行うため、カラビナ(滑車付)とクーリーという2種類の命綱をつけて行うこと。

自宅から最寄りの施設(題記)は昨年の夏にオープンしていたようですが、私は初めて行きました。妻と次男は2回目。つい先日、学校の友人やママ友と3家族で行ったばかりでしたが、長男も行きたいというので今日は私と子供二人で参加。妻はカメラマンで同行。アスレチックはやりませんでしたが、入場は可能で地上から撮影していました。

場所は筑波山梅林の手前にあります。駐車場は民間のところが¥200でやっていて、 そこが最寄です(入口すぐ手前)。ほかに市営¥500もあります。入口に大きな看板がないので、間違えてずっと下って行かないようにご注意ください。¥200の駐車場が良い目印です。

難易度は3種類ありますが、一番難易度の高いアドベンチャーコースは全部で4コース(サイト)あり、今日、3人で回ったところ2時間ちょっとかかりました。先日、ママ友らで回ったときは3時間近くかかったそうです。サイトといってもスタート地点は同じ場所なので、それほど歩き回る必要はありません。

個人的な感想としては、高所というスリルだけでなく、適度な疲労感もありました。3コース(サイト)目くらいで疲れてきます。ちなみに妻は参加した翌日、筋肉痛で寝込んでいました。週3回ほどスイミングをやっていますが、使う筋肉が違ったようです。

スタッフに聞いたところ、 同じアドベンチャーコースでも施設によって難易度が異なるそうで、つくばは中程度とのこと。箱根とフジが難易度が高い(高さも高い)と話していました。

高所恐怖症の人は止めておいたほうがいいと思いますが、命綱に命を預けるスリルを味わいたい人にはお勧めです。リピーターも多いそうですが、わざと踏み外してみたりして命綱のありがたみを体感してみる人とかいるのかも知れません。要予約。軍手必須。



駐車場の入口に、この季節に咲く珍しい桜が咲いていました。






2015年11月28日土曜日

自転車の修理

次男がラグビーの練習に行こうとしたところ、自転車の前輪の空気が抜けていることに気づきました。本当は数日前から気づいていたものの、そのまま乗っていた節がありましたが。とりあえず今日の練習は、長男の自転車を借りて行く事に。

チューブのパンクではなく、どうやら虫ゴムが劣化している模様(空気を入れたとき、タイヤはちゃんと膨らむものの入れた口から抜ける場合は虫ゴムの劣化が疑われます)。タイヤの空気が抜ける原因の頻度としてはチューブのパンクと同等くらいでしょうか。

これまでは、近所のイオン(モールではない)の自転車屋に持ち込んでいましたが、ダイソーを覗いてみると、予想通り置いてありました。中には「虫ゴムより10倍長持ち」という品もあり、その品と、それが使えなかった場合を考慮して従来の虫ゴム交換セットを買って帰りました。


 空気を入れる部分のねじを外すと刺さっているパーツ(プラグというそうです)。左が従来の虫ゴム<劣化して取れてありません)。右がダイソーで売っていた「10倍」頑丈というやつ。

取り替えてみると、問題なく使えました。


2個入りだったので、後輪も換えておこうとしたらすでにその10倍頑丈なものが付いていました。以前、イオンで修理した際にこのパーツに取り替えたのではないかと思います。


今年の春に買った長男の自転車は、どちらのパーツが使われているのでしょうね。

2015年11月23日月曜日

コートの新調

今日、愛用のコートを駄目にしてしまいました。

今日は朝から小雨舞う中、地元で次男のラグビーの交流会でした。3チームが集まっての交流会でしたが、その場で豚汁の炊き出しが振舞われました。今日は昼間でも13℃までしか気温が上がらない予報だったので冬用のコートを着ていたのですが、うかつにも袖口にこぼしてしまい、その場で水道で洗ったのですが臭いが残っていたので、うちに帰ってから洗剤でその部分だけ洗いました。

部分的にアイロンをかけようとして、何も考えずポケットのあたりに当ててみたら、なんとあっさりと溶けてしまいました。転倒してこすれたかのように、その部分が破れてしまいました。アイロンで服を駄目にしたのは記憶にないので、初めてではないでしょうか。

この冬で12シーズン目を迎えようとしていたイタリア製のものでした。多少、痛んできてはいたものの、とても気に入っていました。私と一緒にいろんな女性を、ではなく、色んな会社を見てきました。

だめにした直後はさすがにショックは隠せませんでしたが、しかし、こういうことがないといつまでも買い換えない性格なので、ちょうど良かったかも知れません。本当は「買い換えたいな」という気持ちがあっても我慢する方なので(恋も抑えてしまう方ですし・・・)、かえって「これは買い換えんとしょうがないな。不可抗力」という状況になってくれてありがたい部分もあったかも知れません。

時間があったのでさっそく新しいコートを探しに行くことに。近所のショッピングモールで2,3店舗見て、 決めきれなかったので車で30分ほどのアウトレットへ。最終的に、「京都人」の米国版のようなブランドにしました。

一方のアイロンの方は、直後は溶けた繊維がこびりついて、他の布で試してみるとアイロンのすべりが悪くなったような気がしました。しかし、最終的には完全ではないものの気にならない程度まで取る事が出来ました。おそらく来週からまたいつも通りに使えるのではないかと思います。




2015年11月22日日曜日

マラソン大会


今日は地元でマラソン大会が開かれるため、9時ごろから断続的にコースとなる道路が交通規制される。そのせいか、子どものそろばんの試験がこれまでになく早い時間帯での実施となり、朝7時に教室まで送っていった。

その後、妻と次男は上級生が前座の試合に出場するラグビーのトップリーグの試合を見に電車で出かけた。

長男はヨットの予定であったが、他のメンバーの欠席が重なった為、練習は中止に。試験前のため、試験勉強に勤しんでいる。だんだんと、勉強する姿も様になりつつある。

数日前に、長男を言葉使いに関してきつく叱った。今、ちょうど反抗期ということもある。しかし、テロに屈してはならないように、正面から弾圧した。容赦しない。長男をきつく叱ったのは時期として2度目。一度目は小学4年生の頃。そのころはいたずらが目に余った。マンションの非常階段から友達と石を落としてみたり。 上級生の自転車にいたずらしてみたり(しかし、そちらのほうはいじめの仕返しの部分もあったので多めに見た)。まもなくそのようないたずらもしなくなり、落ち着いていたが、少し前から反抗期が始まり妻にもぞんざいな口を利いていた。

しかし、それも今回、叱った事を機に落ち着くかもしれない。

他人の子育てに口を挟むようだが、近所で躾がなっていない子の話をたまに耳にする。それはとりも直さず、子供が悪さをしても叱らない親の話でもある。それなりのポジションにいる親である場合もあるという。子どもは男女を問わない。周りの子どもを殴ったり傷つけたりしても、甘々で叱らない為、同じ悪さを繰り返す。人様の子どもに危害を加える前に各家庭でしつけておくべきことだが、危害を加えた後までも治らないという有様らしい。由々しきことだ。

長男が私と二人で昼飯を取るのを避け(苦笑、近所のフードコートでそれぞれ時間をずらして食べた。

マラソン大会がどんな感じか、紅葉を見がてら見てみようと思い、この土地に住み始めて13年目にしてはじめてマラソン大会の会場に出向いてみた。長男の自転車を借りて。

マラソンの発着エリアは自転車も禁止だった為、歩いて会場を回った。

こういっては何だが、走り終えたランナーの人々とすれ違うときの汗の臭い、普段の生活の中ではいわゆる「加齢臭」と呼ばれる種類の臭いが物凄い。ああいう会場には傍観者として赴いてはいけない。参加者として同化しないと、粗が目に付いてしまう。

帰り道、数週間に一度、どこかから涌いてくるスケボー野郎がまたしても禁止されている遊歩道の石畳でやっているので(同一人物とは限らないが)、今日は面と向かって注意しておいた。普段はマンションの部屋から警察に電話をかけている。妻もたまにかける。アホな市議会議員は、この手の連中に媚を売っている。

この土地の紅葉は、楓よりも銀杏の黄色い葉っぱのほうが見ごたえがある。背の高い木の並木道は壮観だ。しかし、紅葉はもうピークを過ぎていた。 冬がもうすぐそこまで来ている気がした。


2015年11月21日土曜日

スキル

妻と結婚してもうすぐ14年になる。
妻との結婚生活を通じて、向上したスキルがいくつかある。

その中には、他でも有効に活用できそうなものもあるが、あまり役に立たなさそうなものもある。
役に立たなさそうな一つが「ズラを見分けるスキル」だ。

妻がテレビを観ているときや街中で「今の人、ズラや」とかよく言うものだから、私もだんだんとズラセンサーが磨かれてきて、違和感のある頭髪を見分けられるようになった。中には「いかにも」というものを被っている人もいる。昔は全く気にならなかったが、今は気づくと気になってしまう。

妻は独身時代、音楽の非常勤講師として高校で働いていた期間が少しだけある。その時、自分が高校生だった時の教師と一緒になったことがあるが、在学中は被っていなかったのに、勤務していた別の学校では被っていたらしく、その先生は罰悪そうにしていたらしい。

あなたのまわりにも転職を機に被り始める人もいるのかも知れません。

マンション大規模修繕についての説明会

今日は朝9時から我が家が住むマンションの大規模修繕計画に関する説明会があった。
説明会の主催は管理会社。 うちのマンションは数年前に管理会社を変更し、今は三菱地所の関連会社が管理している。だからと言って特に変わったことはない。レスポンスはむしろ前の管理会社のほうが良かった。

どこのマンションも竣工から10年くらいに大規模修繕が計画されていると思うが、うちのマンションも12期の2016年に計画されている(震災前はちょうど竣工10年が経過する11期の今年、2015年に計画されていたと思うが、震災後、その補修等を経て変更になったのではなかったか)。

しかし、今回の説明会が開催されたのは、東京オリンピックを控えた資材や人件費の高騰を含む見積額の高騰から、先延ばしできる部分は先延ばしすることを検討したい、といった理由からであった。

ざっくりとした計算で、230戸規模のマンションだと、大規模修繕には3.5億ほどかかる。
外壁を塗りなおしたりする為の足場を組むのに6600万くらいかかる見積もりだった。

ある意味で、東京オリンピックにはこのようなかたちで我々、直接関係しない人間も建設業界他にご祝儀を払っているということになる。逆に言うと、震災復興に関してはブレーキをかけていると言っていいのだろう。

司馬遼太郎と大前研一の古い対談を読み返している。1987年、まさに日本が土地神話に踊らされたバブル景気真っ只中頃の対談だが、「日本ほどのGDPまたは個人所得がありながら、都市部の人間がベルギーやイタリア北部ほどの豊かな生活が出来ていない」という記述があるが、それは今も変わらないのではないか。欧州についてはその後、移民や今のテロの脅威につながる新たな問題が発生している部分はあるだろうが。

ところで、子どもが手を離れた時、その余った時間とエネルギーをどこに注ぐかと言う時に、マンションの管理組合活動に打ち込むという種類の人もいるのだろうか。せっかくなら私は別のことに注ぎたいな。そろそろ、その準備をしなければならない時期にきている。

2015年11月20日金曜日

吉報


妻の従姉妹が、結婚後、ずっと子どもが出来ていなかったが、めでたく出来たとのこと。まだ安定期ではないが、予定日が5月という連絡があった。

お盆に帰った際に、妻が「ざくろジュースと高麗人参茶がいい」と言って、自分が飲んでいるものを一部、分けて送っていた。ざくろジュースは 私のオルニチンと同じiHerbというところから買っているもの(日本語サイトだけど米国から送られてくる)で、高麗人参茶は「スギ薬局のオリジナル商品がいい」と言っていた(でも今はもうなくなったらしい)。

念のために言っておくが、別に妻は妊娠したいからこれらを飲んでいる訳ではない。あと、それらの効果があったかというと、予定日から逆算して考えにくい。

最近は養子縁組は少ないと思うが、以前、「貰い子かな?」という夫婦がいらっしゃった。奥様の妊娠期間の印象がないままに、ある日、赤ん坊を連れて生活されるようになった。引っ越されたのか、姿を見なくなってしばらく経つ。















2015年11月17日火曜日

年末の気配

年末調整が終わり、喪中ハガキが届く季節となりました。

大学時代の友人の父親がなくなりました。

私の父は、昨年、小細胞肺癌を患っていたのですが、昔からある毒なのか薬なのか分からないような薬で一応治って、元気にしているようです。ちなみに最近主流の分子標的薬や抗体医薬は小細胞肺癌を適応にしていません。効かないので。

それでも、「5年生存率」と言われるように、5年以内には再発して死ぬのではないかと心の準備だけはしています。

父は若い頃からヘビースモーカーで、「肺に影がある」と言われたのはもう7,8年前でした。その時に、いつ死んでもいいように、「冥土の土産ビデオ」なるものを作り、実家に送りました。内容は子ども達が自転車に乗っている映像、長男がピアノを弾いている映像と柔道をしている映像でした。他に何かあったかな。

年末調整は、昨年で住宅ローン減税が終わり、今年から所得税が戻ってこないので年を越せるか不安です。住宅ローンを借り換えた時の、あの面倒くさい証明書類一式の提出と比例計算も、日立系列をやめた後は自分でエクセルでフォームを作って提出していました。これ知らないと、年末調整が長引いて面倒くさいです。 そして、同じ書類を毎年出さないといけないのでちゃんと保管しておいたほうがベターです。


2015年11月16日月曜日

座席表

会社の座席表が更新された。

月初めで辞められた派遣社員の方の席が、後任の人の名前に変わっていた。

辞めた方は、もう次の会社で働いていると思うが、うまくいっているだろうか。

 一度だけランチをご一緒した時に、「まずは正社員の仕事を探す。そして、次は、パートナーが欲しい。子どもはいつかはどこかへ行ってしまうから。」とおっしゃっていたことを思い出す。

良いパートナーが現れんことを。
 









2015年11月15日日曜日

英語読み上げ算大会

2週間ほど前の写真です。懐かしい風景だと思う方もおられるのではないかと思い。

我が家にとって6回目の参加となる大会でした。去年まで長男もいたのに、中学生となった今年は引退していないことに少し寂しさを感じ。長男は小2から小6まで5回出場しました。

その日、長男はうちの近所で開かれていた「科学フェスティバル」というイベントに、通っている中学校が主催するコーナーの担当として参加していました。

次男は小2から今年で4回目の出場でしたが、見事、学年別で3連覇しました。次男も来年までの参加となります。 3月に代々木で全国大会があります。

今年の大会の記念誌(要綱)には、ノーベル生理学・医学賞を受賞された大村先生の奥様が、生前、ご主人の留学先の米国や、帰国後の日本で英語読み上げ算の指導にかかわっておられたエピソードが披露されていました。埼玉県北本市の「絵のある病院」建設にも協力された奥様は2000年9月1日に60歳の若さで他界されました。


2015年11月13日金曜日

何もない週末

今週末は珍しく予定が何もない。
次男のラグビーの練習はあるが、一人で自転車で行ける。

子どもが手を離れたころを想像して、行動してみたいが、今は読書をして過ごすくらいだ。
来年度、長男のヨットが多少楽になり、再来年度、次男のラグビーが楽になるだろうか・・・。

3年後くらいにサークルでも作ろうかと思っていたが、作る必要がなくなった。
やりたいことは、できることなら前倒ししたい。機会があれば。

そして、その活動のあとは、参加者で喫茶店でスフレでも食いながら(東京だと、どこで食べられるか知らないが。昔は近所にも美味しい店があった)、

「最近、どうですか?○○ちゃん、勉強頑張ってますか?」
「学校で、いじめられたりしてませんか?」

などと子育て談義に花を咲かせる一方で、

「うちの嫁は、アイロンをかけるのが苦手で、週末はいつも1週間分のシャツとハンカチに自分でアイロンをかけているんです。夕方、相撲をみながらかけることが多いですね・・・」

などと愚痴を言ってみたり。


あなたは今週末、どう過ごしていますか?







2015年11月12日木曜日

4年が経ちました。



52秒のところで、下を再生する。



(名残惜しければ、もう一度上に戻って再生。うまく合わせられなかった人も、もう一度チャレンジ。今度はうまくいくよ。)

4年前の今頃、日立系列をやめることが決まり、年明けから都内で働くことに。
それまで東京では生活したことのない私は、あくまでイメージとしてこの映像を繰り返し見てモチベーションを高めていました。 有休消化でのんびりしながら。

最初に勤務した汐留は確かにこんな感じで、「街並は」良かったです。
 
1年ほど過ぎてからブログを書き始め(ここではありません) 、2014年初めに都知事選があり・・・(苦笑。

日立系列をやめるときには想像していなかった出来事の数々・・・。
息子達がそれぞれヨットとラグビーを始めたことも含めて。

これから先に目を向けると、近い将来、虎ノ門から新橋に抜ける通称「新虎通り」がシャンゼリゼ通りのようになるそうなので楽しみです。一緒に歩きたい人と、その頃まで良い関係でいられますように。

4年前、入社1年目だった後輩が入社5年目の先輩社員としてウェブサイトにでていました。懐かしい製品の傍らで、知ってる顔と、知らない顔と一緒に写真に写っていました。






















検査結果

今日、ようやく献血時の生化学検査が届きました。
主要な項目だけ抜粋します。

8月19日:人間ドック(基準値)
ALT 80(0-30)
GGT 281(50以下)*これはかなりヤバい数値だった。
CHO 258(140-199)

11月1日:献血時の生化学検査(基準値)
ALT 59(8-49)
GGT 89(9-68)
CHO 179(140-259)

検査法が違うかもしれないので単純比較は出来ませんが(基準値の値を見ると献血時の検査の方が値が高めに出そうです)、それでもGGTの驚異的な回復。*基準値(正常人が測定した時に分布する範囲)

ALT, GGTともに基準値にもう一歩です。

ちなみに私はCHOはもともと高めなのですが、最近、高くても問題ないようなことが言われ始めました。 その方面の薬が儲からなくなってきた(出尽くした)ことと関係あると思います。

この結果には、妻も喜んでくれています。実は、オルニチンは別のところにも効果があり、アルギニンに変換されると・・・(略。

妻よりも長生きしてしまいそうです。







2015年11月11日水曜日

指輪

今日は独身の日だそうです。

指輪をしていないのでてっきり独身だと思っていたら、確かに独身ではあるけど既に離婚していてお子さんがいる人だったというケースが過去に2回ほどありました。

今日はその逆のケースがありました・・・。

先日、帰りの千代田線の中で、左手の薬指に結婚指輪の代わりに婚約指輪をしている人を見かけました。実は私の妻もそうしています。

婚約指輪は結構な額を払って買うので、そうやって使ってもらえるのは買った甲斐があります。

後世の参考のために申しますと、同じ額を出して買うなら、ティファニーやカルティエよりノーブランドのもののほうがダイヤモンドの質は格段に上だと思います。ブランド物の指輪でも、ダイヤが光らないと身につけなくなるのではないでしょうか。

それ以外に、たいていの女性は年齢とともに太ってくるので、婚約当時の指輪は入らなくなります。うちの妻も、一度、リングは交換しています。光るダイヤでないと、そこまでして身につけようとは思わないかもしれません。

電車で見かけた人のダイヤはカットが細かくて綺麗でした。

妻のものは、カットはシンプルだけどclarityがIFなのでよく光ります。



2015年11月10日火曜日

あなた

あなたも 上司から箸の上げ下げレベルのことを細かく言われて ウンザリすることがありますか?

あなたも 「それ 個人の好みの問題でしょ」と言うレベルのことをいかにもそれが正しいかのごとく主張されて 嫌になることがありますか?

あなたも 上司が「自分がいかにも指導している」アピールをしたいばかりに 人前で面子をつぶされることがありますか?

あなたはなさそうなので うらやましく思います。







2015年11月8日日曜日

お便りを待つ。

先週末に近所の献血ルームで献血しました。

動機は不純で、後日、送られてくる生化学検査の結果から、この2ヶ月の断酒&オルニチンの効果を判断するためです。

献血ルームの説明では、血は採血した翌日に使われるとのことでしたので、検査は翌日には行なわれるのではないかと思いますが、先週中に結果が送られてくることはありませんでした。

こうして手紙の類を首を長くして待つのは久しぶりのような気がします。




2015年11月7日土曜日

近況

11/3にハイチュウを噛んでいたら歯の詰め物が取れたので、今日、なかなか予約が取れない歯医者を予約して行ってきた。キャラメルで詰め物が取れることはあってもハイチュウでは取れないというのが私の中では定説だったのだが、それが崩れた瞬間だった。

私以外の家族は皆、いつもその歯医者に通っているのだが、私自身は他の歯医者にも通っていたのでそこで治療するのは9年ぶりだった。カルテを確認すると、今回外れた箇所は9年前にその歯医者で治療した箇所だった。確認したところ、詰め物の下が少し空いていた可能性があるので、健全な歯であればハイチュウでは詰め物は取れないと信じたい。

ちなみに会社のあるビルにも歯医者がテナントとして入っていて、仕事の帰りに寄ることも考えたが、ウェブサイトをみてやめた。やめた理由は、想像にお任せする。
  
妻が車を使っていたので、長男の自転車で歯医者へ向かった。長男の自転車を借りるのは2回め。1回めは次男にラグビー場までの道のりを自転車で通わせるために、そのルートを同行したときだった。

子供が中学に上がると部活動も始まり、一般的には子育てから開放されるように思うが、うちの子供らに関してはヨット(長男)とラグビー(次男、ともに部活ではない)は、中学生になっても送迎や付き添いが必要で完全に離れてくれないところが悩ましい。

それでも、先々週あたりから、次男(小5)には 自転車でラグビーの練習に通うようにさせていて、できるだけ独り立ちさせようとしている。

小学校高学年から親への反抗もはじまり、子育てのやり方がそれまでとは変わってきた。
自分の意思というものが芽生え、親が言っても聞かない面が出てくる。
私はそれでもいいと思い、極力、放ったらかすようにしている。逆に、親として関わる時間を少なくしていこうかと思い始めている。

ところで、私が狙っていたポジションが社内公募から消えてしまった・・・(苦笑。誰か社外から採用したのだろうか。これから、何を楽しみに生きていこうか。3年後くらいに、サークルでも作ろうかな。何故、3年後か、そして何のサークルかは秘密。

次回の歯医者は3週間後の土曜日。







2015年10月25日日曜日

ゴッホの手紙

ヨットという乗り物はイギリスで生まれたと思っていたが、14世紀のオランダらしい。それを知ったのは例のシリーズの「オランダ紀行」。フライング・ダッチマンという種類の二人乗りの小型ヨットは、1990年代初めまでオリンピックのヨット競技の一つでもあったようだ。

その本の前半は、オランダの風土や国としての成り立ち、周辺諸国との関係などが述べられているが、終盤は画家・フィンセント・ファン・ゴッホの生涯について傾倒してゆく。

ゴッホといえば「ひまわり」で知られた画家であるが、生前は無名であったらしい。そして、オランダ史には文学の巨匠は少ないが、「文学をフィクションに限定せず、”文章という知的な道具によって描かれた感性の体系”とすれば、ゴッホの書簡集はオランダ文学の最大の収穫」とのこと(ワイド版の318ページ)。ドナルド・キーン氏が日本の日記文学を高く評価するのも、そのような観点からなのだろう。

初期のゴッホは働く人を描くことが好きだった。まるでミレーのようだな、と思いながら読みすすめると実際にミレーの作品を模写していたようだ。書簡にも「ミレー的な感じ」(第372信)と触れられているとのこと。

そして浮世絵に影響を受け、「ひまわり」を描くようになる。ゴッホの生涯からみると、その明るさは例外的だ。

新宿に東郷青児美術館という損保ジャパンが運営する美術館があり、日立系列にいた頃、たまにチケットがまわってきていた。損保ジャパンも日立も「芙蓉グループ」という旧安田財閥に属し、関係が深い。団体割引の生命保険や車の任意保険などで世話になったりする。

その美術館にもゴッホが描いた「ひまわり」のうちの一つが常設展示されていることは以前から知っていた。しかし、チケットはいつも誰かにあげていて見に行った事はなかった。いつか、行ってみることにしよう。多分、これまでとは違った印象でみることだろう。

その前に、先週末から始まった神田の古書まつりでタイトルの書簡集を探してみるかもしれない。

2015年10月23日金曜日

中学校の音楽会

市内の中学校では、今、音楽会が開催されている。昨日、長男の通う中学校が、今日は隣の中学校が行なったようだ。この二つの中学校は、特別に北関東最大級の規模を誇るイオンモール、ではなく北関東最高の音響を誇るノバホールを使わせてもらえる。置いてあるピアノは○千万のスタインウェイだ。

それはなぜかと言うと、この二つの中学校はこの地域が開発される頃に設立され、この地域の発展のためにわざわざ移住してこられた献身的な人々の、優秀なDNAを引き継ぐ自制と規律が融合したご子息が多く通っているから、ではなく、単に近いからだろう。

この音楽会は、3学年の全クラスがクラスごとに課題曲と自由曲を合唱することがメインのイベントである。課題曲は、各クラスで(クラスの誰かが)作詞・作曲したオリジナルの歌を歌う。自由曲は、 既成の歌をクラスで選んで歌う。課題曲も自由曲もクラスごとに違い、同じ歌を歌わせてクラスごとにその出来を競うということをしないという点が変わっている。

課題曲(オリジナル曲)を歌う前に、 その歌の意味とこめられた想いを誰かが代表でスピーチするのだが、長男がその代表に選ばれた。しかし、その読み上げる文章は、クラスで文章を書くのがうまい子が書き上げた。私の息子ならそっちの役をやってほしかったが、多分、妻に似たのだろう。



2015年10月20日火曜日

富山

今年に入り、富山は二度目である。
前回、訪問した時に「かつて富山は関西経済圏だった」という話を聞いた。

そのことを傍証する一例かも知れないが、土産物屋や自動販売機に表示されている、支払いに使用できる交通系カードの代表例が「IKOCA」だった。「SUICA」や「TOICA」は小さく表示されていた。JR関西の路線は通っていないだろうに。奇妙な感じだった。

前回、訪れた時も出張だったが、前回は家族の土産に「鱒(ます)寿しと鰤(ぶり)寿し」の詰め合わせを買って帰った。今回は、妻が雑誌で見たという寿々屋の「白えび寿し」を頼まれたので、それを買って帰ることにした。この季節しか売っておらず、白えびが取れない場合は生産しないという。

北陸新幹線「かがやき」で富山駅に着くと、待ち合わせ時刻までしばらく時間があったので、売り場を確認することにした。まだ商品が並んでいなかったので店員に聞くと、そのうち入ってくるが予約も出来るとのことだった。だいたいの帰りの時刻と私の連絡先を伝え、ひとつ予約しておいた。

仕事が終わり、帰りに土産物売り場に寄り、売り場の陳列棚を見ると「売り切れました」との札が置いてあった。店員が棚の上から私が予約した分の一つを取り出して、会計してくれた。

他に、帰りの新幹線で食べるのに「三味笹寿し6個入り」を近くの別の店で買った。

2015年10月19日月曜日

FMEA/FTA

日立系列の会社に入社してまもなく受けた研修が、タイトルのリスク分析・故障モード分析の研修だった。単純化するとFMEA(failure mode and effect analysis)は潜在的なリスクを洗い出してそのリスクを未然に防ごうとする手法、FTA(failure tree analysis)は既に起こってしまったトラブル・故障を取り上げ、その原因を分析する手法である。FMEAが、想定可能な多岐にわたる要因から不都合なリスク・故障という事象に発展しうるリスクを想定する事に対し、FTAはひとつの問題の原因を要因に分解し、さらに1段階、2段階と小さな要因に掘り下げていき、最後にきっかけとなった小さな要因を同定しようとする手法である。

と私は理解しているが、間違っていたらごめん。

今月末に退職する人がいる。隣の部署の部長だった。もう会社には来ない。

傍からは自分から辞めていった様に見えた。しかし、一応、うちの会社は米国系の外資である以上、「辞めさせられた」という線を考慮に入れておくべきだと思う。

現に、その人はピープルマネージメント(部下の管理)を期待されて採用されたが、うまくいっていなかったという。私の目から見てもそのように見受けられた。そして、つい最近、その人が果たすべきだったピープルマネージメントを行なうために、シニアマネージャーが入社してきた。

さらに、これをFTAとして分析した場合、もうひとつの要因が浮かび上がってくる。

半年ほど前に、その人が所属する大きな組織の、もうひとつの山の部長が辞めていった。その穴を埋めるためには、その大きな組織の中から適任者がいればその人が当たるのがベストだろう。今度辞めていく部長は、入社以来、任されていた部署よりもバックグラウンドとしてはそちらの部署のほうが経験はあったようだ。おそらく、打診はされただろう。しかし、蓋を開けてみると、過去にそのポジションをこなし、その後、工場長まで勤めて、本社勤務であがりで定年を待っているような大きな山の外のポジションにいた長老(!)が奇跡のカムバックを果たした。

もしも、今度辞めていく人がそのポジションを打診されて、断っていたのだとしたら。日系の会社でも、管理職で社命を拒んだらその後、窓際に行くのは当然の報いだ。ましてや外資なら、首になっても文句は言えないだろう。

そのような理由から、私の中では「首になった」と解釈している。そう捉えて自らの振る舞いを考える方が外資系で生きていくうえでは間違いは少ないように思う。






2015年10月17日土曜日

雨上がりの朝

休日をいかがお過ごしでしょうか。

昨日は大阪出張で、6時前にはうちを出ました。天気予報では東京だけが雨で、うちを出るときも降っていなかったので傘は持たずに出かけました。

大阪は一日晴れていて、無事に仕事を終えて帰り、20時過ぎに東京駅に着くとまだ降っていました。念のためうちに電話をかけると「こっちも降っている」と。息子に傘を持たせて、駅まで迎えにいかせるから、とのこと。

降りる駅に着くと、改札の外に長男が背中を向けて待っているのが見えました。背がだいぶ伸びました。もう、170センチ近くあるのではないでしょうか。妻の背はもう抜いてしまいました。小6の時に着ていた服はもうほとんど着られず、大人サイズのSでも稀に小さいこともあるようです。

改札に近づくと、壁際に次男がもたれかかっているのが見えました。

昔、日立市から毎週末帰ってきていたときに、JR土浦駅まで車で迎えに来てくれた際に、たまに兄弟で東西連絡通路のところに迎えに来ていたことを思い出しました。あの時はまだ小さかったから、二人で近くに並んで、子犬か雛鳥がえさを待っているような感じでした。

日立市に通っていたのが約4年前までなので、それ以上前のことです。長男が小学校低学年、次男が幼稚園の頃でしたでしょうか。












2015年10月11日日曜日

TPPの舞台裏

他の分野は知らないが、バイオ医薬品をめぐるTPP交渉の舞台裏を少しだけ知る機会を得た。

バイオ医薬品のデータ保護期間は8年で合意した旨の報道がなされ、これについては「大手の製薬会社が優遇されている」という向きのとらえ方もあるが、当初、米国側からは12年間とする提案がなされていた。そして当の大手製薬会社の業界団体(米国研究製薬工業協会(PhRMA)および米国バイオ産業協会(BIO))の受け止め方は「協議に負けた」との見解である。

従来、医薬品の保護期間は販売後だいたい10年位かなという印象だったから、12年というのは少しだけ権利の延長を主張してきてるかな、というのが個人的な印象だった。それが8年で妥結したと言うのは、上記の団体にとっては従来よりも逆に保護期間が短いという印象だろうな、というのは否めない。

この交渉については、米国とオーストラリアが対立していた旨の報道がされているが、実際には背後にいるのは利害が対立する業界団体同士であり、これらの国は代理で交渉しているに過ぎない。そして、米国内にも12年とする提案に反対する業界団体は存在し、米国政府は賛成派・反対派双方の団体からロビー活動を受けたことだろう。また米豪双方に拠点を持つ多国籍企業においては、双方の政府にロビー活動したとというのが実態だろう。

結局、協議に負けたかたちの米国にとっても、最後は「国民にとってどちらのほうが有益なのか」というのが判断の拠り所だったのではないか。

日系企業にとっても、交渉に積極的に加わらないながらも興味津々だったとは思うが、例えるならば関ヶ原の戦いで徳川方が勝つか石田方が勝つか、離れたところから趨勢をうかがっていたら以外にも石田方が勝ったという感じではないだろうか。

2015年10月10日土曜日

One day, One life - Misia


いつになく あの人の顔から笑顔が零れる

同僚に話しかける姿が 離れた私の席からも よく見える

いつまでも こんな日が続きますように

明日も 明後日も

2015年10月4日日曜日

断酒、オルニチン、レノア、etc.

①をやめてもう1ヶ月ほどになります。8月に受けた人間ドックの結果が届き、散々だったので、妻にやめさせられました。せっかくこれからは茨城の焼酎を飲もうと思っていたのですが。

私自身の考えとしては好きな様に生きて死ねばいいと思っていたのですが、妻が「絶対だめだ」と言うので素直に従うことにしました。実際には意外とあっさりとやめることが出来ました。

①をやめた今の私には、楽しみといえば②くらいしかありませんが、贅沢は言ってはいけないのかも知れません。

①をやめると同時に③を始めました。健康診断では肝臓のパラメータ(ALT, AST, γGTP)が悪かったので。糖のほうは大丈夫でした。③はアンモニアの代謝を促進します。これまでDHLや協和発酵バイオの製品を試しましたが、近日中にアメリカのiHerbという会社から個人輸入します。既に妻がユビキノール(コエンザイムQ10)やらいろいろと輸入した実績があります。ユビキノール(コエンザイムQ10)に関してはもともとカネカが開発したものですが、国内で販売されているものは酸化型が多くそちらはあまり効かないのだそうです。

③を飲み始めてから、思い込みかもしれませんが④がマシになったような気がします。

④に関しては、お盆過ぎあたりからレノアを使い始めました。これはお盆に帰省した際に妻の実家で使っていて効果がありそうなのでうちでも使い始めたのです。古いTシャツに染み込んだなかなか取れない臭いも分解されているような気がします。匂いをつけるタイプのものもありますが、そちらは試していません。デオドラントビーズという臭いを分解するタイプのもので緑色と青色のボトルの製品がありますが、うちでは青色の方を使っています。緑色の方は使った後に残る香りが⑤に似ている気がして、うちでは不評でした。

妻がせっかくそこまでやってくれるので、私も健康管理に気をつけていつか⑥を抱けるように長生きしたいと思います。


【問題】 文中の①~⑥に適切な語句を以下の中から選びなさい。
(酒、女遊び、子供の成長、オルニチン、加齢臭、キレ癖、金木犀、殺虫剤、いい女、孫)

2015年10月1日木曜日

適当な話

あまり沈黙が長くなると、浙江省でスパイ疑惑で拘束されているのではないかと心配してくれる人がいるかもしれないので、何か適当に書こうと思います。

2日ほど前、昼過ぎから取引先を訪問する必要があったのでエレベータで1階に降りると旧知の顔と出会いました。日立○○時代に一緒だった人でした。彼が新入社員として入社した年に私も中途入社したので、「同期」として新人研修等を受けたような間柄でした。ですので、私より10歳くらい若いはずです。

私も先を急いでいたので、今の会社に来てどれくらいなのかは聞かずじまいでした。後日、彼のオフィスの受付を訪ねて電話で呼び出してみましたがあいにく不在でした。

再来週あたりにビルの消防訓練があるので、縁があればそこで再会するかもしれません。


2015年9月28日月曜日

プロセスを楽しむ

県内のある私立高校では他の私学に遅れて特進クラスを設けたが、今年の春、そのクラスの生徒が筑波大学医学部に現役合格したという。

その学校はスポーツが盛んであることから、全国大会に出場した部や生徒については学校の校舎の壁に「全国大会出場○○部」とか「インターハイ○位 ○○ ○○君」などと垂れ幕が掲げられるが、上記の現役合格についてはそれらの垂れ幕よりも一回り大きな垂れ幕が掲げられているという。

現役合格した生徒については、あくまでも想像だが県内の名門公立校を惜しくも不合格になるなどして、入学当時としては不本意な選択であったのかもしれない。

高校受験の結果は、あくまでも通過点でしかない。

長男が最近、同じマンションに住む老夫婦の「英数塾サークル」に通いだした。物理系の研究機関のフェローで、筑波大でも客員教授をされている方が数年前から始めたもので、ご主人が数学、奥さんが英語を教えてくださるという。近隣の中学生4,5人を相手に土曜日の午前中に開催されている。中学2年生クラスと中学3年生(受験生)クラス に分かれてやっていて、長男(中1)は中学2年生クラスに入れてもらっている。教科書の先取り学習というかたちでやっていただいているが、長男にとっては一学年上になるので書店で教科書を買うことにした。というか書店で教科書を買えるということを初めて知った。英語が320円、数学が599円だったそうだ。

 ついていけるのか分からないが、ちょっと違ったかたちの勉強を楽しんでやってくれればそれでいいのではないか。

受験の結果は、どちらでもいいような気がしている。




2015年9月26日土曜日

変化

先日、東京都美術館で行われているモネ展に行きました。

モネは晩年に白内障を患ったことを知りました。そして、それを機に作風が変わったように感じました。白内障を患うまでは青や緑を基調とした絵が多いように思いましたが、白内障を患った後は、被写体の輪郭がはっきりしないだけでなく、赤や橙の色使いが目立つように思いました。

そのことが、科学的に説明されているサイトがありましたので、ご参考まで。確かに、白内障の手術をした後に周りが青白く見える気がするという話は聞いたことがあります。

ところで、私自身も書く内容が少し変化しているかもしれません。

その理由は、何故でしょうか?
①老眼
②酒をやめたから
③恋の病い


ちなみに、東京都美術館は地図上は千代田線・根津駅が近いように見えますが、 そちら側には入り口はありませんでした。もし根津方面から行く場合は、北側に回り、東京芸大の前を通って行く必要があります。











2015年9月21日月曜日

明日の予定

長男&嫁はヨットの練習。

私と次男は上野アメ横でいろいろ調達して、モネ展に行く。

モネ展は中学生以下無料です。

2015年9月20日日曜日

ハカの儀式

中国・浙江省に出張の予定があるので、「街道をゆく 中国・江南のみち」を読み始めた。この巻の私なりのサブタイトルは「お茶の話」だ。ちなみに「ニューヨーク散歩」の巻は「ドナルド・キーンがどうして日本文化と出会ったか」で「本郷界隈」の巻は「夏目漱石論」である。

英国がインドから紅茶を輸入していることと、かつて中国にアヘンを売りつけたことはよく知られている。英国は、紅茶をインドから輸入する以前は莫大な量のお茶(紅茶)を中国から輸入していて、その対価を銀で支払ったので銀の流出がおびただしかった 。それを緩和するためにバーター品(布類)の輸出を申し出たが中国が拒否したため、結果的にアヘンを売りつけて銀を回収することとなった。

ということをこの巻で知った。

 今日、国家が前面に出てそのような暴挙を行うことは一部をのぞいて稀ではないか。薬害エイズや子宮頸がんワクチン、車のリコール問題など、国境を超えた活動の主体は企業ではないだろうか。

かの英国ではラグビーのワールドカップが開幕し、10月末までその賑いが続く。ラグビーの代表資格に関しては国籍の縛りが比較的緩く、一部に違和感を抱く意見もある。しかしEUにおける国家間の運命共同体的な動向や、タックス・ヘイブンを取り巻く企業活動の有り様を見ると、国家というものが20世紀型の統治システムであり、ゆるやかに衰退していくのではないか、という気もしないでもない。

一方で、であればこそ民族的な風習や風土というものは尊重され保存されるべきである。私は上記の「街道をゆく」シリーズにもそのような主張があるように思う。

そのような視線で南洋の出場国の試合前のハカの儀式を眺めると、ラグビーというスポーツの持つビジョンというものが代表資格の基準にもハカのパフォーマンスにも現れているのではないかと思う。

以下、余談。

緑茶も紅茶も植物としては同じもので(知らなかった)、緑茶の葉の発酵が進んだものが紅茶。お茶は奈良~平安初期に中国(唐)より日本に伝わり、江戸のある時期に発酵止め(青製というらしい。青さを維持する。栄養価も維持される)の加工法が進歩した。

明日の予定

六本木ヒルズの展望台のチケットが2枚あるので、明日、行く予定。あの人のご家族は、もう行っただろうか。

今年はパティシエが作るかき氷というのが流行のようで、朝ドラにも関わった自由が丘の名店でも出しているそうだ。そこも明日行く予定。

そして久しぶりに中目黒でピザを食う予定。


2015年9月17日木曜日

神楽坂

先月、妻が歯医者で婦人画報を読んでいたら、京都の珈琲店が載っていた。聞いたことのない店だったが、早速、京都の義理の両親に知らせた。

義理の父が豆を買って飲んでみると、イノダコーヒの豆よりもさらに深みがあって美味かったとのこと。イノダコーヒも十分、美味かったけど。

今日、その豆がうちにも届いた。明朝、早速試してみる予定。

東京にもそこの豆を扱う喫茶店があるようだ。近くに住む知人がいるので、いつか教えてあげよう。



2015年9月15日火曜日

鬼怒川の氾濫


去る9月10日に鬼怒川が決壊した。

鬼怒川というと、隣県・栃木県を流れる渓流というイメージだったが、下流域は本県西部を流れていることを再認識した。普段は名前とは似ても似つかない穏やかな流れだった。

浸水した地域には、次男のチームメイトや妻の幼児サークルに通う生徒も住んでいた。

幼児サークルの生徒とは昨日、ようやく連絡がついたようだ。その親子は、市内で配布したビラや口コミで参加してきたのではなく、妻がそのサークル用に作成した、年に一度、体験レッスンをやる頃にだけ更新するウェブサイト(逆に言うと、それ以外の期間は放置しているサイト)を見て参加してきた数少ない親子のうちの一組だった。

名簿の住所を見ると、決壊した場所のごく近くの集合住宅だった。流された家も多かったため、最悪の事態も想像した。幸い、集合住宅が流されることはなく、居住区分は1階ではなかったため浸水も免れたという。今は親戚の家に避難しているとのこと。

常総市はそれほど頻繁に訪れる場所ではないが、子供が通うそろばん教室から少し西へ進むと常総市で、そこにある鶏肉の店にはたまに買いに行っていた。テレビの映像ではその近くが浸水している映像が流れた。おそらくその店も浸水してしばらくは営業できないだろう。




2015年9月9日水曜日

書き留めておかなければ忘れてしまいそうな、小さな出来事。

日記の面白さは、読み返した時に自分でも忘れている事を再発見することである。
以前、もしも女の子が生まれたらどのような名前にしようか、などと書き残していて自分でも驚いた。

最近あった、書きとめておかなければ忘れてしまいそうな、小さな出来事。

最近の小学校、中学校は知的障がいのある子のクラスはタイプによって4つくらいに細分化されているそうだ。そして障がいのある子も、一般のクラスに席はあり、授業の時だけその特別クラスに行っているようだ。

長男の同級生に、知的障がいのある子がいた。その子が夏休み中に引っ越した。事前に同級生には知らせずにひっそりと引っ越したそうだ。引っ越す理由も、あまり好ましくない理由だったようだ。

その子と長男とは小学校時代にも同じクラスになったことがあり、その時、その子は何かの理由で周りからいじめられたか、あるいはからかわれたことがあったという。

その時、その子の印象では、うちの長男はその中に加わらず、中立に接していたらしい。


夏休み前に、その子が長男のところに来て、「俺、今度、引っ越すんや。お前はあの時、いじめなかったよな。いい友達やったから、お前にはお別れを言いたかった」。

その際に、息子には引っ越す理由も言ったそうだが、言ったあとから、「あー、言ってしまった。今のは忘れて」とか言っていたそうだから、親には言ってはだめだと言わていても、誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。

以上は、以前、食事の団欒の際に長男から聞いた話。

勉強も運動も次男のほうが出来はいいが、長男にもいいところはあることを忘れないよう書いておく。


2015年9月7日月曜日

サプリメント

人間ドックの結果が先日届き、惨憺たる結果だったので、長男と同様、私も妻にご教示いただくことになった。

これまでの毎朝のグリーンスムージーに加え、朝はさらにはちみつ黒酢を飲み、ニンニクエキスを1カプセル飲む。

そして、私の症状にはオルニチンが良いらしいので、それも摂ることにする。それに関して、久しぶりにクエン酸回路とか尿素回路とか生化学の分野を復習してみた。

オルニチンは、いずれ、妻が個人輸入しているところに注文するのだが、それまで約1か月は近所の薬局で売っているものを試すことにする。

そして、健康のためにあるものを控えることにする。

一般的に、サプリは3か月ほど試さなければ効果は表れないそうだが、早ければ1か月くらいで確認してみよう。

追伸
うちの妻は昔からサプリが好きだが、参考情報として。

長男と次男は体格が全然違い、長男は細い体型だが、次男はわりとがっちりしている。
遺伝形質の発現が兄弟で違う点もあるとは思うが、次男がおなかの中にいた時は、妻はカルシウム、DHA・EPAなどのサプリを取っていた。カルシウムに関しては自分の体(歯)へのダメージ予防のつもりだったようだが、結果的に子供にも行っていたようだ。

DHA・EPAの効果は想像にお任せするが、確かにあるように思う。

あくまでも参考として。

2015年9月6日日曜日

長男近況

二学期制の長男は、夏休み明けすぐに期末試験があった。
その直前の8月29日~30日にヨットのチーム合宿が1泊2日であり、風邪を引かないか心配したが幸い、杞憂に終わった。

テストの結果も科目によっては返されており、今のところ上々。中間テストが惨憺たる結果だったので、それ以降、妻や帰省先の義理の父が猛特訓してくれた効果が出ているようだ。

次は、周りから言われなくても自分からやれるようになるかが課題。月間の計画と進捗を管理するための表をエクセルで作って渡した。いわゆる、ガントチャートというもの。プロジェクトマネージメントで必須のアイテム。あとは自分で計画的にこなして欲しい。

妻との会話の中では、通信教育は今年までで、来年からは塾に行かせようという方向で進んでいる。長男にとってはそのほうが合っているだろうという判断だ。そのへんも、周りからいろいろ言われなくても自分でこなせるようになれば変わってくるかも知れないが。

 今日は、長男にとってはスポーツでははじめての遠征であった。これまでいろいろなスポーツをかじってみたが、運動が苦手な長男にとって長く続いたのはスイミングくらいであった。しかし、スイミングには遠征はなかった。

小5から月2回のペースで始めたヨットは幸い今でも続いている。今日がその初めての対外試合であった。風が0.6~1.5m程度で、時に風向きが真逆になるという厳しい状況であったが、3レース参加することが出来、本人も楽しめたようだった。

親としての願いは、高2の地元開催の国体のヨット競技で、何らかのかたちで関わって欲しいという ところなので、それまで続いてくれれば十分である。




2015年9月5日土曜日

あすはわかす

明日は長男が人生初めての遠征です。

場所は、若洲



ミキハウスカップというヨットレースが行なわれます。


明日は集合6時なので、今日は早く寝ます。

2015年9月1日火曜日

ふるさとのなまりなつかし

昨日は「さらばふるさと、おれはもう、茨城の土になる」という感じのエントリーのつもりだったが、今日うちに帰ると、嫁がいろんなネタを収集しており、中でも「種子島の小学生が柔道の全国大会で優勝してた」だった。


発端は、長男、次男がお世話になった柔道クラブのOBの子が、中学生の全国大会他で優勝したというニュースだったのだが、嫁はちょくちょく柔道のほうも見ているようで、というのも、県で上位にいる子らは次男も対戦したことのある子なのでどうしているのか気になるらしい。

そんな中、種子島の小学生の子が 全国大会で優勝した。準決勝、決勝は判定だったようだが、昨年の私のフィーバーは主審、副審の先生方の記憶に・・・ないか。

一方で、私のブログのフィーバーは種子島に届いて・・・ないか。

であっても、さんざんブログで吠えたことの裏付けとして、関東の名だたる名門道場を差し置いて種子島の子が優勝したことは喜ばしい。

ちなみに、種子島・屋久島が属する「熊毛地区」の柔道連盟の会長も、母方は静岡からお茶の栽培のために種子島に移住した家系だ。簡単に言うと、うちのばあさんの姉だ。

静岡からお茶の栽培の為に種子島に移住して、その子孫が柔道の発展に貢献しているという・・・

おもしろか(面白い)。



2015年8月31日月曜日

秋のあしおと

父方の祖母の家系は、もともとは静岡県の浜岡町(現・御前崎市)あたりでお茶の栽培農家だったが、明治か大正初期の頃にお茶の栽培を普及させるために種子島に移住した。そのような世帯が他にもいくつかあったようだ。うちの祖母は大正5年生まれだったので、生きていれば99歳。100年ちょっと前の話だ。

鹿児島県産のお茶はどこもそのようなルーツを持っていると思う。我々が子どもの頃は、鹿児島県産のお茶は「静岡県産」として売られているものが多かったはずだ。それは産地偽装とかいう後ろめたいものではなく、移住地で収穫したものが流通ルートを持たない為に、自分の本家に送ってそこから出荷していたという類のものだと思う。いつしか、そのような便宜も許されなくなり、産地の表示は厳格化されるようになった。それと並行して、ブランドとしての確立にも努力されたと思う。地元の売りは「日本一早い新茶の里」だったと思うが、今も変わらないのだろうか。

昨年、そして今年と春先に体調を悪くしたのでしばらく焼酎をやめていた。といってもウイスキーとビール(第3のビール)は飲んでいた。焼酎の雑味で悪酔いしてしまうような思い込みからだった。

ここ最近、肌寒い日が続き、焼酎が恋しくなった(お湯割)。しかし、気に入っている「五代」は近所で見かけなくなって久しく、かと言って、地元の焼酎は売られているものの、厳しい事を言うと「甘み」が気になって気が進まない。若干、発酵が甘いのではないか。糖分が完全に発酵されていない気がする。あるいは原料の芋の糖度が高すぎるのだろうか。

そのような事情から数日、我慢していたが、ついに今日、一升瓶を手にしてしまった。茨城産の芋焼酎というのを目にしたからだ。同じところから米焼酎も出ていたが芋にした。

この土地の連中は、隙を見せるとどら焼きの中にチョコレートを入れてみたりチャレンジ精神旺盛なので油断ならない。ちょっと警戒したが、味は上々だった。茨城県産の芋は干し芋にするのがメインなのでもともとの糖度が低いのだろうか。甘みも気にならなかった。

移住13年目にしてようやく。

ちなみに県北にはそば焼酎があり、そちらはフルーティで香りが良いのはだいぶ前から知っていた。



2015年8月23日日曜日

夏祭り2日目


祭りの喧騒を遠くに聞きながら、「街道をゆく 十津川街道」を読む。

p74-75から引用。
一説によると、十津川郷には外界から貴種の者が訪ねてくると、御胤をいただきたい、として、その家の娘を夜の伽にはべらせる風習があったとされる。(中略)東アジアの中では近親近縁結婚を普通としてきた日本だけが異風で、このために右のような民俗も、必要上、ごく自然にできあがったのかもしれない。

この作品は昭和58年(1983年)に書かれたものである。そして、上記の話を聞いたのは昭和20年代とのことである。十津川に限らず、戦前には日本各地で似たような風習が残っていたかと思われる。

同じ地域を扱った作品に「天河伝説殺人事件」(1988年)があり、本で読んだのか映画で見たのか忘れたが、その作品にも上記のような民俗を感じさせるものがあった。私の中での日本の伝統的な夏祭りのイメージは、そのような民俗が多分に含まれたものだ。もっとも実際にそのような祭りに立ち合った経験は(残念ながら)無いが。

平成となって四半世紀が過ぎ昭和が遠くなった今、これらの作品が書かれた当時も(さすがにこのような風習はのこっていないにせよ)現代と比べればそのような雰囲気がより豊富に漂っていた事を思い出す。

現代の抱える問題の中で、科学の進歩と民俗の土着性の喪失が相乗して、それを鋭利化しているものがあるように思う。 それを解決するものは何なのか。それもやはり科学なのか。あるいは社会保障制度なのか。











2015年8月22日土曜日

ケーキ屋のかき氷

今日、明日と地元では夏祭りが行われています。

元々、小さな町や村が5つぐらい集まって出来た市が、一つにまとまる気分を醸成する意味合いもある祭りであり、伝統ある祭りというより新しくしつらえた感じのお祭りです。また、外国人居住者も多いという特徴も加わり、祭りの出店には多くの国の料理を目にすることが出来ます。パレード、ステージ、出店、大道芸などがメインで、花火はありません。

パレードの見どころは、長らく本場・青森の職人により作られた数機のねぶたでしたが、昨年からは秋田の竿燈(けんとう)も加わりました。各地の名物が年々増えていくといいですね。それに旧町村の古くからの神輿や、周辺市町村、各種団体の神輿が加わります。

出店は近隣の飲食店のものが中心部の一等席に陣取ります。今年はその中に、普段よく利用しているケーキ店の「かき氷屋」が加わりました。

そのケーキ店は店長が職人気質のうるさ型で、客として訪れるとバイトがよく怒られていて入れ替わりが早いです。客に対しても好みがうるさく、嫌いな客には「早く決めろ」とか平気で言います。そのような状況下でありながら、なぜかうちの嫁さんはその店長に嫌われていないようで、訪れると世間話をいろいろとして、いつかは「一見さんお断りのケーキ店を出したい」という夢を語ったこともあったそうです。ちなみにその店のお勧めは純生ロールケーキです。

そんな店長が今年から店舗でもかき氷を始めていました。妻が聞いたところによると、昔からやりたかったのだそうです。今年は日光などの天然氷のかき氷がもてはやされていますが、店長曰く、かき氷は削る「刃」が命なのだそうです。刃が良ければ、氷は天然でなくてもおいしく作れると。確かにその店のかき氷の氷は薄くふわふわの粉雪のようでした。

また、一般のかき氷はいきなり器に氷を盛って、最後に上からシロップを掛けるだけですが、その店長のこだわりは、まず皿にシロップを敷き、その上に氷を盛り、途中で一度止めてシロップを掛けてからまた氷を盛り、最後に上からたっぷりとシロップを掛けるという手の込みようです。

店舗では480円でしたが、祭りの出店では500円でした。一般のかき氷よりは高いですが、結構流行っていたように思います。

夏の終わりに行われる祭りなので、祭りが終わると秋の訪れを感じますが、ケーキ屋の店舗でのかき氷はいつ頃までやるのでしょう。またひとつ、季節の風物詩が出来たのであればうれしいことです。













2015年8月21日金曜日

Reading Glasses(老眼鏡)

つい先日、人間ドックで視力検査をしたら相変わらず両目1.5だった。

しかし、最近、文庫本を読むのがつらくなった。振り返れば2年位前から近くの小さい文字が見にくくなっていたように思う。あと、針に糸を通す作業など。

帰省の際に老眼鏡を借りて新聞を読んでみて、快適に読めることを経験済みだったので、もうそろそろ私も強がりをやめて老眼鏡にお世話にならねばと思い始めていた。

人間ドックを受けた日の帰りに地元の駅前のショッピングモールにあるメガネチェーン店により、一通り検査してもらった。その結果、最初、3.0の度数で合わせてみた。2.0に落としても支障なかった。2.0の度数までなら既製品であるという。試してみると軽い。そして安い。息子の眼鏡の10分の1の値段・・・

迷わず買い、早速、お世話になっている。
文庫本と文献を読みまくりたい。


2015年8月17日月曜日

たまゆらの灯

 三方を山に囲まれたその日本海側の地方では、およそ400年前からお盆の灯篭流しが行われてきた。鉄道が開通した大正13年以降は、それを記念した花火大会があわせて行われ、いつの頃からかは不明だが、初盆を迎える家庭では精霊(せいれい)船が出され、約1万個の灯篭とともに入り江の湾の海面を炎で赤く染める。

夕暮れの日差しは海面に注がれることはなく、 東の空の雲に差し込んでそのあたりをわずかに照らしていた。やがて辺りは闇に包まれ、小さなショッピングモールとその周辺の商店街のネオンが対岸の道路沿いにもかすかに届いていた。花火開始までの時間、穏やかな水面には近隣の家庭から放たれた灯籠の小さな火が漂い、久しぶりに帰省したと思われる子や孫の笑い声が闇に木霊した。

そのような中心部から離れた地元の街道沿いの街並みにも、◯◯ウォーカーなどのタウン誌に「花火観覧の穴場」として紹介されるようになってから、遠方ナンバーの車が数珠をなして場所取りをするようになった。同じような話を、10年以上前に岸和田だんじり祭を訪れた際にもたまたま入った喫茶店で耳にした。もっとも、その時は我々が地元の祭りに縁なく「ひやかしに」来る側だった。

やがて花火の打ち上げが始まり、沿道に集まった人々の目はそこに注がれた。打ち上げの終了時刻まで、小休止を挟みながら何度か山場を見せた。対岸で打ち上げられた大玉の爆発音は、上空に大輪の花が咲き、その光が消えかけた頃にこちら岸に届く。その時間差が、ほんの僅かの差で届かなかった願いや思いを代弁しているかのようでもある。水面に浮かぶ灯籠の群れを、この地域特有のにわか雨が襲い、見物客は散り散りに車や軒下に逃れた。小さな炎は為す術もなく、さざ波に揺られ雨雲が去ることをただ静かに待ちわびるように見えた。





2015年8月14日金曜日

【書評】火花 Ver.1

久しく小説を読んでいませんでした。
年齢的に感性が鈍っているのか、小説に求めるものが無くなっていたのかもしれません。

今回、芥川受賞作を掲載した文藝春秋を手にしたのは、新幹線での時間つぶしにちょうど良いと思ったからです。又吉さんの作品を読むのは初めてでした。

小説も、著者に興味が無いとわざわざ手にとって読まない時代なのかもしれません。そういう意味では、以前、NHKのファミリーヒストリーでも見たことのある又吉さんは興味ある書き手でした。


最初に断っておきますが、浅い書評しか書けません。
 
小説のいくつかの場面で花火のシーンがあることに対して、タイトルが「火花」となっているのはなぜだろう、というのは誰もが思う疑問ではないでしょうか。

それに関しては、私なりの解釈は先輩・神谷と僕との間で、若かった前半では先輩の意見に傾聴するばかりでありながらも、年齢を重ねた後半では僕が自己の主張を先輩にぶつけていくというお笑いに関する美学、芸術論を遠慮することなく戦わせることを「火花」と形容したのかな、と思いました。

小説なので、フィクションとして計算もあるとは思いますが、悲しいエピソードの取り上げ方の裏に、又吉さんの生来のやさしさのようなものが感じられて、泣かせる状況を演出するのがうまいなあと思いました。

村上龍が「長い」と評していましたが、確かに東京駅を出る前から読み始めて、京都に着いてもまだ読み終わらなかった。書きためたネタのような部分は、もう少し端折っても良かったかも知れません。真樹さんと別れる場面での、泣きを風呂のようにいう場面は面白いと思いましたが。

その真樹さんと別れる場面と10年後に見かけたシーンをピークにして、 後半はもう少し短くても良かったかなと思いました。

選考委員の選評も載っていますが、結構、皆、辛口で書くんですね。

群像物語ではないけれど、青春小説ですね。若くて売れない頃を支えてくれた彼女への、ありがとうというメッセージも込められているのかな、とも思いました。

単なる偏見かもしれませんが、芥川賞とか、純文学とか、書き手の 描写へのこだわりがうざく感じられて、自分の描写に酔って文章こねくり回しているイメージしかありませんでしたが、この作品に関してはそういう嫌らしさは感じませんでした。

ちなみに私の好きな司馬遼太郎は直木賞作家です。

以上、稚拙な感想文で失礼いたしました。








2015年上半期を振り返る

これから京都に向かいます。

年に2回、盆と正月、京都で過ごす生活ももう10年以上経過しました。

最近、思うのが、前回滞在した時と何が変化しただろうか、ということです。ここ1,2年は特に意識することが多くなりました。

今季は長男が中学に進みました。成績の方は苦労していますが、徐々に腰をすえて勉強する態度が身についてきただろうか。と信じたい。

また、自分で意識して行動した部分もありますが、今季は新たな出会いがいくつかありました。それらの出会いを大切にしたいと願っています。

その上でも、長男には頑張ってもらわねばなりません。高校に進んでもヨットを続けるには、県下随一の進学校に進まなければなりません。その上で、あらたな人脈の広がりがあれば、と今の時点では期待を膨らませています。

皆様も良いお盆をお過ごし下さい。




2015年8月12日水曜日

黒潮(くろしお)の道


司馬遼太郎作品を通じて東アジアの来し方を眺めると壮大なロマンに溢れている。最近読んだ中では、万里の長城の外側には(内側のシルクロードとは別の)ステップルートがあり、騎馬民族が西はスウェーデンから東は日本まで金(Gold)に関する技術を伝播した。あるいは、過去に読んだ中では中国・雲南省(長江流域)から日本へ稲作が伝播した話など。その分野の専門家には既知の話なのだろうが、もっと広く一般人も知っても良い。

ちなみに司馬遼太郎作品については、人気がありすぎて批判も多い英雄史伝よりも紀行文のかたちをとりながらその土地にゆかりのある人にフォーカスを当てることも多い「街道をゆく」が必読だと思う。それについては機会を改めたい。




映像は南西諸島(鹿児島県)のもの。東京から見ると、沖縄の手前の島々。稲作はこういった島々を伝って伝来した経路もあったことだろう。また、遣隋使や遣唐使の頃には、これらの島々に流れ着いたり、停泊して補給した事もあったろう。

地層の断面があらわになっている映像のいくつかは種子島のものだろうが、16世紀にポルトガル人が火縄銃を伝えた時とさほど変わらない風景なのではないだろうか。あとサーファーたちも種子島かな。もっと南にいくと珊瑚礁があってサーファー達には危険だと聞いたことがある。

種子島で量産された火縄銃は、この黒潮の流れに乗って、 和歌山(根来寺)にたどり着き、そこから信長に届く。決して、九州新幹線、山陽新幹線を逆行して陸路で伝えた訳ではない。和歌山の根来衆は、さらに黒潮に乗って銚子まで行き、そこに醤油を伝えたとも聞く。

気に入った動画を見つけたので、いろいろ書いてみた。

教えてくれたアイドル、ありがとう。親孝行して来なよ。






2015年8月8日土曜日

Diary#20150808

先週一週間続いた猛暑が多少和らいだ週末。4階にある我が家には時折、柔らかな風が吹き込む。つまりエアコンをつけずに過ごせている正午前。

平日に不在通知が届いていたクレジットカードの再配達を受け取り、高校野球の中継を流しながらPCに向かう。

日程はまだ未定ながら、中国への出張が決まった。前回とは別の場所ながら、前回と同様の作業や苦労が予想される。今のところ、担当は私だけだが、後輩を相棒に引き込みたい。どうやって口説こうか・・・。

 今日は東京湾大華火祭。職場が入っているビルの屋上も(主にレジデント向けだろうが)開放すると聞いた。誰か都合が合えば、という気がない訳でもなかったが、・・・こうして自宅にいる。

実際誰かと行ってたら、さすがに書かんけどな。



2015年8月2日日曜日

ひそかな願いVer.2

先週末で退職した派遣社員がいた。別の会社で正社員のポジションを得たとの事だった。
その抜けられた部署は部長と別の派遣社員の二人体制となってしまい、一日も早く正社員を補充したいということだった。以前から社内公募でポジションは示されている。

そのポジションに、あの人が来てくれないかな。社内のワーキンググループのメンバーとして、その部署の業務に関わっていた人。願わくば、社内公募への応募というかたちで。

即戦力だと思うし、ほか、いろいろと勤務体制の上でもメリットは多いと思う。研修参加も多いので、今後のキャリアの幅も広がると思う。

ちなみに、(たまたま気づいたのだが)その人とは来週の中盤の危険な時間帯でスケジュールがかぶっているのだが、 決して同一行動ではありませんので。念のため、誤解のないよう。

ここ読んでいる人がいたら、働きかけてくれないかな。どの方面からでも(部長、本人、etc.)

もしかしたらあり得るかも知れない、可能性のひとつということで。




2015年7月28日火曜日

桶狭間

先週末、こっそりと42歳になりました。42歳と言うと、今川義元でいうと桶狭間で信長に討たれた年齢です。

まさか、信長が攻めてきているとは思わなかった昼間の宴の最中だったとか(「街道をゆく43 濃尾参州記 (未完)」)。

今日の午前中、NHKラジオ第1で「夏休み子ども科学電話相談」をやっていて、通勤時間に触りの部分だけ少し聞きました。

その中で「生物はなぜ死ぬのか?」という小さい子供からの質問があり、先生が丁寧に答えていました。

回答を私なりに要約すると(ここだけ常体)、


「生物個体の死が意識されるようになるのは性別を持つ種が誕生してからである。性別の無い生物は分裂により増殖し、全く同一の個体(コピー)が複製されることから死を意識する必要はない。しかし、生物が性別を持ち、その生殖により子が生まれるようになると全く同じ子は誕生しなくなり、個体としての生命が意識されるようになった。そして親の代は老化して死ぬことにより、生物個体として生まれてから死ぬまでの一生が明確になった」。


なるほど、性別を持つことにより、子供を産んだら死なざるを得なくなる、または死から免れることは出来ないということです。


未完

2015年7月23日木曜日

茨城のオッサン力

タイトルの最後の一文字は「ちから」という漢字で「りょく」と読みます。
おっさんか、ではありませんので念のため。

うちの子供らは昨年あたりからカブトムシ・クワガタ(ザリガニ)熱は冷めているのですが、先日、都内在住の方から「クワガタがどこにいるのかわからない」という相談を受けました。

詳細は省きますが、幼稚園児のお子さんが取りたがっているとの事。ここで、じゃあひとつ、採ってあげようかな、という私がいる訳です。その理由は明らかにしませんが。

自分の息子らと試行錯誤しながら採れるようになった経験がこのようなかたちで活かされるとは思いませんでした。

そして、「とってあげる」という親切心だけなら、今日の私はいません。その子が小学生に上がった時に「どうしても自分で採りたい」と思うようになったら、この茨城の大地で「クワガタ採りツアー」を企画してあげようかと思う訳です。朝一番のつくばエクスプレスでつくばまで来い、と。

そして、私の愛車でクワガタポイントへと誘う。

ただし、採りに行って毎回採れるわけではない。そんな自然界の厳しさを教えつつも、採れなかった場合は近所にあるザリガニの ポイントでザリガニをとってお茶を濁す。

今週末は、今まで愚息らと築き上げた総力をかけて、クワガタ採りに臨みます。昨年あたりから神がかっているので、今までこのあたりでは採ったことのないヒラタクワガタやミヤマクワガタが取れるのではないかと期待しています。
 
今、茨城のオッサンの評価が私の双肩にかかっているかと思うと、緊張でいっぱいです。


2015年7月22日水曜日

変化

最近、香水を変えました。春先から使っていたダビドフ「クールウォーター」が残り少なくなったので、先日、アマゾンで買ったCK「エタニティ」に。

嫁さんはダビドフのほうを気に入っていて、CKは「下品だ」と言っています。CKのほうが匂いも強めです。

しかし、これから暑さが厳しくなる季節は、かえって下品なくらいに強めの方が良いかな、と思っています。残暑の厳しい9月に、塩辛い秋刀魚定食を食べたくなるように。

ちなみに私は都庁の食堂で秋刀魚定食を食べたことがありますが、塩分控えめでイマイチ美味しくなかった事を覚えています。むしろ、日立の社員食堂で食べた塩が玉になって乗っていそうな秋刀魚定食の方が美味しかったように記憶しており、懐かしく感じます。

東芝の不祥事で「めざしの土光」を思い出したことから、ついつい秋刀魚の話になってしまいました・・・。

そして、CKは匂いが強いので付ける場所を変えました。ダビドフはひじの内側から前腕と腹回りにつけていたのですが、CKは靴下のかからない足回りと腹回りに。肘周りにつけると、匂いが強すぎて自分が参ってしまいます。しかも、これからはフェイシャルペーパーで顔や首周り、前腕を拭くことも多くなるので、肘や前腕につけたものは落ちたり、シトラス系の匂いとまざってしまいます。

足を組んだ時に、ふと漂う強めのフレグランス。
 
上記のように、使う香水を変えたらつける場所も変えるくらいにチューニングにも気をつけていると、 意中の・・・(略。

そうこうしてまだ数日ですが、変化が訪れました。会社で、「今度、ランチでもしながら・・・」と女性のほうから誘われました。私の木曜日のランチにも新たな展開が訪れそうです。

ただし、明日は例外的に弁当がありますが。

 妬いてくれますか?

ちなみに、残り少ないダビドフは「勝負の日」に使う予定です。

2015年7月19日日曜日

「街道をゆく」、新たな発見

3連休の中日ですが、いかがお過ごしでしょうか。

梅雨が明けたようですが、我が家ではいつの間にか長男の声変りが明け、私とソックリな話し方をするようになり、なんとなくキモいです。

趣味という趣味もない私ですが、最近は自宅で読書することが多いです。それに伴い、「街道をゆく」収集を再開しました。まだ持っていない巻を探して、興味のある地域であれば買って読む、といった具合です。

素直に新刊を買うよりも古本を探して買うことが好きな私です。以前は通勤ルートであった新橋で定期的に古本市をやっていたのですが、今の職場になってから通勤ルートから外れてしまいました。また、今の職場になってから北千住で乗り換えるのですが、残念ながら北千住のブックオフはいつの間にか潰れてしまいました。最近はアマゾンに古本屋が乗り入れていることもあり、どうしても読みたい本はそこで探す方が手っ取り早いですが。

お盆の帰省中には、下鴨神社「下鴨納涼古本まつり」があり、結構、毎年のように行っています。

先日、近所のブックオフで新たな発見がありました。「街道をゆく」に新装丁版を見つけたのです。

まず、「街道をゆく」にはハードカバー版があり、


文庫本があり、

初期の文庫本はクラシックな装丁だったりしますが、

先日、見つけたのはワイド版です。かれこれ10年前(2005年頃)には既に出ていたようですが。

この本で好感を持ったのは、発行当時、著者が亡くなって10年ほどが経過しておりますが、挿絵の写真を2005年頃に撮り直したものを使用していることです。

不況と言われる出版業界にあって頭の下がる思いですが、売れているのでしょうか。私が手にしたのは新古本のようでした。

最後に、私のコレクションの一部をご紹介(古本ばかりではありません)。最低でもこれくらい読んだら、何かの拍子にブログでバズって、意中の女優や女子アナに振り向いてもらえるかもしれません(笑。



ご参考まで。






2015年7月9日木曜日

リサイクル市

嫁が週に一度、友人と幼児サークル活動をやっていて(詳細は伏せる)、始めてからもう4年以上たつと思うが、去年ぐらいからそのOBの子供がラグビーチームの幼稚園の部に入部して来るようになった。今、OBの子は幼稚園児の中に4人くらいいるのではないか。幼児サークルの中で特に誘ったりはしていないらしいが、クラブに来てみたら先生(嫁)おってビックリ、みたいな。嫁の方は事前にチームのウェブサイトの名簿でわかるらしい。

今後もコンスタントに入部してくるのか分からないが、次男が中3まで今のクラブで続けるとして、その頃には小4以下の各学年に教え子がいるという、なんか、傍から見ると「あのおばはん、何者?」みたいな状況になりそうな予感。といっても、嫁はラグビーの方にはあまり顔出さないが。

次の土曜日に次男のラグビーチームでリサイクル市がある。大きくなって使えなくなったお下がりを無料で譲り合う。夏の菅平合宿を前に、携帯するものを揃える一助として行われる。子供はすぐ大きくなるので、スパイクとかけっこうまだ新しいうちに買い換える。気に入ったデザインとかだと捨てるのはもったいないし。

今まで子供のお下がりは甥っ子に譲ることが多かったが、クラブで使えそうなもの(ジャージとか)はクラブのリサイクル市に出そうかな、と思い始めている。嫁が教え子を見つけたときに、「あ、これ○○が着てたやつや!」とかあれば微笑ましい。

2015年7月6日月曜日

メモリの開放

会社のPCが業務用ソフトの動作環境を確保するためにいろいろな制約をうけて動作が遅かったりする。パソコンの立ち上げにものすごく時間がかかったり、通常使うソフトの起動が遅かったり。おまけにAdmin権限を与えられていないために、自分のPCのメンテすらろくに出来ないなど結構ストレスの種だ。以前の勤務先でもDELLのビジネス用の同じPCを使っていたはずだが(CPUはi5-3340M)、同じPCとは思えないくらいに遅い。同じような症状は周りの人たちからも聞こえてくる。

それで、思いついた対策のひとつ。モッサリし出したら、強制的にメモリを開放する。32bitなので3.41GBしか認識してない上に、いろんなプロセスが握ったまま手放さない感がありありなので。Admin権限を与えられていないのでソフトのインストールは出来ないので、ショートカットを作ってみた。
参考にしたサイトは、こちら

デスクトップを右クリックし、「新規作成→ショートカット」で項目の場所を入力するところに以下の文字列を貼りつける。
%windir%\system32\rundll32.exe advapi32.dll,ProcessIdleTasks

「次へ」で適当に名前を付けて保存する。そのショートカットをさらに右クリックして「スタートメニューに追加」すればスタートメニューにも表れる。

実感として感じられるくらい、だいぶ軽くなった。イントラSNSに書こうかと思ったが、ITからケチがついたらいやなので止めといた。

興味のある方はメモリを開放して、ストレスからも解放されてみて下さい。

2015年7月4日土曜日

風が吹きまくっている

思い出したので、一応、書いておく。

次男のラグビーのほうは人材豊富なので私の出る幕はないのだが、長男のヨットのほうはまるで過疎の村を守る数少ない村の若手のような状況になっている。

江の島や葉山(ヤマハのヨットスクール)などのヨットスクールは、端的に言うと加山雄三のイメージだと思うが、うちの茨城のヨットスクールは誤解を恐れずに言うと鳥羽一郎のイメージだ。

それはそれでいい。それに関しては特に不満はない。

そのような状況の中、日本財団(笹川財団)のご厚意により、お世話になっているハーバーに救助用ボートとカヌーを寄贈してもらった。厳密に言うと、B&G財団といって(B&GはBlue and Greenの略とのこと)子財団のようなところからもらった。

財団も会社のようなもので、親会社、子会社があるように、ビル・ゲイツが有するビル&メリンダ財団にもFINDという医薬系の 子財団がある。余談のついでに、私はヒラリー・クリントンよりもメリンダ・ゲイツのほうが素敵だと思う。「政治で世の中を変える」と信じ込んでいる変質狂に対して、ビジネスでなした財をもって社会貢献しようという心の余裕を感じる。ま、メリンダの写真を見てみ。素敵な女性だ。

そんな感じで、いきものがかり並みに子供らのクラブに関しては風が吹きまくっている。ラグビーに関しては私とはインディペンデントだと思うが、ヨットに関しては私のブログも多少の貢献はしているのではないか。






2015年7月1日水曜日

手紙力、飯に誘う、etc.

チャット、SNS、ブログ、メール、etc。いろいろなツールが発達して、以前は手紙であった手段がより選択肢が増え、手軽になった。

特にブログは、それを手紙の手段として用いる場合、公衆に対して高らかに訴えるのである意味、強烈だ。効果がどれだけあるかは知らないが、手の届かない遠い存在の人にも気持ちを伝えようとすることが出来る。また、直接相手に訴えるのではなく、間接的に伝えるのでワンクッション置いた奥ゆかしさがある。相手にしてみれば、直接言われたわけではないので都合が悪ければ見なかったことにすることも出来る。

このところ、40紙近くある朝刊の中から選んだコラムを毎日のように 子供らに読ませ、200字程度で感想を書かせているが、これはひょっとして女を口説くための「手紙力」の強化にもなるのではないかと目論んでいる。

話は変わり、異性を飯に誘う場合、当然、それなりの店を選ぶ必要があるが、問題なのは何を食うかではなく、飯に誘うことにより「あなたに(相手に)好意を持っている」ということを伝える、ということだ。

よって、私の場合、「今度、食事行きましょう」と言いながら月日が過ぎ続け(その間にも何度か「今度、飯行きましょう」と言っているわけだが)、遂に3年あまりが過ぎた挙句に、相手から「じゃあ、予定入れましょう」と言われ、そちらの経費で飯を食ってしまったという 忸怩たる経験をしたことがある。

一方、飯に誘われた方はどうだろう。もしも、好ましくない相手に誘われた場合、「うわぁ、あいつに飯に誘われた。舐められているわ。末代までの恥。」とばかりに、その事実は誰にも口外されず、墓まで持っていかれ、その誘われた相手と会った時には鬼無視する、あるいは白目対応という羽目になるのだろうか。だとすると、「あいつに飯に誘われた」と多少噂になると言う事は、誘われて喜んでいると受け取っていい訳だろうか?

何度か話題にしているが、昼食は基本的に妻の作った弁当を持っていっているが、木曜日は例外的に弁当がない。別に毎日妻が作った弁当を食べ、その後、少し昼寝して・・・、という生活に不満はない。しかし、木曜日は決まって弁当がないということが、「俺の木曜日のランチはこれでいいのか?」と私に自問させる。

明日は木曜日。





2015年6月28日日曜日

インターン生、来る

インターンという言葉は、かつては研修医を表す言葉であったが、最近は期間を決めた就労学生を表す言葉としても定着した感がある。

来週、同じフロアの他の部署にインターン生が来る。その人はこれまで米国本社で2年間インターン生をしていて、このたび日本法人に短期でインターン生活をおくることになったようだが、米国勤務の期間中、イントラSNSで私をフォローしてくれていた。その人は私以外にも何人か日本法人の人をフォローしていたが、うちの会社は地味で冴えない会社なので、中の人間もたぶんミクシィすらやったことのない連中ばかりなのでフォローバックするという心遣いを知らない人間が多く(冗談ですよ)、その人のことをフォローバックしていたのは私を含む2,3人だった。

そんな彼女が、2年間も米国本社での勤務を経た後、 何故にごくローカルの日本法人などで1ヶ月足らずのインターン生活を送ろうと思ったのかは謎だ。その人が日本人だということはあるが。

あいにく、日本法人で働く期間は米国法人にいた頃とはID等も変わるため、当時のアカウントは削除されてしまった。メールアドレスも変わることだろう。

旧アカウントには「今度、日本法人にいらっしゃるそうですね」的なメッセージを送ったが、メールに転送されていたとしても(メールアドレスも変わるので)伝わっているか分からない。

今回もまた、忘れたふりをしてみるのも一興だろうかと思い始めている。

2015年6月25日木曜日

WAGYUに続き、

明日は私にとってある意味で勝負の日です。

よって、ベストなコンディションで望みたい。しかし、風邪気味。

私の風邪に対する対処法は、喉にタオルを巻き、みかんを食べまくる。しかし、この季節、温州みかんは売っていない。

と思いきや、日本の温州みかんを、ニュージーランドで栽培して輸入したという代物が売っていた。

決して不味くはない。普通。若干、小粒か。

以前、日本の和牛がオーストラリアかニュージーランドで飼育されて海外でWAGYUの名で売られていると聞いたことがありますが、それに続いてでしょうか。

そんなことより、明日は完全に治っていて欲しい。


2015年6月23日火曜日

京都縦貫道

関東では、圏央道が成田と繋がったことがニュースとして大きく報道されましたが、関西では京都縦貫道が7月18日にようやく繋がるらしい。従来は、途中で下道に下りて「わち道の駅」に寄る事が定番でしたが。

8月16日は京都市内は五山の送り火 が行なわれますが、北部の日本海側の宮津市では宮津湾花火大会があります。嫁さんの母方がそちらの出身なので、お盆の帰省中のイベントとしてはどちらかというと五山の送り火より宮津湾花火大会のほうが頻度としては高いです。

今年は、車で帰るそうなので、開通して間もない高速道路を走ることになるでしょう。

サッポロ

日産、日立、サッポロビールらは資本関係があり、芙蓉グループと呼ばれる。もともとは戦前の安田財閥でしたっけ?

日立市内の飲食店では、サッポロビールしか出てこなかった時代もあり(最近はそうでもないとのことだが)、 私が単身赴任していた頃、寮に入っていたビールの自販機もサッポロのものだった。

当時(特にドイツワールドカップの頃)はサントリーが好きで、特に「プライムタイム」というビールを好んでいた。ちょっとフルーティーな香りがする感じの。しかし、寮にいる時はサッポロを飲まざるを得ず、「こんな不味いビール、どうやったら作れるんや。」と思いながら仕方なく飲んでいた。酸っぱさというか、苦味の癖が強く、とても洗練されているとは言い難かった。

しかし、そのような生活も6年ほど続くと、 その癖が普通になってしまい、他のビールでは物足りなくなってしまった。アサヒとか特に薄く感じてしまう。

サッポロは最近、アルコール度数7%の第3のビールを出してきた。度数の高さを舌で感じられるほどの出来だ。なぜか、イオンでしか売っていなくて、西友、ヨーカドー系列には置いていない。

2015年6月22日月曜日

碧(あお)

「碧(あお)い」と書いて、その示すところは緑色。あるいは深い青。この漢字は子供の名前でたまに拝見する。あと、愛知県碧南(へきなん)市とか。ドラマでもあった気がするが、思い出さなかったことにする。

日本人はよく緑色を「あおい」と表現する。信号機の青は、実際は緑色に光る。また緑黄色野菜のことを「青物野菜」と呼ぶ。調べると、色で形容詞になるのが古くは「赤、青、白、黒」の4つだけだったからとの説明がある。

カナダで女子のワールドカップが行なわれているが、「芝がきれいだな」と感じたのは2006年ドイツでの(男子サッカー)ワールドカップ以来だ。日本はこの時期、梅雨だから外は雨が降っている事が多い。実際にはピッチは降っていなくても、芝が濡れているかの印象を持つ。

芝は夏前の時期がきれいなのだろうか。だとすると、例年、この時期の開催であれば日本と同様に北半球である程度緯度が高いところということになる。今日は夏至。










2015年6月21日日曜日

立木打ち

菖蒲の季節である。旧暦の頃は「尚武」とかけたともいう。
当時、梅雨のせいで傷んだ食材で命を落とすことの多かった小児の健康を願う(祝う)ため、端午の節句を行ったという。

薩摩・示現流の稽古のひとつに、立木打ちというのがある。幕末の剣豪のひとりに薩摩の桐野利秋(中村半次郎)がいるが、彼は薩摩でも郷士という、今でいうと郊外に暮らす兼業農家のような(半士半農 の)生活を送っていた。

剣術のトレーニングとして、農作業の傍ら、自宅近くの一本の木に黙々と木刀を打ち込んだという。他で例えると柔道の岡野功氏が、木にタイヤのチューブを結び付けて黙々と打ち込む姿に近いかも知れない。

私がこうして黙々と書き綴るのも、いわば立木打ちのようなものなのかも知れない。

余談だが、映画「るろうに剣心」 の主人公が抜刀術として、鞘から抜く際の一太刀で相手を仕留めることを得意技としていたが、あれは本来、薩摩示現流の技ではないだろうか。 新撰組らにも「薩摩の一の太刀には気をつけろ」と恐れられたという。なんだか、由来として語られていないのはパクられた気がして郷土人としては残念である。

あと、女性を口説くときは、あえて、一の太刀は外したほうが良いのかも知れない。1回目を外して、女性に「すれ違ってしまった」という失望感を与えた方が、二の太刀が効果的に効くのではないだろうか。

・・・





端午の節句

端午の節句は旧暦でやるほうが意味合いとしてもふさわしいのだという。

数日前に、実家の母親から「この辺はまだ端午の節句を旧暦でやるから、あくまき(ちまき)を作ったから送る」と電話があり、今日、届いた。季節柄、地元ではナガラメと呼んでいる、アワビの仲間で一回り小さい種類の貝も送られてきた。

ゆうパックのチルド便なのだが、毎回、届く時には冷気はあるもののほぼ溶けてしまっているところに関西よりもさらに遠い事を実感する。

 昨日の次男のラグビーの練習に、朝の通勤電車でよく見かける女性の姿があった。ロシア系の外国人と一緒にいるところを見たことがあったので、外国人と付き合っている独身女性と思っていたが、幼稚園児の子供がいるようだった。向こうは気づいただろうか。こちらは気づかないふりをしていた。



2015年6月20日土曜日

change

中間テストの結果を受けて、長男の教育環境が一変した。これまでは基本野放し。小学4年までは通信教育の添削をやってあげていたが、5,6年は本人に採点も任せていた。塾にも通わず。

そんな状況であったが、今後1年、通信教育での学習を継続するものの、改善が見られなかったらそれを諦め、塾に放り込むことに妻と合意した。近所の塾の中で、評判の良い所がいくつかあてがあるようだ。

今現在、長男は完全に妻の監視下に置かれている。専業主婦のなせる業だ。小学4年までの通信教育の添削はほとんどやっていなかったのに、嫁自身も大した変わり様だ。

評判の良い塾のひとつに、国語学習の一環に新聞のコラムを使っているところがあると聞き、それは今のうちから自宅でもやらせようということになった。私がよさそうなコラムを探してきてA4コピー用紙に印刷し、まずは知らない漢字を調べたり、200字程度で感想を書かせたりしようと思う。本当は、コラム自体を書き写させたいのだが。題材によって難易があるので毎日というわけにはいかないが、これを機会に、全国各地の新聞の優れたコラムニスト探しでもやろうかと思う。

先日、「街道をゆく 愛蘭土紀行II」を読んでいたら、深代惇郎氏のことが出てきた。執筆時に既に故人。筆者より少し年下だったという。その筆者自身も既に故人となって久しい。


2015年6月18日木曜日

マウスピース

以前から長男の歯軋りがひどいので、先週末にBODYMAKERで安いマウスピースを買ってきてつけるようにさせている。寝ている途中に外れていることもあるが、気づいたら噛ませるようにしている。効果はあるようで、つけているときはゴムをかむような音がしている。

最近の我が家の最大の関心事は、長男の成績だ。「俺とお前の子供やから、まあ、普通にやっていればそれなりには出来るやろ」という親の慢心が見事に粉砕された。私より嫁の方が心配していて、「血圧が上がる」といっている。私はどちらかというと、なるようにしかならないと思っている。

家族が同じ方向を向いて、力を合わせて課題解決に向けて取り組むという意味においては、新たなミッションが形成された感がある。

2015年6月13日土曜日

御茶ノ水へ

午後は長男の遠視の定期診断で御茶ノ水の眼科へ。

普段は嫁が連れて行っているが、暑さに弱いため今日は私が。

嫁が行ったときは、芸能人が子供を連れて来ているのを何度か見たことがあるという。私はまだ見たことはない。


職場もあの辺りがいい。1時間くらいで通える。

新しく生まれ変わった御茶ノ水ソラシティは、基礎の部分は旧・日立本社ビルのものをそのまま残し、“がわ”だけ変えたそうだ。

どこかにそんな恰好いい男がおった気がするが。

・・・


終わったら、亀戸に餃子食いに行く予定。


勤続1年

今の職場に来てようやく1年が経ちました。
これでやっと、ろうきんはお金を貸してくれるのでしょうか。

冗談はさておき。

あと半年が過ぎれば、社内公募制度という、社内のオープンポジションに異動を希望することができるようになります。他に細かい規定はありますが、現在の所属部署に18か月勤務しているというのが必要条件のひとつです。

社内公募に出ているポジションは、同時に社外にも募集をかけているので、一般論として社外の候補者との比較もありえます。

今の勤務先の社内公募制度がどれくらい機能しているか分かりませんが(制度としてはあっても、社内政治や組織の壁から形骸化している会社も多いと聞きます)、応募してみるのも一興だろうかと考えています。

今、募集が出ているポジションはいずれも今の私の職位よりひとつ下がるかたちですが、「会社のために一兵卒として汗を流したい」とか言うと、受けるんじゃないだろうか。結果的にNGだとしても。

シャアが、少佐から名を変えて(クワトロ)大尉となったように。





2015年6月12日金曜日

子供の職場見学会

来月、夏休み期間中に、子供(小学生以下)の職場見学会が予定されています。
うちも次男(小5)が参加予定です。

ただし、東京本社なので、地方の工場や研究所のように装置や機器が有るわけではないので、それに比べると子供受けはどうかな、というのが私の周りの感想ではあるのですが。

 最近は、多様な働き方が提唱される中で在宅勤務というのもあり、PCを持ちかえれば自宅でも勤務可能というとも多々ありあます。その一環として、グローバルのLync(Skype for  Business)会議を自宅から参加するというのをやる機会がありました。夜の8時や9時からの会議で、100名規模の参加者で特に発言する必要もないのでマイクをオフにし、HDMIケーブルでテレビにつないで画像も音声もテレビから出すというのを子供たちもそばで見ながらやりました。

「今、しゃべっているのはインド人だ。」

「これは、オーストラリア人がパソコンを示しながらしゃべっている。」

と、解説を入れながら子供たちにも見せました。

私は種子島生まれなので、鹿児島県本土ともそれなりの距離感を感じて生きてきました。海で隔てられているというのは心理的にも距離感を意識せざるを得ず、中学時代の先輩や同級生も、県大会では本来の実力を発揮できず敗退してしまうということが多々ありました。

それと比較すると、うちの子供たちは 東京と陸続きで比較的近い距離にいるからか、そのような心理的な負担を感じている様子はありません。次男に至っては、英語読み上げ算というマイナー競技ではありますが、茨城県で優勝し、東京で行われた全国大会でも2位にはいるという成績でした。

私自身は、種子島から鹿児島本土に渡る段階で比較的多くのエネルギーを費やし、あるいは達成感を得てしまったのかも知れません。子供たちには、ここからさらに大きく羽ばたいてほしいという意味で、機会があるごとに世界との距離を近く感じさせる取り組みを行っていこうかと考えています。





2015年6月11日木曜日

髪飾りと時計のベルト

これは、確か高校の英語の副教材にあった話。

あるところに、裕福ではない夫婦あるいはカップルがいた。ある年のクリスマス。貧しいながらもお互いにプレゼントを買うことにした。男は、自分の時計を売って、女性の長い髪に着ける髪飾りを買った。一方の女は、古くなった男の時計のベルトを代えてあげようと、自分の長い髪を切って売り、その替えベルトを買った。

お互いの好意が、互いに空回りしてしまった。

なんとなく、そんな雰囲気を感じてしまった一日だった。

嫁と姑

Q:嫁と姑(実母)が喧嘩した時、どう対処する事がベストか?

A:姑(実母)の前では嫁を庇い、陰で(嫁と二人きりのときに)嫁を叱る。

いつ、だれから聞いたのかは忘れたが、そのような話を聞いたことを覚えている。そんな話を思い出した出来事。

中1の長男が中間テストを終えたところだった(長男の通う中学校は2学期制)。
理科のテストで、長男のクラスだけは授業でやっていない箇所が、テスト範囲として出たという。
教師曰く、「テスト範囲のワークをやっていたら、出来るだろ」。

長男に対しては、「お前の考え方が甘い。高校受験は中学校のレベルの差があっても、同じ条件で入試がある」と諭す一方で、それは教師の裁量の問題なのに(場合によっては、対象から外すなど出来たはず)、逆切れのようなコメントを吐く教師にはどのように対処すべきか。

特に行動するつもりはないが、このブログだけでも、ささやかなWARNINGになればいい。

2015年6月6日土曜日

ウイスキー発祥の地

皆さん、ウイスキー発祥の地はどこか知っていますか?
昨季の朝ドラ「マッサン」の影響もあり、スコットランドとか思っていませんか?

正解は、アイルランドだそうです。
1170年、イングランドのヘンリー二世がアイルランドを征服した際、ウイスキーはスコットランドに伝えられた(「街道を行く アイルランド紀行I」 文庫本p249)。

同書では、「ゆうどき」でお馴染みだった小泉武夫氏の「酒の話」も根拠資料として引用しています。

ただし、アイルランドでは大麦をそのまま蒸すのに対し、 スコッチは発芽した大麦を使うというような、スコットランドでの発展的な進歩があったことはあるのかもしれません。



Rain

 

 東京は昼過ぎから曇りはじめ、夕方の帰宅時間には小雨が舞い、行きかう人々の足をせわしなくさせていた。

遅れ気味の地下鉄のホームには、帰宅を急ぐ人々の列が次の車両を待ちわびていた。

人ごみの中からKを見つけ出したのはたまたまか。それとも脳裏に焼き付いた残像とピタリと照合されたからなのか。到着した車両に乗り込むKの姿を追って、Nは遅れて同じ車両に乗り込んだ。

席に座り、 スマホをいじり始めたKを遠目に、Nは扉近くに立ち吊革につかまった。雨を吸った折り畳み傘の収まりが悪い。

暫くすると席が空き、Nはそこに座った。Kと同じ側のシートで間に数人はさんだ場所。KはNに気付いていない。向かいの窓ガラスに映る姿を見ると、まだスマホで何かを見ているようだ。途中の駅で降りるのだろうか。隣の席が空いたら移ろうか。そう思いながらNもまた自分のスマホをチェックした。

途中で何度かKの隣の席は空いたが、Nは結局、そこに移ろうとはしなかった。むしろ、そこにいたことを気づいていない振りをして過ごそうかと 考え始めていた。Nは読みかけの文庫本を取り出し、おもむろに読み始めた。昔、読んだことのある、お気に入りの一冊。Nは今、地下鉄御堂筋線に乗っているかのように想像を膨らませ、本に集中しようとした。

同じ車両のすぐ近くにいながらにして、言葉を交わすこともなく、 しばらく時は過ぎた。

地下鉄は終点に着こうとしていた。Kも途中の駅で降りることはなかった。Nはさらにそこから乗り継いで家路を急ぐ。Kもまたそうだろう。

ホームに着いた車両が乗客を一斉に吐き出そうとする時、NはKの前を通り過ぎた。立ち上がったKは居眠りしていたのか、あくびする口を押えていた。NがKの腕に触れて声をかけると、はっと驚いた表情をした。Nはかすかに微笑んで「おつかれさん」と、声をかけた。Kは軽く、頭を下げた。

ホームに降りると、二人は逆の方向に向かって歩き出した。2,3歩進んだNが振り返ると、人混みに紛れて行こうとするKの後ろ姿が見えた。 手に傘は持っていなかったように見えた。

雨は止まないまま、静かに降り続いていた。

2015年6月4日木曜日

遥かなる地平

かつて日立7150という臨床検査に革命を起こした医療機器があった。

日立7150とは、現在、健康診断や人間ドックで行なわれる血液検査を行なうための医療機器であり、検体の自動測定および大量処理を可能とした最初の医療機器であった。

技術サイドにいた私は、その開発に関する秘話を耳にすることはよくあったが、東京で働き出してから、その営業サイドのキーパーソンの逸話を耳にする機会を得た。

その話を耳にしたのは、今の職場を紹介していただいた恩人でもあるが、その人は業界を細かく分けると上記の分野と同じ業界にいるわけではない。よって、上記の革新性が細かな業界区分を超越していたという証左となる。

曰く、その営業マンには、学会や展示会で現場を仕切る姿をから「俺がこの業界を背負ってやっているんだ」という自負が漲っていたという。そして、その姿勢は同業他社の立場から見ても、決して反感を抱かず好感が持てるものであったそうだ。

有名無名を問わず、「俺が背負っている」と言う自負は持ってしかるべきで、それなくしては仕事に対するプライドも何もない。

 誰しもが、遥かなる地平を目指して、仕事に取り組むべきである。

 





2015年6月3日水曜日

大阪にて

先週、大阪に泊まりで出張だった際、独身時代を過ごした場所でもある大阪に久しぶりに滞在して、(昨年の喧騒を経た今)何か思うところがあるだろうかと振り返ったが、残念ながら特に書こうという気になるものはなかった。

ただ、最近、休日に子供が遊んでくれなくなった事もあり(習い事の送迎は別として。つまり、遊ぶ場合は親とではなく友人と遊ぶようになったという事です)、家でごろごろしながら本を読むことが多い。それで、独身時代、大阪にいた頃に読んでいた本を実家に置いていたので、おふくろにこっちに送ってもらった。

当時、夢中になって読み、自分の価値観の形成に大きく影響し、ここまで導いてくれた書籍は、今、改めて読み返したとしても何か得るものがあるだろう。

荷物が届いたという連絡に、妻が私の実家に電話した際の余談として、おふくろが「(私の)姪っ子の○○は寅年の女で気がきつくてかなわんわ・・・」と言ったところ、妻が「私も寅年です・・・」と言って二人で大笑いしたらしい。

そんな近況報告でした。

2015年5月30日土曜日

運動会

今日は、次男が通う小学校の運動会だった。

運動会の楽しみは、子供の姿を見ることのほかに、知り合いのご父兄とお会いする事もそのひとつである。この地区の中学校の運動会は平日開催で父兄がほとんど見に来ないこともあり、 また父親は入学式および卒業式には出席しないことを望む我が家では(妻の意向)、私にとってその機会は今回を含めてあと2回だけとなった。今年、すでに長男の代のご父兄で下の子がいない方々とはお会いする事が出来ず、少し寂しい思いをした。 そして、来年はついに最後の機会となる。

うちの子が通う小学校では、従来、9月末に運動会が行なわれていたが、震災のあった2011年から今の時期の開催となった。そして、その年の運動会のあとの6月に、ずっと闘病中でその年の運動会には参加できなかったお子さんが病のため亡くなる不幸があった。たまたま、前に住んでいたマンションで旧知だったこともあり、わが身につまされる思いだった。それ故、この時期の運動会には、一年の無事を感謝する意味合いも強い。そのようになってからもう4年が経過した。

運動会と関係ないが、東京で仕事を通じて知り合った方の甥っ子さんが、うちの息子と同い年で隣の学区に通っていることを知った。将来、同じ学校に通う可能性もゼロではない。「○○さんのお子さん、いい子みたいよ。」という日が来る事を願う。ここのところ、ブログに書いたいろんな願い事がかなっているような気がするので、敢えて書く。

2015年5月24日日曜日

土になる努力

「風のように生きる」と題して、足掛け9年書き続けてきました。時に、子供に対する粗削りで不器用な愛情が共感を呼び、時に、ただひたすらに応援する見返りを求めない愛が感動を呼んできたのではないかと分析しておりますが・・・(笑。

「風の人、土の人」というタイプ分類があるのを知ったのは、確か現・朝ドラ関係のブログだったかと思います。それまで知りませんでしたが、私が知らずに使っていた「風のように」というのもニュアンスとしては同じでした。

そんな私が今、心がけているのが、いわば「土になる努力」ではないかと思います。一例としては長男のヨット。月に2回、霞ヶ浦に浮かんですごす生活ももうまる2年が過ぎました。そして、これからあと2年は続く見込みです。高校受験を経て、高校で部活として続ける場合は もう親のサポートは必要なくなります。

息子たちにとっては、今、住む場所がふるさとになります。長男にとっては霞ヶ浦の水が、次男にとってはラグビー場の芝が、故郷の景色の一つとなることでしょう。風のように生きることを良しとしてきた自分も、子供の人生を中心に考えると、無意識のうちに土になる努力をしていたことに気づきました。

2015年5月18日月曜日

5月の晴れた空の色


新幹線の窓から立山連山にまだ雪が残っているのが見えたので、東京よりはまだ少し涼しいかと思ったが、かの地に降り立ってみるとスーツ姿にはそれほどでもなかった。あるいは東京は今日も汗ばむ夏日だったのだろうか。

仕事が終わった後の余談で、「この辺りはかつて大阪の商業圏だったのだが、このところ東京との結びつきがますます強くなっている。北陸新幹線の開通はそれに拍車をかけそうだ」という話をうかがった。昨日の大阪都構想に関する住民投票が僅差の反対多数に終わったばかりだが、仮に大阪市を解体して大阪府を救済しても、大阪を中心とする関西経済圏の衰退を果たして止められたかというと、見通しとしては依然、厳しいのかもしれない。因果関係でいえば、関西経済が順調で自治体の税収が滑沢であれば、今回の大阪都構想も検討する必要性がなかった筈だろうから。経済に力なくして政治は無力、といったところだろうか。

JAL再建の際に、伊丹発着の種子島行の定期便が不採算路線の一つとして廃止になったのが何年前だったか記憶が定かでないが、同じく伊丹発着の屋久島行の定期便が今も運行されているというのを最近知った(種子島便も盆・正月の臨時便としては今もある)。当方としては両路線とも廃止されたものとばかり思っていたので、ずっと運行されたままだったのか、或いは再建の見通しが立って復活したのかどちらだろうと思い、もしかすると種子島便も復活したかと期待して路線検索したがあいにく「その路線は存在しません」といったニュアンスのメッセージが。

そのような状況にありながらも、あるテレビ番組で「人気上昇中の離島観光地」として種子島が第2位だった(くりーむしちゅーが司会してるやつ)。1位は沖縄の聞いたことのない島。どういう算出方法をしたのか気になるところだが、それはさておき番組をきっかけに観光客が増えるのであれば地元としてはありがたいことだろう。現時点では、仮に伊丹発の路線があったとしても、旅行としては九州新幹線で鹿児島まで行き、鹿児島から高速船で行くほうがお勧めではないだろうか。位置づけとしては鹿児島観光のオプションツアーとして。種子島自体は1泊もすれば十分で2泊もするとかえって暇を持て余すかもしれない(マリンスポーツをやらない場合は尚)。

余談だが、高速船は当初、1社のみでの運航であったが、いつの頃からか全九州に展開して財をなした地元のタクシー会社が参入し、今では2社で価格競争ありの状況下で両社運航しているようだ。その高速船の船着き場も、便数が増えたからか、昔、フェリーが発着していた場所に戻されて、ある意味で「種子・屋久桟橋」は復活した。